「なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着るからである。」第一コリント15:53

人々はイエスが死から復活された事を信じる事が出来ません。死から甦ることは不可能と考えるのですね。自然の営みは 、枯れて死んでいく草木も春になると勢いよく土を破り、弾けるように芽を吹き出します。

1)「不合理なるゆえに我信ず」:

教父テルトリアヌスは(160ー220?)はキリストの教えの集合体を”新約聖書”と最初に名付けた教父だそうです。彼は 「不合理なるゆえに我信ず。神の子が誕生した。

それは恥ずべきことのゆえに、恥としない。神の子が死んだ。そして葬られ復活した。それは愚かなることのゆえに全く信ずべきことなり。それは不可能であるがゆえに確かなことである。」 と、言われた。

信仰には不可解な点がなければ信じるに値しないというのです。不合理、不条理、不可解があって信仰の対象になるというわけですね。

2)エジソン博士の復活信仰:

トーマスエジソンが英国のある新聞社から”来世”について意見を求められました、その時にエジソンはこう答えています:「死後における生命の継続は、私のかわいい信仰です。

この信仰は、単に私の心の要求ではない。私の来世信仰を迷信であるかのように証明しようとしてくれる人を、ありがたいと思いません。」と記者へ返事したそうです。

エジソン博士はイエス様の甦り、復活、そして、死後の後に新しい世界がある事を信じていたのです。あの様な偉大な科学者が、人間理性の限界を知り、愚かに見えるキリストの十字架の救いと、復活をしっかりと信じていたのです。

「十字架の言は、滅びゆく者には愚かであるが、救いにあずかるわたしたちには、神の力である。」 (第1コリント1:18)

3)罪の赦しと義とせられる、十字架と復活:

ヨハネの福音書23:19は「すべてが終わった。」 と十字架上のイエス様は叫び、やがて息を引きとる寸前の祈りです。その意味は神の子の使命であった人類の罪の贖いがこの十字架上で完成したということです。

パウロは 「主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、甦へらされたのである。」と記録しています(ローマ書4:25)。十字架は罪の赦しであり、復活を信じるにことにより、全ての罪が赦され、正しい者、義とされるとは神の約束です。それは罪の死から希望に生きるという意味であります。

イエス様の復活は死の刺を捥ぎ取り、死に勝利したというだけではありません。それはアブラハムが信じて義とされたという、神の義認の裏付けでもありましょう。十字架の死は罪の赦し、復活は信仰の義認を証しします。十字架と復活は表裏一体、切り離す事はできません。

4)私達の永遠の希望、復活:

復活は私達の永遠の希望です。キリスト教の葬式と他の宗教の葬式との大きな違いは、前者は賛美に満たされて明るく、一方後者は暗く、悲しい雰囲気です。その違いは復活を信じるキリスト教とそれがない他の宗教の違いです。復活がなければ死は最後であり、その向こうには何も存在しません。復活は永遠の世界へと広がっていきます。

ですからクリスチャンの家族の死は一時的な地上のお別れであり、いつかまた再会できるという大きな希望のゆえに、自然、葬式が悲しみを乗り越えて希望に包まれるわけです。お葬式の式次第に’” In celebration of,,,,”とあるのは偶然ではありません。その人の死を悼むよりも、その人の生涯が祝い、やがて来る再会の希望を期待します。

イエス様はマルタに言われました;「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きる。」(ヨハネの福音書11:25)

Happy Easter!

前原利夫



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飛脚2月号で「プールサイドの錯覚」 と題して、錯覚、早とちりはよく聞かない、よく見ない、よく観察しない姿勢から発生すると経験を語りました。

よく聞く、よく見ることは言うまでもなく大切です。イエス様は神の国の譬え話を締め括る度に「聞く耳のある者は聞くがよい」「聞くことがらに注意しなさい」「どう聞くかに注意するがよい」と群衆の注意を喚起されました。それは警告とも考えられます。

1) 種蒔きの譬え:

 祈祷会でルカの福音書を毎週1章づつ学んでいます。李先生、織田先生、私がそれぞ担当してリードします。長い章は2、3週かかります。先月はルカの8章からあの有名な種蒔きの譬えを学びました。

この譬はマタイの13章、マルコの4章にも記録されています。なぜ、譬えで語られるかと弟子達が尋ねると、イエス様はあなた方には神の国の奥義が授けられているが、ほかの人達には譬えで語られると仰っいました。

譬えで語るとは隠されて理解できないという事ですね。マルコはイザヤ書6章を引用して、その背景を説明します;「彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない。」

2) 灯りは燭台の上に:

 そして、この種蒔きの話の直後に「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。」という意味の事が続いてる。
マルコとルカはそのように並置されている。しかし、マタイは同じ意味の聖句でも全く違う文脈の中にあります。

3) 神の国の奥義は解ける:

 ではなぜ、神の国の奥義は弟子達や他の一部の者達に授けられて、その他の人にはわからない譬えで語られているか、という疑問が湧きます。
元々、イエス様がこの地上に来られたのは神の国の奥義を語り、それがどんな形であれ、表現であれ、聞く人が分かるように語るべきではないですか。神の国の奥義は哲学用語や難しい法律用語で語られた訳ではありません。

寧ろ短い生活体験の中から教えておられる。灯りはますや寝台に隠して置くものではなく、燭台の上に置くべきものである。

そして隠されているものは現れ、秘密にされているものは明るみになると言われました。そこにポイントがあります。神の国の奥義も同じ様に明るみに出され、秘密から解かれて、全ての人に開示されなければなりません。

神の国の奥義は燭台の上に置かれて、見る人、聞く人がそれを理解し、受け入れる様にイエス様は福音、神の国の奥義を語っています。

しかし、中には語れど、解けど、神の国の奥義に頑固と目を閉ざし、耳を傾けてない人がいます。そういう人達にとっては神の国の奥義はますや寝台の下に閉じ込められた、理解できない福音である。神の国の奥義は良く聞くことによって、と寝台の下から燭台の上に移されていきます。

4) 文脈理解:

 ついでながら、私達は聖書の学びに大切な”文脈” の中で理解、解釈することを教えられます。マタイの13章には同じ種蒔きの話はありますが、灯りの話はそこにはなく、全く関係のない山上の垂訓の地の塩となれ、世の光となれという文脈の中にあります。その灯りは人々のよい証人となれと結ばている。

それは地の塩や世の光がそうである様に、証が目的となっています。また、イザヤ書14章はサタンの事を「明けの明星」と呼び、黙示録22章はイエス様を全く同じ名前で呼んでいます。同じ表現、同じ聖句であっても文脈の解釈は大事ですね。

こうしてみ言葉を真剣に学び、真剣に耳を傾けると聖書がわかりやすくなります。まず、信じる姿勢が大事です。疑う心が先行すると目が鱗でかすみ、神の国の奥義は心の中に入り切れず、外に立つています。ますや寝台の中に捨て置くことになりましょう。
神の言葉をよくよく聞きたいものです。

前原利夫



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「人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。」(ヤコブ1:19)

プールのリハビリは浮力がつき、治療に効果的です。ランド・リハビリ(地上)で持ち上げにくい脚、腕をプールの中では比較的楽に動かすことができます。深みに行けば行くほど、身体が軽く感じられ、浮力で動き回ることができます。

浮力効果は体重の確か60%です。水中歩行のように地上でも歩けたらな〜といつも思いつつ運動しています。プールでは1時間歩き回ります。私は4年近くサンペドロのYMCAのプールで自由にリハビルをしています。ある日、トーランスのYMCAのプールをトライすることになり、ケヤーギバーと偵察がてら覗くことにしました。プールはメイン・ロビーからガラス戸越しに見えて、2つの大きなプールと小さな2つのジャクジーがあります。清潔感があり気持ちがよい施設です。

さて、着替えてプールの中で歩き始めたり、両腕、両脚の運動を始めました。その日はご婦人たちのグループエクササイズがり、私は遠慮しつつプールの端っこを利用しました。そこに、1人の女性がエクササイズをしていましたが、かなりの重症の感じでした。自分より重症の患者を見ると、神様、この方をもあわれんで下さいと小さく祈りました。

プールに入り20分経ったでしょうか、プールサイドに車椅子に座っていた女性に気が付きました。その方が何やら私に微笑みかけたので、私は元気に歩き回っている私の姿を羨ましく思っていての事であろうと勝手に想像しました。

車椅子に拘束される厳しさは、その経験がある者しかわかりません。私はその微笑みに元気付けられてプールを勢い良く歩き続けました。 ところが、暫くして、その車椅子に誰も座っていません。

アレ!、と思いながら水中歩行を続けていると、先程、車椅子に座っていた女性が、隣のドアを開けて車椅子に向い歩き、座ったのであります。どうやら私しの早とちり、プールサイドの錯覚のようだ!この方はハンディキャップではなく、私の隣で歩いていた方のケヤーギバーであったのです。自分の早ガッテンというか、錯覚の判断に恥かしく思いました。あの微笑みを思い出しひとり苦笑しました。

イエス様がメッセージをした後に”よく、よく聞きなさい”と注意を惹かれました。私たちはよく聞き、よく見なければなりません。 即断は禁物です。「人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。」(ヤコブ1:19)と教えます。聞くに早くとは良く吟味し理解して人の話を判断することです。そのためには語ることを性急にしてはなりません。語ることはおそくてもいいのです。よく聞かず、性急な語りかけは、当然怒りを引き起こす原因になることでしょう。

私達は話が終わらないうちにチョッカイを入れたりコメントしたりする不用意な時があります。話が終わらないと、全体像が見えないし、話の途中でドンデン返しも起こります。何でも途中で判断すると、それなりの付けが回わり、友人関係、人間関係を著しく損なうものです。 即断は知恵のなさです。

再び、プールの話に戻りますが、プールでは頭だけ突き出して両脚、両手の運動をします。見えるのは頭だけですから男女の区別ができない時もあります。水面下その人が瘦せ型か肥満型か、長身か低いかすら判断がつきません。早ガッテンをする人とは水面上の頭だけ見て、見えない水面下の部分をまったく無視して、これが全体像だと判断する人です。

プールから上がって来ると、全く違う人と後でわかります。車椅子に座っていると、この人も歩けない身体障害者だと決めつけてしまいます。彼女はほんの一時、腰かけただけでした。それをこの人も障害者と決めつけてしまうのです。

聞くに早く、語るに遅くしないと、私みたいに即断の恥をかくことになります。像の話しにもあるように、像の全体像を見て判断することです。部分的な判断は禁物です。プールサイドの錯覚は避けなければならない、とあるリハビリの午後教えられたこの頃です。

前原利夫



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奉仕の業は自らを整える!エペソ人への手紙 「それは、聖徒たちをととのえて、奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、、、」

「エクレシア」「教会」:

このみ言葉の中に教会という言葉はありませんが、”キリストのからだ」 が同じ意味です。ギリシャ語の「エクレシア」という言葉は「集会」「呼び出された者たち」「教会」という意味です。私達はこの罪の世界から、イエスキリストの十字架の贖いの業によって、救い出され、呼び出された者です。教会で救いを受け、霊的に訓練を受けるばかりだけではなく、自ら奉仕に加わり、教会を強くする使命を帯びています。

1.奉仕の二つの意味、目的:

1)奉仕は自らをととのえる

「聖徒たちをととのえる」とあります。聖徒たち、saints は完全であるという印象ですが、ここの聖徒は完全ではありません。完全でなくてもパウロは聖徒と呼ぶのに遠慮しません。私たちも「聖徒」と呼ばれてもいいのです。整えられなければならない聖徒です。

奉仕に参加すると、霊的成長も早いです。筋肉を強くするために、身体を動かさなければなりません。私は手術後4年半、プールで水中歩行、また専門家のリハビリで訓練を受けているが、右脚の筋肉が中々強くなりません。運動量が十分でないからです。奉仕に参加しない人は、霊的筋肉が強くならず、霊的成長が遅いです。

奉仕を喜ぶと成長も早く、上を仰ぎ、信仰が整えられます。そして、神様に仕えるように、人に仕える事を学びます。多くの人達の中で働きますから、チームワークを学びつつ成長します。チームワークの良い奉仕は、働きに相乗効果が出て、教会全体を強くします。

2)私の奉仕は教会を強くする

奉仕は不完全な聖徒をよりよく磨き、成長させるとともに、キリストの教会を建て上げる役割をします。英語では”for the edifying of the body of Christ”とありますが、私たちの奉仕は教会を「教化」「教訓」して、教会があらゆる面で教えられ、訓練を受けてより完成された霊的教会に成長するように助けます。皆さんの孫や、子供さんが幼い時、「教化」されて、教えられて、知恵がつき、学び、大きく知恵のついた強い子して育ったことでしょう。教会も奉仕者によって教化されて強くなるのです。奉仕は信仰の実践です。そこで、奉仕を通して自らがより完成され神の器になります。そして、キリストのからだ、教会がよりよく成長し、霊的にも充実するようになります。個人の奉仕は教会全体を強く、奉仕の場のない教会は衰退します。

2. 奉仕の場:エペソ4:11

「そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。」 。これらは奉仕の一部です。
では、私はどんな奉仕をすればいいか。
自らが主の前に跪いて祈らなければなりません。
奉仕の場は沢山あります: 教え、助け、援助 し、共に祈り、ランチを作り、伝道し、礼拝にピックアップし、訪問、賛美の奉仕、清掃と数え切れないほどあります。まだ、奉仕の業に参加してない方は私か世話人にお聞き下さい。

3. 奉仕は恵みです:

パウロは奉仕に預かる事は恵みだと教えます。(第二コリント 8:4、5)
「聖徒たちへの奉仕に加わる恵みにあずかりたいと、、、、自分自身をまず神のみこころにしたがって、主にささげ、また、わたしたちにもささげたのである。」

奉仕に参加する事を「恵みにあづかる」と言っています。私達の奉仕は神様に繋がることです。それは貴方が参加する奉仕の働きの中に”イエスを見る”ことです。奉仕の中にイエス様を見ると、その奉仕が恵みになりましょう。ランチの準備の奉仕、掃除をする奉仕の中に、そこに、イエスの姿を見たいものです。

この新しい年、どうぞ、奉仕の業に参加しようではありませんか。そしてイエス様の姿を奉仕の中に見つけるなら、奉仕から奉仕に進む事でしょう。そうなりたい年です。

Happy New Year!

前原利夫


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クリスマスおめでとうございます!

多くの方が「嬰児福音」(Infant Gospel) の ストリーを読み、聞いていますが、その言葉、意味をあまり説かれてないと思います。この意味はキリストの幼児時に、誕生告知も含めて既に”人類への福音”が伝えられていることを指します。

嬰児福音はマタイの福音書では単独に記録されているが、ルカの福音書 にはバブテスマのヨハネの誕生告知が先行して、キリストの誕生告知が記録されています。私達には異邦人向けに書かれたルカの福音書が分かりやすいでしょう。

ついでに、 Infancy Gospel of Thomas (AD 200 年頃)という嬰児福音もあると聞きますが、12弟子の一人トマスが書いた嬰児福音にはイエスの少年時代の様々な奇跡が記録されているという。

例えば、少年イエスが水を溢させないで運んでいる奇跡等があるという。大変興味あるストリーですが、同書は聖典から外され、異端的として扱われているのでご注意下さい。

本題についてルカの福音書から考えてみましょう。

1)道備えの役割:

バプテスマのヨハネの生涯はメシヤが使命を完成するための道ならしをする役割でした。凸凹道をならし、メシヤが通りやすいように整えることであった。イザヤ書40章にその予言があり、そのように誕生しました。このことはメシヤの誕生が確かなものであるという立証にもなります。

もし、メシヤの先駆けがいなければ、メシヤの誕生は嘘ということになるからです。ルカの1:17には「彼はエリヤの霊と力とをもって、み前に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう。」 バプテスマのヨハネの神様からの務めが明確に父ザカリヤに語られます。

バプテスマのヨハネの生涯の務めはメシヤ・キリストに仕えることで、こう述べます;「彼は必ず栄え、わたしは衰える。」(ヨハネの3:30)

また、不妊であったエリサベツ、老夫婦であった彼等に男児誕生の告知があったのは、その後マリヤが処女であるにも拘らず、天使が聖霊によるメシヤ誕生の告知を受け入れやすいように前もって心の準備をなされたのであろう。

2)神の介入:

バプテスマのヨハネの誕生、またメシヤ誕生の告知が天使のみ告であった事は、この事が旧約聖書の予言の成就であったという証拠にもなり、また、神様の直接的介入であります。

もしや、神の直的な介入がなく、誰か人間の業であったならば、この記録の真実性に大いに問題があったことでしょう。この出来事は嬰児福音は神の人類救済のご計画の福音です。

3)嬰児福音:

福音は神の独り子、メシヤから頂くものです。そこで、ルカはバプテスマのヨハネの誕生を並置しながらも、彼がメシヤではなく人間の一人であるとメシヤの誕生とはっきりと区別している。

彼はゼカリヤにより肉の母から生まれた人間であり、メシヤは聖霊によって生まれた超自然的な誕生であるとしている。 また、バプテスマのヨハネは上記の1:17に記録されているように、エリヤの霊と力を備えた人間であるとしている。これは大事な違う点です。

お二人が成長し、それぞれが使命を果たされたとき、民の中にはどつちがメシヤかと区別がつかない時があったからです。ルカは1:32「彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、ととなえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、、、」とあります。

イエス様は神の子、ダビデの王座の権威を保たれるメシヤです。バプテスマのヨハネはメシヤに仕える聖なる僕です。

私たちもバプテスマのヨハネのようにイエス様に仕える者となるように訓練しようではありませんか。私達が栄光を受けるのではなく、全ての栄光をイエス様に向けるのです。

スポットライトを受けられるのはイエス様です。これぞ、ご降誕を祝う本当のクリスマスではありませんか。

前原利夫


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「わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。」 詩篇103:2

数年前に、私達はボストンから40 マイルほど南東に下り、Plymouth、プリマスという町の見学に行きました。そこは歴史がそのまま残された町で、新しい建物や開発のない昔ながらの佇まいのある町でした。道路は狭く、建物も小さく、昔ながらの水車小屋もありました。この場所は大西洋に面した町で、海と隣り合わせの冬は寒い町です。町の中には湖( Jenny Pond)があり、そこから小川が町の中を東の方に海に流れ込んでいる。水道設備のない時代、豊富な給水源である。

この町は1620年に、ヨーロッパから宗教の自由を求めて新大陸アメリカに渡った清教徒達が建てた町です。有名なメイフラワー号でアメリカ大陸に渡った2番目の清教徒達だ。プリマスの小さな町を歩き回りながら、この町で住む清教徒達が開拓のために戦い、冬は厳冬と戦いながら、神様を信じ、貧困の中にも感謝を忘れなかった。神様はこのような清教徒の信仰を祝福し、ここから新大陸が西へ西へと開発され、プリマスの町をアメリカの祝福の原点とされたのではなかろうか、と思わされるような歴史の町です。

11月と言えば、全米が祝う感謝祭、その原点はプリマスの町といわれる。遠くに住む家族達が一つに集まり、食卓を囲みながら、一年の祝福を神に感謝する。昨年、私達は娘達も6人の孫達も、それぞれが自分達が一番感謝したいものを一言ずつシェヤーしました。今年もそのような感謝祭でありたい。皆さんはどのように感謝祭をお迎えになりますか。

今年、神様は私達の教会にも沢山の祝福を下さいました。その祝福を数えてみましょう(順不同):

1)魂の祝福:

今年2年振りに洗礼者が興された事は大きな祝福でした。数にして一人の魂ですが、御使たちの喜びは救われている99人の魂よりも大きな喜びです。人間の救いは天上的な感激です。思い出して下さい、貴方が、私がイエス様を受け入れたとき、その時、天上でも御使たちが喜びの祝宴を開いたのです。9月に受洗された姉妹は、GVICに導かれて浅く、数ヶ月後の決心でした。

これまでは教会生活の経験もなく、聖書の理解もこれからで、ただ友人達との交わりの中で育まれた霊的覚醒の始まりでした。この事は、教会外での信仰の交わりが大事であることを教えられます。時には、躓きの原因にもなりますが、この姉妹にとっては良い機会、またタイミング良く、GVICへと導かれました。

創立25周年記念を祝う9月8日、その翌週、GVIC 50人目の受洗者でした。ハレルヤ!

2)前原家、新しい家族の参加:

私達前原家にとつて、今年、大きな祝福は娘達や孫達が礼拝を大事にし出したことです。一人の娘とその娘、孫は定期的に礼拝を守っていましたが、後の二人の娘、5人の孫達の日曜日はスポーツの日でした。二人の孫はニュヨークと北加の大学ですが、近くに住んでいる娘、孫達とはほとんで毎日曜日教会で会う、という恵みが与えられています。家族が教会で一同会する喜びに勝るものはありません。 更に今年は多くの新しいお友達をお送り下さり、その中には35年以来の古い友人夫婦もいる。教会が量的に増える恵み、また奉仕者が備えられた事は感謝です。

3)キム家の開拓伝道の準備:

2月末をもってGVICを辞められたキム家がGVICから離れられたのは寂しいものでした。しかし、それは開拓伝道という祈りがあり希望がある決断でした。GVICの第二教会が実現する働きです。2020年の1月から開拓が始まる予定ですが、キム師の健康次第でしょう。同師の健康が祝福され、明子姉の学びと訓練が進められて、厳しい開拓に対応できなければなりません。 また、同家の計画に沿って、私達はEMの担当者を祈り出しましたが、主は私達の必要を知り、予め備えていて下さいました。タカヨシ・セイゴ師を遣わされ、3月から奉仕をして下さいました。ハレルヤ!

4)若者のために祈る:

教会の構成は高齢者のグループが多く、教会の活性化に若者伝道が叫ばれてきました。今年、8月から12月までの第4週礼拝を若者のために聖別し、プログラムを見直しました。祈のグループを作り、祈りを集中しています。若者が来ることを期待し、祈り続けましょう。賛美チーム、聖歌隊の皆様のさらなるご努力を感謝致します。

5)創立25周年記念礼拝・コンサート:

昨年から9月の第二日曜日をGVIC創立記念日として感謝し、感謝献金は会堂購入の資金の減債に充当することを 決めました。1994年9月11日、GVICはトーランスのホテルの部屋で最初の礼拝を捧げ、今日まで主の守りと祝福の中を歩んで参りました。イエス様の恵みが先導した25年でした。ハレルヤ!

こうして、主の恵みを数えてみますと、まだまだ沢山の恵みがご紹介できないほどあります。どうか、迎える感謝祭が貴方の祝福をひとつづつ数え、首を垂れて、主に感謝するシーズンとなりますようお祈り致します。
                                       
 Happy Thanksgiving to You, All!

前原利夫


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・・罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前で喜びがあるであろう。ルカ福音書15:10

ルカ福音書の15章は神の素晴らしい救いのイラストです。有名な失われた一匹の羊の発見、失われた銀貨1枚の発見、そしてあの放蕩息子が我が家に戻る、その彼を抱きしめる父親の愛、何とも表現し難い神の赦し、回復、そして失われていた彼らを迎える御使たちの天上の大喜びの歌がこの地上までも響き渡るようである。かつて神から離れていた者が、神の腕に抱かれる瞬間は感動的で麗しい。この地上にこのような喜びはない。

私達は9月8日、創立25周年記念を礼拝と賛美で祝いましたが、天上の御使たちが喜んで下さったでしょうか。いいえ、失われた魂が救われることを喜ぶ、天上の喜びに勝るものはありません。私達の喜びは地上的であり、御使達の喜びは永遠的である。

おめでとう!Potts・敏子さん:

9月15日、私達は創立25周年記念の喜びに勝る天上的なお祝いを体験しました。それは、失われていた一人の魂が、主の元に見出され、神の愛の腕の中に永遠に失せない救いを頂いたからです。 Potts 敏子さん、おめでとうございます。天上の御使たちのお祝とは比較になりませんが、教会一同、心からお祝い申し上げます。イエス様、十字架の贖い、救いを感謝致します。信仰の完成者であられるイエス様を仰いで、成長し、お互いに励まし歩みましょう。

預言者ホセアの恵みの言葉:

ホセア(BC740年頃)は預言者イザヤと同じ頃の預言者です。彼は予言する;
「あなたがたは自分のために正義をまき、 いつくしみの実を刈り取り、あなたがたの新田を耕せ。 今は主を求むべき時である。主は来て救いを雨のように、あなたがたに降りそそがれる。」(ホセア10:12)

私達が正義の種を蒔けば、その実は慈しみ、愛を収穫する。私達が畑を耕せば、主が雨を注ぎ、収穫を約束して下さる。霊的な祝福も然りである。魂を深く耕し、み言葉を蒔けば、神様が働いて下さる。だから、今、主を求めなさい。主は救いを雨のように、全地が乾くことのないように、溢れるほどに救いを求めるものに与えて下さる。教会の一人一人、特にまだイエス様の懐にいない兄弟姉妹達よ、今、主が雨を降らせようとしている事を知って頂きたい。貴方の新田を耕して下さい。

信仰告白は聖霊様の導き:

Potts 敏子さんはホセアの祝福の言葉を頂いた一人です。GVICに来られてまだ5、6ヶ月です。これまで教会生活の体験もなく、友人達に誘われながら家庭集会で聖書やイエス様について知識を得るようになった。彼らに感謝。周囲から、信仰告白を促されたようですが、ご本人は抵抗を感じたようです。信仰告白は聖霊様の導きがなければ出来ないことです。人間の業ではありません。「、、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主であると言うことができない。」とある通りです。(第1コリント12:3)。同姉は主を心から求められたのです。救いが恵みの雨のように注がれました。

今は恵みの時、救いの日:

今回の洗礼式は、教会にとっては2年ぶりです。この救いの雨なき長い 日照りは、理由が何であれ、牧師にとって寂しいものです。その間、洗礼を希望される方がいましたが、私が元気になり、回復してからと祈り待っておられます。その方々の上には既に恵みの雨が注がれ、後は聖霊様の導きでイエス様を我が主と告白する時を待つのみです。

「神はこう言われる、『わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救いの日にあなたを助けた。』、見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である。」
(第2コリント6:2)

前原利夫


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私達は毎年9月第二礼拝をGVIC創立記念日、Founder’s Day として祝います。今年は9月8日に当たり、25周年になります。既報のように、記念礼拝の後に、感謝コンサートを開きます。創立記念日は神様の祝福に感謝し、誉めたたえます。また、ファンドレイジングのキックオフを致します。ファンドレイジングは銀行ローンの減債が目的です。1日も早く負債を完済し、更に健全な教会財政を目論みます。

さて、25年を振り返り、神様はこの間、どのように牧会をさせて下さったか限られた紙面で幾つかシェヤーさせて頂きます(順不同)。

1)毎週の礼拝を守り抜く:

私達の教会は1994年9月11日以来今日まで一回たりとも礼拝を休んだことはありません。ヤドカリのように点々と会場を変えた教会にとっては、これは主の働きです。ホテルの時、朝礼拝に行くと、予約してお金を払ったはずの部屋に入れない時も何度もありました、そして、適当な部屋がないので200、300人入る様な大きな部屋で、15、20人の礼拝を捧げました。ガランとして雰囲気のいいものではありませんでした。ある時は、部屋が一つもないという事で門前払でした。

礼拝をせずに帰るわけにはいきません。ホテルから音楽機材を聖書を担いで道を渡り、私の事務所まで行き、1時間以上遅れて礼拝を捧げました。ある時は、拙宅で礼拝を持つこともありましたね。今年の創立記念日は1304回目の礼拝を主に捧げます!「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互いに励まし、 かの日が近いているのを見て、ますます、そうしようではないか。」ヘブル書10:25

2)み言葉を語り続ける:

礼拝の中心はみ言葉を語る事、それはイエス様の公生涯を見るとわかります。公生涯の多くは福音を語る、み言葉を語る事に多くの時間をかけています。人の魂を救うのは福音によるからです。イエス様の福音を語る事なしに、教会の存在も使命もありません.「人はパンでけで生きるものではなく、神の口からでる一つ一つの言で生きるものである。」と申命記の言葉を引用されました。

この言葉は旧約、新約聖書を通して霊的な糧であるという不変の真理です。またサタンを撃退した強力な霊的な武器である証拠です。GVICが魂を救う神の機関であり、サタンの攻撃から守られるためには、神の口から出る一つ一つの言葉が毎週、毎日語られなければなりません。無駄口は不要です。「あなたのみ言葉はいかにわがあごに甘いことでしょう。密にまさってわが口に甘いのです。」詩篇 119:103

3)祈りとおす、目的に向かい:

神様が教えられたもう一つの事は祈る事です。どんな時にも祈る事が大事です。しかし祈りには”向き” ”方向” がなければなりません。神様は方向性のある祈りを教えて下さいました。

危機の時、四方八方塞がっている環境の時に、何でもかんでも無意味に祈らずに、いつも向きのある祈りが大事です。GVICが立ち上がる1994年は前原家にはタイミングがとても悪い時でした。まず、経済の問題、ビジネスが最悪、負債を丸々抱えた時でした。この事は、人の援助、献金に頼らない開拓伝道にとっては厳しいものでした。

大学に行く娘を抱えての苦労のドマン中でした。数年続きました。そのような時、人は自分の使命を忘れて、環境に押し流されやすいものです。ある朝のこと、祈りの中で、神様は”お前の使命は何だ”と仰る、問いかけの中に私は祈りの向き、方向を再び捉えて、励まされました。”それはサウスベイで日本人教会を開拓すること”でした。これは、私の25年の牧会生活の中で一番著しい祈りでありました。「絶えず祈りなさい」 テサロニケ第一5:17

4)献金を捧げとおす:

開拓伝道は自分の信仰と財政の主へのコミットメントです。教会開拓当時、財政が満たされるという保証はありません。ホテルの一室のレントは高く、礼拝に10人集まっても30人集まってもレントは同じです。月1、2度はゲストを迎えました。月々発生する諸費用はビジネスで吸収しても、懐ろは同じです。1994年の我が家の経済は大きな試練の中でした。

しかし、一旦、主の前に誓いを立てたら、ビジネスが悪くても、借金でも、逆境に遭っても、主からのテストとして受け止め、目的に向い進むしかありません。主はそれを喜ばれ、祝福して下さいました。「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。」 マルコ4:24

5)教友が力を合わせた:

神様は教会の働きは一人の働きはではなく全体の参加によって進む働きである事を最初から教えて下さいました。人材が揃ってスタートした開拓ではなかったが、神様は要所要所、適時に人材を遣わして下さいました。特に、私は経験のない伝道、牧会に携わる中、多くのアドバイスを必要としました。辻本先生ご夫妻には開拓期からメンターとして多くの励ましを頂きました。

織田先生がミシガン州からLAに移動され、今日まで13年賛美を指導して下さっています。英語部の設立に当たり、キム先生・明子ご夫妻が与えられ、お二人とも開拓伝道を志し、準備中です。数年前李先生ご夫妻、今年はタカヨシ先生が遣わされ、祝福を頂いています。勿論、信徒の皆様の一人一人が祈り、捧げて力を合わせて下さらなければ、今日のGVICは存在しません。真に感謝、感謝で一杯です。

最後に、この25年、主が教え、導かれた事は、聖霊様が初代教会に教えられた事と同じであることに途中で気がつきました。初代教会は 1)使徒たちの教えを教え、2)信仰の交わり、3)祈り、4)パンをさく、ことが教会の使命でした。使徒行伝2:42。

神様、この25年、ありがとう御座いました!

前原利夫


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「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ、、、」 伝道の書12:1

 

若者向け礼拝プログラムの工夫

私達の教会の急務は若者向けの具体的な伝道です。”出て行く” アウトリーチという大切な伝道の原則がありますが、先ず、礼拝プログラムから見直して、彼らのために祈り、共に力を合わせて働こうと今立ち上が らなければなりません。

先日、織田先生が若者向けの礼拝プログラムを世話人会にプロポーズし、世話人会はそれを検討、下記のように実行することにしました。まだ、検討中の点もありますが、聖霊様の導きを信じ実行致します。若者向けの礼拝プログラムの骨子をシェヤー致します。

み言葉:「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ、、、」とありますように、神様を早く知れば知るほど良いこととはクリスチャンの共通した意見です。

天地創造の神様を知り、自らの人生の目的を定め、神のお助けを頂いて人生の目標に向かって歩むことができるからです。勿論、それ以上に魂の救いという最も大切な課題を若い時に解決する事ができるからです。まだ、神様を知らない人には、1日も早く、特に若い方々にお勧め致します。私達の教会はそのために共に働きます。

 

礼拝プログラムの骨子

 

1)若者用プログラムの内容:

プログラムは音楽とメッセージを中心として進められます。音楽、賛美も多少アップテンポ、時にはロック調の賛美もありましょう。これまで伝統的な賛美、プレイズ・ソングに慣れてきた私達には耳新しい曲かも知れませんが、心を開いて新しいことを若者と共に学ぶ機会です。

私達が初めて教会に足を踏み込んだ時を思い出すと、全てに違和感を感じました。初めてくる若者達にはその”違和感からくる抵抗”を最小限にするための工夫です。賛美チームに若者の参加を歓迎します。

メッセージもイエス・キリストというお方、十字架、罪、救い、信仰、復活、永遠の命等と基本的なメッセージが中心になります。まだイエス様の救いを頂いてない方には、またとない学びの機会です。メッセージはタカヨシ師が担当し、峯岸姉が同時通訳の奉仕をして下さいます。

2)何時から始まりますか:

若者向けのプログラムは毎月第4週目、8月からスタートし12月の第四週目まで続きます。もし、必要であれば延長の機会を探ります。当日はプログラムのプリントは配りません。プログラムがシンプルになり礼拝の流れを把握するのは容易です:祈り、賛美、紹介・報告、献金、メッセージ、招き、祈り。お知らせ等はパワーポイントで大写します。

3)メッセージの後の招き:

メッセンジャーは、メッセージが終わり、皆さんに”招き”を致します。それは、語られたメッセージに対して、聞いている方々、或いは初めての若い方が理解できるようにチャレンジする意味です。若い方々にはEMの部屋に移り、或いはその場で、指名された人がファローします。これはいわゆる”プッシュ”ではりません。プッシュは逆効果です。これらの方々が丁寧に対応します。

4)祈りのグループ:

若者の為に祈るグールプが必要です。3,4人を一組として、4組を作り、月一度で礼拝前に祈ります。各グループの責任者は祈りをリードし、また、同じグループの仲間がいつも祈るようにリマンドします。このグループに入ってない方々自由に礼拝前の祈りに参加できます。祈りの時間は10時30分ー45分の15分です。礼拝前ですから時間厳守です。12月の第4週目まで続きます。

5)皆が伝える:

どのような仕事でも成功するかしないかは、皆が賛同するだけではなく、実行するかどうかです。口と手が同時に動かなければなりません。要するに働く事が大事です。向かう5ヶ月の間、一家族が一人の若者をご紹介下さるようお願い致します。

周囲をご覧下さい、お友達の家の若者、或いはご自分のお孫さんに声をかけて下さい(メッセージは英語です)。一人の人の小さな働きでも、皆が働くと相乗効果が出て、大きな結果を産むでしょう。聖霊様もそのような貴方を喜び、さらなる祝福を注いで下さるに違いない。この小さな働きでも大事な出て行くアウトリーチです。

私もこの原稿を書きながら、誰を紹介しようかと目をクルクルさせ初めています。ついでですが、若者の身なりを気にせず、どんな身なりでも歓迎です。英語部のクリス兄が綺麗なフライヤーを作って下さいますから、これを用いてご紹介下さい。

皆さん、若者の救いのために、立ち上がりましょう!

「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ・・」

前原利夫


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「・・・それは金で重さ一タラントであった。宝石がはめてあり、それをダビデの頭に置いた。、、、」サムエル記下12章30節

今月は部下の本分、という事を考えてみましょう。ダビデには優れた部下が数人いた、その中でダビデの政権をソロモンに譲る時まで、最後まで忠実に仕えたヨアブから部下の本分とは何か、翻って主に仕える事を学びましょう。

1. ヨアブという人物:

ヨアブには二人の兄弟がいて、3人ともダビデに仕えた。この3人は”ゼルヤの三人の子”とサムエル記下2章18節は呼ぶ。ゼルヤ( Zeruiah)はダビデのハーフシスターで、ヨアブはダビデの甥にあたり、叔父ダビデに仕えたわけである。

彼がどれ程神を愛し、信仰に生きたかは記録があまりない。一方、ライバル意識が高く、自分の前に立ちはばかる者は残酷にも消していった。しかし、彼の武勇伝は幾つも紹介され、優れたダビデの参謀であった。ある註解者はヨアブがダビデに仕えなければ、イスラエルを支配していたであろうと評価が高い。ヨアブは部下の本分が何たるかを身をもって教える。

2. 勝利の手柄を主人に返上:

この記録はサムエル記下11、12章を参照下さい。同11章はダビデが倫理的に最悪な罪を犯した記録が残されているところである。時は、春でヨアブに率いられたダビデの軍隊はアンモン軍とラバというところで交戦し、勝利を収める。

もし、ヨアブが主人ダビデを裏切り、反旗を翻そうと目論んでいたらこの時は絶好のチャンスであった。王はエルサレムで罪を犯しているばかりか、その夫のウリヤを敵に殺させるよう企だてたからである。

それを実行し、その秘密を握っていたのはヨアブだけであった。ヨアブがこの秘密を公開すれば、ダビデ王の顔は丸潰れ、失脚したであろう。そのような危機にあったダビデに、自分の手柄を惜しげも無く捧げるのである。

ヨアブがアンモン戦で勝利し、ラバの陥落を目前に、ラバを攻め落とすようにダビデに使いを送るのである。ダビデは兵を整えてその町を攻め落す。兵士達はラバの王から冠を取り、それをダビデ王の頭にかぶせるのである。その時、ヨアブはかく言う、

「・・・わたしがこの町を取って、人がわたしの名をもって、これを呼ぶようにならないためです。」(同12:28)。

部下の本分は主人に手柄を差し出し、主人の名前が永遠に残るように仕える事です。自らが隠れなければならない。栄光は主のものです! ダビデにとって、罪に負けた弱い者であったが、今尚、民の王であり、王冠を奪い去る者はいない。

3. ダビデ王が危機の時:

前述のようにこの出来事はダビデが危機の中にあった時に起こったヨアブの武勇伝です。罪を犯し、ウリヤ殺しを実行し、その罪の報いを言い渡されて窮地に追い込まれていたダビデでした。そのような時にも、右腕として頼りにしているヨアブが、励まし、尚も王として引き上げているのは、ダビデにとっては大きな励ましであったに違いない。

また、神もダビデの罪ゆえにユダ王国を見捨てずに、アンモンに勝利を賜ったのは、神の変わらない愛、ダビデ家を見捨てられない神の約束であろう。部下の本分は、主人が窮地に追い込まれても、どのような危機の中にあっても最後まで忠実に仕えていく事ではないか。我らの仕える神様も、私たちが心から悔い改めると、何時でも祝福をもって迎えてくださる。

私達の仕えるイエス様はヨアブが仕えたダビデのような弱さをお持ちでない。私達の主人は完全なお方であられる。ですから、ヨアブが忠実に仕えた以上にお仕えしなければならない。

自分が勝利した時、イエス様にその勝利をお返し、この勝利はイエス様から頂いたと栄光を帰し、祝福を受けたら、これもイエス様からの頂きものと、全ての栄光をイエス様にお返しする事です。

部下が主人に仕えるとは、バプテスマのヨハネが言ったように「彼は必ず栄え、わたしは衰える。」である。

前原利夫


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