今、私のメッセージはマルコの福音書を中心に「神の国」を学んいます。シリーズ第5まで準備しています。イエス様が語られる神の国、その具体性を理解しようと努めている。

学べば学ぶほど神の国の深さ広さを教えられます。マルコの福音書を中心にしていますが、他の福音書を参照しないと学びが前に進まない点もある。

今号は、メシヤの神の国の特徴と思われる革命的な宣言を3点取り上げる。当時、誰も考えもしない奇想天外的な発想・宣言だからである。

1.メシヤは律法の成就者:マタイの福音書5:17

「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するために来たのである」。このイエス様の言葉は、山上の垂訓の中にあり、その言葉の4節後、5章21節からは、旧約の戒めに対する改革があります。従って、この言葉は、これまでの旧約の戒めを完成するのは、メシヤであるご自分がなさるということです。み言葉にあるように、メシヤは古い戒めを無効にしたり、廃するために来られたのではない。神の国の律法は、メシヤの教えが土台であり、古い、しかもユダヤ人たちが継ぎはぎした律法を受け皿にしない新しいルールである、ということです。新しいブドウ酒は新しい皮袋に入れるという原則だ。受け皿が古いと、新鮮な入れ物までも腐れて、長持ちしません。福音書を読んで行くと、メシヤの改革する律法は、黄金律を 土台にした新しい神の国の秩序と言える。

マタイの7章12節:「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である」。

「目には目、歯には歯」の同害報復法・同態復讐法も改革されて、下着を取るものには上着も与え、1マイル行かせようとする者には、その人と2マイル歩け、と神の国は教える。

2.人の子は安息日の主:マルコの福音書2:28

マルコの福音書は神の国は近づいた、と宣言すると同時に悪霊につかれた者の癒しを紹介します。 続いて、安息日の掟を破ったと訴えられた弟子たち、そして、ご自身が安息日に片手のなえた人の癒しをなさった。そこで、パリサイ人はなんとかして、神の律法を破ったイエスを殺そうと相談し始めた。

ユダヤ人にとって、安息日を厳守することは、病人が安息日に癒されることよりも大切なことでした。彼らにとって、安息日は命がけで守るべきことであった。従って、イエスがこの安息日問題を改革するということは、それこそ命がけの問題であった。彼らにとって、イエスは神の戒め、十戒の第四番目の律法を破って死罪に当たる犯罪者。しかし、安息日は人のためにあるのであり、人が安息日のためにあるのではない。これがイエスの安息日の理解である。

イエスは群衆にチャレンジする「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」。「、、人の子は、安息日に もまた主なのである」。メシヤは律法を成就するために来られたのである。

3. 神のみこころを行う者は家族である:マルコの福音書3:35

イエスには4人の兄弟と数人の姉妹がいました。ある集会で母マリヤと兄弟、姉妹たちが、外にたち、イエスを呼ばせた。その時、イエスは群衆に向かい「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」、と目の前の群衆を見まわして、語られた「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。

神のみこころをを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。神のみこころを行うの者が家族を構成するという発想は、驚くべきことです。ユダヤ人の同族に対してと異邦人に対する扱いは、神に選ばれた者と罪人との間にある隔たりのようなもだ。

家族は血のつながりで構成してるという長い歴史、伝統にチャレンジするばかりか、神のみこころを行う者は誰でも、異邦人、奴隷、女、子供、全ての人を家族として招いておられる。

キリストの名の下に、これらの発想は、画期的であり愛で支配する福音の寛大さ、公平さです。神の国はイエス様の黄金律によって治めるために作られている。規則は人を縛るためではなく、助けるためにある。福音を信ずる者は(神のみこころを行う者は)イエス様の名の下に家族であり、平等であり、霊の拡大家族の一員なのである。

それ!神の国は近づいた、そうです、貴方の中に、私の中に、神の国を今日迎え入れまようではないか!             

前原利夫


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以前、教会は”墓地”を必要としませんか、と問われたことが度々ありましたが、必要ですが、教会に墓地用の土地はなく、また、今の教会の土地に墓地は建てられない、更に資金の問題があり、教会が墓地を所有することは現実的な話ではないと考えていました。

ところが、4、5ヶ月前にある兄弟から、教会でも墓地を所有したらどうですか、地域の伝道にプラスになり、また、そのための基金$30,000 を捧げます。という全く予期せぬ申し出を受けました。誰でも、お墓の要らない人はいません。私はこの申し出は、素晴らしい、話を具体化すべきと、世話人会と協議を始めました。

  

1.「教会墓地伝道」:  

日本では、教会が墓地を所有することは大事な伝道戦略と聞きました。2014年、アジアン・アクセスの役員会が松島町で開かれた時、震災後の地域の教会巡りを致しました。その時に、地域の伝道に何が必要か、今必要なものは何かというテーマがあり、真っ先に出たのがこの「教会墓地」の建立でした。

地域の高齢者たちが、お寺に属している一つの理由は、死んだ後にお寺の墓に入れて貰える、ということでした。ところが、戒名を貰うのに 100万から500万円かかり、そのようなお金は出せない、という悲痛の声がありました。これでは、お金持ちは墓に入れるが、お金のない人は墓に入れない、という死んでも死ねない、と言うのです。その教会の牧師は 500万円あれば、教会敷地内にお墓が立てられる、何とか助けて下さいと訴えるのです。勿論、その牧師は高齢者にターゲットを絞った伝道を目論んでの事でした。

先日、安藤秀世先生(私たちもサポートしている)の宣教レポートに「教会墓地」を伝道戦略として、真剣に取り組むべきだと、書いてありました。

    

2. GVICの教会墓地の取得は可能か:

世話人会はこの申し出を真剣に受け止め、祈り、そして、キム師をPVの Green Hillsセメトリーの調査にお願いしました。そして、幾つかのオプションをビデオで見させてもらいました。先生自身は、教会とGreen Hillsの仲介が出来るように、ライセンスの申請中で、近日中に取得予定とのこと。

仮見積は$100,000前後で、20-25骨壷が収納可能な広さが取得できそうだ、との報告です。現在、前述の兄弟の$30,000、そしてあと2人の方がそれぞれ$10,000を捧げると申し出を受けています。残りの$50,000は教会の希望者から集める事になりましょう。

これらに関するガイドラインを作成しますが、どうか、ご自分のお墓のない方は、この計画を覚えて、お祈り下さい。

    

3. ガイドラインのドラフト:

教会墓地の必要性は年々高まります。GVICの信徒の年齢層を見ますと、それは明らかです。教会墓地は伝道のためにも活用できますが、イースターやベテランズデーに、教会墓地で記念会を開くことも可能です。そこで、在りし日の兄弟姉妹を偲び、賛美、祈り、交わりの一時を持つことが可能です。

しかし、収納量が小さく限られていますから、すべての希望者が予約を入れることは出来ませんので、何がしかの優先順位を定めなければなりません。例えば、教会の牧師、予約購入者、その他、検討の対象となりましょう。どうか、このプロジェクトが祝福となりますよう、お祈り下さい。ガイドラインができましたら、皆様にご報告致します。もし、ご興味のある方は前原師までコンタクト下さい。

アブラハムの妻サラは127才で天に召されます。アブラハムはエフロンという人から、墓地を買い取りサラを葬ります(創世記23章参照)。エフロンは墓地を無償で提供したが、アブラハムは敢えて断り、マーケット・バリューの値段を払って買います。アブラハムは175才で妻サラの墓地に葬られます。

では、長男イサク、孫のヤコブの墓地も見つけて下さい。

前原利夫

PS:4月8日の礼拝後に本件をご説明いたします。

前原利夫


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今年のイースターは4月1日にあたります。エプリル・フールではありません。

パームサンデーは1週間前の3月25日です。メシヤ・キリストは厳しい試みの1週間から、翌週、復活の栄光に引き上げられる。四福音書はメシヤの苦難の十字架と勝利の復活を漏らさずに記録している。十字架と復活はキリスト教のエッセンス。今号はイースターを前に、四福音書を並置し、比べ、この驚くべき復活のメッセージを探してみましょう。

1.弟子不在の復活の墓:

四福音書を調べて、先ず驚く事は、11人の弟子たちがイエス様が葬られ、甦られた墓近くにいなかったことです。マタイの福音書は弟子達が復活のイエス様に最初に会ったのは、復活の墓から遠くガリラヤであるという印象を与えます。

ルカの福音書は女性達に促されて、ペテロは墓に走ってきて、かがんで墓の中を見た、とある。他の使徒達は、復活は愚かな話のように思えて、空っぽになった墓を見に行こうともしませんでした。

ヨハネの福音書はマグダラのマリヤに言われて、ペテロとヨハネが墓の中を点検したと、記録しています。マルコもヨハネも、イエス様ご自身が、弟子達のいるところを探し当ています。弟子たの積極さが見えない。弟子不在とは、弟子たちが主の復活を信じ、墓まで行き、主が甦られたことを確認し、福音として世に証し、語らなかったことでした。

この弟子不在は、彼らの十字架と復活に対する心と思いを即表しているのです。弟子たちが、復活のメッセージを受け、それを最初に語ることが自然のような気がしますが。 勿論、この弟子たちの姿勢は、ペンテコステの体験で、一変します。

2.女性たちが主人公:

マグダラのマリヤ、ヨハンナ、ヤコブの母マリヤ、これらの女性たちの存在は際立ったものでした。弟子たちがなすべき事を、彼女たちは成し遂げました。イエスの死体が十字架から取りおろされるまで、最後まで見届け、納められた墓を見届けたのはこの女性たちであり、最初に復活のメッセージを受けたのも彼女たちでした。

弟子たちは自らの不信仰とユダヤ人からの迫害を恐れて、逃隠れするのが精一杯であたのであったでしょう。それにしても、神様は、思わぬところで、アリマタヤのヨセフやニコデモをご自分の栄光のために用いられました。ガリラヤの田舎の女性たちが、訓練された弟子たちに代わり、この大事な時に主人公の役割を演ずるのは、なんとも頼もしい限りではないでしょうか。

神様は私たちのような小さい名も無い者をも、これという大事なときに、ご自分の栄光のために用いられることでしょう。タイトルに拘らず、小さな奉仕をも大事にしたいものです。

3.復活のメッセージ:

共感福音書(マタイ、マルコ、ルカ)は”よみがえられた”と一番大事な言葉がメッセージとなっている。マタイは「急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた』」と御使いは女性たちに告げています。マルコは「イエスはよみがってここにはおられない。

ごらんなさい。ここがお納めした場所である。」、ルカは「その方はここにはおられない。よみがえられたのだ。、、」と。ヨハネは「弟子たちは主を見て喜んだ。」と、よみがえられたイエス様を拝し、喜びに包まれたのです。今日、私たちに大切なメッセージは誰でも、福音を伝えなければならない緊急性なのではないでしょうか。

この福音の勝利と喜びを”急いで行って”伝えるべきである。このメッセージが弟子たちに語られず、敢えてガリラヤの女性たちに語られたのは、牧師、伝道師、宣教師だけに委ねられた復活のメッセージではなく、全ての信徒に委ねられたと考えるべきでしょう。

パウロは彼の遺言書と言われるテモテ第二の手紙で”御言葉を宣べ伝えなさい。ときが 良くてもわるくても、、、”(4章)。私たちは主を見て喜ぼう!
鳥瞰的に福音書を読むと、弟子達が小さく見え、ガリラヤの女性達がクローズアップされてくる。復活の喜びを”急いで行って、伝えたのが女性たちであった。私たちも急いで行って、隣の人に甦りのイエス様をお伝えしようではありませんか。

イースター、おめでとうございます!

前原利夫


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「神われらと共にいます。」 マタイの福音書1章23節

今号は、昨年病室で迎えたクリスマスの体験に証を織り込んでご紹介したいと思います。

1ヶ月以上も経って ” Merry Christmas” と挨拶しても白けてしまいます。しかし、クリスマスの本質は”インマニュエル”、”神われらと共にいます”ですから、本質的には毎日がクリスマスです。冒頭、理屈をこねて申し訳ありません。

クリスマス、25日の真夜中、12時をまわった頃、ベットの上で目が覚めた。病室の1日は長い、特に夜はもっと長く感じるものだ。目覚めは排出物の処理で、自然に目覚めるのはとても気持ちのいいものだ。ベットの足元にナースエイドが微笑みを浮かべるように立っている、”クリスマスの朝だよ”、と小さな声をかけてくれた。カーテンで仕切られた隣の人を配慮した声だ。あ〜、クリスマスの朝か。 即座に、野宿していたベツレヘムの羊飼いたちの姿を心の思うままに想像した。

寒かったであろうな〜、天使からキリスト誕生のみ告げを受けた時、羊飼い達のあの驚きの顔、顔、顔、何を捧げて礼拝しようと思ったのであろうか、等。彼等は何か貰えるかな〜と決して考えなかったであろう。キリスト誕生そのものが大きな贈り物なのだから。私は、神様からのプレゼントは何であろうか、と色々数え始めた。

6時半頃になると、ドヤドヤとナース達がバイタル・サイン vital sign(体温、脈、血糖値、血圧等)のチェック・アップで病室に入って来る。”Merry Christmas “, “Merry Christmas” と大きな声、廊下からもナースたちが、弾んだ声でクリスマスの挨拶だ。朝食がすみ、昼になっても病室は”Merry Christmas”の声で賑やかである。この病室にクリスマスが生きている、そんな感じの賑やかさであった。

最近は、メリークリスマスを放棄して、 ” Holiday Seasons”を挨拶代わりにしている人が多いが、これは世俗化の流れだ。クリスマス・カードに Merry Christmas とプリントしてあったら、買わないと一時非買運動があったのは最近のことだ。

私達は世俗化の流れに迎合してはならない(ローマ書12章2節)。クリスチャンの中にも Holiday Seasons でカードの交換を見るが、それは気が付かずにしていることであろうか。何しろ、世俗化は気が付かないうちに生活の中に忍び込んで来るものだ。

昨年暮の手術でクリスマスと元旦を病室で過ごすことになった。初めての体験だ。睦子とも、娘達や孫達との楽しいひと時も、退院してからと延期することになった。前日はクリスマス礼拝、そして祝会と兄弟姉妹達との一年に一度の楽しい交わりも来年に持ち越されることになった。しかし、神様は病室の中でも沢山の祝福、励ましを贈って下さった。

12月19日の術後、確か8日目であったと記憶しているが、ベットの上で着替えている時のことだった。自分の足を見て、ビックリ驚いた。いつもの両足のむくれが全くない。むくれのないきれいな足だ。2年半、このむくれの原因を数々の医者に問いただしてきたが、皆んな、まちまちの見解、また適切な治療法もなかった。2015年7月前の自分のオリジナルの足だ。これはクリスマスの大きなプレゼントに違いない。一際、感動ものだ。座り続けるとむくれるが、動き出すとなくなるので、やがてオリジナルに戻っていくであろうと希望が大きい。

三人であろうと言われる東方からの博士達は、キリストの誕生数年後に幼子キリストを探し当てて礼拝したのだ。羊飼い達も誕生の場所を探し当てるのに数日はかかったかもしれない。福音書は誕生したその日にキリストを礼拝したという明確な記事を残してない。それは、マリヤとヨセフの特権であった。

イエス様を信じる人には、毎日が Merry Christmas だ!

心から”クリスマスおめでとう”

前原利夫


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「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。」 ローマ人への手紙章4章17節

新年明けましておめでとうございます!昨年、2017年の教会のみ言葉はヨハネの福音書10書から「イエス様はよい羊飼い」でした。その通り、イエス様は私たちの教会にとってよい羊飼いとなられて、教会が守られ、多くの霊的な祝福を頂きました。

今年、2018年のみ言葉はローマ書4章から「死人を生かし、無から有を呼び出す神」を信じて前進したいと考えます。新年は教会にも、個人的にも神様の大いなる働き、その不思議な力を体験するように大胆に信じて歩み出しましょう。

1) 小さい神認識を脱せ:

日頃、私たちの神認識は私たちの生活の中にはめ込まれてしまい、信仰のダイナミックさに欠けているように感じます。祈り求めるにしても、その大きさ、広さは生活の域を出ない求め方ではありませんか。私達の生活の領域が狭く、浅く、小さなコミュニティー、ミクロの世界に住んでいると神認識もついつい小さいものとなるでしょう。

小さな村に住んでいる人と、グローバルを駆け回っている人との間には、物の考え方、見方、寄せて来る問題、それに対応する考え方も違うものです。小さい所に押し込まれていると、自然と神認識も生活の領域を破れず、信じる神様も小さな神様となってしまうのではないでしょうか。極端に言うと、”村の神様”、”世界の神様” と大きな開きが出てくると思います。

ヘブル書の5章に、乳を飲んでいる者は幼な子で、義の言葉を味わう事ができない、だから堅い食物を味わえと、と勧め、励ましがあります。み言葉の深みを体験するためには、難しい神学の学びも大切です。大きな神様を体験するためには体験した事のない大海原に漕ぎ出すベンチャーも必要です。

2) 先人たちの神認識:

聖書は奇跡の書です。聖書の中心テーマは神様ですから、奇跡の書であることは当然です。神様は私達の信仰の先輩たちを通して様々な奇跡を見させてくださいました。

それは、先輩たちの信仰の応答でもありました。イエス様は彼らの信仰を見て、中風の者に「子よ、あなたの罪はゆるされた。」と、彼らの信仰に応えられ、アブラハムは行き先を知らないで出て行く信仰に報われました。

旧約の先人たちの神認識は彼らの小さな世界に拘束されず、天地万物を創造された偉大な神の働きを直視しました。彼らは、日が暮れると、夜空を眺めながら、神の存在を宇宙の中に確かめ、神と一対一で語られました。

「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇19篇)。

神のみ手が先輩たちに臨み、神ご自身の大いなる働き、奇跡を示されたのです。 ヘブル書11章は先輩たちの偉大な信仰の紹介です。そのダイナミックな信仰は私達が聞いた事もない、神の奇跡によって力強く述べられているのです。

神の究極の力は無から有を創造するところに現れると思われます。無いものから有るものへの創造です、これは神だけの世界です。私達の高度技術の世界であっても、有るものから有るものを引き出すことに精一杯です。

しかし、信仰は神の世界に招き入れられるから無から有を創造する力を拝借することが出来ます。信仰の先輩たちはそれを実証しました。

3) 無から有を生む信仰:

一体、無から有を生む信仰とはどんな信仰でしょうか。分かり易く言えば”人間の手に不可能なことも可能と信じる”事です。非現実的な事でも、御手によって実現できる、と信じることです。

マルコの福音書10章で、イエス様は人には出来ないが、神には何でも出来る、と仰っています。ヨシュアは幾つもの奇跡を体験しました。

モーセと共に、エジブトで、紅海で、アラビヤの荒野で、ヨルダン川で、エリコで、そしてカナンの地で数々の神の業を見ました。無から有を引き出す神の奇跡です。「あなたの信じた通り、そのようになる」、とイエス様は仰いました。

新しい年、2018年、貴方の信仰が無から有を創造する主を信じ、ダイナミックな祈と共にスタートしましょう。大空を眺め、夜空を眺め、天地万物の主に、しっかり目をめて、歩み続けようではありませんか。

皆様お一人お一人の上に、創造主の豊かな祝福がありますようお祈り致します。

前原利夫


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「その名は平和の君ととなえられる!」イザヤ書9章6節

イザヤのメシヤ誕生の予言はおおよそ800年後にダビデの町ベツレヘムで成就します。イザヤ書6章はメシヤを「霊妙なる義士」「大能の神」「とこしえの父」そして「平和の君」として、その複数役割を予言します。

同書53章は苦難のメシヤを描き、打たれた傷により救いの道が開かれることを予言、マタイによる福音書1章はメシヤの誕生を歴史的に記録し、同27章でイザヤ書53章が成就、メシヤの十字架の苦難を述べます。こうして、メシヤの誕生を祝うこと二千年になります。

クリスマスを祝い、イザヤの預言である「平和の君」、キリストの平和について考えてみましょう。

1)義と平和:平和は争いがないところに存在し、争いのあるところは平和でありえません。しかし、必ずしも争いのない状態が平和であるとは言えません。平和は、義、正しさが支配するところにあり、義が支配するところには争いはないのです。

義は人間の定める義ではなく、神ご自身が定める絶対的な義、正しさでなければならない。人間の義は相対的で、国、時や場によって義の尺度が違うからです。神は唯一、唯一の義なのです。

詩篇85篇10、11節「いつくしみと、まこととは共に会い、義と平和とは互いに口づけし、まことは地からはえ、義は天から見下ろすでしょう。」。ダビデは義と平和とは互いに口づけすると教えます。義と平和は口づけするほとに近いもの同士です。

いや、一体とも言える。義が実践されるところに、平和を楽しみ、義が尊ばれるところに、平和が支配します。イザヤは来たるべきキリストを「霊妙なる義士」、「Wonderful counselor」とはっきりと、政治を司る君であると予言しています。

神の義は天から見下ろすように、平和の君によって制定されなければならない。そこに平和が生まれる。「もろもろの山と丘とは義によって民に平和を与えるように。」(詩篇72:3)。「そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りく、、、」とある通りです。(イザヤ9:7)

2)平和は十字架の業による:パウロはコロサイ人への手紙1章20節で「その十字架の血によって平和を作り、万物、すなわち。地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解せて下さったのである。」と語ります。

先ず、平和は神と人との和解、また人と人との和解がなければ作れない。エデンの園以来、神と人と、人と人との間には、和解しなければならない敵対、争い、罪が存在している。だから、先ずその罪が溶けて、赦されて和解の道が開かれるべきである、と説きます。

その道を備えたのが、グルゴタ丘の十字架のイエスの血です。平和は罪、悪の赦し合いがなければ決して作れません。人間と神との隔て、人と人との隔てが取り壊されなければならない。家庭内の隔たり、国家間の隔たり、民族間の隔たりの壁が取り壊されます。これらは、イエスの十字架を見上げて解決されます。「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、、、。」とある通り、平和の君は隔ての中垣を壊す作業をします。

3)神の子は平和を作る:イエス様は山上の教えで「平和をつくりだ出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」、と語られました。

多くの人たちが平和運動を口にして行進しますが、それは平和を作り出す運動でしょうか。真の平和愛好者は、平和を作る者でなければなりません。それは、神の義を噂守することから始まります。ピースメーカーは神の子と呼ばれると、イエス様はその責任の重大さを教えます。私たちは家庭で職場で、争いを静める役割を担っています。平和は御霊の実の一つでもある。

パウロは私たちの伝える福音は「平和の福音」であり、また私達が信じる神は「平和の神」であると彼の書簡で語ります。平和の福音を伝える者は自ら平和を作る者らしく、また、平和の神を信じる者は、私達は平和を作り出す使者、「平和の君」の子でありたいと願います。

イエス様の誕生。
おめでとう御座います!

前原利夫


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感謝祭コンサート  | 会堂購入、あれから10年を迎えました!

私達が一つになってこの会堂を購入して早いもので10年を迎えました。2007年11月の暮れにエスクローをクローズしたのが昨日のようです。この間の事を思い出しながら、主な出来事を振り帰ってみましょう。まず、この事を実現させて下さった神様に感謝致します。そして、お祈りと献金して下さったお一人お一人にお礼申し上げます。

1)ホテルから会堂へ:

1994年9月、GVICはホテルでスタートしました。ホテルの一階の部屋をレントしての礼拝でしたが、だんだんとレントも高く、またサンディースクールの子供達の集る場所、週中の祈祷会の集う場所がありませんでした。

勿論、レントはありますが、そのような余裕はありません。やがて、 Chosen People’sの会堂をレントするように導かれ、落ち着きました。暫くして、その教会の土地は不動産投資家に売却されて、私達は仕方なく移転先を探すことになりました。

移転の約束の日が近づいても行き先が決まらず、もう一度ホテルに戻ることを検討していました。その困った状況を知ったO氏が会社の倉庫の一部を使って良いと、好意を寄せて下さって移ってきたのが今の場所でした。しかし会社の急成長でスペースが必要となり、移転を余儀なくされました。

暫くして、続く会社の急成長で、この建物が手狭となり売却することになりました。神様は不思議な方法で私達が購入することができるようにして下さいました。O氏からも大きなサポートを頂きました。感謝!

2)$1,300,000の購入資金:

建物を購入する機会を得たものの、資金が問題です。教会、皆んなで祈りました。まさに、6ヶ月奇跡の祈りでした。奇跡の資金が次から次へと集まり購入の目安が立ちました。そのあらましを追ってみます:
*教会全体の財源は購入前おおよそ$150,000の手持ち、ファンドレイジングで4人の方が各$10,000を献金、 総計$200,000以上の献金となりました。

*O氏が$200,000の融資を提供し、後日、献金として相殺、*日本のK氏から10,000,000円 ($85,000)、*X氏が$500,000、*そしてハワイの財団から$350,000 を7年ローンで組みました。こうして、神様は奇跡の資金を短期に備えて下さいました。因みに同財団からのローンは2年前にCalifornia Trust Bankから融資を受けて完済、現在$195,000のバランスが残るのみとなりました。感謝!

3)捧げる証:

会堂購入のチャレンジを顧みながら、ある方は次のような証をして下さいました。「現金があるから捧げたのではない、ローンを組んでの献金でした。

これは財産を失いかねない大きなチャレンジであったが、主はこの事を通して、多くの人たちと新会堂を共有し喜ぶことができた。また、この会堂は次世代の福音の拠点としてこの地域で長い宣教活動ができる。マルコの福音書に石膏の壺を割ってナルドの香油をイエス様の頭に注いだとあります。

また、ヨハネの福音書では、ナルドの香油の芳香が家中にただよったとあります。宝物の壺は割らなければ価値がないし、割ってはじめてナルドの香油が家一杯麗しい匂いを放つものです。この香はナルドの香油よりも芳しい、キリストの香りではなかったか」と証をしました。
そうです、教会の一人一人の真剣な祈りと捧げ物があれば、今回のフアンド・レイジングも目標を達成することができます。

イエス様のお言葉:「また彼らに言われた、『 聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。』」マルコ4:24

前原利夫



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「エリシャは彼に『弓と矢を取りなさい』と言ったので・・・」    列王記下13章15節

列王記下13章の記録によると預言者エリシャは死ぬ病気にかかっていた。そのエリシャを見舞いに参上したのが北イスラエルの王ヨアシ(BC 801-786)である。王は涙を流して最期のお別れに、こう叫ぶ「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と。その臨終の枕元で王に応えたのが冒頭の言葉「矢と弓を取りなさい」である。エリシャは命が尽き果てる最後の最後まで国を守る事を心配し、死の床から最後の予言を王に託すのである。

1)エリシャの余力:

ヨアシの父エホアハズは北イスラエル王国を17年治めたが、彼の時代はスリヤに軍事的に悩まされ、王ハザエルの手に支配されていた。エリシャはこの敗北の辛酸をなめたのである。自分の死後、スリヤの支配から開放される事を願ったエリシャの予言は、王ヨアシが弓を取り、戦いに勝利することである。エリシャは「それをもって地を射なさい」と命じたので、王は3度射てやめた。

エリシャは怒り「あなたは5度も6度も射るべきであった」と言う。エリシャの予言通り、ヨアシはスリヤを3度うち破り父エホアハズがスリヤに奪われた戦利品を取り返した。5、6度地を射ていたら、他に多くの勝利を得ていたであろうに・・。

臨終の中でも国を思うエリシャの心は、私たちに「余力を残すな」の生き方を教えましょう。こと引退を早々と成し遂げ、余生を楽しもうと考えるのは世の常、一つの目的を成し遂げると余力が出来、一休みしたいものです。しかし、信仰の先輩たちは余力を惜しんで残す事なく、いや、余力が尽きるほどに最後まで神に仕え働いたのである。

2)パウロの余力:

パウロは身体が自由な身である限り国境無きがごとく国々を飛び回った。福音を語らないことはわざわいであるパウロの活動は凄まじい。パウロの宣教活動を妨げた様々な苦難を見ると彼には人生の余力などあるはずがない。燃え尽きたであろう(第二コリント11章参照):投獄、死に直面、8回の鞭打ち、石打、難船、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難、不眠、飢えかわき、寒さ、裸、そして諸教会の心配、等。

このような肉体的な拷問、更に教会を心配する精神的苦痛に余力などがあるはずがない。パウロはスーパーマンです。更に、獄屋に閉じ込められたパウロは、獄中書簡を残し、肉体の拘束があってもなくても、限界ギリギリ働き続けた。

3)イエス様の余力:

パウロが宣教活動で飛び回れば、イエス様は罪の赦しの福音を伝えるのに余力を残さずに働かられた。イエス様は十字架にかけられる前の晩、拷問を受けます。翌日は十字架の上で一人の強盗を天国に迎え、そして「父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」(ルカ23章参照)と、福音の赦しを最期息がつき果てるまで語られた。

4)私達の余力:

私たちもエリシャのように最後まで 弓を取り地を射ることができるでしょうか。最近、癌を患っている主にある友からのメイルに、”わたしも最後まで弓を射る”と力強い言葉がありました。私達は余力を残して、この地上を去ろうとしているのでしょうか。貴方の知恵、知識、エネルギー、タラント、財政に余力がありませんか。天に積む宝は地上に残す余力よりも永遠です。
 
弓と矢を取りなさい! 信仰の先輩たちに倣い、最後まで余力を惜しまずに使命を貫こうではありませんか。  

前原利夫


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ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A. Tel.(310) 527-6112
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ヨナ書は4章からなる短編でそのメッセージは白と黒のように明白です。神はニネベの民の魂を救うために預言者ヨナをニネベに遣わします。ヨナはその使命から逃れよと企てます。古代ニネベはティグリス川を北上した地点にあり、昔20万人の人口を抱えた時代もある大きな町でありました。

神がヨナを送られた時は12万人の異邦の国であった。ヨナは神の命令に背き、ニネベを避けて”渡りに船”タルシシ(スペイン)に逃亡した。ヨナは神の遍在を忘れたのか、神が海の中、船の中、いや魚のお腹の中までも探し出すことはないと判断したのでしょうか。しかし、大きな魚に吐き出され、神の使命を帯びて目的地に向かいました。

1.神のメッセージ:

ヨナへの神のメッセージは明白で、それは「40日を経たらニネベは滅びる」。ヨナは民へこの警告を告げる事を躊躇した。ニネベの町を巡るのに3日路を要したがヨナは一日路だけ町を回り警告し、途中でやめました。

それは、ニネベの人達が悔い改めて神に立ち返ったからでした。そこで神はニネベを滅ぼさず救済しました。神の本心は警告を通して、彼らを救う事である事をヨナは重々知っていたであろうに。彼は神が計画を変更したことに憤慨しました。それは神からの使命に中座し、12万人の救いをないがしろにしたヨナには不愉快であったのです。

2.神の実物教育:

神はこの憤慨するヨナに魂の救いこそ重大問題であることを実物教育でお見せになります。ヨナはニネベの人達が気になり、彼らが或いは神が何をなさろうとしておられるか見極めようと町のはずれに退き小屋を建てた。暑い夏であったのでしょう。

神はその暑さを防ごうととうごまをエアコン代わりに彼の頭上に作られました。しかし、神様は翌日暑さのなかでこのとうごまを枯らされた。ヨナは再びこの神のなさることに苦言「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」と。

ヨナは枯れたとうごまのために嘆き、暑さのためには嘆いても、12万人の救いのために嘆かず中途半端に使命を果たさなかった、主はヨナの苦言にこう応えられる「、、、あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまさえ、惜しんでいる。ましてわたしは12万あまりの、右左わきまえない人々と、、、ニネベを、惜しまないでいられようか。」

3.神の懲らしめ:

私が入院していたある日、看護婦に苦情を叩き、その晩口の中で何度も同じ苦情を繰り返していた不愉快なその夜、前歯のクラウンが舌の上にコロリと転がり落ちてきた。そのタイミングは私への神の警告として受け止めざるを得ませんでした。そのいきさつは、入院する時にどのようなクスリを摂っているか窓口で調べます。そこで、リストを出しました。それには薬の種類、何時にどのクスリを摂るか書いてあります。ナースはそれに従って朝、昼、夜と食事と一緒に配ります。

ところが、幾つかの薬の時間帯がまちまちで、ある薬は変更になっている。そこが、看護婦への苦情の始まりだ。再三、オリジナルに戻せと言っても戻らないい、夜摂るべき薬が元に戻るまではその薬は摂らないと拒絶しました。

ところが看護婦は他の4、5種類の薬をみんな引き下げてしまったのだ。そん日は朝と昼のクスリを摂らないでいた。それで、あの看護婦に不平を漏らし、夜まで文句をたれていた次第。神は私の口を塞ごうと前歯に触れて”Shut up”と言われたのです。この問題の歯は以前から少し動いてはいたが、どうして入院中のその時、口を開いて苦情を並べている時に・・。神の介入でした。

どのような高価な歯でもあの看護婦の魂ほど高価なものはないのだ。歯の治療費も$2750とびっくりだ。神は私の苦情を厳しく戒められました。その時、ベッドの上で、悔い改め、平安の中に深い眠りについていました。

「また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使い」に滅ぼされた。」 第一コリント10章10節
                     
前原利夫


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8月のこの欄の原稿は6月に既に書き終わっていましたが、主の導きであろうか7月19日の祈祷会で起こった別の事をシェヤーするように導かれています。世話人会と当夜参加した8人にはこのことを既にメイルでお知らせし、また皆さんからの反応もメイルで受け取っています。

1. クリスチャンのホームレス:

とあるホームレス(以下MMと称す)が教会のパーキングで寝ていました。日本人女性です。寒いと言うので祈祷会ですが、どうぞと中にと案内しました。中に入るとすぐ、彼女はピアノに向かい”Amazing Grace”  を弾き、彼女の伴奏に合わせ歌いました。その時、MMさんはクリスチャンかな〜と思いました。

その後、聖歌402「丘に立てるあらけずりの」のリクエストが上がると、楽譜なしに弾き始めました(期せずして今月の賛美の紹介です)。そこで、MMさんはクリスチャンだと確信しました。クリスチャンでない人がこの歌を弾けるはずがないからです。

祈祷会の後に自分はクリスチャンだと話してくれました。彼女は集会中は牧師室で休み、集会後に家庭内暴力で追い出され、仕事のことや教会のことなどを30分ほど話しました(紙面の関係で多くを割愛します)。

2.神様が投げた小石:

私達はMMさんにどう対応すべきか、世話人会に図り、教会のポリシーに従ってシェルターを紹介すべきか、しかしそのような時間の余裕はありません。今彼女が必要なのは今晩の宿泊です(夕食済)。私はこの方を教会のミニストリーとして取り扱うべきと確信した、それは1)主にある姉妹である、2)特に問題のあるホームレスではない(後で間違いであることを知る)、3)回復後教会に仕える等。私はとりあえず近くのホテルを3日予約し、その晩はホテルで泊めることにしました。

そして、近くの安いレントを探し、教会を通して心身ともに回復が出来るように、と提案しました。冒頭のイエス様の言葉の前半に「、、、わたしの弟子であるという名のゆえに」とあります。ところが、翌日夜、ホテルから苦情の電話があり”周囲の人々に大きな迷惑をかけている、MMさんをすぐ引き取るように”と。初対面は優しいが、段々と大声を出したり、恐ろしくなります、との苦情でした。

3.  波紋に乗った愛:

私はこの出来事は神様が小さな池に小石を投げて、その波紋、反応を見るためであろう、決して偶然ではないと考えました。そして、MMさんの事を世話人、祈祷会に出席した皆さんにメイルし、皆んなが読めるようにCCにしました。皆さんから返事が来ました。

しかし、ある人達はCCせずに、私にだけにメイルを下さいました。CCなしのこれらの三通のメイルが印象的です:その中に 1) MMさんのことを心配して、以前の勤め先にコンタクトし、彼女がどんな人であったかと、問い合わせた内容でした。MMさんに対しての真剣さがわかります、2)シェルターを案内するのは簡単だが、教会で助けようと、愛の励まし、3)3つ目はホームレス一般に疑問を投げかけながらも、まとまった献金をホームレス基金に捧げる、とのEメールでした。

神様が投げた小石にこの様な愛の波紋が起こされたのです。ある姉妹の電話は”私達の顔が見えたね”。そうです、皆様の愛の顔が数時間付き合ったホームレスの姉妹に反映したのです。私たちの教会は健全です!

4. 冷たい水一杯の愛:

金曜日、21日、ケヤーギバーに早く来てもらい、10時前にホテルに迎えに行きましたが、MMさんは部屋から出て見つかりません。折角、シェルターにはベッドが一台空きがあるのに。先着順ですから空きがなくなるかもしれない。リハビリを終わり、その帰りにホテルに立ち寄ろうとすると、ホテルからMMさんがいるよ、すぐ来て下さいとの電話。車を停め先のシェルターの空きを確認すると、もうありません。

ダウンタウンのUnion Rescueまで行こうとホテルに向おうとすると、ホテルからの電話”あの人は誰かと出て行った”、と。私たちは着替えを買うお店を調べ、またみつわの電話レンタルのお店から電話を届ける準備をしていました。残念でした。せめてシェルターに届けようと思いましたが、私たちの思いや手の届かないこととなりましたが、彼女の安全を主のみ手に委ねるしかありません。

私は皆さんへの最後のEメールに今回の出来事を次のように纏とめました;

『神様が小さな池に小石を投げました。 小さな波紋がそれぞれの愛を運んで来ました。
愛は色々な形で波紋に乗りながら、隣の波紋と重なり大きな波紋となりました。』

前原利夫


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