2023年、明けましておめでとう!
新しいビジョンを待つ
私たちの教会は昨年の4月にお二人の新任牧師、セイゴタカヨシ先生とキム明子先生を迎えました。あれから8ヶ月が経ちました。私は3月で現在の立場から引退します。
これから発表される新しいビジョンに期待し、皆様と共に仕えサポートします。お二人のビジョンの発表は近いうちにあると思います。限られた紙面でビジョンを構成する3つを考えてみます。勿論、お二人が同じアプローチをとることはありません。
1) 新任者のビジョン:「指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る」(箴言11:14)。古い訳では「幻のない民は滅びる」とあります。このソロモンの言葉は単なる理論ではなく、王として民を治めた実務的な背景があり、また父ダビデ王の40年に亘る政治からも学んだことであろう。
「指導がないことによって」とは、リーダーがいても目標がない、目標を間違えるとその国もどのような組織体も滅び衰退する。教会も例外ではないでしょう。ビジョンは祈りから始まり、聖霊様の導きを求め、戦略的に計画を練り、信仰にあって実行すべきです。
明確なビジョンが打ち出されなければならない。パウロの言葉でまとめると「ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。」コリント人への手紙 第一9章26節
2) 祈り:「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。」詩篇 127篇1~2節。ビジョンはまず祈りから始められるでしょう。
祈りなしのビジョンはこの世の戦略であり、祈りは霊的な戦略へと導いてくださるに違いない。祈りが積まれてこそ、自分の意志からきたものか、霊的な積み上げから、AからBへと祈りが具体的に形付けられることであろう。祈りが祈りを産むと言いますが、その良い例は出エジプト記17章の記録のモーセの対アマレク戦に見られます。
是非、この記録を開いて一読を勧めます。このダビデの言葉はビジョンを求める時に心に止めなけらばなりません。家を建てる、町を守る、それは建築士や警備隊が完成するのではない。早朝に起き、深夜まで力を注いでも、そこに神様が不在であれば、それらの努力は無駄です。ビジョンは神様が完成者です。
3) ビジョンの戦略:「基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな彼をあざ笑って、『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった』と言うでしょう。」
ルカの福音書 14章28~30節。仕事や計画を実行する前に、果してこの仕事を達成するためにどうすればいいか考えなければならない、すなわち“戦略“です。この戦略がないと折角のビジョンも絵に描いた餅になってしまいます。
イエス様は冒頭の言葉で、1)完成するための計画が不十分、2)人材、財政、その他のリソースの評価が大事であると指摘します。1)があっても2)がなければ未完成、また2)があっても1)がないと未完成品になります。戦略は一本の糸のように先から先まで一貫し、統一した視点から絞っていかなければならない。お二人の先生からビジョンが発表されるでしょうが、戦略については今暫く時間がかかり、兄弟姉妹たちの参加によって練り上げられることでしょう。
4) 信仰によるビジョン、14,392:一体、この数字はなんでしょう?アジアンアクセス(Asian Access) の発表によると、カンボジアの指導的立場の牧師のビジョンは同国に14,392の新しい教会を開拓するという。この数字は、カンボジアの市町村の数だそうです。即ち、全ての市町村に一つの新教会を建て上げるというドリームです。
同国の人口は15,000,000、仏教が主体、僅かな回教徒、キリスト教徒はほとんどいないという環境です。このビジョンがいつ達成するかわかりませんが、 神の視点からのドリームです。私たちのビジョンはとかく人間的な視点からで、私たちの信仰は神の視点に近づくことではないでしょうか。信仰、信仰に戦略、戦略に実行。
お二人の先生方がどのような過程でビジョンを発表されるかわかりませんが、私たちは大いに期待し、祈りつつ待ちましょう。ビジョンが示されると私たちの奉仕は集中し、ビジョンがないとバラバラの奉仕にになります。私たちのビジョンとして 共に参加し、仕えて参りましょう。
前原利夫
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