8月号は戸羽正一兄のお証しを紹介致します。大きな深い困難の中からついに神様と出会う体験は感動的です。もし、このような困難や悲しみが貴方や私が経験したら、果たして神様を信じていたであろうか、いや神様を呪い、教会を呪い、信仰を嘲笑っていたのではなかろうかと思わされます。

私達前原家は戸羽兄が教会に来られる前から存じ上げていたご夫妻でした。それは、娘の愛子が、天にお帰りになられた尚子奥様からピアノのレッスンを受けていたからです。当時はまだGVIC は初めていませんでしたが、やがてご夫妻をお誘いするようになりました。暫くして奥様が亡くなられ、戸羽さんも手術を受けられたと聞き、お見舞いに参じました。二度目の病院訪問のときは同兄が全身動けずベットに横たわっていたあの光景はショックで私の脳裏から消える事はありまません。どうぞ、祈りつつお読み下さい。前原利夫

証:「主に委ね、勝利への道」 戸羽正一

COVID-19の 蔓延の為 他人との接触を避けて過ごす毎日、余裕の時間を利用して、聖書を読みました. 特にインスピレーションの湧く詩篇を朗読しています。私がこのGVIC教会を訪ねたのはピアニストだった亡妻が未だ元気でいた頃の14年前のことです。其れ以前の数年の間、すでに、彼女の腎臓は悪くなっており、透析を続けていましたが、体力がなくなり、移植が唯一の救う方法でした。然し、U.S.国内では、マッチする腎臓を得ることがほぼ不可能なため、移植を他国に求め、やっと、フイリピンで、マッチする腎臓をお金で買える事になったのです。

2007年の12月初旬に、入院しましたが、数時間後、昏睡状態で手術室から出て来ました。正常な意識に戻らないまま、急に、死を知らされたのです。驚き、呆然として、病院の地下部屋のモルグの一角に、ミクロの個体となった亡骸を抱きかかえて、唯々、号泣する自分でした。

彼女の沖縄の親戚と共に火葬と葬儀を現地で済ませ、LOS ANGELESに、単身で戻ったのは、翌年の2008年の1月末でした。暫くは何も手につかず、無気力なままの毎日でしたが、これを機会に長年勤めたTOYOTA(TMS)から退職を計画する内、今度は、自分の健康管理に注意するべく決心しましたが、自分の右腕に“痺れ”を感じ、主治医に神経外科医を紹介してもらい、首の MRIの断層写真で診断の結果、2008年の8月末に、ついに、外科手術をすることに決心します。

2時間の手術を終えて病室へ移動しましたが、その日の午前0時を回った頃、目が覚め、自分の両手の指先が曲がり、両脚が動かなくなっていたのに、仰天し、看護婦に叫び続けました。担当医者が事後のオープン手術を行ったところ、不適切な手術処理の為、両脚が動かなくなっていたのです。2度までも悲劇的運命に落されるとは想像をするさえできませんでした。自分の余命もその後、最長5年までなのではと、絶望感に苛まれる日々でした。

「わたしは山に向かって目を上げる。我が助けはどこから、来るだろうか、我が助けは 天と地を造られた主からくる」詩篇121篇1&2(口語訳)

その後、前原牧師に導かれ、2009年に2人の友人達と共に、GVICで洗礼を受けました。

「主によって喜びをなせ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる」詩篇37−4節

「貴方の道を主に、委ねよ、主を信頼せよ。主が成し遂げてくださる」 同−5

その後、IP細胞(STEM CELL)を使った手術・治療などを ドイツ・DUSELDORFFやPANAMA-CITY(USでは未許可)に求めました。現在は毎日自宅で介護人のヘルプで1時間、全身ストレッチ体操とウェイトリフチングを励行しています。主は、12年前の絶望の崖淵から救いの手を差し伸べて下さっています。現在も生きる勇気と、そのた為の糧を下さっています。

更に、財政的な自由の恵みも下さいました。信頼できる人柄の フィリピン人の兄弟組の介護人と巡り会わせ、長期直接契約で、自宅に共に起居してくれていますので、家族のように大切にしています。趣味は、読書、CLASSIC MUSICや Los Angeles Opera定期公演購読者。こうして、聖書に親しみ、自らの道を主に求め、「主イエスに身を委ね」続けています。そうすれば「主が成し遂げてくださる」のだと思います。 



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「あなたのみ言葉はいかにわがあごに甘いことでしょう。密にまさってわが口に甘いのです。詩篇119:103」

2020年も後半に入りました。一年は前半よりも後半が足が早く、ハロウィーン、感謝祭、クリスマスとあっという間に2020年が過ぎてしまいます。ボヤボヤしていますと、私達はあれも、これもしなかったと後悔するに違いありません。そこで、折返しで聖書通読を自らに言い聞かせ最後までやり抜きましょう。み言葉は口に甘しで、食べれば食べるほどエネルギー補給源です(み言葉には糖尿の心配はありません)。

私達は3月後半から教会で礼拝ができず、他の集会もお休みです。しかし、自宅を礼拝の場として用いる事を努めて来ました。貴方の家も私の家も House of Worship. です。多くの方々が家で礼拝し、祈り、聖書をしっかり読み、霊的成長に励んでおられます。素晴らしいこと、主を崇めます!

ある方は6月の中旬頃には既に2度も通読されたと証されました。ある方は初めて聖書を通読したと、その喜びを証されました。コロナ騒動で様々な活動、外出等が封じ込まれましたが、私達の霊は決して封じ込まれません。寧ろ、今の時を用いよとある様に、この不便な時に、主に 更に近付き、み言葉に親しみ、励まされています。

今号はお二人の方をご紹介して、み言葉を喜び、楽しんでおられるご様子を伺います;

戸羽正一兄:
[STAY HOME],[CLEAN HANDS],[KEEP SOCIAL DISTANCING]のモットーをなるべく守り、朝、昼、夜寝る前にイエスに1日元気に過ごされる恵に感謝の祈りを捧げています。毎日「新約聖書」を最低1時間は読み、おかげで、今日まで、「ガラテヤ人」への手紙」を終わり、今日から「エペソ人への手紙」の”’キリスト・イエスの使徒パウロからキリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ”から始めているところです。又、僕の趣味の読書も続けており、最近では「司馬遼太郎の作品」が好きで、彼の「対談集」を読んでいます。毎日両脚の運動とマサージもかかせません。すべて神の恵みという他はないと信じます。すべてに感謝です。」

戸羽さんはお身体が不自由ですが、忠実に礼拝に出席、またこの様にみ言葉に親しんでおられるから感謝です。(戸羽さんの投稿は数ヶ月前の原稿です)。

Potts.敏子姉:
「どうして? こうでなかったのに!満足されてなかったわたしに、そんな時、癒してくれるのは聖書だけ!と読み始めて気がついたときは、もうすでに癒やされていました 感謝。
喜んで受け入れるが根がないので、しばらくは信じていても、試練が来ると信仰から離れてしまう人たちのこと・・・、根がなかったのはこの私でした。

聖書の中で教えていただいた事に 嬉しくてなりませんでした。神様から祈りの重さ、知恵、そして真理を悟る力を頂いたのです。神様は私に信仰の強さ、試練に勝つ力をみ言葉を通して教えて下さったのです。神様って魔法使いみたい。 平安で生きていける最高の恵みを頂いたこと感謝 感謝! 感謝は尽きません、ハレルヤ!」

ご存知の様にPotts さんは昨年の9月に洗礼を受けられたばかりですが、み言葉のチャレンジを受けて、それに従い、信仰の軌道修正をなさっておられます。感謝です。

もし、皆さんの中で、聖書通読にチャレンジをされてない方、或いは、遅れておられるならば、まだまだ先は長いです。是非、今日からみ言葉を開き、神の言葉の甘さをお味わい下さい。
預言者エレミヤの言葉:「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。

み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。、、。(エレミヤ15:16)」

 

前原利夫



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今、TVや新聞で頻繁に使われる言葉は Pandemic と Coronavirus(新型コロナウイルス感染症)でありましょう。後者は世界をアメリカを襲い、私達が今戦っているビールスです。

Pandemic とは「世界的な疫病の大流行」という意味で、 Epidemic、「伝染病」の派生語である。私達にとってこのような世界の国々を揺さぶるパンデミックは初体験です。大統領が”見えない敵”と呼ぶコロナウイルスは2001年の9/11の惨事に勝ると言う政治家もいる。

全米の市民の100,000人 を犠牲にし、全米を自宅に閉じ込め、ビジネスを閉鎖し、1930年の経済恐慌に次ぐ4000万以上の失業者を出している。パンデミックは文字通り恐ろしい。

今号はインターネットの情報を活用して、近年の主なパンデミックをご紹介し、聖書の中からパンデミックの記事を考えてみる。

歴史のパンでミック

1)Spanish Flu, 1918-1920:スペイン・インフルエンザはヨーロッパ、アメリカ、或いは中国から世界に蔓延したと言われる(不明のようです)。1918年から1920年の間にこのインフルエンザが4波に分かれて襲い5000万から1億の死者を出したと言われる。それは当時の人口の3人のうち1人にあたる。アメリカでは50万から85万人、日本でも39万人の犠牲者を出している。当時は第一次世界大戦中、このパンデミックの影響で終戦を早めたと言われる。

2)Asian Flu, 1957 – 1958:アジヤ・インフルエンザは1957年、東アジア、シンガポール、香港から発生し、アメリカの海岸線の町々に感染者がでたと言われる。世界中で、110万の犠牲者、アメリカでは11万の死者を出している。

3) Hong Kong Flu、1968:ホンコン・インフルエンザは65歳以上の高齢者や持病持ちの病人が感染し易く、世界中で110万人の犠牲者を出している。幸いに、アメリカでは猛威を振るわなかったようだ。

その他、Swine Flu 、豚インフルエンザが2009年に流行したがアメリカでは12,000人の犠牲者を出している。私達は毎年冬になると風邪が押し寄せ何万人という死者を出していることを忘れてはならない。例に漏れず、高齢者が多く病死している。

聖書のパンデミック:聖書のパンデミック

1) エジプトを襲う畜疫:出エジプト記9章
参照。モーセはこれまで4つの奇跡を持つてパロに立ち向かうが、彼は心を頑なにして神の民を去らせようとはしない。それで、神はエジプトの地を疫病で襲う、「主の手はもっとも激しい疫病をもって、野にいるあなたの家畜、すなわち馬、ろば、らくだ、牛、羊の上にのぞむであろう。」とエジプトの地は畜疫のパンデミックに襲われる。

2) ダビデ政権に襲う疫病:サムエル記下
24章参照ダビデはイスラエルの軍事力のために人口調査を実行します。側近のヨアブも大反対で、それはダビデが神の力に頼ろうとしない不信仰からでた人口調査であったからだ。その不信仰のゆえに、預言者ガデはダビデに3つの災いから一つを選択するように言い渡す。

(1)国に3年の飢饉

(2)3ヶ月敵の前に逃げ回る

(3)国に3日間疫病がくる

ダビデは(3)の3日間の疫病を選択するが、この疫病は強力で7万人の死者を出すまで猛威を振るった。ダビデ王はこのために悔い改めるのであるが、7万人の魂は再び戻ることはなかった。

3)再臨の前兆として疫病と飢饉:
ルカ21章参照。イエス様は再臨の前兆として偽預言者、自然現象の異変、疫病や飢饉が発生することを予告されました。その中で、現在の類似のパンでミックは疫病です。それはエジプトを襲った家畜のみならず、すべからく地球を襲う恐ろしい疫病です。

このように、人間の歴史はノアの大洪水のパンデミックから始まり、主が再び帰られるまでに、訪れを知らされず私たちを襲うことであろう。ノアの時代の人々は暴虐に満ち、エジプトの蓄疫は王の不従順、ダビデの不信仰で70,000人の市民が犠牲となった。

いずれも神から離れた道を歩む者への神の懲らしめである。これから来る疫病や飢饉、他のパンデミックが私達に臨むであろう、それに耐ええる信仰を今から養わなければなりません。イエス様は警告しています。

「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。 このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう」、マタイ24:42,43

今、コロナウイルスのワクチン開発を政府・民間企業が共同で開発に力を注いでいるが、早ければ今年中に完成するとの予想である。しかしワクチン開発は時間がかかると言われる。

因みに、アメリカで35年前にHIVが発生し、世界で3200万人の犠牲者を出したが、今尚ワクチンの開発は完成されてないとのこと。

主よ、この病める世界、痛める私たちを癒して下さい!  

前原利夫



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先日、TVを観ようと リモコンのボタンを押すと、数本の星条旗をバックに頭を下げ、大きな声で祈っている人がいました(議員さん?)。祈りの一部に、 「わが神よ、わたしはあなたにむかって顔を上げるのを恥じて、赤面します。

われわれの不義は積もって頭よりも高くなり、われわれのとがは重なって天に達したからです。われわれの先祖の日から今日まで、われわれは大いなるとがを負い、、、、。」 (エズラ記9章参照)。

私は彼が祈り終わる前に、これはエズラ記の祈りだと思い心に留めていました。そして、この祈りを聞きながら、現在、世界を巻き込み、揺さぶり15万人以上の人命を犠牲にし(4/18)、何千万という失業者を出し、社会、経済を混乱に陥れ収束の付かない現状を、この祈りの視点から見るように考えさせられました。コロナウイルスは一体何者か、なぜ、このような”見えない敵”が世界的に猛威を奮っているのか、多くの謎であります。

単に、中国から発生した伝染病だけでいいものか。

エズラの祈り:エズラはイスラエルのヒルキア王の息子(か孫)にあたり、バビロンの捕囚となり、何年かしてペルシャ王アルタシャスタの下にエルサレムに帰還した一人であった。彼は祭司で学者であって、エルサレムの城壁の崩れた様、そこに住む同胞が神から離れた生活に大きな罪を感じ、神の前に国家的懺悔の祈りを捧げます。エズラの祈りは”われわれの不義、われわれのとが”と国民の神に対する罪、不義です。それゆえに、神から見放され、イスラエルの誇りであり、国の中心であるエルサレムの城壁も神殿も破壊されているのです。

ダビデの罪:このエズラの祈りを思う時に、ダビデがまだ政権にあった時の大きな罪を思い起させられます。ダビデはイスラエルの軍事力強化のため人口調査を実行します。(サムエル記下24章参照)。側近のヨアブも大反対で、それはダビデが神の力に頼ろうとしない不信仰からでたプロジェクトであったからだ。その不信仰のゆえに、預言者ガデはダビデに3つの災いから一つを選択するように言い渡す。(1)国に3年の飢饉、(2)3ヶ月敵の前に逃げ回る、(3)国に3日間疫病がくる。

ダビデは(3)の3日間の疫病を選択するが、この疫病は強力で7万人の死者を出すまで猛威を奮った。ダビデ王はこのために悔い改めるのでありますが、7万人の魂は再び戻ることはない。毎朝、ニューヨークの知事はコロナウイルスの犠牲者を報告するが、厳しい面持ちである。夕刻、大統領は国全体の犠牲、失業者、経済刺激策を発表するが、厳しい面持ちである。

神の癒しを乞う!:今回のこの大混乱は人間から発生したことは間違いない。人間の不注意、準備不足、等色々な要因があると思う。人間の高慢さ、何でも出来るという自惚れへの警告ではないか。科学万能、現代医学の賞賛等私達は多くを誇っている。

しかし、今回の新型ウイルスに対しては全く対策術がない。たかが小さなウイルス、ひねり潰すことができるような小さなものだが、世界最高の医学を備えたアメリカ陣営でも対応できない。世界が小さな細菌に翻弄されている始末だ。私達は医学界に大きな敬意と賞賛を送るものですが、一方人間の知識の限界、理性の限界をここでも知らされている。人間の力で何でもできるという高慢さを捨て、神の偉大さを謙虚に受けとめていきたいものである。

祭壇を築く:ダビデは自分の犯した罪を認めて悔い改め、預言者ガデの指示のようにアラウナという人物の土地を買い上げ、そこに祭壇を築き、燔祭を捧げて国民の癒しを祈ります。ダビデはアラウナの土地を買わずに一時借りることもできたが、敢えて費用をかけずに犠牲を捧げない、と土地、燔祭の代価を払う。これはダビデの悔い改めの真剣さである。神はダビデの祈りを受け入れ、災いはイスラエルの上にとまりました。

この非常時の時、やがてトンネルの先の灯りが見えようとしている今、私達は世界、中国、日本、アメリカ、地域の町々のために祈りましょう。また、悔い改めの心で、教会のために、家族のために、自分のために祈ろうではありませんか。

主は全ての栄光を受けるにふさわしいお方です。私たちをお癒し下さい!

前原利夫



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「なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着るからである。」第一コリント15:53

人々はイエスが死から復活された事を信じる事が出来ません。死から甦ることは不可能と考えるのですね。自然の営みは 、枯れて死んでいく草木も春になると勢いよく土を破り、弾けるように芽を吹き出します。

1)「不合理なるゆえに我信ず」:

教父テルトリアヌスは(160ー220?)はキリストの教えの集合体を”新約聖書”と最初に名付けた教父だそうです。彼は 「不合理なるゆえに我信ず。神の子が誕生した。

それは恥ずべきことのゆえに、恥としない。神の子が死んだ。そして葬られ復活した。それは愚かなることのゆえに全く信ずべきことなり。それは不可能であるがゆえに確かなことである。」 と、言われた。

信仰には不可解な点がなければ信じるに値しないというのです。不合理、不条理、不可解があって信仰の対象になるというわけですね。

2)エジソン博士の復活信仰:

トーマスエジソンが英国のある新聞社から”来世”について意見を求められました、その時にエジソンはこう答えています:「死後における生命の継続は、私のかわいい信仰です。

この信仰は、単に私の心の要求ではない。私の来世信仰を迷信であるかのように証明しようとしてくれる人を、ありがたいと思いません。」と記者へ返事したそうです。

エジソン博士はイエス様の甦り、復活、そして、死後の後に新しい世界がある事を信じていたのです。あの様な偉大な科学者が、人間理性の限界を知り、愚かに見えるキリストの十字架の救いと、復活をしっかりと信じていたのです。

「十字架の言は、滅びゆく者には愚かであるが、救いにあずかるわたしたちには、神の力である。」 (第1コリント1:18)

3)罪の赦しと義とせられる、十字架と復活:

ヨハネの福音書23:19は「すべてが終わった。」 と十字架上のイエス様は叫び、やがて息を引きとる寸前の祈りです。その意味は神の子の使命であった人類の罪の贖いがこの十字架上で完成したということです。

パウロは 「主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、甦へらされたのである。」と記録しています(ローマ書4:25)。十字架は罪の赦しであり、復活を信じるにことにより、全ての罪が赦され、正しい者、義とされるとは神の約束です。それは罪の死から希望に生きるという意味であります。

イエス様の復活は死の刺を捥ぎ取り、死に勝利したというだけではありません。それはアブラハムが信じて義とされたという、神の義認の裏付けでもありましょう。十字架の死は罪の赦し、復活は信仰の義認を証しします。十字架と復活は表裏一体、切り離す事はできません。

4)私達の永遠の希望、復活:

復活は私達の永遠の希望です。キリスト教の葬式と他の宗教の葬式との大きな違いは、前者は賛美に満たされて明るく、一方後者は暗く、悲しい雰囲気です。その違いは復活を信じるキリスト教とそれがない他の宗教の違いです。復活がなければ死は最後であり、その向こうには何も存在しません。復活は永遠の世界へと広がっていきます。

ですからクリスチャンの家族の死は一時的な地上のお別れであり、いつかまた再会できるという大きな希望のゆえに、自然、葬式が悲しみを乗り越えて希望に包まれるわけです。お葬式の式次第に’” In celebration of,,,,”とあるのは偶然ではありません。その人の死を悼むよりも、その人の生涯が祝い、やがて来る再会の希望を期待します。

イエス様はマルタに言われました;「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きる。」(ヨハネの福音書11:25)

Happy Easter!

前原利夫



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飛脚2月号で「プールサイドの錯覚」 と題して、錯覚、早とちりはよく聞かない、よく見ない、よく観察しない姿勢から発生すると経験を語りました。

よく聞く、よく見ることは言うまでもなく大切です。イエス様は神の国の譬え話を締め括る度に「聞く耳のある者は聞くがよい」「聞くことがらに注意しなさい」「どう聞くかに注意するがよい」と群衆の注意を喚起されました。それは警告とも考えられます。

1) 種蒔きの譬え:

 祈祷会でルカの福音書を毎週1章づつ学んでいます。李先生、織田先生、私がそれぞ担当してリードします。長い章は2、3週かかります。先月はルカの8章からあの有名な種蒔きの譬えを学びました。

この譬はマタイの13章、マルコの4章にも記録されています。なぜ、譬えで語られるかと弟子達が尋ねると、イエス様はあなた方には神の国の奥義が授けられているが、ほかの人達には譬えで語られると仰っいました。

譬えで語るとは隠されて理解できないという事ですね。マルコはイザヤ書6章を引用して、その背景を説明します;「彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない。」

2) 灯りは燭台の上に:

 そして、この種蒔きの話の直後に「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。」という意味の事が続いてる。
マルコとルカはそのように並置されている。しかし、マタイは同じ意味の聖句でも全く違う文脈の中にあります。

3) 神の国の奥義は解ける:

 ではなぜ、神の国の奥義は弟子達や他の一部の者達に授けられて、その他の人にはわからない譬えで語られているか、という疑問が湧きます。
元々、イエス様がこの地上に来られたのは神の国の奥義を語り、それがどんな形であれ、表現であれ、聞く人が分かるように語るべきではないですか。神の国の奥義は哲学用語や難しい法律用語で語られた訳ではありません。

寧ろ短い生活体験の中から教えておられる。灯りはますや寝台に隠して置くものではなく、燭台の上に置くべきものである。

そして隠されているものは現れ、秘密にされているものは明るみになると言われました。そこにポイントがあります。神の国の奥義も同じ様に明るみに出され、秘密から解かれて、全ての人に開示されなければなりません。

神の国の奥義は燭台の上に置かれて、見る人、聞く人がそれを理解し、受け入れる様にイエス様は福音、神の国の奥義を語っています。

しかし、中には語れど、解けど、神の国の奥義に頑固と目を閉ざし、耳を傾けてない人がいます。そういう人達にとっては神の国の奥義はますや寝台の下に閉じ込められた、理解できない福音である。神の国の奥義は良く聞くことによって、と寝台の下から燭台の上に移されていきます。

4) 文脈理解:

 ついでながら、私達は聖書の学びに大切な”文脈” の中で理解、解釈することを教えられます。マタイの13章には同じ種蒔きの話はありますが、灯りの話はそこにはなく、全く関係のない山上の垂訓の地の塩となれ、世の光となれという文脈の中にあります。その灯りは人々のよい証人となれと結ばている。

それは地の塩や世の光がそうである様に、証が目的となっています。また、イザヤ書14章はサタンの事を「明けの明星」と呼び、黙示録22章はイエス様を全く同じ名前で呼んでいます。同じ表現、同じ聖句であっても文脈の解釈は大事ですね。

こうしてみ言葉を真剣に学び、真剣に耳を傾けると聖書がわかりやすくなります。まず、信じる姿勢が大事です。疑う心が先行すると目が鱗でかすみ、神の国の奥義は心の中に入り切れず、外に立つています。ますや寝台の中に捨て置くことになりましょう。
神の言葉をよくよく聞きたいものです。

前原利夫



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「人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。」(ヤコブ1:19)

プールのリハビリは浮力がつき、治療に効果的です。ランド・リハビリ(地上)で持ち上げにくい脚、腕をプールの中では比較的楽に動かすことができます。深みに行けば行くほど、身体が軽く感じられ、浮力で動き回ることができます。

浮力効果は体重の確か60%です。水中歩行のように地上でも歩けたらな〜といつも思いつつ運動しています。プールでは1時間歩き回ります。私は4年近くサンペドロのYMCAのプールで自由にリハビルをしています。ある日、トーランスのYMCAのプールをトライすることになり、ケヤーギバーと偵察がてら覗くことにしました。プールはメイン・ロビーからガラス戸越しに見えて、2つの大きなプールと小さな2つのジャクジーがあります。清潔感があり気持ちがよい施設です。

さて、着替えてプールの中で歩き始めたり、両腕、両脚の運動を始めました。その日はご婦人たちのグループエクササイズがり、私は遠慮しつつプールの端っこを利用しました。そこに、1人の女性がエクササイズをしていましたが、かなりの重症の感じでした。自分より重症の患者を見ると、神様、この方をもあわれんで下さいと小さく祈りました。

プールに入り20分経ったでしょうか、プールサイドに車椅子に座っていた女性に気が付きました。その方が何やら私に微笑みかけたので、私は元気に歩き回っている私の姿を羨ましく思っていての事であろうと勝手に想像しました。

車椅子に拘束される厳しさは、その経験がある者しかわかりません。私はその微笑みに元気付けられてプールを勢い良く歩き続けました。 ところが、暫くして、その車椅子に誰も座っていません。

アレ!、と思いながら水中歩行を続けていると、先程、車椅子に座っていた女性が、隣のドアを開けて車椅子に向い歩き、座ったのであります。どうやら私しの早とちり、プールサイドの錯覚のようだ!この方はハンディキャップではなく、私の隣で歩いていた方のケヤーギバーであったのです。自分の早ガッテンというか、錯覚の判断に恥かしく思いました。あの微笑みを思い出しひとり苦笑しました。

イエス様がメッセージをした後に”よく、よく聞きなさい”と注意を惹かれました。私たちはよく聞き、よく見なければなりません。 即断は禁物です。「人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。」(ヤコブ1:19)と教えます。聞くに早くとは良く吟味し理解して人の話を判断することです。そのためには語ることを性急にしてはなりません。語ることはおそくてもいいのです。よく聞かず、性急な語りかけは、当然怒りを引き起こす原因になることでしょう。

私達は話が終わらないうちにチョッカイを入れたりコメントしたりする不用意な時があります。話が終わらないと、全体像が見えないし、話の途中でドンデン返しも起こります。何でも途中で判断すると、それなりの付けが回わり、友人関係、人間関係を著しく損なうものです。 即断は知恵のなさです。

再び、プールの話に戻りますが、プールでは頭だけ突き出して両脚、両手の運動をします。見えるのは頭だけですから男女の区別ができない時もあります。水面下その人が瘦せ型か肥満型か、長身か低いかすら判断がつきません。早ガッテンをする人とは水面上の頭だけ見て、見えない水面下の部分をまったく無視して、これが全体像だと判断する人です。

プールから上がって来ると、全く違う人と後でわかります。車椅子に座っていると、この人も歩けない身体障害者だと決めつけてしまいます。彼女はほんの一時、腰かけただけでした。それをこの人も障害者と決めつけてしまうのです。

聞くに早く、語るに遅くしないと、私みたいに即断の恥をかくことになります。像の話しにもあるように、像の全体像を見て判断することです。部分的な判断は禁物です。プールサイドの錯覚は避けなければならない、とあるリハビリの午後教えられたこの頃です。

前原利夫



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奉仕の業は自らを整える!エペソ人への手紙 「それは、聖徒たちをととのえて、奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、、、」

「エクレシア」「教会」:

このみ言葉の中に教会という言葉はありませんが、”キリストのからだ」 が同じ意味です。ギリシャ語の「エクレシア」という言葉は「集会」「呼び出された者たち」「教会」という意味です。私達はこの罪の世界から、イエスキリストの十字架の贖いの業によって、救い出され、呼び出された者です。教会で救いを受け、霊的に訓練を受けるばかりだけではなく、自ら奉仕に加わり、教会を強くする使命を帯びています。

1.奉仕の二つの意味、目的:

1)奉仕は自らをととのえる

「聖徒たちをととのえる」とあります。聖徒たち、saints は完全であるという印象ですが、ここの聖徒は完全ではありません。完全でなくてもパウロは聖徒と呼ぶのに遠慮しません。私たちも「聖徒」と呼ばれてもいいのです。整えられなければならない聖徒です。

奉仕に参加すると、霊的成長も早いです。筋肉を強くするために、身体を動かさなければなりません。私は手術後4年半、プールで水中歩行、また専門家のリハビリで訓練を受けているが、右脚の筋肉が中々強くなりません。運動量が十分でないからです。奉仕に参加しない人は、霊的筋肉が強くならず、霊的成長が遅いです。

奉仕を喜ぶと成長も早く、上を仰ぎ、信仰が整えられます。そして、神様に仕えるように、人に仕える事を学びます。多くの人達の中で働きますから、チームワークを学びつつ成長します。チームワークの良い奉仕は、働きに相乗効果が出て、教会全体を強くします。

2)私の奉仕は教会を強くする

奉仕は不完全な聖徒をよりよく磨き、成長させるとともに、キリストの教会を建て上げる役割をします。英語では”for the edifying of the body of Christ”とありますが、私たちの奉仕は教会を「教化」「教訓」して、教会があらゆる面で教えられ、訓練を受けてより完成された霊的教会に成長するように助けます。皆さんの孫や、子供さんが幼い時、「教化」されて、教えられて、知恵がつき、学び、大きく知恵のついた強い子して育ったことでしょう。教会も奉仕者によって教化されて強くなるのです。奉仕は信仰の実践です。そこで、奉仕を通して自らがより完成され神の器になります。そして、キリストのからだ、教会がよりよく成長し、霊的にも充実するようになります。個人の奉仕は教会全体を強く、奉仕の場のない教会は衰退します。

2. 奉仕の場:エペソ4:11

「そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。」 。これらは奉仕の一部です。
では、私はどんな奉仕をすればいいか。
自らが主の前に跪いて祈らなければなりません。
奉仕の場は沢山あります: 教え、助け、援助 し、共に祈り、ランチを作り、伝道し、礼拝にピックアップし、訪問、賛美の奉仕、清掃と数え切れないほどあります。まだ、奉仕の業に参加してない方は私か世話人にお聞き下さい。

3. 奉仕は恵みです:

パウロは奉仕に預かる事は恵みだと教えます。(第二コリント 8:4、5)
「聖徒たちへの奉仕に加わる恵みにあずかりたいと、、、、自分自身をまず神のみこころにしたがって、主にささげ、また、わたしたちにもささげたのである。」

奉仕に参加する事を「恵みにあづかる」と言っています。私達の奉仕は神様に繋がることです。それは貴方が参加する奉仕の働きの中に”イエスを見る”ことです。奉仕の中にイエス様を見ると、その奉仕が恵みになりましょう。ランチの準備の奉仕、掃除をする奉仕の中に、そこに、イエスの姿を見たいものです。

この新しい年、どうぞ、奉仕の業に参加しようではありませんか。そしてイエス様の姿を奉仕の中に見つけるなら、奉仕から奉仕に進む事でしょう。そうなりたい年です。

Happy New Year!

前原利夫


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クリスマスおめでとうございます!

多くの方が「嬰児福音」(Infant Gospel) の ストリーを読み、聞いていますが、その言葉、意味をあまり説かれてないと思います。この意味はキリストの幼児時に、誕生告知も含めて既に”人類への福音”が伝えられていることを指します。

嬰児福音はマタイの福音書では単独に記録されているが、ルカの福音書 にはバブテスマのヨハネの誕生告知が先行して、キリストの誕生告知が記録されています。私達には異邦人向けに書かれたルカの福音書が分かりやすいでしょう。

ついでに、 Infancy Gospel of Thomas (AD 200 年頃)という嬰児福音もあると聞きますが、12弟子の一人トマスが書いた嬰児福音にはイエスの少年時代の様々な奇跡が記録されているという。

例えば、少年イエスが水を溢させないで運んでいる奇跡等があるという。大変興味あるストリーですが、同書は聖典から外され、異端的として扱われているのでご注意下さい。

本題についてルカの福音書から考えてみましょう。

1)道備えの役割:

バプテスマのヨハネの生涯はメシヤが使命を完成するための道ならしをする役割でした。凸凹道をならし、メシヤが通りやすいように整えることであった。イザヤ書40章にその予言があり、そのように誕生しました。このことはメシヤの誕生が確かなものであるという立証にもなります。

もし、メシヤの先駆けがいなければ、メシヤの誕生は嘘ということになるからです。ルカの1:17には「彼はエリヤの霊と力とをもって、み前に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう。」 バプテスマのヨハネの神様からの務めが明確に父ザカリヤに語られます。

バプテスマのヨハネの生涯の務めはメシヤ・キリストに仕えることで、こう述べます;「彼は必ず栄え、わたしは衰える。」(ヨハネの3:30)

また、不妊であったエリサベツ、老夫婦であった彼等に男児誕生の告知があったのは、その後マリヤが処女であるにも拘らず、天使が聖霊によるメシヤ誕生の告知を受け入れやすいように前もって心の準備をなされたのであろう。

2)神の介入:

バプテスマのヨハネの誕生、またメシヤ誕生の告知が天使のみ告であった事は、この事が旧約聖書の予言の成就であったという証拠にもなり、また、神様の直接的介入であります。

もしや、神の直的な介入がなく、誰か人間の業であったならば、この記録の真実性に大いに問題があったことでしょう。この出来事は嬰児福音は神の人類救済のご計画の福音です。

3)嬰児福音:

福音は神の独り子、メシヤから頂くものです。そこで、ルカはバプテスマのヨハネの誕生を並置しながらも、彼がメシヤではなく人間の一人であるとメシヤの誕生とはっきりと区別している。

彼はゼカリヤにより肉の母から生まれた人間であり、メシヤは聖霊によって生まれた超自然的な誕生であるとしている。 また、バプテスマのヨハネは上記の1:17に記録されているように、エリヤの霊と力を備えた人間であるとしている。これは大事な違う点です。

お二人が成長し、それぞれが使命を果たされたとき、民の中にはどつちがメシヤかと区別がつかない時があったからです。ルカは1:32「彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、ととなえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、、、」とあります。

イエス様は神の子、ダビデの王座の権威を保たれるメシヤです。バプテスマのヨハネはメシヤに仕える聖なる僕です。

私たちもバプテスマのヨハネのようにイエス様に仕える者となるように訓練しようではありませんか。私達が栄光を受けるのではなく、全ての栄光をイエス様に向けるのです。

スポットライトを受けられるのはイエス様です。これぞ、ご降誕を祝う本当のクリスマスではありませんか。

前原利夫


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「わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。」 詩篇103:2

数年前に、私達はボストンから40 マイルほど南東に下り、Plymouth、プリマスという町の見学に行きました。そこは歴史がそのまま残された町で、新しい建物や開発のない昔ながらの佇まいのある町でした。道路は狭く、建物も小さく、昔ながらの水車小屋もありました。この場所は大西洋に面した町で、海と隣り合わせの冬は寒い町です。町の中には湖( Jenny Pond)があり、そこから小川が町の中を東の方に海に流れ込んでいる。水道設備のない時代、豊富な給水源である。

この町は1620年に、ヨーロッパから宗教の自由を求めて新大陸アメリカに渡った清教徒達が建てた町です。有名なメイフラワー号でアメリカ大陸に渡った2番目の清教徒達だ。プリマスの小さな町を歩き回りながら、この町で住む清教徒達が開拓のために戦い、冬は厳冬と戦いながら、神様を信じ、貧困の中にも感謝を忘れなかった。神様はこのような清教徒の信仰を祝福し、ここから新大陸が西へ西へと開発され、プリマスの町をアメリカの祝福の原点とされたのではなかろうか、と思わされるような歴史の町です。

11月と言えば、全米が祝う感謝祭、その原点はプリマスの町といわれる。遠くに住む家族達が一つに集まり、食卓を囲みながら、一年の祝福を神に感謝する。昨年、私達は娘達も6人の孫達も、それぞれが自分達が一番感謝したいものを一言ずつシェヤーしました。今年もそのような感謝祭でありたい。皆さんはどのように感謝祭をお迎えになりますか。

今年、神様は私達の教会にも沢山の祝福を下さいました。その祝福を数えてみましょう(順不同):

1)魂の祝福:

今年2年振りに洗礼者が興された事は大きな祝福でした。数にして一人の魂ですが、御使たちの喜びは救われている99人の魂よりも大きな喜びです。人間の救いは天上的な感激です。思い出して下さい、貴方が、私がイエス様を受け入れたとき、その時、天上でも御使たちが喜びの祝宴を開いたのです。9月に受洗された姉妹は、GVICに導かれて浅く、数ヶ月後の決心でした。

これまでは教会生活の経験もなく、聖書の理解もこれからで、ただ友人達との交わりの中で育まれた霊的覚醒の始まりでした。この事は、教会外での信仰の交わりが大事であることを教えられます。時には、躓きの原因にもなりますが、この姉妹にとっては良い機会、またタイミング良く、GVICへと導かれました。

創立25周年記念を祝う9月8日、その翌週、GVIC 50人目の受洗者でした。ハレルヤ!

2)前原家、新しい家族の参加:

私達前原家にとつて、今年、大きな祝福は娘達や孫達が礼拝を大事にし出したことです。一人の娘とその娘、孫は定期的に礼拝を守っていましたが、後の二人の娘、5人の孫達の日曜日はスポーツの日でした。二人の孫はニュヨークと北加の大学ですが、近くに住んでいる娘、孫達とはほとんで毎日曜日教会で会う、という恵みが与えられています。家族が教会で一同会する喜びに勝るものはありません。 更に今年は多くの新しいお友達をお送り下さり、その中には35年以来の古い友人夫婦もいる。教会が量的に増える恵み、また奉仕者が備えられた事は感謝です。

3)キム家の開拓伝道の準備:

2月末をもってGVICを辞められたキム家がGVICから離れられたのは寂しいものでした。しかし、それは開拓伝道という祈りがあり希望がある決断でした。GVICの第二教会が実現する働きです。2020年の1月から開拓が始まる予定ですが、キム師の健康次第でしょう。同師の健康が祝福され、明子姉の学びと訓練が進められて、厳しい開拓に対応できなければなりません。 また、同家の計画に沿って、私達はEMの担当者を祈り出しましたが、主は私達の必要を知り、予め備えていて下さいました。タカヨシ・セイゴ師を遣わされ、3月から奉仕をして下さいました。ハレルヤ!

4)若者のために祈る:

教会の構成は高齢者のグループが多く、教会の活性化に若者伝道が叫ばれてきました。今年、8月から12月までの第4週礼拝を若者のために聖別し、プログラムを見直しました。祈のグループを作り、祈りを集中しています。若者が来ることを期待し、祈り続けましょう。賛美チーム、聖歌隊の皆様のさらなるご努力を感謝致します。

5)創立25周年記念礼拝・コンサート:

昨年から9月の第二日曜日をGVIC創立記念日として感謝し、感謝献金は会堂購入の資金の減債に充当することを 決めました。1994年9月11日、GVICはトーランスのホテルの部屋で最初の礼拝を捧げ、今日まで主の守りと祝福の中を歩んで参りました。イエス様の恵みが先導した25年でした。ハレルヤ!

こうして、主の恵みを数えてみますと、まだまだ沢山の恵みがご紹介できないほどあります。どうか、迎える感謝祭が貴方の祝福をひとつづつ数え、首を垂れて、主に感謝するシーズンとなりますようお祈り致します。
                                       
 Happy Thanksgiving to You, All!

前原利夫


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