「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ、、、」 伝道の書12:1

 

若者向け礼拝プログラムの工夫

私達の教会の急務は若者向けの具体的な伝道です。”出て行く” アウトリーチという大切な伝道の原則がありますが、先ず、礼拝プログラムから見直して、彼らのために祈り、共に力を合わせて働こうと今立ち上が らなければなりません。

先日、織田先生が若者向けの礼拝プログラムを世話人会にプロポーズし、世話人会はそれを検討、下記のように実行することにしました。まだ、検討中の点もありますが、聖霊様の導きを信じ実行致します。若者向けの礼拝プログラムの骨子をシェヤー致します。

み言葉:「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ、、、」とありますように、神様を早く知れば知るほど良いこととはクリスチャンの共通した意見です。

天地創造の神様を知り、自らの人生の目的を定め、神のお助けを頂いて人生の目標に向かって歩むことができるからです。勿論、それ以上に魂の救いという最も大切な課題を若い時に解決する事ができるからです。まだ、神様を知らない人には、1日も早く、特に若い方々にお勧め致します。私達の教会はそのために共に働きます。

 

礼拝プログラムの骨子

 

1)若者用プログラムの内容:

プログラムは音楽とメッセージを中心として進められます。音楽、賛美も多少アップテンポ、時にはロック調の賛美もありましょう。これまで伝統的な賛美、プレイズ・ソングに慣れてきた私達には耳新しい曲かも知れませんが、心を開いて新しいことを若者と共に学ぶ機会です。

私達が初めて教会に足を踏み込んだ時を思い出すと、全てに違和感を感じました。初めてくる若者達にはその”違和感からくる抵抗”を最小限にするための工夫です。賛美チームに若者の参加を歓迎します。

メッセージもイエス・キリストというお方、十字架、罪、救い、信仰、復活、永遠の命等と基本的なメッセージが中心になります。まだイエス様の救いを頂いてない方には、またとない学びの機会です。メッセージはタカヨシ師が担当し、峯岸姉が同時通訳の奉仕をして下さいます。

2)何時から始まりますか:

若者向けのプログラムは毎月第4週目、8月からスタートし12月の第四週目まで続きます。もし、必要であれば延長の機会を探ります。当日はプログラムのプリントは配りません。プログラムがシンプルになり礼拝の流れを把握するのは容易です:祈り、賛美、紹介・報告、献金、メッセージ、招き、祈り。お知らせ等はパワーポイントで大写します。

3)メッセージの後の招き:

メッセンジャーは、メッセージが終わり、皆さんに”招き”を致します。それは、語られたメッセージに対して、聞いている方々、或いは初めての若い方が理解できるようにチャレンジする意味です。若い方々にはEMの部屋に移り、或いはその場で、指名された人がファローします。これはいわゆる”プッシュ”ではりません。プッシュは逆効果です。これらの方々が丁寧に対応します。

4)祈りのグループ:

若者の為に祈るグールプが必要です。3,4人を一組として、4組を作り、月一度で礼拝前に祈ります。各グループの責任者は祈りをリードし、また、同じグループの仲間がいつも祈るようにリマンドします。このグループに入ってない方々自由に礼拝前の祈りに参加できます。祈りの時間は10時30分ー45分の15分です。礼拝前ですから時間厳守です。12月の第4週目まで続きます。

5)皆が伝える:

どのような仕事でも成功するかしないかは、皆が賛同するだけではなく、実行するかどうかです。口と手が同時に動かなければなりません。要するに働く事が大事です。向かう5ヶ月の間、一家族が一人の若者をご紹介下さるようお願い致します。

周囲をご覧下さい、お友達の家の若者、或いはご自分のお孫さんに声をかけて下さい(メッセージは英語です)。一人の人の小さな働きでも、皆が働くと相乗効果が出て、大きな結果を産むでしょう。聖霊様もそのような貴方を喜び、さらなる祝福を注いで下さるに違いない。この小さな働きでも大事な出て行くアウトリーチです。

私もこの原稿を書きながら、誰を紹介しようかと目をクルクルさせ初めています。ついでですが、若者の身なりを気にせず、どんな身なりでも歓迎です。英語部のクリス兄が綺麗なフライヤーを作って下さいますから、これを用いてご紹介下さい。

皆さん、若者の救いのために、立ち上がりましょう!

「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ・・」

前原利夫


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「・・・それは金で重さ一タラントであった。宝石がはめてあり、それをダビデの頭に置いた。、、、」サムエル記下12章30節

今月は部下の本分、という事を考えてみましょう。ダビデには優れた部下が数人いた、その中でダビデの政権をソロモンに譲る時まで、最後まで忠実に仕えたヨアブから部下の本分とは何か、翻って主に仕える事を学びましょう。

1. ヨアブという人物:

ヨアブには二人の兄弟がいて、3人ともダビデに仕えた。この3人は”ゼルヤの三人の子”とサムエル記下2章18節は呼ぶ。ゼルヤ( Zeruiah)はダビデのハーフシスターで、ヨアブはダビデの甥にあたり、叔父ダビデに仕えたわけである。

彼がどれ程神を愛し、信仰に生きたかは記録があまりない。一方、ライバル意識が高く、自分の前に立ちはばかる者は残酷にも消していった。しかし、彼の武勇伝は幾つも紹介され、優れたダビデの参謀であった。ある註解者はヨアブがダビデに仕えなければ、イスラエルを支配していたであろうと評価が高い。ヨアブは部下の本分が何たるかを身をもって教える。

2. 勝利の手柄を主人に返上:

この記録はサムエル記下11、12章を参照下さい。同11章はダビデが倫理的に最悪な罪を犯した記録が残されているところである。時は、春でヨアブに率いられたダビデの軍隊はアンモン軍とラバというところで交戦し、勝利を収める。

もし、ヨアブが主人ダビデを裏切り、反旗を翻そうと目論んでいたらこの時は絶好のチャンスであった。王はエルサレムで罪を犯しているばかりか、その夫のウリヤを敵に殺させるよう企だてたからである。

それを実行し、その秘密を握っていたのはヨアブだけであった。ヨアブがこの秘密を公開すれば、ダビデ王の顔は丸潰れ、失脚したであろう。そのような危機にあったダビデに、自分の手柄を惜しげも無く捧げるのである。

ヨアブがアンモン戦で勝利し、ラバの陥落を目前に、ラバを攻め落とすようにダビデに使いを送るのである。ダビデは兵を整えてその町を攻め落す。兵士達はラバの王から冠を取り、それをダビデ王の頭にかぶせるのである。その時、ヨアブはかく言う、

「・・・わたしがこの町を取って、人がわたしの名をもって、これを呼ぶようにならないためです。」(同12:28)。

部下の本分は主人に手柄を差し出し、主人の名前が永遠に残るように仕える事です。自らが隠れなければならない。栄光は主のものです! ダビデにとって、罪に負けた弱い者であったが、今尚、民の王であり、王冠を奪い去る者はいない。

3. ダビデ王が危機の時:

前述のようにこの出来事はダビデが危機の中にあった時に起こったヨアブの武勇伝です。罪を犯し、ウリヤ殺しを実行し、その罪の報いを言い渡されて窮地に追い込まれていたダビデでした。そのような時にも、右腕として頼りにしているヨアブが、励まし、尚も王として引き上げているのは、ダビデにとっては大きな励ましであったに違いない。

また、神もダビデの罪ゆえにユダ王国を見捨てずに、アンモンに勝利を賜ったのは、神の変わらない愛、ダビデ家を見捨てられない神の約束であろう。部下の本分は、主人が窮地に追い込まれても、どのような危機の中にあっても最後まで忠実に仕えていく事ではないか。我らの仕える神様も、私たちが心から悔い改めると、何時でも祝福をもって迎えてくださる。

私達の仕えるイエス様はヨアブが仕えたダビデのような弱さをお持ちでない。私達の主人は完全なお方であられる。ですから、ヨアブが忠実に仕えた以上にお仕えしなければならない。

自分が勝利した時、イエス様にその勝利をお返し、この勝利はイエス様から頂いたと栄光を帰し、祝福を受けたら、これもイエス様からの頂きものと、全ての栄光をイエス様にお返しする事です。

部下が主人に仕えるとは、バプテスマのヨハネが言ったように「彼は必ず栄え、わたしは衰える。」である。

前原利夫


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パウロ書簡(ヘブル書を入れて14巻)には ”In Christ ” という言葉が160回程使用されているそうです。今号は短いコロサイ人への手紙からその一部を追跡、学んでみましょう。

英語の” In Christ”という語を NIV(New International Version) からその一語、一語をチェックしました。”In Christ”に相当した代名詞”In Him”で受けている場合も、同じ意味として数えると13回の活用があります。

以下にその言葉の出所をリストし、訳は口語訳を使用しました。新改訳、共同訳、その他の訳の聖書をお読みの方は、比較しながら学びますと、翻訳の難しさとか、原文の意味の解説の発展等が想像できるでしょう。これだけ数多く使われている背後には、この言葉がどれだけ大事であるか、また一般に広範囲に用いられているギリシャ語であろと想像できましょう。13回の中から、今回は幾つか取り上げて、今月の学びとしましょう。

1)13回の”In Christ” の使用と訳:

この言葉は1章2、4、20、28節、2章3、5、6、7、9、10、11、17節、3章11節、計13回現れています。口語訳では「、、、にある」「、、、に対して」「、、、にあって」「、、、のうちに」「、、、こそ」と ある。英語の In Christの一つの言葉が、日本語訳 では5つの違った表現が使われています。日本語がいかに難しいかがわかります。これは一つの発見です。

2)「キリストにある聖徒たち」、1:2:

コロサイ人への手紙の宛先はコロサイにいる信徒、忠実な兄弟たちへとなっています。勿論、姉妹たちもはいっています。コロサイという町は小アジアにありますが、黙示録の7つの教会の一つではありません。その一つであるラオデキヤの教会のすぐ東側に位置しています(地図で確かめて下さい)。

この手紙は回覧板のようで、最初、コロサイの教会に送られ、その後はラオデキヤの教会で朗読するように、また、ラオデキヤに送られた別の手紙がコロサイの教会でも朗読されるように、回覧が勧められています(4:16)。

 

3)「彼によってご自分と和解させて下さったのである」、1:20:

この言葉の前半にこう書いてあります「そして、その十字架の血によって平和を作り、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、、、」。キリストによって私たちを聖徒として下さったのは、先ず、神様との和解が先決でした。

神を知らない私達は、神に敵対する者と呼ばれ、神の救いの計画に無知で霊的な盲目でした。そのような私達に宣教の働きを通し福音の恵みに預からせて、キリストの十字架の血に目が開かれました。

それは敵と和解、裁きから赦しに、呪いから祝福に、死から命に、永遠の裁きから永遠の命に移されることでした。パウロは2章14節で「神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。」と、キリストにあって私たちは凱旋した、勝利したと宣言します。

 

4)「、、彼にあって歩きなさい」、2:6:

本6節の前半は「このように、あなたがたはキリスト・イエスを受け入れたのであるから、」とあります。要するに、イエス様を受け入れた私達は、イエス様のように、或いはイエス様が喜ぶように信仰生活を歩めと勧めます。この節の後にこの世のだましごとの教え、また罪の中にいたが、キリストにあって赦され、罪に対して凱旋した、とパウロは続きます。

もし、キルストにあって聖徒として称号を与えられるならば、私達はキリストの教えの中に歩むべきで、またしてもこの世と妥協するような罪の生活をしてはならない。それは、キリストの名を恥ずかしめることで、聖徒の名に相応しくないからです。

   私達の信仰生活は 「In Christ 」

「キリストにあって」という考えを軸に歩みたいものです。

前原利夫

ご案内

 

私の生き方はキリストにある生き方であるか、私の人間関係はキリストに対する関係のように歩んでいるであろうか。 In Christ, キリストにあってという吟味の中で、日々の生活を判断していきたいものです。一言で言うなら、イエス様ならどうするか。

      

前原利夫


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「・・・ダビデは言った、『主よ、どうぞアヒトベルの計略を愚かなものにしてください』」。 サムエル記下15章31節

最近、ダビデ王に興味が増し、サムエル記を何度も繰り課して読んでいます。読むたびにダビデの人柄、神の僕としてまた王として、多く学びます。それ以上に、ダビデに対す神の取り扱い、厳しさや憐れみ深い事を教えられます。ダビデは祈りの人でした。

それは、あの詩篇を読むと、彼の祈りに感動せずにはおられません。ダビデは神の恵みに先導されて、100戦連勝、武将として国を治めます。しかし、ダビデは戦う前に、何度もこの戦いに出るべきか、避けるべきかを祈り求めます。感情に走らず、略奪に走らず戦いに備えました。それは祈りがあるからです。ダビデの戦いは主の戦い” で、国の軍事力に頼らずに、まず神の力に信頼を置いた戦いでした。

「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われわれの神、主の名を誇る。」(詩篇20:7)

一言の祈り:

本号では、ダビデの数々の祈りの中で最も短い、一言の祈りを取り上げ、その祈りの力、その祈りの深さを考えてみましょう(礼拝のメッセージで取り上げたが違った角度からアプローチ)。ダビデの一言の祈りがあります;

「・・・ダビデは言った、『主よ、どうぞアヒトベルの計略を愚かなものにしてください』」。

アヒトベルは父ダビデ王に反旗を翻したアブサロムに寝返りした武将でした。彼の戦略家としての実力は神に伺いを立てるようであると周囲から最高の評価を受けていた。ダビデ王の陣営を抜け出したことは、王にとっては戦略を大きく失った事になる。

そのアヒトベルの力を、神が愚かなものにするように、無駄、無益な計略となる様に祈るのは当然である。その祈りはアヒトベルの力の裏付けでもある。

もしこの一言の祈りがなかったなら:

神はダビデの友であるホシャイをダビデ陣営に送り込んで、アヒトベルと対決を見せるが、祈りがどの様にダビデ王を守られたかを考えてみよう。先ず1)ダビデの王位継続だ。アヒトベルの戦略に負けたダビデは、アブサロム陣営に殺されていたであろう。

アヒトベルは大勢の兵士達の首を狙わず、ダビデの首だけを狙った戦法であった。アヒトベルの戦法が実行されなかったために、ダビデは王位を継続できた。

2)もし、神がこの祈りに応えられないでいたら、ソロモンの壮大なエルサレム神殿の建立は、主のみ心であった計画とはいえ、工事の遅れ、建材の確保、何か支障が起こったかもしれない。ダビデはシリヤとの外交交渉で材木、技術者をエルサレムに導入する手立てをしていた。

3)ユダ族のダビデ王を通して数々のメシヤ予言は失敗した。詩篇の中にはメシヤの受難(詩篇22篇)や、イザヤ書のメシヤ誕生、ダビデの父エッサイの根からの誕生等がある。これらの予言は無残に成就せず、大きな失敗となっていたであろう。ひいてはキリスト教の存在もなかったであろう。

この様に、ダビデが王位継続をすることは予言、救い主・メシヤ、またキリスト教誕生の視点から、歴史的に必然でなければならない。 一言の祈り、何の重みのない祈りの様に感じられても、歴史的、救済的な含みの祈りである事に目を開きたい。

歴代志下6:19に預言者エリシャの一言、二言の勝利の祈りも参照下さい。

私達はイエス様の友の身分だ:神は私たちが祈り求めない先から私たちの必要を知っておられる。また、私達の祈りは何でも求められるものは叶えられるのである、それはみ心に沿った祈りであるならばです。

ヨハネの15章でイエス様は弟子達を僕の身分から友の身分に引き上げて、父から聞いたことを皆、あなたがたに伝えたと語られた。そして、弟子達がイエス様の名によって求めるものは、父がかなえて下さると約束されました。

ここに祈りの秘訣があろう。私達は主イエス様の友であり、イエス様と同じように天の父からの尊い情報を共有していることを。これ程の身分を頂いている事を信じ、これからの祈りに確信を持って捧げようではないか。それが、どのような短い、一言の祈りであっても、、。        

前原利夫


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前号ではイエス様の受難を考えましたが、その受難に勝利し、甦られ、人類の罪を赦される使命を完成されました。ハレルヤ!イエス様が復活された時、その顕著な出来事を追ってみましょう。

1)週の初めに復活された:

四福音書はイエス様が復活されたのは週の初めであると記録しています。週の初めとは現在の日曜日に当たります。その前日は土曜日で安息日です。弟子達はイエス様の復活以来、礼拝は復活を記念して日曜日に行われました(使徒20:7, 第一コリント16:2)。日曜日に礼拝を開く事はユダヤ教と決別するために歴史的に大事なことでした。ユダヤ教は土曜日を安息日として礼拝しました。

もし、復活後も土曜日に礼拝していたら、ユダヤ教と区別がしにくく、また、安息日の規則に従わねばならない。イエス様は安息日を守られ、会堂で教えられましたが、復活の新時代には日曜日の礼拝が誕生したばかりのキリスト教にふさわしい礼拝の日となりました。また、ユダヤ教と決別するためにも、礼拝がシナゴグ、ユダヤ人会堂ではなく、家の教会、家庭集会がスタートしました。新時代の新しい福音伝達の革命は礼拝の日と礼拝の場所でした。

2)復活は神の直接的介入:

四福音書ともイエス様が葬られた墓の封印を解かれたのは、超自然的であると記録しています。墓の封印は大きな石がころがされてあったとあります。それに、ロマの番兵も厳重に見張っていました。その墓から主が甦られたのです、どのようにして? 墓の園に天使が現れた、白い着物を着た二人の若い者が空っぽの墓の中にいた。最も鮮明に記録している福音書はマタイの28章2節、” すると、大きな地震が起った。

それは主の使いが天から下って、そこにきて石をわきにころがし、上にすわったからである。” 。天使は大きな封印した石の上にすわっている、何という勇ましい姿、勝利のポーズではありませんか。復活は勝利、主は勝利の主です!このマタイの観察はイエス様が捕縛された時に、彼らにこう語られた事を思い出させる、”あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者は、剣で滅びる。それとも、わたしが父に願って、天の使いたちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うか。”。神の直接的介入なしにイエス様の復活はあり得ない。

3)ガリラヤで復活の主と再会:

イエス様は十字架にかかる前から弟子達に、ガリラヤで会うからそこに行くように命じていました。なぜ、復活後にガリラヤで会うことが大切なんでしょうか。復活後も二つの福音書は弟子たちにガリラヤに行くように命じています。弟子たちはガリラヤ、彼らの故郷に戻りましたが、イエスの約束を信じて、そこで待っていたわけではない。

マタイの4章にイザヤの言葉が引用されています、” 、、、異邦人のガリラヤ、暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった。”。この言葉の次の聖句は、この時からイエス様は悔い改めよ、天国は近づいた、と宣べはじめられたとあります。ガリラヤで福音宣教は開幕され、そのガリラヤに最後の復活の栄光の姿を現される事をお考えになったのでしょう。また、弟子たちに先回りして、失望せる彼らを励ますためでもあろう。イエス様は私たちにとってもそういうお方です。

4)すぐ行け、急いで行け!:

マタイの福音書は他の福音書よりも、復活の様子が 躍動的です。行きなさい、すぐ行け、急いで立ち去れ、急いで行け等、この良き知らせを直ぐに弟子たちに、人々に伝える事が急務である事を伝える。復活がなければキリスト教の存在はない、十字架の救いの業の完成は復活の事実にあります。復活を伝える事は緊急時のトップ記事であり、昔なら夕刊の”号外版”です。

主の復活の報告は待ったなしです。マグダラのマリヤは復活の知らせを受けると、走って行ってペテロとヨハネに伝え、それを聞いたペテロとヨハネは一緒に走り出して墓に向かった。復活の事実を確認しようと墓に走り向かい、それを確認するとまた墓から走り出した。このような福音はかつてなかったからである!復活の感動と50日後のペンテコステ、聖霊降臨の力を受けて、弟子たちが様変わりを体験したことはご存知の通りです。

皆さん、復活のイエス様は勝利の主です、このお方以外に救いはありません。巷では多くの魂が刻々失われていきます。福音の伝達は急務です、直ぐに伝えるべき Good News !

まず、近くの家族、友人、仲間達、エルサレムから、お伝えしませんか。

イエス様は甦えられた、Happy Easter!
                   

前原利夫


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今年のイースターは4月21日にあたり、その前の週は受難週です。今号はイエス様の受難、次号では復活を考えてみましょう。イエス様の苦難は ゲッセマネの園の血の汗を流す祈り、ユダの裏切り、ペテロの三度の否み、ユダヤ人による捕縛、ピラトの下での裁判、そして十字架の死で肉体的、霊的受難の極限に達します。ゲッセマネの祈りでみこころがなりますようにと祈られた主は、十字架の上で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)と祈られた。父なる神の御心を求めながら父に見捨てられたメシヤの苦難の深さを知る術はありません。

今号のテーマはこの様な苦難をイエス様はどう乗り超えられたか、それは一言で言えるものではないが「沈黙」ではなかったか。「イエスは黙っておられた」、「イエスは一言もお答えにならなかった」、「イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった」と大祭司、総督ピラトや長老達の前に沈黙で対応された。

1) ゲッセマネの祈り:

イエス様はよくお一人で祈られました。バプテスマのヨハネがヘロデ王の下で首をはねられ殉教した時も世から静かに退き祈りました。ゲッセマネの祈りは最後の晩餐の後の祈りで、ご自分の時が目の前にあることをご存知でした。この時、3人の弟子達を同行しての祈りでした。彼等の執り成しの祈りを期待してのことであろう。

しかし、ここでもイエスの期待に応える弟子たちではありませんでした。イエス様はご自分の痛みを忘れたかの様に、弟子達を三度も励ましますが、私達のように弱い彼等でした。イエス様は血の汗を流しつつ、迎える十字架の死、罪の贖いの苦しみの中祈りました。苦難に勝利する沈黙はこのような祈りの戦い、御心を求める中から会得するものではないか。

2) 旧約聖書に立つ沈黙:

イエスの十字架はマタイの26、27章のテーマですが、他の福音書にも並行記事があるとおりです。イエス様はこの受ける苦難は当然であり、避けられない苦難である事を旧約聖書を拠り所としておられる。大祭司、律法学者、長老達を目の前に人の子は自分について書いてあるとおり去っていく、また彼等に捕縛された時、預言者たちの書いたことが成就するためであると語られた。

ご自分がイスラエルが待ち望んでいたメシヤである事をはっきりと言われた。だから、大祭司があなたは神の子キリストかと聞かれた時、イエス様は「あなたの言うとおりである」と答えられた。多くの偽証、侮り、侮辱、嘲弄に沈黙を守りながらも語るべき真実、真理については憚らない。イザヤ書53章は苦難のメシヤがひたすら沈黙することを記録しています。

3) 剣に代へて沈黙:

裏切り者のユダが大祭司を捕縛に案内した時、ペテロは大祭司に仕える僕の耳を切り落としたとあります。イエス様はその僕の耳に触れてお癒しになりました。そして「剣をとる者はみな、剣で滅びる」と戒められた。それは武力行為、たとい正当な理由であっても、剣をとる事を禁じられました。ご自分を裏切る人に、また不当に裁く宗教家や政治家に対してです。イエス様は天の父に願えば「天の使いたちを12軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うか」とご自分を守る軍団がおられる事を言われた。

古代ローマ兵の1軍団兵は5,000 – 6,000兵士からなるという。剣をとる者は剣で滅びると教えられたイエス様はご自分も武力をもって裏切り、不当な裁判に応戦しまんでした。ただ沈黙を守られた。イザヤ書2:4「、、、こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国に向かって、つるぎをあげず、、」と、ご自分が平和の君である事を敵の中で証された。

私達はこの地上で様々な試練、予期せぬ悪口、侮り、侮辱等を受けるものです。身じかな人からは辛いものである。しっぺ返しの誘惑に負けないようにイエス様のように「一言も答えられない」沈黙の力を学びたいものです。神様は私たちが耐えられないような試練は下さらない。「イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らはなにをしているのか、わからずにいるのです。』」と十字架の上から祈られた。(ルカ23:34)

沈黙は力、勝利です!    

前原利夫


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「主はヨセフのゆえにそのエジプびとの家を恵まれたので、主の恵みは彼の家と畑とにあるすべての持ち物におよんだ。」 創世記39章5節

創世記のヨセフのサクセスストーリーは実にドラマそのものである。また、これ程に人を励まし勇気づける聖書物語は少ない。17歳の頃に異母兄弟達に虐められ、エジプトに奴隷として売り飛ばされ、罪の濡れ衣を被り、獄屋にぶち込まれ、そこから這い上がってエジプトの総裁の身分にまで出世したストリーは痛快そのもの。

何度読んでも飽きることはない。神でなければ作れないシナリオだ。読む度に新鮮なアイデアが生まれてくるようである。先ず、彼が成功する前、即ち仕える身分であるのに、周囲の人を祝福して富ましていくことだ。私達もそのように人様の祝福になりたい。

1. 貧しくても人を富ますことが出来る:


私たちは先ず自分の成功、祝福を第一に優先する。それは誰も咎めることができない。自分が健康でなければ人を強くすることができず、自分が豊かになって初めて人を恵むことが出来ると考える。人助けは自分から始まり、それから人様を考える、これは常識です。ところが、ヨセフの場合はエジプトの役人に仕える身で、その主人の財産を増やしていく。

番頭さんが主人を祝福する逆転の姿です。持てる人を更に豊かにしながら妬みがない。冒頭のみ言葉にあるように「主はヨセフのゆえに、、」 役人ポテパルの財産、所有物をどんどん増していく。ヨセフは奴隷の身分で仕えているのだが。ヨセフの父ヤコブが若い頃、叔父のラバンに仕えていた事を思い出す。兄エサウから逃れてハランの地で20年奉公するが、ヤコブの働きが叔父の財産を増やしていく。

彼はヤコブが祝福をもたらす事を知りカナンの地に帰そうとしない。その子ヨセフも自分は何も持たない。でも人を富ます不思議な器であった。この姿はイエス様の姿ではないか。

2. 逆境の中でも富むことが出来る:


私達は富む条件に整えられた環境は必須と考える。逆境、不利な状況の中では自分の力、リソースは生かされないという先入観があるからだ。確かに向かい風よりも追い風が吹くと帆船も人生も楽です。

いつも追い風の様に環境が整えられ、自力に外部の力が加わると思うように事が進むでしょう。しかし、ヨセフは仕えながら周囲を富まし、逆境の中で自ら富む者となった。彼の父も長い奉公の中で富む者となった。ヨセフはエジプトでは最悪の奴隷の身分、そしてポテパルの妻の誘惑事件で自由を剥奪されて獄屋にぶちこまれ、そこで信頼を受けて獄屋の責任者となる。言うまでもない、彼の10人の兄弟はヨセフを妬み、井戸に放り込み、エジプト行きの商売人に売り渡した。

ところがその様な逆境の中から、僅か13年でエジプトの総裁の身分となる。奴隷から獄屋へそして総裁の座へ!後は、彼のスクセス・ストリートが続く。 私達が逆境の中では富めないと考えているときは、主が共におられるという信仰の基本を忘れている。もし、主が共にいませば、不可能はないという信仰でどの様な環境をも受け止め、進むことを教えられる。主が共におられる時、主が私達に代わって働かれるからだ。

 

3. 主が共におられるから:


ヨセフの歩みを辿ると、そこに主がヨセフの傍におられると繰り返し記録されている。インマニュエルの神が投げ込まれた井戸に、閉じ込められた獄屋に、またパロの夢の解き明かしの傍におられたのです。

父ヤコブは臨終の床で12人の子の将来を予言し祝福する。以下はヨセフへの特別な祝福である; 「ヨセフは実を結ぶ若木、泉のほとりの実を結ぶ木、その枝はかきねを超えるであろう。」「あなたを助ける父の神により、また上なる天の祝福、下に横たわる淵の祝福、乳ぶさと胎の祝福をもって、あなたを恵まれる全能者による。」(創世記49:22、25)

父はヨセフが神の恵みで祝福された子供であることを十分知っていた。私達の存在が周囲の人々の祝福となり、益となれると考えたことがあるでしょうか。

もし、逆な事を期待しているなら、神はこのような小さい私達をも用いて下さることを信じよう。貴方が神の傍に立たなくても、神はいつも貴方の傍におられる。信じますか。
パウロは「だれでも、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるべきである。」と教える。 (第一コリント10:24)            

前原利夫


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「そして、御言を行う人になりなさい。、、、」
ヤコブの手紙1章22節

新年おめでとうございます!
新しい2019年は冒頭のみ言葉をご一緒に実行する者として成長したいと願います。

”行う人”になるには、それなりの意思強固、信仰が求められます。 「言わ易く、行いは難く」と言われるとおりです。言行不一致ではこの世の中では通用しません。不言実行型でなければなりません。

成功の秘訣をご披露:以前、こんなビジネスセミナーが大阪のホテルであったそうです。セミナーの講師は成功した家具店の社長、当然聞きに来た多くの出席者は同業者の家具店を経営している競争会社の人達であった。

講師は彼の経営理念、その成功の秘訣を一つ一つ丁寧に競争会社を前にご披露した。同業者たちは大変感動してセミナーに聞きいったという。セミナーが終わり記者会見となりました。「大勢の同業者、競争会社の前でどうして成功の秘訣を教えたんですか。御社に影響すると思いませんか」と記者が質問しました。講師は答えました「秘訣を聞いても、皆な実行しないから心配ないよ。」と。

賢い人、愚かな人:イエス様は山上の説教(マタイ5〜7章)で「、、、であれ」「、、、であれ」と何度も何度も繰り返します。それは私たちの霊的な状態を整えなさいということです。しかし、説教の結びである7章では、わたしの話を聞いても行わない者は「砂の上に自分の家を建てた愚かな人」と呼んでおられる。イエス様が説教を終わられると群衆はその教えに感動して、律法学者のようではなく、権威ある者のようだと教えを称賛した。

けれど、教えの素晴らしさを称賛しても、群衆の中から何人がイエス様を信じたでしょうか。また、イエス様はこうも言われた「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人」と呼んでいる。

 成功したいと願いながら、その秘訣を聞き、教えられても実行しない人は確かに愚かな人です。成功の機会が与えられているが実行しない。神の国に招かれ、門が開かれ、救いの道が開かれているのにすすみ入ろうとしないなら、私達は確かに愚か者とよばれるであろう。

父が望む子供:イエス様はパリサイ人にむかいこんな譬を語られた(マタイ21章参照)。ぶどう園を経営しているお父さんに二人の子供がいて、兄にぶどう園で働けと言いました。兄は「おとうさん、参ります」と生きのいい返事したが、でも行きませんでした。弟は「いやです」と断ったが、心を変えて、ぶどう園に向かいました。父の望み通りにした子は誰かいうまでもない。

  ”そして”の接続詞:冒頭のみ言葉を考えてみましょう。「そして、御言を行う人になりなさい、、、」。 ”そして”という接続詞があるのは大事な点です。この”そして”は前の節から続き、繋がっているという意味ですね。前節を読みますと、一つは「心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい」とあります。明らかに、神の言葉の種が蒔かれたクリスチャンの心です。従って、行う人は心に蒔かれたみ言葉に従って事を行うべき、これが原則になります。

心の中にあるみ言葉を無視したり鎮圧してはなりません。もう一つは、「御言には、あなたがたのたましいを救う力がある・」とあります。ですから、自らの魂を損なうような行いではなく、魂を救いに導く行いでなけれななりません。ここで、まとめると魂に蓄えられたみ言葉に従い、救いに至るような行いが求められていると解釈できよう。

「そして、御言を行う人になりなさい。」この言葉に「おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはならない。」と続きます。聞いて実行しない人をおのれを欺く人だとヤコブは厳しく諭します。聞いた言葉がたとえ自分の益になる事でも、それをしっかり実行する人は少ないです。 イエス様はこのような人を愚かな人と言っておられる。愚かになりたくありません!

新年、今年こそ、御言を行う者となりましょう、一人で頑張らずに、お互い助け合い、励し合い、御言を行う賢い人となりたく願います。

Happy New Year 2019!
              
前原利夫


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救い主イエス,王の降誕、おめでとう御座います!
  
「ひとりのみどりごがわれわれのためにうまれた、、、」 イザヤ書9章6節

冒頭のイザヤの預言はおおよそ750年後にベツレヘムで誕生したイエスの上に成就する。みどりご、男の子がわれわれに与えられた。同9章7節はこのイエスの地上での役割を明確に預言する。

民を救う救い主であられると同時に、それは「ダビデの位に座し、その国を治め」られます。メシヤの初臨の姿は国を治める「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの神」として預言者イザヤは記録する。メシヤは王でもあられる。

かつて収税人であって、イエス様の弟子になったマタイは、旧約聖書から多く引用し、その光を師であるイエス様に当てて、マタイの福音書を書き上げている。当時の律法学者とは違い、マタイこそ真の律法学者である。マタイは救い主メシヤを”王”としても描写している。そこで、メシヤが王である姿を追ってみましょう、

私達の視点をメシヤは救い主であるという単一の役割から、救い主であり王であられるという二重の重要な役割を担ったメシヤであることに移しましょう。王としてのメシヤの役割は救い主の陰に隠されているからである。

冒頭のイザヤの「ダビデの位に座し、その国を治め」の預言は、マタイの1章の冒頭にメシヤの系図、ジニオロジーに反映されている。「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図」とある。神はアブラハムを召して、「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。、、

地のすべてのやからは、あなたによって祝福される。」(創世記12章参照)。これは霊的な意味と同時に、国を治めるという立場の人物を指してのことでもある。アブラハムから14代後、ダビデ王が誕生、そしてイスラエルを治める王となる。

ダビデ王はイスラエルの名王、歴史に登場する王たちの模範的な王として40年君臨する。そのダビデ王家からイエス、メシヤが誕生する。イエスは王家の血を引いたメシヤである。

イエスが誕生した時、東方から博士たちがエルサレムに到着、拝みに来ました。博士たちは「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。」とメシヤを王として迎えている。

また、当時、王であったヘロデは祭司長、律法学者に調査を指示し、メシヤの生誕地を旧約聖書から調べさせた。彼らはミカ書から「、、、わが民イスラエルの牧者となるであろう。」とヘロデ王に伝える。旧約においては王は度々羊飼い、牧者にたとえられている。

ヘロデ王はこの子を生かすことを恐れて、ベツレヘムとその附近の地方にいる2歳以下の男の子を殺害した。この残酷さは旧約の預言が確かであり、ヘロデ王の調査が事実であることを裏付けるものである。幼子イエスは両親に抱かれて一時エジプトに逃れる。

弟子のマタイに限らず、弟子たちの中にはイエスが救い主であると信じたいよりも、むしろイスラエルの王であると信じていたようである。弟子の一人、ナタナエルは「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」と告白する。(ヨハネ1:49)

また、イエス様ご自身も、十字架にかかる前、総督ピラトとの問答で「あなたがユダヤ人の王であるか」との問いに、イエスは「そのとおりである」と答えられた。

イエス様が最後のエルサレムに入城された時、ロバにお乗りになり、町中が騒ぎ、群衆に迎えられた。ロバは平和の象徴、平和の君のエルサレム入りである。群衆は上着を道に敷き、声たからかに神を賛美し、叫んだ「主の御名によってきたる王に、祝福あれ。天には平和、いと高きところには栄光あれ」。

預言者イザヤも11章で私達の王をこう描く:「正義をもって貧しい者をさばき、公平をもって国のうちの柔和な者のために定めをなし、その口のむちをもって国を撃ち、そのくちびるの息をもって悪しき者を殺す。

正義はその腰の帯となり、忠信はその身の帯となる。」さあ、クリスマス!、人類の救い主、世界を治められる平和の王の誕生。平和の君、律法によらず、愛によって治め、導かれる真の永遠の王をお迎えしましょう。

前原利夫


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「万事を益となす神」 ローマ章8章28節:

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知ってる。」

前号で書きましたが、私達がLAホーリネス教会を出た時は、私達二人だけ送って下さい、それ以外の一切の援助もヘルプも求めませんと、立ち上がりました。思いの外、多くの困難が待ち構えて試みの時でした。礼拝場所(9月号で紹介)、経済、また牧師不在の問題と戦うことになりました。

1)経済的試練の中でスタート:

教会を始めた1994年という年は私達には試練の時でした。1992年はLA暴動の時でした。LAの中小企業が軒並みに打撃を受けた年で、特に、韓国のクライアントを多く持っていた私の仕事は、例年の半分以下の収入でした。

借金し、それでも足りないので将来の退職金、保険金をみんな崩してしまいました。神様、このような最悪の時に、どうして教会開拓に乗り出せと言うのです。経済的に困難な中での難産でした。

しかし、一旦、神様に誓ったことから逃げ出す事は出来ません。信仰を持って進むしか道はありません。厳しい財政の戦いの中でしたがホテルでの礼拝、伝道は喜びでした。特に、魂が救われ、洗礼を受ける人がいると大きな祝福、恵み、慰めでした。

2)牧師不在でスタート:

当時、私はフルタイムの牧師になるつもりはなく、神様からの明確な召もありませんでした。遣わされるであろう牧師の補佐をするつもりでした。仕事をしながら、教会の財源にしたいと思い願っていました。さ〜大変、教会はスタートした、礼拝もスタートした、牧師はいない、いなければ私が立つしかありません。神様は私を崖ップチに立たせて、後ろから背中を押し出すのです、私は困りました。

メッセージの準備も、出張先のエアーポートやホテルで準備をすることもしばしばでした。多くの訓練を受けましたが、喜びでした。 神様の計画は、”お前がわたしのために福音を語れ” であったのです。誰にも頼るな、誰をも期待するな、自分で福音を伝えなさい、経済も誰にも頼るな、自分で立て、私がついている、これが神様の御心でした。そこにも、“ただ、ただ主の恵み”があったのです。

神様は万事を益となすお方です:

1)パウロの権利放棄の伝道型教会
財政的に試練のなかでスタートしましたが、神様は日本からローカルからクリスチャンの会社を与えて下さいました。財政は挽回、祝福されました。そして、私も主から訓練を受け、進む事が出来ました。神様はフルタイムの牧師を遣わされないで、私を立てて下さって、伝統的な教会と違う型の教会作りをさせて下さいました。”無報酬主義の教会”を。

第一コリント9章16節;「それでは、その報酬はなんであるか。福音を宣べ伝えるのにそれを無代価で提供し、わたたしが宣教者として持つ権利を利用しないことである。」私はこの9章を「権利放棄の宣教論」と呼んでいます。

私個人にも語られたみ言葉でもあると受け止めています。私たちの教会は稀に見るユニークな無報酬主義教会となりました。主は信じる者を見捨てられないお方です。

2)教会を追い出されたが会堂購入:
ホテルで礼拝する事は最悪の手段でした。神様、福音を伝えるのに場所が必要です、与えて下さい、しかし神様が導かれたのはホテルでした。ホテルで約4年、そこからユダヤ人の chosen peoplesの教会に移り、そこで8年経った時に、立ち退きを命じられました。

また、新しい場所のために祈り出しました。探せど、探せど、適切な場所が見つかりません。転々と場所を移るのは一時的で、やがて恒久的な場所が準備されていたからです。私達の祈りに勝る計画、奇跡と思われるようにこの会堂を購入できました。主は良いお方と賛美にありますが、実に神様は最高、最善のお方です。

最後に、教会はビジョンに生きる:

私達の教会は先ず、魂の救いを第一として働いています。前述の教会開拓案に4、5年したら、GVICは日英で150人の教会に成長したいとビジョンがあります。私達はすでに24年、50人そこそこ、ビジョンに遠いです。皆さん、祈り、救われる魂が起こされるよう福音を伝えよう。

もう一度、この創立記念日、我らの救い主イエス様にすべての栄光をお返します!ただ、ただ主の恵み!によって創立され、今日まで支えられているのです。

前原利夫


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