クリスマスおめでとうございます!

多くの方が「嬰児福音」(Infant Gospel) の ストリーを読み、聞いていますが、その言葉、意味をあまり説かれてないと思います。この意味はキリストの幼児時に、誕生告知も含めて既に”人類への福音”が伝えられていることを指します。

嬰児福音はマタイの福音書では単独に記録されているが、ルカの福音書 にはバブテスマのヨハネの誕生告知が先行して、キリストの誕生告知が記録されています。私達には異邦人向けに書かれたルカの福音書が分かりやすいでしょう。

ついでに、 Infancy Gospel of Thomas (AD 200 年頃)という嬰児福音もあると聞きますが、12弟子の一人トマスが書いた嬰児福音にはイエスの少年時代の様々な奇跡が記録されているという。

例えば、少年イエスが水を溢させないで運んでいる奇跡等があるという。大変興味あるストリーですが、同書は聖典から外され、異端的として扱われているのでご注意下さい。

本題についてルカの福音書から考えてみましょう。

1)道備えの役割:

バプテスマのヨハネの生涯はメシヤが使命を完成するための道ならしをする役割でした。凸凹道をならし、メシヤが通りやすいように整えることであった。イザヤ書40章にその予言があり、そのように誕生しました。このことはメシヤの誕生が確かなものであるという立証にもなります。

もし、メシヤの先駆けがいなければ、メシヤの誕生は嘘ということになるからです。ルカの1:17には「彼はエリヤの霊と力とをもって、み前に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう。」 バプテスマのヨハネの神様からの務めが明確に父ザカリヤに語られます。

バプテスマのヨハネの生涯の務めはメシヤ・キリストに仕えることで、こう述べます;「彼は必ず栄え、わたしは衰える。」(ヨハネの3:30)

また、不妊であったエリサベツ、老夫婦であった彼等に男児誕生の告知があったのは、その後マリヤが処女であるにも拘らず、天使が聖霊によるメシヤ誕生の告知を受け入れやすいように前もって心の準備をなされたのであろう。

2)神の介入:

バプテスマのヨハネの誕生、またメシヤ誕生の告知が天使のみ告であった事は、この事が旧約聖書の予言の成就であったという証拠にもなり、また、神様の直接的介入であります。

もしや、神の直的な介入がなく、誰か人間の業であったならば、この記録の真実性に大いに問題があったことでしょう。この出来事は嬰児福音は神の人類救済のご計画の福音です。

3)嬰児福音:

福音は神の独り子、メシヤから頂くものです。そこで、ルカはバプテスマのヨハネの誕生を並置しながらも、彼がメシヤではなく人間の一人であるとメシヤの誕生とはっきりと区別している。

彼はゼカリヤにより肉の母から生まれた人間であり、メシヤは聖霊によって生まれた超自然的な誕生であるとしている。 また、バプテスマのヨハネは上記の1:17に記録されているように、エリヤの霊と力を備えた人間であるとしている。これは大事な違う点です。

お二人が成長し、それぞれが使命を果たされたとき、民の中にはどつちがメシヤかと区別がつかない時があったからです。ルカは1:32「彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、ととなえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、、、」とあります。

イエス様は神の子、ダビデの王座の権威を保たれるメシヤです。バプテスマのヨハネはメシヤに仕える聖なる僕です。

私たちもバプテスマのヨハネのようにイエス様に仕える者となるように訓練しようではありませんか。私達が栄光を受けるのではなく、全ての栄光をイエス様に向けるのです。

スポットライトを受けられるのはイエス様です。これぞ、ご降誕を祝う本当のクリスマスではありませんか。

前原利夫


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「わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。」 詩篇103:2

数年前に、私達はボストンから40 マイルほど南東に下り、Plymouth、プリマスという町の見学に行きました。そこは歴史がそのまま残された町で、新しい建物や開発のない昔ながらの佇まいのある町でした。道路は狭く、建物も小さく、昔ながらの水車小屋もありました。この場所は大西洋に面した町で、海と隣り合わせの冬は寒い町です。町の中には湖( Jenny Pond)があり、そこから小川が町の中を東の方に海に流れ込んでいる。水道設備のない時代、豊富な給水源である。

この町は1620年に、ヨーロッパから宗教の自由を求めて新大陸アメリカに渡った清教徒達が建てた町です。有名なメイフラワー号でアメリカ大陸に渡った2番目の清教徒達だ。プリマスの小さな町を歩き回りながら、この町で住む清教徒達が開拓のために戦い、冬は厳冬と戦いながら、神様を信じ、貧困の中にも感謝を忘れなかった。神様はこのような清教徒の信仰を祝福し、ここから新大陸が西へ西へと開発され、プリマスの町をアメリカの祝福の原点とされたのではなかろうか、と思わされるような歴史の町です。

11月と言えば、全米が祝う感謝祭、その原点はプリマスの町といわれる。遠くに住む家族達が一つに集まり、食卓を囲みながら、一年の祝福を神に感謝する。昨年、私達は娘達も6人の孫達も、それぞれが自分達が一番感謝したいものを一言ずつシェヤーしました。今年もそのような感謝祭でありたい。皆さんはどのように感謝祭をお迎えになりますか。

今年、神様は私達の教会にも沢山の祝福を下さいました。その祝福を数えてみましょう(順不同):

1)魂の祝福:

今年2年振りに洗礼者が興された事は大きな祝福でした。数にして一人の魂ですが、御使たちの喜びは救われている99人の魂よりも大きな喜びです。人間の救いは天上的な感激です。思い出して下さい、貴方が、私がイエス様を受け入れたとき、その時、天上でも御使たちが喜びの祝宴を開いたのです。9月に受洗された姉妹は、GVICに導かれて浅く、数ヶ月後の決心でした。

これまでは教会生活の経験もなく、聖書の理解もこれからで、ただ友人達との交わりの中で育まれた霊的覚醒の始まりでした。この事は、教会外での信仰の交わりが大事であることを教えられます。時には、躓きの原因にもなりますが、この姉妹にとっては良い機会、またタイミング良く、GVICへと導かれました。

創立25周年記念を祝う9月8日、その翌週、GVIC 50人目の受洗者でした。ハレルヤ!

2)前原家、新しい家族の参加:

私達前原家にとつて、今年、大きな祝福は娘達や孫達が礼拝を大事にし出したことです。一人の娘とその娘、孫は定期的に礼拝を守っていましたが、後の二人の娘、5人の孫達の日曜日はスポーツの日でした。二人の孫はニュヨークと北加の大学ですが、近くに住んでいる娘、孫達とはほとんで毎日曜日教会で会う、という恵みが与えられています。家族が教会で一同会する喜びに勝るものはありません。 更に今年は多くの新しいお友達をお送り下さり、その中には35年以来の古い友人夫婦もいる。教会が量的に増える恵み、また奉仕者が備えられた事は感謝です。

3)キム家の開拓伝道の準備:

2月末をもってGVICを辞められたキム家がGVICから離れられたのは寂しいものでした。しかし、それは開拓伝道という祈りがあり希望がある決断でした。GVICの第二教会が実現する働きです。2020年の1月から開拓が始まる予定ですが、キム師の健康次第でしょう。同師の健康が祝福され、明子姉の学びと訓練が進められて、厳しい開拓に対応できなければなりません。 また、同家の計画に沿って、私達はEMの担当者を祈り出しましたが、主は私達の必要を知り、予め備えていて下さいました。タカヨシ・セイゴ師を遣わされ、3月から奉仕をして下さいました。ハレルヤ!

4)若者のために祈る:

教会の構成は高齢者のグループが多く、教会の活性化に若者伝道が叫ばれてきました。今年、8月から12月までの第4週礼拝を若者のために聖別し、プログラムを見直しました。祈のグループを作り、祈りを集中しています。若者が来ることを期待し、祈り続けましょう。賛美チーム、聖歌隊の皆様のさらなるご努力を感謝致します。

5)創立25周年記念礼拝・コンサート:

昨年から9月の第二日曜日をGVIC創立記念日として感謝し、感謝献金は会堂購入の資金の減債に充当することを 決めました。1994年9月11日、GVICはトーランスのホテルの部屋で最初の礼拝を捧げ、今日まで主の守りと祝福の中を歩んで参りました。イエス様の恵みが先導した25年でした。ハレルヤ!

こうして、主の恵みを数えてみますと、まだまだ沢山の恵みがご紹介できないほどあります。どうか、迎える感謝祭が貴方の祝福をひとつづつ数え、首を垂れて、主に感謝するシーズンとなりますようお祈り致します。
                                       
 Happy Thanksgiving to You, All!

前原利夫


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・・罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前で喜びがあるであろう。ルカ福音書15:10

ルカ福音書の15章は神の素晴らしい救いのイラストです。有名な失われた一匹の羊の発見、失われた銀貨1枚の発見、そしてあの放蕩息子が我が家に戻る、その彼を抱きしめる父親の愛、何とも表現し難い神の赦し、回復、そして失われていた彼らを迎える御使たちの天上の大喜びの歌がこの地上までも響き渡るようである。かつて神から離れていた者が、神の腕に抱かれる瞬間は感動的で麗しい。この地上にこのような喜びはない。

私達は9月8日、創立25周年記念を礼拝と賛美で祝いましたが、天上の御使たちが喜んで下さったでしょうか。いいえ、失われた魂が救われることを喜ぶ、天上の喜びに勝るものはありません。私達の喜びは地上的であり、御使達の喜びは永遠的である。

おめでとう!Potts・敏子さん:

9月15日、私達は創立25周年記念の喜びに勝る天上的なお祝いを体験しました。それは、失われていた一人の魂が、主の元に見出され、神の愛の腕の中に永遠に失せない救いを頂いたからです。 Potts 敏子さん、おめでとうございます。天上の御使たちのお祝とは比較になりませんが、教会一同、心からお祝い申し上げます。イエス様、十字架の贖い、救いを感謝致します。信仰の完成者であられるイエス様を仰いで、成長し、お互いに励まし歩みましょう。

預言者ホセアの恵みの言葉:

ホセア(BC740年頃)は預言者イザヤと同じ頃の預言者です。彼は予言する;
「あなたがたは自分のために正義をまき、 いつくしみの実を刈り取り、あなたがたの新田を耕せ。 今は主を求むべき時である。主は来て救いを雨のように、あなたがたに降りそそがれる。」(ホセア10:12)

私達が正義の種を蒔けば、その実は慈しみ、愛を収穫する。私達が畑を耕せば、主が雨を注ぎ、収穫を約束して下さる。霊的な祝福も然りである。魂を深く耕し、み言葉を蒔けば、神様が働いて下さる。だから、今、主を求めなさい。主は救いを雨のように、全地が乾くことのないように、溢れるほどに救いを求めるものに与えて下さる。教会の一人一人、特にまだイエス様の懐にいない兄弟姉妹達よ、今、主が雨を降らせようとしている事を知って頂きたい。貴方の新田を耕して下さい。

信仰告白は聖霊様の導き:

Potts 敏子さんはホセアの祝福の言葉を頂いた一人です。GVICに来られてまだ5、6ヶ月です。これまで教会生活の体験もなく、友人達に誘われながら家庭集会で聖書やイエス様について知識を得るようになった。彼らに感謝。周囲から、信仰告白を促されたようですが、ご本人は抵抗を感じたようです。信仰告白は聖霊様の導きがなければ出来ないことです。人間の業ではありません。「、、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主であると言うことができない。」とある通りです。(第1コリント12:3)。同姉は主を心から求められたのです。救いが恵みの雨のように注がれました。

今は恵みの時、救いの日:

今回の洗礼式は、教会にとっては2年ぶりです。この救いの雨なき長い 日照りは、理由が何であれ、牧師にとって寂しいものです。その間、洗礼を希望される方がいましたが、私が元気になり、回復してからと祈り待っておられます。その方々の上には既に恵みの雨が注がれ、後は聖霊様の導きでイエス様を我が主と告白する時を待つのみです。

「神はこう言われる、『わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救いの日にあなたを助けた。』、見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である。」
(第2コリント6:2)

前原利夫


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私達は毎年9月第二礼拝をGVIC創立記念日、Founder’s Day として祝います。今年は9月8日に当たり、25周年になります。既報のように、記念礼拝の後に、感謝コンサートを開きます。創立記念日は神様の祝福に感謝し、誉めたたえます。また、ファンドレイジングのキックオフを致します。ファンドレイジングは銀行ローンの減債が目的です。1日も早く負債を完済し、更に健全な教会財政を目論みます。

さて、25年を振り返り、神様はこの間、どのように牧会をさせて下さったか限られた紙面で幾つかシェヤーさせて頂きます(順不同)。

1)毎週の礼拝を守り抜く:

私達の教会は1994年9月11日以来今日まで一回たりとも礼拝を休んだことはありません。ヤドカリのように点々と会場を変えた教会にとっては、これは主の働きです。ホテルの時、朝礼拝に行くと、予約してお金を払ったはずの部屋に入れない時も何度もありました、そして、適当な部屋がないので200、300人入る様な大きな部屋で、15、20人の礼拝を捧げました。ガランとして雰囲気のいいものではありませんでした。ある時は、部屋が一つもないという事で門前払でした。

礼拝をせずに帰るわけにはいきません。ホテルから音楽機材を聖書を担いで道を渡り、私の事務所まで行き、1時間以上遅れて礼拝を捧げました。ある時は、拙宅で礼拝を持つこともありましたね。今年の創立記念日は1304回目の礼拝を主に捧げます!「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互いに励まし、 かの日が近いているのを見て、ますます、そうしようではないか。」ヘブル書10:25

2)み言葉を語り続ける:

礼拝の中心はみ言葉を語る事、それはイエス様の公生涯を見るとわかります。公生涯の多くは福音を語る、み言葉を語る事に多くの時間をかけています。人の魂を救うのは福音によるからです。イエス様の福音を語る事なしに、教会の存在も使命もありません.「人はパンでけで生きるものではなく、神の口からでる一つ一つの言で生きるものである。」と申命記の言葉を引用されました。

この言葉は旧約、新約聖書を通して霊的な糧であるという不変の真理です。またサタンを撃退した強力な霊的な武器である証拠です。GVICが魂を救う神の機関であり、サタンの攻撃から守られるためには、神の口から出る一つ一つの言葉が毎週、毎日語られなければなりません。無駄口は不要です。「あなたのみ言葉はいかにわがあごに甘いことでしょう。密にまさってわが口に甘いのです。」詩篇 119:103

3)祈りとおす、目的に向かい:

神様が教えられたもう一つの事は祈る事です。どんな時にも祈る事が大事です。しかし祈りには”向き” ”方向” がなければなりません。神様は方向性のある祈りを教えて下さいました。

危機の時、四方八方塞がっている環境の時に、何でもかんでも無意味に祈らずに、いつも向きのある祈りが大事です。GVICが立ち上がる1994年は前原家にはタイミングがとても悪い時でした。まず、経済の問題、ビジネスが最悪、負債を丸々抱えた時でした。この事は、人の援助、献金に頼らない開拓伝道にとっては厳しいものでした。

大学に行く娘を抱えての苦労のドマン中でした。数年続きました。そのような時、人は自分の使命を忘れて、環境に押し流されやすいものです。ある朝のこと、祈りの中で、神様は”お前の使命は何だ”と仰る、問いかけの中に私は祈りの向き、方向を再び捉えて、励まされました。”それはサウスベイで日本人教会を開拓すること”でした。これは、私の25年の牧会生活の中で一番著しい祈りでありました。「絶えず祈りなさい」 テサロニケ第一5:17

4)献金を捧げとおす:

開拓伝道は自分の信仰と財政の主へのコミットメントです。教会開拓当時、財政が満たされるという保証はありません。ホテルの一室のレントは高く、礼拝に10人集まっても30人集まってもレントは同じです。月1、2度はゲストを迎えました。月々発生する諸費用はビジネスで吸収しても、懐ろは同じです。1994年の我が家の経済は大きな試練の中でした。

しかし、一旦、主の前に誓いを立てたら、ビジネスが悪くても、借金でも、逆境に遭っても、主からのテストとして受け止め、目的に向い進むしかありません。主はそれを喜ばれ、祝福して下さいました。「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。」 マルコ4:24

5)教友が力を合わせた:

神様は教会の働きは一人の働きはではなく全体の参加によって進む働きである事を最初から教えて下さいました。人材が揃ってスタートした開拓ではなかったが、神様は要所要所、適時に人材を遣わして下さいました。特に、私は経験のない伝道、牧会に携わる中、多くのアドバイスを必要としました。辻本先生ご夫妻には開拓期からメンターとして多くの励ましを頂きました。

織田先生がミシガン州からLAに移動され、今日まで13年賛美を指導して下さっています。英語部の設立に当たり、キム先生・明子ご夫妻が与えられ、お二人とも開拓伝道を志し、準備中です。数年前李先生ご夫妻、今年はタカヨシ先生が遣わされ、祝福を頂いています。勿論、信徒の皆様の一人一人が祈り、捧げて力を合わせて下さらなければ、今日のGVICは存在しません。真に感謝、感謝で一杯です。

最後に、この25年、主が教え、導かれた事は、聖霊様が初代教会に教えられた事と同じであることに途中で気がつきました。初代教会は 1)使徒たちの教えを教え、2)信仰の交わり、3)祈り、4)パンをさく、ことが教会の使命でした。使徒行伝2:42。

神様、この25年、ありがとう御座いました!

前原利夫


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「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ、、、」 伝道の書12:1

 

若者向け礼拝プログラムの工夫

私達の教会の急務は若者向けの具体的な伝道です。”出て行く” アウトリーチという大切な伝道の原則がありますが、先ず、礼拝プログラムから見直して、彼らのために祈り、共に力を合わせて働こうと今立ち上が らなければなりません。

先日、織田先生が若者向けの礼拝プログラムを世話人会にプロポーズし、世話人会はそれを検討、下記のように実行することにしました。まだ、検討中の点もありますが、聖霊様の導きを信じ実行致します。若者向けの礼拝プログラムの骨子をシェヤー致します。

み言葉:「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ、、、」とありますように、神様を早く知れば知るほど良いこととはクリスチャンの共通した意見です。

天地創造の神様を知り、自らの人生の目的を定め、神のお助けを頂いて人生の目標に向かって歩むことができるからです。勿論、それ以上に魂の救いという最も大切な課題を若い時に解決する事ができるからです。まだ、神様を知らない人には、1日も早く、特に若い方々にお勧め致します。私達の教会はそのために共に働きます。

 

礼拝プログラムの骨子

 

1)若者用プログラムの内容:

プログラムは音楽とメッセージを中心として進められます。音楽、賛美も多少アップテンポ、時にはロック調の賛美もありましょう。これまで伝統的な賛美、プレイズ・ソングに慣れてきた私達には耳新しい曲かも知れませんが、心を開いて新しいことを若者と共に学ぶ機会です。

私達が初めて教会に足を踏み込んだ時を思い出すと、全てに違和感を感じました。初めてくる若者達にはその”違和感からくる抵抗”を最小限にするための工夫です。賛美チームに若者の参加を歓迎します。

メッセージもイエス・キリストというお方、十字架、罪、救い、信仰、復活、永遠の命等と基本的なメッセージが中心になります。まだイエス様の救いを頂いてない方には、またとない学びの機会です。メッセージはタカヨシ師が担当し、峯岸姉が同時通訳の奉仕をして下さいます。

2)何時から始まりますか:

若者向けのプログラムは毎月第4週目、8月からスタートし12月の第四週目まで続きます。もし、必要であれば延長の機会を探ります。当日はプログラムのプリントは配りません。プログラムがシンプルになり礼拝の流れを把握するのは容易です:祈り、賛美、紹介・報告、献金、メッセージ、招き、祈り。お知らせ等はパワーポイントで大写します。

3)メッセージの後の招き:

メッセンジャーは、メッセージが終わり、皆さんに”招き”を致します。それは、語られたメッセージに対して、聞いている方々、或いは初めての若い方が理解できるようにチャレンジする意味です。若い方々にはEMの部屋に移り、或いはその場で、指名された人がファローします。これはいわゆる”プッシュ”ではりません。プッシュは逆効果です。これらの方々が丁寧に対応します。

4)祈りのグループ:

若者の為に祈るグールプが必要です。3,4人を一組として、4組を作り、月一度で礼拝前に祈ります。各グループの責任者は祈りをリードし、また、同じグループの仲間がいつも祈るようにリマンドします。このグループに入ってない方々自由に礼拝前の祈りに参加できます。祈りの時間は10時30分ー45分の15分です。礼拝前ですから時間厳守です。12月の第4週目まで続きます。

5)皆が伝える:

どのような仕事でも成功するかしないかは、皆が賛同するだけではなく、実行するかどうかです。口と手が同時に動かなければなりません。要するに働く事が大事です。向かう5ヶ月の間、一家族が一人の若者をご紹介下さるようお願い致します。

周囲をご覧下さい、お友達の家の若者、或いはご自分のお孫さんに声をかけて下さい(メッセージは英語です)。一人の人の小さな働きでも、皆が働くと相乗効果が出て、大きな結果を産むでしょう。聖霊様もそのような貴方を喜び、さらなる祝福を注いで下さるに違いない。この小さな働きでも大事な出て行くアウトリーチです。

私もこの原稿を書きながら、誰を紹介しようかと目をクルクルさせ初めています。ついでですが、若者の身なりを気にせず、どんな身なりでも歓迎です。英語部のクリス兄が綺麗なフライヤーを作って下さいますから、これを用いてご紹介下さい。

皆さん、若者の救いのために、立ち上がりましょう!

「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ・・」

前原利夫


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「・・・それは金で重さ一タラントであった。宝石がはめてあり、それをダビデの頭に置いた。、、、」サムエル記下12章30節

今月は部下の本分、という事を考えてみましょう。ダビデには優れた部下が数人いた、その中でダビデの政権をソロモンに譲る時まで、最後まで忠実に仕えたヨアブから部下の本分とは何か、翻って主に仕える事を学びましょう。

1. ヨアブという人物:

ヨアブには二人の兄弟がいて、3人ともダビデに仕えた。この3人は”ゼルヤの三人の子”とサムエル記下2章18節は呼ぶ。ゼルヤ( Zeruiah)はダビデのハーフシスターで、ヨアブはダビデの甥にあたり、叔父ダビデに仕えたわけである。

彼がどれ程神を愛し、信仰に生きたかは記録があまりない。一方、ライバル意識が高く、自分の前に立ちはばかる者は残酷にも消していった。しかし、彼の武勇伝は幾つも紹介され、優れたダビデの参謀であった。ある註解者はヨアブがダビデに仕えなければ、イスラエルを支配していたであろうと評価が高い。ヨアブは部下の本分が何たるかを身をもって教える。

2. 勝利の手柄を主人に返上:

この記録はサムエル記下11、12章を参照下さい。同11章はダビデが倫理的に最悪な罪を犯した記録が残されているところである。時は、春でヨアブに率いられたダビデの軍隊はアンモン軍とラバというところで交戦し、勝利を収める。

もし、ヨアブが主人ダビデを裏切り、反旗を翻そうと目論んでいたらこの時は絶好のチャンスであった。王はエルサレムで罪を犯しているばかりか、その夫のウリヤを敵に殺させるよう企だてたからである。

それを実行し、その秘密を握っていたのはヨアブだけであった。ヨアブがこの秘密を公開すれば、ダビデ王の顔は丸潰れ、失脚したであろう。そのような危機にあったダビデに、自分の手柄を惜しげも無く捧げるのである。

ヨアブがアンモン戦で勝利し、ラバの陥落を目前に、ラバを攻め落とすようにダビデに使いを送るのである。ダビデは兵を整えてその町を攻め落す。兵士達はラバの王から冠を取り、それをダビデ王の頭にかぶせるのである。その時、ヨアブはかく言う、

「・・・わたしがこの町を取って、人がわたしの名をもって、これを呼ぶようにならないためです。」(同12:28)。

部下の本分は主人に手柄を差し出し、主人の名前が永遠に残るように仕える事です。自らが隠れなければならない。栄光は主のものです! ダビデにとって、罪に負けた弱い者であったが、今尚、民の王であり、王冠を奪い去る者はいない。

3. ダビデ王が危機の時:

前述のようにこの出来事はダビデが危機の中にあった時に起こったヨアブの武勇伝です。罪を犯し、ウリヤ殺しを実行し、その罪の報いを言い渡されて窮地に追い込まれていたダビデでした。そのような時にも、右腕として頼りにしているヨアブが、励まし、尚も王として引き上げているのは、ダビデにとっては大きな励ましであったに違いない。

また、神もダビデの罪ゆえにユダ王国を見捨てずに、アンモンに勝利を賜ったのは、神の変わらない愛、ダビデ家を見捨てられない神の約束であろう。部下の本分は、主人が窮地に追い込まれても、どのような危機の中にあっても最後まで忠実に仕えていく事ではないか。我らの仕える神様も、私たちが心から悔い改めると、何時でも祝福をもって迎えてくださる。

私達の仕えるイエス様はヨアブが仕えたダビデのような弱さをお持ちでない。私達の主人は完全なお方であられる。ですから、ヨアブが忠実に仕えた以上にお仕えしなければならない。

自分が勝利した時、イエス様にその勝利をお返し、この勝利はイエス様から頂いたと栄光を帰し、祝福を受けたら、これもイエス様からの頂きものと、全ての栄光をイエス様にお返しする事です。

部下が主人に仕えるとは、バプテスマのヨハネが言ったように「彼は必ず栄え、わたしは衰える。」である。

前原利夫


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パウロ書簡(ヘブル書を入れて14巻)には ”In Christ ” という言葉が160回程使用されているそうです。今号は短いコロサイ人への手紙からその一部を追跡、学んでみましょう。

英語の” In Christ”という語を NIV(New International Version) からその一語、一語をチェックしました。”In Christ”に相当した代名詞”In Him”で受けている場合も、同じ意味として数えると13回の活用があります。

以下にその言葉の出所をリストし、訳は口語訳を使用しました。新改訳、共同訳、その他の訳の聖書をお読みの方は、比較しながら学びますと、翻訳の難しさとか、原文の意味の解説の発展等が想像できるでしょう。これだけ数多く使われている背後には、この言葉がどれだけ大事であるか、また一般に広範囲に用いられているギリシャ語であろと想像できましょう。13回の中から、今回は幾つか取り上げて、今月の学びとしましょう。

1)13回の”In Christ” の使用と訳:

この言葉は1章2、4、20、28節、2章3、5、6、7、9、10、11、17節、3章11節、計13回現れています。口語訳では「、、、にある」「、、、に対して」「、、、にあって」「、、、のうちに」「、、、こそ」と ある。英語の In Christの一つの言葉が、日本語訳 では5つの違った表現が使われています。日本語がいかに難しいかがわかります。これは一つの発見です。

2)「キリストにある聖徒たち」、1:2:

コロサイ人への手紙の宛先はコロサイにいる信徒、忠実な兄弟たちへとなっています。勿論、姉妹たちもはいっています。コロサイという町は小アジアにありますが、黙示録の7つの教会の一つではありません。その一つであるラオデキヤの教会のすぐ東側に位置しています(地図で確かめて下さい)。

この手紙は回覧板のようで、最初、コロサイの教会に送られ、その後はラオデキヤの教会で朗読するように、また、ラオデキヤに送られた別の手紙がコロサイの教会でも朗読されるように、回覧が勧められています(4:16)。

 

3)「彼によってご自分と和解させて下さったのである」、1:20:

この言葉の前半にこう書いてあります「そして、その十字架の血によって平和を作り、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、、、」。キリストによって私たちを聖徒として下さったのは、先ず、神様との和解が先決でした。

神を知らない私達は、神に敵対する者と呼ばれ、神の救いの計画に無知で霊的な盲目でした。そのような私達に宣教の働きを通し福音の恵みに預からせて、キリストの十字架の血に目が開かれました。

それは敵と和解、裁きから赦しに、呪いから祝福に、死から命に、永遠の裁きから永遠の命に移されることでした。パウロは2章14節で「神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。」と、キリストにあって私たちは凱旋した、勝利したと宣言します。

 

4)「、、彼にあって歩きなさい」、2:6:

本6節の前半は「このように、あなたがたはキリスト・イエスを受け入れたのであるから、」とあります。要するに、イエス様を受け入れた私達は、イエス様のように、或いはイエス様が喜ぶように信仰生活を歩めと勧めます。この節の後にこの世のだましごとの教え、また罪の中にいたが、キリストにあって赦され、罪に対して凱旋した、とパウロは続きます。

もし、キルストにあって聖徒として称号を与えられるならば、私達はキリストの教えの中に歩むべきで、またしてもこの世と妥協するような罪の生活をしてはならない。それは、キリストの名を恥ずかしめることで、聖徒の名に相応しくないからです。

   私達の信仰生活は 「In Christ 」

「キリストにあって」という考えを軸に歩みたいものです。

前原利夫

ご案内

 

私の生き方はキリストにある生き方であるか、私の人間関係はキリストに対する関係のように歩んでいるであろうか。 In Christ, キリストにあってという吟味の中で、日々の生活を判断していきたいものです。一言で言うなら、イエス様ならどうするか。

      

前原利夫


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ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
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「・・・ダビデは言った、『主よ、どうぞアヒトベルの計略を愚かなものにしてください』」。 サムエル記下15章31節

最近、ダビデ王に興味が増し、サムエル記を何度も繰り課して読んでいます。読むたびにダビデの人柄、神の僕としてまた王として、多く学びます。それ以上に、ダビデに対す神の取り扱い、厳しさや憐れみ深い事を教えられます。ダビデは祈りの人でした。

それは、あの詩篇を読むと、彼の祈りに感動せずにはおられません。ダビデは神の恵みに先導されて、100戦連勝、武将として国を治めます。しかし、ダビデは戦う前に、何度もこの戦いに出るべきか、避けるべきかを祈り求めます。感情に走らず、略奪に走らず戦いに備えました。それは祈りがあるからです。ダビデの戦いは主の戦い” で、国の軍事力に頼らずに、まず神の力に信頼を置いた戦いでした。

「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われわれの神、主の名を誇る。」(詩篇20:7)

一言の祈り:

本号では、ダビデの数々の祈りの中で最も短い、一言の祈りを取り上げ、その祈りの力、その祈りの深さを考えてみましょう(礼拝のメッセージで取り上げたが違った角度からアプローチ)。ダビデの一言の祈りがあります;

「・・・ダビデは言った、『主よ、どうぞアヒトベルの計略を愚かなものにしてください』」。

アヒトベルは父ダビデ王に反旗を翻したアブサロムに寝返りした武将でした。彼の戦略家としての実力は神に伺いを立てるようであると周囲から最高の評価を受けていた。ダビデ王の陣営を抜け出したことは、王にとっては戦略を大きく失った事になる。

そのアヒトベルの力を、神が愚かなものにするように、無駄、無益な計略となる様に祈るのは当然である。その祈りはアヒトベルの力の裏付けでもある。

もしこの一言の祈りがなかったなら:

神はダビデの友であるホシャイをダビデ陣営に送り込んで、アヒトベルと対決を見せるが、祈りがどの様にダビデ王を守られたかを考えてみよう。先ず1)ダビデの王位継続だ。アヒトベルの戦略に負けたダビデは、アブサロム陣営に殺されていたであろう。

アヒトベルは大勢の兵士達の首を狙わず、ダビデの首だけを狙った戦法であった。アヒトベルの戦法が実行されなかったために、ダビデは王位を継続できた。

2)もし、神がこの祈りに応えられないでいたら、ソロモンの壮大なエルサレム神殿の建立は、主のみ心であった計画とはいえ、工事の遅れ、建材の確保、何か支障が起こったかもしれない。ダビデはシリヤとの外交交渉で材木、技術者をエルサレムに導入する手立てをしていた。

3)ユダ族のダビデ王を通して数々のメシヤ予言は失敗した。詩篇の中にはメシヤの受難(詩篇22篇)や、イザヤ書のメシヤ誕生、ダビデの父エッサイの根からの誕生等がある。これらの予言は無残に成就せず、大きな失敗となっていたであろう。ひいてはキリスト教の存在もなかったであろう。

この様に、ダビデが王位継続をすることは予言、救い主・メシヤ、またキリスト教誕生の視点から、歴史的に必然でなければならない。 一言の祈り、何の重みのない祈りの様に感じられても、歴史的、救済的な含みの祈りである事に目を開きたい。

歴代志下6:19に預言者エリシャの一言、二言の勝利の祈りも参照下さい。

私達はイエス様の友の身分だ:神は私たちが祈り求めない先から私たちの必要を知っておられる。また、私達の祈りは何でも求められるものは叶えられるのである、それはみ心に沿った祈りであるならばです。

ヨハネの15章でイエス様は弟子達を僕の身分から友の身分に引き上げて、父から聞いたことを皆、あなたがたに伝えたと語られた。そして、弟子達がイエス様の名によって求めるものは、父がかなえて下さると約束されました。

ここに祈りの秘訣があろう。私達は主イエス様の友であり、イエス様と同じように天の父からの尊い情報を共有していることを。これ程の身分を頂いている事を信じ、これからの祈りに確信を持って捧げようではないか。それが、どのような短い、一言の祈りであっても、、。        

前原利夫


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前号ではイエス様の受難を考えましたが、その受難に勝利し、甦られ、人類の罪を赦される使命を完成されました。ハレルヤ!イエス様が復活された時、その顕著な出来事を追ってみましょう。

1)週の初めに復活された:

四福音書はイエス様が復活されたのは週の初めであると記録しています。週の初めとは現在の日曜日に当たります。その前日は土曜日で安息日です。弟子達はイエス様の復活以来、礼拝は復活を記念して日曜日に行われました(使徒20:7, 第一コリント16:2)。日曜日に礼拝を開く事はユダヤ教と決別するために歴史的に大事なことでした。ユダヤ教は土曜日を安息日として礼拝しました。

もし、復活後も土曜日に礼拝していたら、ユダヤ教と区別がしにくく、また、安息日の規則に従わねばならない。イエス様は安息日を守られ、会堂で教えられましたが、復活の新時代には日曜日の礼拝が誕生したばかりのキリスト教にふさわしい礼拝の日となりました。また、ユダヤ教と決別するためにも、礼拝がシナゴグ、ユダヤ人会堂ではなく、家の教会、家庭集会がスタートしました。新時代の新しい福音伝達の革命は礼拝の日と礼拝の場所でした。

2)復活は神の直接的介入:

四福音書ともイエス様が葬られた墓の封印を解かれたのは、超自然的であると記録しています。墓の封印は大きな石がころがされてあったとあります。それに、ロマの番兵も厳重に見張っていました。その墓から主が甦られたのです、どのようにして? 墓の園に天使が現れた、白い着物を着た二人の若い者が空っぽの墓の中にいた。最も鮮明に記録している福音書はマタイの28章2節、” すると、大きな地震が起った。

それは主の使いが天から下って、そこにきて石をわきにころがし、上にすわったからである。” 。天使は大きな封印した石の上にすわっている、何という勇ましい姿、勝利のポーズではありませんか。復活は勝利、主は勝利の主です!このマタイの観察はイエス様が捕縛された時に、彼らにこう語られた事を思い出させる、”あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者は、剣で滅びる。それとも、わたしが父に願って、天の使いたちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うか。”。神の直接的介入なしにイエス様の復活はあり得ない。

3)ガリラヤで復活の主と再会:

イエス様は十字架にかかる前から弟子達に、ガリラヤで会うからそこに行くように命じていました。なぜ、復活後にガリラヤで会うことが大切なんでしょうか。復活後も二つの福音書は弟子たちにガリラヤに行くように命じています。弟子たちはガリラヤ、彼らの故郷に戻りましたが、イエスの約束を信じて、そこで待っていたわけではない。

マタイの4章にイザヤの言葉が引用されています、” 、、、異邦人のガリラヤ、暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった。”。この言葉の次の聖句は、この時からイエス様は悔い改めよ、天国は近づいた、と宣べはじめられたとあります。ガリラヤで福音宣教は開幕され、そのガリラヤに最後の復活の栄光の姿を現される事をお考えになったのでしょう。また、弟子たちに先回りして、失望せる彼らを励ますためでもあろう。イエス様は私たちにとってもそういうお方です。

4)すぐ行け、急いで行け!:

マタイの福音書は他の福音書よりも、復活の様子が 躍動的です。行きなさい、すぐ行け、急いで立ち去れ、急いで行け等、この良き知らせを直ぐに弟子たちに、人々に伝える事が急務である事を伝える。復活がなければキリスト教の存在はない、十字架の救いの業の完成は復活の事実にあります。復活を伝える事は緊急時のトップ記事であり、昔なら夕刊の”号外版”です。

主の復活の報告は待ったなしです。マグダラのマリヤは復活の知らせを受けると、走って行ってペテロとヨハネに伝え、それを聞いたペテロとヨハネは一緒に走り出して墓に向かった。復活の事実を確認しようと墓に走り向かい、それを確認するとまた墓から走り出した。このような福音はかつてなかったからである!復活の感動と50日後のペンテコステ、聖霊降臨の力を受けて、弟子たちが様変わりを体験したことはご存知の通りです。

皆さん、復活のイエス様は勝利の主です、このお方以外に救いはありません。巷では多くの魂が刻々失われていきます。福音の伝達は急務です、直ぐに伝えるべき Good News !

まず、近くの家族、友人、仲間達、エルサレムから、お伝えしませんか。

イエス様は甦えられた、Happy Easter!
                   

前原利夫


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今年のイースターは4月21日にあたり、その前の週は受難週です。今号はイエス様の受難、次号では復活を考えてみましょう。イエス様の苦難は ゲッセマネの園の血の汗を流す祈り、ユダの裏切り、ペテロの三度の否み、ユダヤ人による捕縛、ピラトの下での裁判、そして十字架の死で肉体的、霊的受難の極限に達します。ゲッセマネの祈りでみこころがなりますようにと祈られた主は、十字架の上で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)と祈られた。父なる神の御心を求めながら父に見捨てられたメシヤの苦難の深さを知る術はありません。

今号のテーマはこの様な苦難をイエス様はどう乗り超えられたか、それは一言で言えるものではないが「沈黙」ではなかったか。「イエスは黙っておられた」、「イエスは一言もお答えにならなかった」、「イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった」と大祭司、総督ピラトや長老達の前に沈黙で対応された。

1) ゲッセマネの祈り:

イエス様はよくお一人で祈られました。バプテスマのヨハネがヘロデ王の下で首をはねられ殉教した時も世から静かに退き祈りました。ゲッセマネの祈りは最後の晩餐の後の祈りで、ご自分の時が目の前にあることをご存知でした。この時、3人の弟子達を同行しての祈りでした。彼等の執り成しの祈りを期待してのことであろう。

しかし、ここでもイエスの期待に応える弟子たちではありませんでした。イエス様はご自分の痛みを忘れたかの様に、弟子達を三度も励ましますが、私達のように弱い彼等でした。イエス様は血の汗を流しつつ、迎える十字架の死、罪の贖いの苦しみの中祈りました。苦難に勝利する沈黙はこのような祈りの戦い、御心を求める中から会得するものではないか。

2) 旧約聖書に立つ沈黙:

イエスの十字架はマタイの26、27章のテーマですが、他の福音書にも並行記事があるとおりです。イエス様はこの受ける苦難は当然であり、避けられない苦難である事を旧約聖書を拠り所としておられる。大祭司、律法学者、長老達を目の前に人の子は自分について書いてあるとおり去っていく、また彼等に捕縛された時、預言者たちの書いたことが成就するためであると語られた。

ご自分がイスラエルが待ち望んでいたメシヤである事をはっきりと言われた。だから、大祭司があなたは神の子キリストかと聞かれた時、イエス様は「あなたの言うとおりである」と答えられた。多くの偽証、侮り、侮辱、嘲弄に沈黙を守りながらも語るべき真実、真理については憚らない。イザヤ書53章は苦難のメシヤがひたすら沈黙することを記録しています。

3) 剣に代へて沈黙:

裏切り者のユダが大祭司を捕縛に案内した時、ペテロは大祭司に仕える僕の耳を切り落としたとあります。イエス様はその僕の耳に触れてお癒しになりました。そして「剣をとる者はみな、剣で滅びる」と戒められた。それは武力行為、たとい正当な理由であっても、剣をとる事を禁じられました。ご自分を裏切る人に、また不当に裁く宗教家や政治家に対してです。イエス様は天の父に願えば「天の使いたちを12軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うか」とご自分を守る軍団がおられる事を言われた。

古代ローマ兵の1軍団兵は5,000 – 6,000兵士からなるという。剣をとる者は剣で滅びると教えられたイエス様はご自分も武力をもって裏切り、不当な裁判に応戦しまんでした。ただ沈黙を守られた。イザヤ書2:4「、、、こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国に向かって、つるぎをあげず、、」と、ご自分が平和の君である事を敵の中で証された。

私達はこの地上で様々な試練、予期せぬ悪口、侮り、侮辱等を受けるものです。身じかな人からは辛いものである。しっぺ返しの誘惑に負けないようにイエス様のように「一言も答えられない」沈黙の力を学びたいものです。神様は私たちが耐えられないような試練は下さらない。「イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らはなにをしているのか、わからずにいるのです。』」と十字架の上から祈られた。(ルカ23:34)

沈黙は力、勝利です!    

前原利夫


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