「万事を益となす神」 ローマ章8章28節:

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知ってる。」

前号で書きましたが、私達がLAホーリネス教会を出た時は、私達二人だけ送って下さい、それ以外の一切の援助もヘルプも求めませんと、立ち上がりました。思いの外、多くの困難が待ち構えて試みの時でした。礼拝場所(9月号で紹介)、経済、また牧師不在の問題と戦うことになりました。

1)経済的試練の中でスタート:

教会を始めた1994年という年は私達には試練の時でした。1992年はLA暴動の時でした。LAの中小企業が軒並みに打撃を受けた年で、特に、韓国のクライアントを多く持っていた私の仕事は、例年の半分以下の収入でした。

借金し、それでも足りないので将来の退職金、保険金をみんな崩してしまいました。神様、このような最悪の時に、どうして教会開拓に乗り出せと言うのです。経済的に困難な中での難産でした。

しかし、一旦、神様に誓ったことから逃げ出す事は出来ません。信仰を持って進むしか道はありません。厳しい財政の戦いの中でしたがホテルでの礼拝、伝道は喜びでした。特に、魂が救われ、洗礼を受ける人がいると大きな祝福、恵み、慰めでした。

2)牧師不在でスタート:

当時、私はフルタイムの牧師になるつもりはなく、神様からの明確な召もありませんでした。遣わされるであろう牧師の補佐をするつもりでした。仕事をしながら、教会の財源にしたいと思い願っていました。さ〜大変、教会はスタートした、礼拝もスタートした、牧師はいない、いなければ私が立つしかありません。神様は私を崖ップチに立たせて、後ろから背中を押し出すのです、私は困りました。

メッセージの準備も、出張先のエアーポートやホテルで準備をすることもしばしばでした。多くの訓練を受けましたが、喜びでした。 神様の計画は、”お前がわたしのために福音を語れ” であったのです。誰にも頼るな、誰をも期待するな、自分で福音を伝えなさい、経済も誰にも頼るな、自分で立て、私がついている、これが神様の御心でした。そこにも、“ただ、ただ主の恵み”があったのです。

神様は万事を益となすお方です:

1)パウロの権利放棄の伝道型教会
財政的に試練のなかでスタートしましたが、神様は日本からローカルからクリスチャンの会社を与えて下さいました。財政は挽回、祝福されました。そして、私も主から訓練を受け、進む事が出来ました。神様はフルタイムの牧師を遣わされないで、私を立てて下さって、伝統的な教会と違う型の教会作りをさせて下さいました。”無報酬主義の教会”を。

第一コリント9章16節;「それでは、その報酬はなんであるか。福音を宣べ伝えるのにそれを無代価で提供し、わたたしが宣教者として持つ権利を利用しないことである。」私はこの9章を「権利放棄の宣教論」と呼んでいます。

私個人にも語られたみ言葉でもあると受け止めています。私たちの教会は稀に見るユニークな無報酬主義教会となりました。主は信じる者を見捨てられないお方です。

2)教会を追い出されたが会堂購入:
ホテルで礼拝する事は最悪の手段でした。神様、福音を伝えるのに場所が必要です、与えて下さい、しかし神様が導かれたのはホテルでした。ホテルで約4年、そこからユダヤ人の chosen peoplesの教会に移り、そこで8年経った時に、立ち退きを命じられました。

また、新しい場所のために祈り出しました。探せど、探せど、適切な場所が見つかりません。転々と場所を移るのは一時的で、やがて恒久的な場所が準備されていたからです。私達の祈りに勝る計画、奇跡と思われるようにこの会堂を購入できました。主は良いお方と賛美にありますが、実に神様は最高、最善のお方です。

最後に、教会はビジョンに生きる:

私達の教会は先ず、魂の救いを第一として働いています。前述の教会開拓案に4、5年したら、GVICは日英で150人の教会に成長したいとビジョンがあります。私達はすでに24年、50人そこそこ、ビジョンに遠いです。皆さん、祈り、救われる魂が起こされるよう福音を伝えよう。

もう一度、この創立記念日、我らの救い主イエス様にすべての栄光をお返します!ただ、ただ主の恵み!によって創立され、今日まで支えられているのです。

前原利夫


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ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A. Tel.(310) 527-6112
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「主が家を建てられるのでなければ、
建てる者の勤労はむなしい。、、」 詩篇127:1

Founder’s Day : GVIC 創立記念日(上)

今年6月の年次報告会で、世話人会を代表して前原牧師から下記の報告がありました。

「今年2018年から9月の第二日曜日を「GVIC創立記念日」として定め神様に感謝を捧げる日とする。」私たちの教会がトーランス市のホテルで第一回目の礼拝を捧げたのは1994年9月の11日、第二日曜日でした。来年、創立25周年を迎えることになります。主イエス様に感謝、 ハレルヤ!

私が教会の創立記念日を祝う伝統を最初に体験したのはロスアンジェルス・ホーリネス教会でした。素晴らしい伝統だと思いました。

1990年3月31日

1990年3月31日であったと思いますが、その日は北米ホーリネス教団の第一回リニューアル・リトリートの二日目でした。午後の休憩時にリトリートセンターの森の中を一人散策しながら、”主よ、教会の名前は何にいたしましょうか”と祈りながら、名前を模索していた時でした。これまで幾つかの候補名がありました

。”venture” という言葉は名称のどこかに入れたいと考えてはいました。その時です、”Gospel Venture”と上から閃光のように閃いてきました。聖霊様の促しであったであろう。まだ、教会の場所も定まらない前に名前が先に出来上ってしまいました。

睦子と私は、1980年代の頃から”ビジネマン伝道”をしたいと祈り、何らかの形でビジネスマンのために立ち上がり、伝道する事を使命と示されつつありました。しかし牧師への明確な召命は得ていませんでした。将来のため神学校で学びを始めました。

仕事を終わり、夜の6時や7時頃からの学びはチャレンジで、深夜までアサインメントととっ組むことしばしばでした。やがて決断し、私達が立ち上がるべき時がきました。

1991年1月21日

1991年1月21日、私はホーリネ教団の常務委員会(私もその一員)に「サウスベイに教会開拓」をしたい趣旨のプロポーザルを提出しました。プロポーザルは1992年1月からサウスベイで日本語部教会を開拓し、数年後に英語部も開拓するという主意でした。

この教会開拓のためホーリネス教団と前原が財務を折半し、教団は一人の牧師を派遣し、前原は補佐するというリクエストでした。この プロポーザルの特徴は教団側と個人がチームとなり、教会開拓を始めるという、教団側には初めてのことでした。ところが、この類の教会開拓案は時機尚早、前例がないとして却下されました。当時、LAホーリネスに出席していた私達は、祈りの中で、信仰のベンチャーに乗り出しました。

プロポーザルを出してから3年半が経過し、私達は礼拝の場所を探し歩きました。アメリカ人の教会は大きいし、沢山の部屋がある、レントするには問題ないとタカをくくっていましたが、現実は厳しいものでした。教会で門前払いに会ったこと数回でした。このような教会にはなりたくないと思いながら、次の候補を探し歩きました。

やっと、落ち着いたのがホテル、当時の Holiday Innでした。ホテルと部屋の契約を済ませ、キーボード、音響機材、聖書、聖歌、礼拝に必要な品々を整え、第一回目の礼拝に備えました。

1994年9月11日

1994年9月11日、私達の教会の歴史の開幕となりました。ホテルの片隅の小さな部屋からイエス様を讃える賛美が流れていきました。時々、ホテルのゲストが廊下で立ち止まり覗いたりしました。睦子は礼拝が始まる10時半になるまで、ホテルの入り口で誰かを待っている様子、今日はこの方が礼拝に来てくれた、あの方が来てくれた、と嬉しそうに数えていました。

私達と一緒に開拓に参加した家族は4家族でした。一家族は天に帰り、一家族は日本に帰り、一家族は教会を変えました。それぞれに良き働きをして下さいました。私達がLAホーリネス教会を出た時は、私達二人だけを送り出して下さい、それ以外の一切の援助もヘルプも求めませんと、立ち上がりました。振り返ってみるとそれは主の恵みでありました。

4年後ホテルからチョーズン・ピープルズの教会に移転

4年後ホテルからチョーズン・ピープルズの教会に移転し、またホテルに戻り、そして2007年11月に本教会堂を購入しました。思えば、長くもあり、短くもある24年のGVICの創立記念です。主は多くの方々の祈り、励ましを備えて下さいました。

また、辻本先生、今は主の元にお帰りになられた美枝子夫人のお祈りを思い起こし、感謝に溢れます。創立記念日はこれらのことをなして下さった我らの主に全ての栄光がありますように、と主を讃える時です。

10月号は続編として、窮地に追い込まれても、尚、さらなる良い道を備えられる神様の業ををシェアいたします。 

前原利夫


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私達の”希望”という概念は、”こうあって欲しい、あ〜なって欲しい” という自分の好きなことを実現してもらう事ですね。もし、希望が叶わなければ、また次の機会に希望をつなげはいいのです。

人間は希望を頼りに生きている様な者です。たとえ、その希望が霧のように消え失せるような性格であっても、生活になくてはならい大切なエネルギー源です。しかし、ここで、み言葉が語る”希望”について考え、真の希望を知り、真の希望に生きたいものです。

1. 希望の永遠性:

第一コリント13章は信仰、希望と愛は永遠であると教えます。これらの3つが永遠であることはそこに霊的要素があり、神的要素があるからです。翻って、神的以外に永遠性はないし、霊的以外に永遠性はないでしょう。

イザヤ書の41章は、私達を贖い、助けて下さる希望がイスラエルの聖者であると教えます。イスラエルの聖者の事をMiqweh Israel、イスラエルの希望と言うそうです。即ち、神ご自身が希望そのものです。

この希望は霧の様に消え去ることはありません。私達は永遠性のない希望を懸命に求めていることに気が付かなければなりません。

イザヤ書41:14「主は言われる、虫にひとしいヤコブよ、イスラエルの人々よ、恐れてはならない。わたしはあなたを助ける。あなたをあがなう者はイスラエルの聖者である。」(”Your redeemer, the Holy One of  Israel” )

エレミヤ書14:7「イスラエルの望みなる主よ、悩みの時の救い主よ。”同17:13「またイスラエルの望みである主よ、あなたを捨てる者はみな恥をかき、、」
 

2. 信仰の先輩達の希望:

聖書の中で’神の友”と呼ばれた人物は2人だけアブラハムとモーセであったと思います。2人の信仰を見ると比例ない信仰の賜物が与えられています。モーセは敢えてこの世の富、名声、エジプトの栄光を塵芥のように捨てました。

それは、イスラエルの希望のゆえ、即ち来るべきメシヤを待ち望んだからであります。このイスラエルの希望のゆえに、艱難、苦難、数々の苦難を耐え忍び、キリストのゆえの艱難をも甘んじて受けたのです。

パウロもしかりです。ローマ書5:2「そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる」

パウロの希望は私達が希望と呼ぶような希望ではない。コリント第一の手紙13章では、おぼろげな神ではない、おぼろげなキリストではい、やがて、はっきりと完全なお方にお会いする希望に燃えている。アグリッパ王の前で弁明するパウロは「王よ、この希望のゆえに、わたしはユダヤ人から訴えられています。」と弁明。 (使徒行伝25:7)
  
私達の希望を確かめようではありりせんか。み言葉の希望は、今作り上げられたばかりの希望ではない、永遠から存在する希望です。この希望から全ての良きものが創造されるのです。この方に置く希望こそ、揺るぎない希望、先輩の先人たちはこの希望のゆえに生きる意味を見つけたのです。この希望が忍耐を授け、力を授けて、永遠に生かし続けて下さる希望です。

私達の希望はMiqweh of Israel、我らの希望、主のイエスキリスト!

前原利夫


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「・・しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。」

このみ言葉はパウロ自身の体験から出た言葉ではなかろうか。新約聖書の中で、パウロほどキリスト教を迫害し、自ら教会の迫害者と呼ぶ程罪深い者はいない。彼は福音の大敵であった。その罪深さを深く深く悔い改めるところに、恵みの深さを知ったのであろう。

何回も盗みを犯して赦される人と、一度、出来心から盗みをして赦される人とは、罪が赦されたと感謝する深さは違うはずである。

罪の取り扱い、恵みの深さが違う。罪の深さのどん底が深ければ、上まで引き上げられる恵みの高さと比例するものである。しかし、パウロは恵みを体験するために、罪を犯してはならないと、警告する。

マグダラのマリヤ、十字架の上で救われた強盗の一人も神の赦しの恵みの深さを知った人達でした。今号は、そのような体験をした元ゲリラ戦の総司令官であった極悪人を紹介する。今は逃げ隠れしながら300の教会を開拓している牧師に変わった。驚くべき主の恵みである。彼の名はCharya、匿名で紹介する。

5月11日、驚くべき証の報告が届いた。AAがカンボジヤで牧師を中心にセミナー、トレイニングを開いたときだ。老牧師風に見えた人がセミにーに参加したが、彼の背中は曲がり、片目は潰され、やっとこさ歩けるようで、全体がズタズタな体でした。彼を目の前にし、出席者はびっくりした。

このセミナーでは「罪人のかしら使徒パウロ」について学ぶことになっていた。彼はセミナーが終わったあとに、リーダーに告白した”私は罪人のかしらパウロよりも悪い人間です”と。

時は、1970年代、ポルポト ( Pol Pot)がカンボジヤを共産国にしようと革命を巻き起こし、ゲリラ戦術で掌握した。ポルポトは100万人から200万人の反対派を虐殺し、加えて20万人を餓死しさせた世界最大の虐殺人と言われている。この政権下に Charya は命をかけていたのである。彼はポルポト政権の総司令官として残虐で、Charyaの名前を聞くだけで恐れられたと言われる。彼は残酷極まりなく、生きた人の心臓を切り出し、目の前で殺すような恐ろしい人であった。 Charyaは何百人もの女性をレープした悪人であったと告白した。

ところが、 ポルポトの残酷な政権が終焉し、Charyaの奥さんがクリスチャンになった。そして、この残酷な悪人もイエス様を信じるようになった。福音の力は凄い。福音はダイナマイトのように、彼の悪全てを赦し、吹き飛ばした。

彼が一度仕えた、残酷なポルポトの残党は今なお逃亡中で、彼らから遠くはなれた無名の町に教会を建て、そこの牧師になり、教会は祝福され、成長した。それで、AAのセミナーに参加できるようになったとのことだ。

この二年間セミナーで訓練を受けながら、彼はリーダーに自分の過去を打ち明けた。そして”神様は私を決して赦さない”、と。リーダーは”神様にできないことはありません”、あのパウロをも赦された、Charya、神様はあなたを赦します、イエス様は十字架の上で貴方の罪の身代わりとなりすでに犠牲を払われた。 Charyaは罪の罪悪感から解放され、自由と解放を戴き、過去の恥ずかしい罪から赦されました。ハレルヤですね!

彼は神の恵みを真に体験し、信仰が強められた。そればか`りか多くの弟子を作つた。かつての仲間達をもイエス様に導き、教会のリダーを育て、今では300の教会を立てる牧師になっている。イエスの福音はこれほどまでに人を変える霊のダイナマイトです。

「・・しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。」

胸を打つ言葉ではありませんか。  

前原利夫


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今、私のメッセージはマルコの福音書を中心に「神の国」を学んいます。シリーズ第5まで準備しています。イエス様が語られる神の国、その具体性を理解しようと努めている。

学べば学ぶほど神の国の深さ広さを教えられます。マルコの福音書を中心にしていますが、他の福音書を参照しないと学びが前に進まない点もある。

今号は、メシヤの神の国の特徴と思われる革命的な宣言を3点取り上げる。当時、誰も考えもしない奇想天外的な発想・宣言だからである。

1.メシヤは律法の成就者:マタイの福音書5:17

「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するために来たのである」。このイエス様の言葉は、山上の垂訓の中にあり、その言葉の4節後、5章21節からは、旧約の戒めに対する改革があります。従って、この言葉は、これまでの旧約の戒めを完成するのは、メシヤであるご自分がなさるということです。み言葉にあるように、メシヤは古い戒めを無効にしたり、廃するために来られたのではない。神の国の律法は、メシヤの教えが土台であり、古い、しかもユダヤ人たちが継ぎはぎした律法を受け皿にしない新しいルールである、ということです。新しいブドウ酒は新しい皮袋に入れるという原則だ。受け皿が古いと、新鮮な入れ物までも腐れて、長持ちしません。福音書を読んで行くと、メシヤの改革する律法は、黄金律を 土台にした新しい神の国の秩序と言える。

マタイの7章12節:「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である」。

「目には目、歯には歯」の同害報復法・同態復讐法も改革されて、下着を取るものには上着も与え、1マイル行かせようとする者には、その人と2マイル歩け、と神の国は教える。

2.人の子は安息日の主:マルコの福音書2:28

マルコの福音書は神の国は近づいた、と宣言すると同時に悪霊につかれた者の癒しを紹介します。 続いて、安息日の掟を破ったと訴えられた弟子たち、そして、ご自身が安息日に片手のなえた人の癒しをなさった。そこで、パリサイ人はなんとかして、神の律法を破ったイエスを殺そうと相談し始めた。

ユダヤ人にとって、安息日を厳守することは、病人が安息日に癒されることよりも大切なことでした。彼らにとって、安息日は命がけで守るべきことであった。従って、イエスがこの安息日問題を改革するということは、それこそ命がけの問題であった。彼らにとって、イエスは神の戒め、十戒の第四番目の律法を破って死罪に当たる犯罪者。しかし、安息日は人のためにあるのであり、人が安息日のためにあるのではない。これがイエスの安息日の理解である。

イエスは群衆にチャレンジする「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」。「、、人の子は、安息日に もまた主なのである」。メシヤは律法を成就するために来られたのである。

3. 神のみこころを行う者は家族である:マルコの福音書3:35

イエスには4人の兄弟と数人の姉妹がいました。ある集会で母マリヤと兄弟、姉妹たちが、外にたち、イエスを呼ばせた。その時、イエスは群衆に向かい「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」、と目の前の群衆を見まわして、語られた「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。

神のみこころをを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。神のみこころを行うの者が家族を構成するという発想は、驚くべきことです。ユダヤ人の同族に対してと異邦人に対する扱いは、神に選ばれた者と罪人との間にある隔たりのようなもだ。

家族は血のつながりで構成してるという長い歴史、伝統にチャレンジするばかりか、神のみこころを行う者は誰でも、異邦人、奴隷、女、子供、全ての人を家族として招いておられる。

キリストの名の下に、これらの発想は、画期的であり愛で支配する福音の寛大さ、公平さです。神の国はイエス様の黄金律によって治めるために作られている。規則は人を縛るためではなく、助けるためにある。福音を信ずる者は(神のみこころを行う者は)イエス様の名の下に家族であり、平等であり、霊の拡大家族の一員なのである。

それ!神の国は近づいた、そうです、貴方の中に、私の中に、神の国を今日迎え入れまようではないか!             

前原利夫


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以前、教会は”墓地”を必要としませんか、と問われたことが度々ありましたが、必要ですが、教会に墓地用の土地はなく、また、今の教会の土地に墓地は建てられない、更に資金の問題があり、教会が墓地を所有することは現実的な話ではないと考えていました。

ところが、4、5ヶ月前にある兄弟から、教会でも墓地を所有したらどうですか、地域の伝道にプラスになり、また、そのための基金$30,000 を捧げます。という全く予期せぬ申し出を受けました。誰でも、お墓の要らない人はいません。私はこの申し出は、素晴らしい、話を具体化すべきと、世話人会と協議を始めました。

  

1.「教会墓地伝道」:  

日本では、教会が墓地を所有することは大事な伝道戦略と聞きました。2014年、アジアン・アクセスの役員会が松島町で開かれた時、震災後の地域の教会巡りを致しました。その時に、地域の伝道に何が必要か、今必要なものは何かというテーマがあり、真っ先に出たのがこの「教会墓地」の建立でした。

地域の高齢者たちが、お寺に属している一つの理由は、死んだ後にお寺の墓に入れて貰える、ということでした。ところが、戒名を貰うのに 100万から500万円かかり、そのようなお金は出せない、という悲痛の声がありました。これでは、お金持ちは墓に入れるが、お金のない人は墓に入れない、という死んでも死ねない、と言うのです。その教会の牧師は 500万円あれば、教会敷地内にお墓が立てられる、何とか助けて下さいと訴えるのです。勿論、その牧師は高齢者にターゲットを絞った伝道を目論んでの事でした。

先日、安藤秀世先生(私たちもサポートしている)の宣教レポートに「教会墓地」を伝道戦略として、真剣に取り組むべきだと、書いてありました。

    

2. GVICの教会墓地の取得は可能か:

世話人会はこの申し出を真剣に受け止め、祈り、そして、キム師をPVの Green Hillsセメトリーの調査にお願いしました。そして、幾つかのオプションをビデオで見させてもらいました。先生自身は、教会とGreen Hillsの仲介が出来るように、ライセンスの申請中で、近日中に取得予定とのこと。

仮見積は$100,000前後で、20-25骨壷が収納可能な広さが取得できそうだ、との報告です。現在、前述の兄弟の$30,000、そしてあと2人の方がそれぞれ$10,000を捧げると申し出を受けています。残りの$50,000は教会の希望者から集める事になりましょう。

これらに関するガイドラインを作成しますが、どうか、ご自分のお墓のない方は、この計画を覚えて、お祈り下さい。

    

3. ガイドラインのドラフト:

教会墓地の必要性は年々高まります。GVICの信徒の年齢層を見ますと、それは明らかです。教会墓地は伝道のためにも活用できますが、イースターやベテランズデーに、教会墓地で記念会を開くことも可能です。そこで、在りし日の兄弟姉妹を偲び、賛美、祈り、交わりの一時を持つことが可能です。

しかし、収納量が小さく限られていますから、すべての希望者が予約を入れることは出来ませんので、何がしかの優先順位を定めなければなりません。例えば、教会の牧師、予約購入者、その他、検討の対象となりましょう。どうか、このプロジェクトが祝福となりますよう、お祈り下さい。ガイドラインができましたら、皆様にご報告致します。もし、ご興味のある方は前原師までコンタクト下さい。

アブラハムの妻サラは127才で天に召されます。アブラハムはエフロンという人から、墓地を買い取りサラを葬ります(創世記23章参照)。エフロンは墓地を無償で提供したが、アブラハムは敢えて断り、マーケット・バリューの値段を払って買います。アブラハムは175才で妻サラの墓地に葬られます。

では、長男イサク、孫のヤコブの墓地も見つけて下さい。

前原利夫

PS:4月8日の礼拝後に本件をご説明いたします。

前原利夫


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今年のイースターは4月1日にあたります。エプリル・フールではありません。

パームサンデーは1週間前の3月25日です。メシヤ・キリストは厳しい試みの1週間から、翌週、復活の栄光に引き上げられる。四福音書はメシヤの苦難の十字架と勝利の復活を漏らさずに記録している。十字架と復活はキリスト教のエッセンス。今号はイースターを前に、四福音書を並置し、比べ、この驚くべき復活のメッセージを探してみましょう。

1.弟子不在の復活の墓:

四福音書を調べて、先ず驚く事は、11人の弟子たちがイエス様が葬られ、甦られた墓近くにいなかったことです。マタイの福音書は弟子達が復活のイエス様に最初に会ったのは、復活の墓から遠くガリラヤであるという印象を与えます。

ルカの福音書は女性達に促されて、ペテロは墓に走ってきて、かがんで墓の中を見た、とある。他の使徒達は、復活は愚かな話のように思えて、空っぽになった墓を見に行こうともしませんでした。

ヨハネの福音書はマグダラのマリヤに言われて、ペテロとヨハネが墓の中を点検したと、記録しています。マルコもヨハネも、イエス様ご自身が、弟子達のいるところを探し当ています。弟子たの積極さが見えない。弟子不在とは、弟子たちが主の復活を信じ、墓まで行き、主が甦られたことを確認し、福音として世に証し、語らなかったことでした。

この弟子不在は、彼らの十字架と復活に対する心と思いを即表しているのです。弟子たちが、復活のメッセージを受け、それを最初に語ることが自然のような気がしますが。 勿論、この弟子たちの姿勢は、ペンテコステの体験で、一変します。

2.女性たちが主人公:

マグダラのマリヤ、ヨハンナ、ヤコブの母マリヤ、これらの女性たちの存在は際立ったものでした。弟子たちがなすべき事を、彼女たちは成し遂げました。イエスの死体が十字架から取りおろされるまで、最後まで見届け、納められた墓を見届けたのはこの女性たちであり、最初に復活のメッセージを受けたのも彼女たちでした。

弟子たちは自らの不信仰とユダヤ人からの迫害を恐れて、逃隠れするのが精一杯であたのであったでしょう。それにしても、神様は、思わぬところで、アリマタヤのヨセフやニコデモをご自分の栄光のために用いられました。ガリラヤの田舎の女性たちが、訓練された弟子たちに代わり、この大事な時に主人公の役割を演ずるのは、なんとも頼もしい限りではないでしょうか。

神様は私たちのような小さい名も無い者をも、これという大事なときに、ご自分の栄光のために用いられることでしょう。タイトルに拘らず、小さな奉仕をも大事にしたいものです。

3.復活のメッセージ:

共感福音書(マタイ、マルコ、ルカ)は”よみがえられた”と一番大事な言葉がメッセージとなっている。マタイは「急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた』」と御使いは女性たちに告げています。マルコは「イエスはよみがってここにはおられない。

ごらんなさい。ここがお納めした場所である。」、ルカは「その方はここにはおられない。よみがえられたのだ。、、」と。ヨハネは「弟子たちは主を見て喜んだ。」と、よみがえられたイエス様を拝し、喜びに包まれたのです。今日、私たちに大切なメッセージは誰でも、福音を伝えなければならない緊急性なのではないでしょうか。

この福音の勝利と喜びを”急いで行って”伝えるべきである。このメッセージが弟子たちに語られず、敢えてガリラヤの女性たちに語られたのは、牧師、伝道師、宣教師だけに委ねられた復活のメッセージではなく、全ての信徒に委ねられたと考えるべきでしょう。

パウロは彼の遺言書と言われるテモテ第二の手紙で”御言葉を宣べ伝えなさい。ときが 良くてもわるくても、、、”(4章)。私たちは主を見て喜ぼう!
鳥瞰的に福音書を読むと、弟子達が小さく見え、ガリラヤの女性達がクローズアップされてくる。復活の喜びを”急いで行って、伝えたのが女性たちであった。私たちも急いで行って、隣の人に甦りのイエス様をお伝えしようではありませんか。

イースター、おめでとうございます!

前原利夫


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「神われらと共にいます。」 マタイの福音書1章23節

今号は、昨年病室で迎えたクリスマスの体験に証を織り込んでご紹介したいと思います。

1ヶ月以上も経って ” Merry Christmas” と挨拶しても白けてしまいます。しかし、クリスマスの本質は”インマニュエル”、”神われらと共にいます”ですから、本質的には毎日がクリスマスです。冒頭、理屈をこねて申し訳ありません。

クリスマス、25日の真夜中、12時をまわった頃、ベットの上で目が覚めた。病室の1日は長い、特に夜はもっと長く感じるものだ。目覚めは排出物の処理で、自然に目覚めるのはとても気持ちのいいものだ。ベットの足元にナースエイドが微笑みを浮かべるように立っている、”クリスマスの朝だよ”、と小さな声をかけてくれた。カーテンで仕切られた隣の人を配慮した声だ。あ〜、クリスマスの朝か。 即座に、野宿していたベツレヘムの羊飼いたちの姿を心の思うままに想像した。

寒かったであろうな〜、天使からキリスト誕生のみ告げを受けた時、羊飼い達のあの驚きの顔、顔、顔、何を捧げて礼拝しようと思ったのであろうか、等。彼等は何か貰えるかな〜と決して考えなかったであろう。キリスト誕生そのものが大きな贈り物なのだから。私は、神様からのプレゼントは何であろうか、と色々数え始めた。

6時半頃になると、ドヤドヤとナース達がバイタル・サイン vital sign(体温、脈、血糖値、血圧等)のチェック・アップで病室に入って来る。”Merry Christmas “, “Merry Christmas” と大きな声、廊下からもナースたちが、弾んだ声でクリスマスの挨拶だ。朝食がすみ、昼になっても病室は”Merry Christmas”の声で賑やかである。この病室にクリスマスが生きている、そんな感じの賑やかさであった。

最近は、メリークリスマスを放棄して、 ” Holiday Seasons”を挨拶代わりにしている人が多いが、これは世俗化の流れだ。クリスマス・カードに Merry Christmas とプリントしてあったら、買わないと一時非買運動があったのは最近のことだ。

私達は世俗化の流れに迎合してはならない(ローマ書12章2節)。クリスチャンの中にも Holiday Seasons でカードの交換を見るが、それは気が付かずにしていることであろうか。何しろ、世俗化は気が付かないうちに生活の中に忍び込んで来るものだ。

昨年暮の手術でクリスマスと元旦を病室で過ごすことになった。初めての体験だ。睦子とも、娘達や孫達との楽しいひと時も、退院してからと延期することになった。前日はクリスマス礼拝、そして祝会と兄弟姉妹達との一年に一度の楽しい交わりも来年に持ち越されることになった。しかし、神様は病室の中でも沢山の祝福、励ましを贈って下さった。

12月19日の術後、確か8日目であったと記憶しているが、ベットの上で着替えている時のことだった。自分の足を見て、ビックリ驚いた。いつもの両足のむくれが全くない。むくれのないきれいな足だ。2年半、このむくれの原因を数々の医者に問いただしてきたが、皆んな、まちまちの見解、また適切な治療法もなかった。2015年7月前の自分のオリジナルの足だ。これはクリスマスの大きなプレゼントに違いない。一際、感動ものだ。座り続けるとむくれるが、動き出すとなくなるので、やがてオリジナルに戻っていくであろうと希望が大きい。

三人であろうと言われる東方からの博士達は、キリストの誕生数年後に幼子キリストを探し当てて礼拝したのだ。羊飼い達も誕生の場所を探し当てるのに数日はかかったかもしれない。福音書は誕生したその日にキリストを礼拝したという明確な記事を残してない。それは、マリヤとヨセフの特権であった。

イエス様を信じる人には、毎日が Merry Christmas だ!

心から”クリスマスおめでとう”

前原利夫


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「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。」 ローマ人への手紙章4章17節

新年明けましておめでとうございます!昨年、2017年の教会のみ言葉はヨハネの福音書10書から「イエス様はよい羊飼い」でした。その通り、イエス様は私たちの教会にとってよい羊飼いとなられて、教会が守られ、多くの霊的な祝福を頂きました。

今年、2018年のみ言葉はローマ書4章から「死人を生かし、無から有を呼び出す神」を信じて前進したいと考えます。新年は教会にも、個人的にも神様の大いなる働き、その不思議な力を体験するように大胆に信じて歩み出しましょう。

1) 小さい神認識を脱せ:

日頃、私たちの神認識は私たちの生活の中にはめ込まれてしまい、信仰のダイナミックさに欠けているように感じます。祈り求めるにしても、その大きさ、広さは生活の域を出ない求め方ではありませんか。私達の生活の領域が狭く、浅く、小さなコミュニティー、ミクロの世界に住んでいると神認識もついつい小さいものとなるでしょう。

小さな村に住んでいる人と、グローバルを駆け回っている人との間には、物の考え方、見方、寄せて来る問題、それに対応する考え方も違うものです。小さい所に押し込まれていると、自然と神認識も生活の領域を破れず、信じる神様も小さな神様となってしまうのではないでしょうか。極端に言うと、”村の神様”、”世界の神様” と大きな開きが出てくると思います。

ヘブル書の5章に、乳を飲んでいる者は幼な子で、義の言葉を味わう事ができない、だから堅い食物を味わえと、と勧め、励ましがあります。み言葉の深みを体験するためには、難しい神学の学びも大切です。大きな神様を体験するためには体験した事のない大海原に漕ぎ出すベンチャーも必要です。

2) 先人たちの神認識:

聖書は奇跡の書です。聖書の中心テーマは神様ですから、奇跡の書であることは当然です。神様は私達の信仰の先輩たちを通して様々な奇跡を見させてくださいました。

それは、先輩たちの信仰の応答でもありました。イエス様は彼らの信仰を見て、中風の者に「子よ、あなたの罪はゆるされた。」と、彼らの信仰に応えられ、アブラハムは行き先を知らないで出て行く信仰に報われました。

旧約の先人たちの神認識は彼らの小さな世界に拘束されず、天地万物を創造された偉大な神の働きを直視しました。彼らは、日が暮れると、夜空を眺めながら、神の存在を宇宙の中に確かめ、神と一対一で語られました。

「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇19篇)。

神のみ手が先輩たちに臨み、神ご自身の大いなる働き、奇跡を示されたのです。 ヘブル書11章は先輩たちの偉大な信仰の紹介です。そのダイナミックな信仰は私達が聞いた事もない、神の奇跡によって力強く述べられているのです。

神の究極の力は無から有を創造するところに現れると思われます。無いものから有るものへの創造です、これは神だけの世界です。私達の高度技術の世界であっても、有るものから有るものを引き出すことに精一杯です。

しかし、信仰は神の世界に招き入れられるから無から有を創造する力を拝借することが出来ます。信仰の先輩たちはそれを実証しました。

3) 無から有を生む信仰:

一体、無から有を生む信仰とはどんな信仰でしょうか。分かり易く言えば”人間の手に不可能なことも可能と信じる”事です。非現実的な事でも、御手によって実現できる、と信じることです。

マルコの福音書10章で、イエス様は人には出来ないが、神には何でも出来る、と仰っています。ヨシュアは幾つもの奇跡を体験しました。

モーセと共に、エジブトで、紅海で、アラビヤの荒野で、ヨルダン川で、エリコで、そしてカナンの地で数々の神の業を見ました。無から有を引き出す神の奇跡です。「あなたの信じた通り、そのようになる」、とイエス様は仰いました。

新しい年、2018年、貴方の信仰が無から有を創造する主を信じ、ダイナミックな祈と共にスタートしましょう。大空を眺め、夜空を眺め、天地万物の主に、しっかり目をめて、歩み続けようではありませんか。

皆様お一人お一人の上に、創造主の豊かな祝福がありますようお祈り致します。

前原利夫


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「その名は平和の君ととなえられる!」イザヤ書9章6節

イザヤのメシヤ誕生の予言はおおよそ800年後にダビデの町ベツレヘムで成就します。イザヤ書6章はメシヤを「霊妙なる義士」「大能の神」「とこしえの父」そして「平和の君」として、その複数役割を予言します。

同書53章は苦難のメシヤを描き、打たれた傷により救いの道が開かれることを予言、マタイによる福音書1章はメシヤの誕生を歴史的に記録し、同27章でイザヤ書53章が成就、メシヤの十字架の苦難を述べます。こうして、メシヤの誕生を祝うこと二千年になります。

クリスマスを祝い、イザヤの預言である「平和の君」、キリストの平和について考えてみましょう。

1)義と平和:平和は争いがないところに存在し、争いのあるところは平和でありえません。しかし、必ずしも争いのない状態が平和であるとは言えません。平和は、義、正しさが支配するところにあり、義が支配するところには争いはないのです。

義は人間の定める義ではなく、神ご自身が定める絶対的な義、正しさでなければならない。人間の義は相対的で、国、時や場によって義の尺度が違うからです。神は唯一、唯一の義なのです。

詩篇85篇10、11節「いつくしみと、まこととは共に会い、義と平和とは互いに口づけし、まことは地からはえ、義は天から見下ろすでしょう。」。ダビデは義と平和とは互いに口づけすると教えます。義と平和は口づけするほとに近いもの同士です。

いや、一体とも言える。義が実践されるところに、平和を楽しみ、義が尊ばれるところに、平和が支配します。イザヤは来たるべきキリストを「霊妙なる義士」、「Wonderful counselor」とはっきりと、政治を司る君であると予言しています。

神の義は天から見下ろすように、平和の君によって制定されなければならない。そこに平和が生まれる。「もろもろの山と丘とは義によって民に平和を与えるように。」(詩篇72:3)。「そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りく、、、」とある通りです。(イザヤ9:7)

2)平和は十字架の業による:パウロはコロサイ人への手紙1章20節で「その十字架の血によって平和を作り、万物、すなわち。地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解せて下さったのである。」と語ります。

先ず、平和は神と人との和解、また人と人との和解がなければ作れない。エデンの園以来、神と人と、人と人との間には、和解しなければならない敵対、争い、罪が存在している。だから、先ずその罪が溶けて、赦されて和解の道が開かれるべきである、と説きます。

その道を備えたのが、グルゴタ丘の十字架のイエスの血です。平和は罪、悪の赦し合いがなければ決して作れません。人間と神との隔て、人と人との隔てが取り壊されなければならない。家庭内の隔たり、国家間の隔たり、民族間の隔たりの壁が取り壊されます。これらは、イエスの十字架を見上げて解決されます。「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、、、。」とある通り、平和の君は隔ての中垣を壊す作業をします。

3)神の子は平和を作る:イエス様は山上の教えで「平和をつくりだ出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」、と語られました。

多くの人たちが平和運動を口にして行進しますが、それは平和を作り出す運動でしょうか。真の平和愛好者は、平和を作る者でなければなりません。それは、神の義を噂守することから始まります。ピースメーカーは神の子と呼ばれると、イエス様はその責任の重大さを教えます。私たちは家庭で職場で、争いを静める役割を担っています。平和は御霊の実の一つでもある。

パウロは私たちの伝える福音は「平和の福音」であり、また私達が信じる神は「平和の神」であると彼の書簡で語ります。平和の福音を伝える者は自ら平和を作る者らしく、また、平和の神を信じる者は、私達は平和を作り出す使者、「平和の君」の子でありたいと願います。

イエス様の誕生。
おめでとう御座います!

前原利夫


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