パウロ書簡を連続的に礼拝メッセージ:ガラテヤ人への手紙、エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙

パウロは新約聖書27巻のうち13巻を表している(ヘブル人への手紙の著者はパウロ以外の説もありここでは入れてない)。13巻は内容から四大書簡、獄中書簡、牧会書簡と呼称されている。上記の三書簡を連続的に礼拝メッセージで取り上げます。4月の第一日曜日から7月末まで続きます。メッセージは前原が月二回、辻本師が月一回、残る週は織田師、キム師、明子姉がそれぞれ準備します。

今号では、上記の三書簡の概略を紹介し、これからの学びに備えていきます。

1) ガラテヤ人への手紙:

ガラテヤ地方は小アジアの北に位置するが、当時は北と南ガリラヤとに分かれていたようである。本書がどこに送られたかにより執筆年代が若干違い、49年説と53年説がある。49年説を取ればパウロが一番先に書いた書簡であり、53年説を取れば、テサロニケ人への手紙の後、3番目になる。エペソの町から執筆した。

ガラテヤ書はパウロの四大書簡と一つでローマ人への手紙、コリント人への手紙第一、第二と並べられ、キリスト者の自由を述べる。また、ローマ人への手紙はガラテヤ書の注解書と言われるほど、二書は密接なつながりがある。

宗教改革者ルターは「私はこの手紙と結婚した。」と宣言するほどに惚れ込んだ書物は有名である。 本書は16世紀ヨーロッパの宗教改革を推進する原動力となった。

ガラテヤ書は人間は生まれながらの罪人である、聖なる神とどうして聖い交わりを保つことができようか。律法を守ることによってか、そうではない。本書ははっきりその解決に導く。

2) エペソ人への手紙の概略:

パウロにとってエペソ人への手紙ほど親しく、身近に感じる書簡はないかもしれない。使徒行伝20章はパウロはエペソの町に3年滞在したとある。そこで、教会を立て上げた。本書は、ピリピ書、コロサイ書、ピレモン書と同じくローマの獄中から紀元61、62年頃に書れた。これらの書簡を獄中書簡と呼ぶ。

エペソ書の中心聖句は1章23節がふさわしい:”この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。”  このみ言葉からもわかるように、エペソ書は教会論を述べ、前半3章までは教理、教え、後半の3章でキリスト者の生活を教えている。

エペソ書はある程度熟練した信徒を対象とし、より高い霊的なレベルに引き上げて行く。ある詩人は、エペソ書を”人間の手に成る最も峻厳なる書物”と評している。

3) ピリピ人への手紙の概略:

ピリビ人への手紙はピリピの町のクリスチャン宛てに書かれた手紙で、エペソ書と並んでローマからの獄中書簡である。パウロは第二伝道旅行の時初めてヨーロッパ大陸に渡った。紀元52年、ピリピの町に渡ったのは大都市を宣教の対象に選んだからである。その10年後、61年か62年に執筆されたようである。

執筆の目的は二つある:ピリピ教会が信徒のエパフロデトに贈り物を託してローマの獄中のパウロを訪ねたことへのお礼の言葉、そして、教会内の幾つかの問題に対する指示を与えるためであった。本書は「喜びの書」とも呼ばれ、4章かなる小作にもかかわらず、16回も「喜ぶ」の言葉が続出している。獄中のパウロの内的豊かさを表すのであろう。その豊かさを味わい、共に体験しようではありませんか。

以上の概略を頭に入れ、また礼拝前に当日のテキストを読み、礼拝に備えると、より豊かな祝福を受けること間違いありません。 (いのちのことば社、新聖書注解を参照)

前原利夫


cropped-gvic_banner1.jpg
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A.
www.gospelventure.com/


イースター、おめでとうございます!

今年のイースター・サンデーは3月27日です。イースタから数えて40日間イエス様はこの地上で過ごされた。私の関心はイエス様は何をされて40日を過ごされたかです。使徒行伝1章はこう記録する”イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、40日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた”。復活から昇天までのイエス様の活動は”宣教”であった。マルコの福音書は”時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ”、と冒頭でイエスの宣教活動を記録している。イエスの宣教は公生涯の初めの日から昇天、地上の最後の日まで継続したことになる。

それでは、復活のイエスと宣教を順を追って考えてみよう。

1) 罪の赦しの宣教(ヨハネ20章): 復活されたイエス様は、その日の夕方恐れ隠れている弟子たちに現われた。”安かれ”と弟子たちの恐れを除き、弟子たちに罪の赦しの特権を授ける。これまで、罪の赦しは神のみなさることであったが、復活のイエス様はその特権を弟子たちに授け、ご自分の使命を引き継ぐよう準備をされた。宣教には罪の赦しがなければなならない。罪の赦しのない宣教はイエス様の伝える宣教ではない。同21,22, 23 節で、”安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもあなたがたをつかわす”、そして、”、、、聖霊を受けよ。、”あなたがたがゆるす罪は、誰の罪でもゆるされ、あなたがたのゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう”。宣教は悔い改め、罪の赦しから始まる。

2) 宣教への召命(ヨハネ21章):

ペテロを筆頭に7人の弟子たちは主を待つかのように、ガリラヤ湖で漁をしていた。長い夜の海は弟子たちには冷たいほどなんの反応もなかった。そこはイエス不在であったからであろう。やがて主が現れ153匹の大きな魚がザクザクと彼らの網の中にかかってきた。岸辺のイエスは今獲れたばかりの魚を焼き魚にし、パンを弟子たちにふるまった。お腹をすかしていては、話もそぞろ、イエスは食後の頃合いを見て、ペテロに”ヨハネ子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか”、と三度も同じ質問をされた。心をいためたペテロはイエスにこう答えた”主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることはわかっています”。イエスは言われた”わたしの羊を飼いなさい”と。かくして、ペテロは逆十字架に火あぶりの殉教を遂げたと伝えられ、今もローマはバチカンの聖ペテロの大広場(プラザ)の名前で褒め称えられている。

3) 世界宣教大命令(マタイ28章):

19節で”それゆえに、あなた方は行っ て、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、、”と。(紙面の関係でみ言葉だけにします)。

4) 専属異邦人宣教(使徒行伝9章):

同章は迫害者パウロの殺意に満ちた生々しい姿を描いている、また、パウロの劇的な改心は復活の主との対面からであった。迫害の道、ダマスコ途上の改心は異邦人伝道への道と変えられた。復活の主は15節で”、、、あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。”迫害専門から異邦人伝道の専門者パウロは、イエスの旗印を掲げて、小アジア、ヨーロッパを西に東に飛び回った。

復活の主の40日は宣教の40日であった。まだ救われない魂に神の国を伝えられたばかりか、宣教がユダヤ世界に限定されず、全世界に広がるように宣教の器、人材を準備された。今日、主を信ずる貴方も私も、主のご命令を特権として福音の救いを伝えようではありませんか。貴方はこの福音によって今日あるのです。

時は近い!

前原利夫

神の選びの教えは膨大なので今号は創世記に絞って学ぶことにする。創世記に人類史の原点があり、人間の罪が始まり、神の救いの計画が始まるからです。これらはいずれも神の主権の下にあり、神の主権は神の意思決定であり、神の選びも神の主権の下にあるからです。天地創造も人間の創造も神の主権の賜物である。

エペソ書1章4節に”みまえにきよく傷のないものとなるようにと、天地の造られる前から、キリストイエスにあってわたしたちを選び”とあります。神が貴方を私を選ばれたのは天地創造前である。オドロキです!

捧げ物の選び:

創世記4章を見ると、アダムとイブの長男カインと次男アベルの捧げ物の記録がある。捧げ物の話は4章で初めて取り上げられ、神はカインの捧げ物よりもアベルの捧げ物をよしと選ばられた。どうしてかと問われても、回答はない。それが、神の意思による選びなのです。

アブラハムの選び:

創世記11章26節から12章3節にアブラハムの父テラの系図とアブラハムを召す神の選びがある。12章1節に「時に主はアブラムに言われた、”あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい”」とある。神がどこでアブラハムにお声をかけたか、ステパノは使徒行伝7章でカルデアのウルであったと解説する。

その当時、異邦人と選民の区別もない時代、その時に、神は偶像礼拝の町ウルから、まだ神を知らなかったアブラハムを選び、選民の元祖(いい言葉でないが)となるように選び、召されたのである。アブラハムは、家族と共にウルからハラン、そこからカナンの地に移住、神の選びの民を神が選んだ地で天の星のように増やすことになった。それは、人類を救う神の一代計画を成就するためであった。アブラハムの選び、約束の地の指定は神の主権の下にある。

兄エサウを退け、弟ヤコブを選ぶ:

創世記25章23節に”、、、一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう”、とある。ローマ書9章のパウロの解説は”まだ子供らが生まれもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、わざによらず、召したかたによっておこなわれるために、、、”、とある。神の選びは、人間側の問題ではなく、何者にも拘束されない神の意思、自由に与えらるものである。確かに、贈り物は送る人の意思にあり、神の選びの中にある人は何と幸いであることか。

ヤコブは孫の長男マナセよりも孫の次男エフライムを祝福:ヤコブはエジプトに下り、最愛のヨセフと久し振りに再会、その感動は死しても代え難い心境であったであろう。ヤコブは臨終に臨み、孫を祝福するのであるが、次男のエフライムを長男のマナセに先立ち祝福する。ヨセフは父に長男マナセが先ですよと注意を促すが、ヤコブの意思は変わらない。ここにも、選びは身分、伝統、習慣によらず、選ぶ人の主権にあることがわかる。

最後に、紙面の都合上、選びの目的を箇条書きにし、次の機会に解説しながら紹介する。

1)選びは神の恵み
2)ふさわしく清く生きる
3)国籍を天に持つ

神の選びに預かる者はなんと幸いであろうか、”主の御名を呼び求める者は、すべて救われる” のです(ヨエル書2章)。

前原利夫


cropped-gvic_banner1.jpg
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A.
www.gospelventure.com/


明けましておめでとうございます!

2016年、祈りの年になることを願いつつ、”執りなしの祈り”を考えてみます。

執りなしの祈りは人のために祈る祈りで、代 祷ともいう。昨年、私は皆さんの執りなしの祈りをどれだけ受けたか測り知れません。この新しい年、友、家族のために更に祈る者となりませんか。

1) アブラハムの執りなし:

執り成しの祈りで分かりやすい例は、甥ロトのために祈るアブラハムの祈りでしょう。(創世記18章参照)。神の使いはモラルの退廃したソドムの町を滅ぼそうとします。アブラハムは甥とその家族を助けようと、神の使いに食い下がり執りなします:もし、ソドムに50人の正しい人がいたら、45人いたら、40人いたら、、、10人いたら、と。アブラハムは愛するロトのために懸命に祈ります。私達は友や家族のためにどの様な執り成しをしているでしょうか。

2) モーセの執りなし:

モーセーが聖山で神に祈っている間、40日40夜、山の麓ではイスラエルの民たちは偶像を作り、偶像礼拝に耽りました。神の怒りは爆弾のように偶像に耽る裏切りの民の頭上に落ちました:”それで、わたしをとめるな。わたしの怒りは彼らにむかって燃え、彼らを滅ぼしつくすであろう。しかし、わたしはあなたを大いなる国民とするであろう”。(出エジプト32:10) 。モーセの執りなしの祈りが神の怒りを宥め、民を偶像礼拝の罪から、裁きから救います。”、、、どうかあなたの激しい怒りをやめ、あなたの民に下そうとされるこの災いを思い直し、、、それで、主はその民に下すと言われた災いについて思い直された”。(同32:12-14)。モーセは民全員のために懸命に執りなす、指導者の祈りはパワーフル、神は貴方に代わって他人の祈りに耳を傾けて下さる愛と寛容の神です。

3) イエス様の執りなし:

イエス様の執りなしは最後の晩餐の席で弟子たちのために祈られます(ヨハネ17:9-26)。”わたしは彼らのためにお願いします、、聖なる父よ、わたしに賜った御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つとなるためであります”。イエス様の執りなしは、動揺する弟子たち、悲しむ彼らを励まし、一つとなって立ち上がることを天の父に祈ります。弟子たちは一時バラバラになりますが、主の復活後は立ち上がり、一つとなっる聖霊の注ぎを受け、初代教会を立ち上げて進みます。

イエス様は弟子たちにどのような人のためにも執りなすことを教えられました(マタイ5:44)。パウロも自分のために執りなしをするようにローマの兄弟姉妹たちに勧めます(ロマ15:30).

最後に、私たちの執りなしはどうであろうか。冒頭で書いたように睦子と私はこれほどの執りなしの恵みに預かったことはありません。私の快復、睦子の健康、勿論、GVICが守られるように、多くの方々が執りなして下さっています。紙面を以って感謝申し上げます。

私たちも、イエス様のご命令通り、主にある兄弟姉妹のために、執りなしをしていこうではありませんか。

前原利夫

PS. 前原は昨年12月20日、6ヶ月ぶりにクリスマス礼拝でルカの2章を中心にメッセージを取り継ぎました。また、「飛脚」も今号から「巻頭言」を担当します。まだリハビリ中ですので、皆さんの背後の執りなしの祈りをお願い致します。

12月はクリスチャン人口が少ない日本であってもクリスマスソング、神様への賛美が町中に響き渡ります。また多くの教会、クリスチャンがクリスマスコンサートや、クリスマス会を企画します。それは、少しでもイエス様の愛をお伝えしたいからです。

信仰で一番大切なことは、「神様との関係」です。それは、私たちの目線で判断するものではなく、「私と神様」との個人的な関係があるかどうかが重要です。

イエス様が来られる前は、大祭司しか至聖所には入れませんでした。至聖所というのは、神様がおられるところです。しかし、イエス様が十字架で死んでその身を割かれたことによって、私たちの霊は、直接神様と交わりが持てるようになりました。

主の前に進み、ひれ伏して過ぎた一年をゆっくり振り返ってみましょう。神様がどのように私たちと共におられたのか、どのように語り続けてくださっていたのか、耳を澄まし、主のみ声を聞こうではありませんか。

ペテロはイエス様のお言葉一つで、全てを捨てて従った一番弟子でした。イエス様が弟子たちに向かって、「あなたは私を誰だといいますか。」との質問に、ペテロが答えます。

「あなたこそ、生ける神の御子キリストです。」ペテロのこの発言2、イエス様はどれほど嬉しく思ったことでしょうか。

しかし、そのペテロがイエス様の最も苦しみの時に、呪いの言葉まで用いてイエス様を否定しました。

鶏の声に我に返り、大泣きするペテロ。二度と立ち上がれないと彼は思っていたことでしょう。しかし、イエス様は復活後、ペテロに現れ、大漁を与え、食事を共にし、ペテロに語りかけるのです。

「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」ヨハネ21:15

イエス様はこの質問を3回繰り返してペテロに言われました。2度と立ち直れないと思うほどの失敗をした、裏切りをしたペテロを諦めず、イエス様の方から、「私を愛するか。」と繰り返しました。彼の心を癒すように、イエス様のお心を伝えたのです。そして最後、「わたしに従いなさい。」と言われるのです。

私たちは罪に縛られてはいけません。イエス様が赦すことができないものはありません。赦していないのは私たち自身です。全ての思い煩いを注ぎだして、悔い改め、癒していただきましょう。

新しい年は、皆様の上にイエス様が特別に語られる年、主の素晴らしいご計画がなる時となりますように!祈ります。

前原

“いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。Ⅰテサロニケ5:16〜18”

今年もあと2カ月足らずとなりました。時間が速まっていると感じるのは私だけでしょうか。私たちを取り巻く状況、社会情勢、世界で起こっている災害などを見ても、主の日が近いということがわかります。世の終わりが来るということは、恐ろしいことではありません(主の勝利ですから)しかし、私たちはかの日まで、一人でも多くの方に福音を伝えるために生きなくてはなりません。ですから、緊張感があります。

上記の御言葉は、多くの方が今年の聖句に選び、多くの方が来年の聖句として選ばれていることでしょう。

とても元気の出る、励ましを受ける、そして、それほど厳しくない(怒られますね)聖句です。しかし、これは決して簡単ではなく、実際はとても難しいことです。

いつも喜んでいなさい。

いつも喜んでいたいと私たちは思いますが、多くの方が実際は喜んでいません。

絶えず祈りなさい。これも絶えず祈る事は不可能に思えます。そして、どんなことにも感謝しなさいと続きます。私たちの生活は、感謝と不平、もしくは批判とどちらが多いでしょうか?

ピリピ人への手紙の4章にも、“主にあっていつも喜んでいなさい。”とあります。主にあって喜ぶとはどういうことでしょうか。主を喜ぶということです。自分はダメでも、主を喜ぶことはできます。

自分が病気でも、自分が弱くても、イエス様のことを喜ぶのです。イエス様はあなたに何をされましたか。あなたを命をかけて救って下さったお方です。その神様を私たちは喜ぶのです。

祈ることは、神様との関係です。信仰で一番大切なことは何でしょうか。神様との関係なのです。どれだけ聖書を読んだか、どれだけ教会で奉仕をしているか、どれだけ献金をしているかではありません。あなたと神様との関係がどうであるかが重要です。

すべてのことに感謝せよ、これも主にあって感謝せよです。私たちが何者であっても、主に祈れること、主との関係があること、主が成して下さった御業を知っていること、これらを感謝しましょう。

主にあって喜ぶとき、神様との関係の中で祈るとき、主にあって感謝を捧げるとき、聖霊様が臨まれます。聖霊様が臨まれるとき、私たちに力が注がれます。奇跡が起こります。伝導したくてウズウズしてきます。あまりにも主が素晴らしいお方なので、ひれ伏して礼拝したくなります。真の礼拝者とさせていただけます。

ご自分の感情の中に止まらないでください。主の懐、御言葉に飛び込んでください。主を待ち望むとき、聖霊様があなたに臨まれ、あなたしかできない使命を受け取るのです。

イエス様がもうすぐ来られます。その日まで、お互いに励ましあって喜んで主に仕えて参りましょう。 

キム明子

10月に入っても蒸し暑い日の続くLAの陽気に少々うんざりしておりましたが、朝の子供たちの登校時の青空は、もう秋の空と変わっていました。

私たちの教会GVICのためにお祈りくださりありがとうございます。また主任牧師の前原先生のために沢山の方がご心配くださり、お祈りくださって心より感謝申しあげます。多くの方の励まし、お祈りによって先生は順調に主のスピートで(Just Right)回復されています。

毎月第一日曜日には聖餐式が執り行われますが、この日曜日も、前原先生によって、聖餐式にあずかることができました。先生からの指名で一組のご夫妻が配膳係となり、御用をして下さいました。

このご夫妻の姿を見ながら、私たちGVICは先生の一声で主の働きに応答する者、共同体へと育てられてきたのだ、という思いが湧き上がりました。

先日の日曜日は私の5回目となるメッセージでした。「私は門である」というタイトルで、イエス様の主権ある赦しの宣言と真の悔い改めをテーマにお話を致しました。

イエス様は言われました。『わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。』(ヨハネ10:9) イエス様を通さなければ、私たちには救いの道がありません。この門は“狭い門”と言われているかもしれませんが、神の人類救済計画、イエス様の十字架の贖いが自分のためであったと受け取るとき、この狭い門を通ることができます。

今までの不安や問題や苦しみが、イエス様という羊飼いの囲いの中で平安と喜びに変わる生活、生きていながら天国を味わう緑の牧場が待っています。

『私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。』(ヨハネ10:14)イエス様は、私たちの群れを見てくださるだけでなく、一人一人を知っていてくださっています。また私たちもイエス様を知っているのです。お互いをよく知る世界にいるのです。

教会はどうでしょうか?牧師は囲い全体を把握しているでしょうか?羊の私たちそれぞれを知っていてくれているでしょうか? 私たち羊は、牧師をよく知っているでしょうか?

GVICは前原先生の病気を通して、我らの牧者をもっと知ることができました。また前原先生も、GVICという主の共同体を、また私たち一人一人のことを改めて知ってくださっているのだと思います。

さあ、GVICの緑の牧場が色づき始めています。囲いの外にいる羊を迎え入れるために、私たちに何ができるでしょうか!何をするべきでしょうか!

キム・アコ

イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」ヨハネによる福音書9:3
 
私たちの敬愛する前原利夫牧師が7月1日に緊急入院をされ、一ヶ月です。前原牧師は、順調に回復され、現在リハビリに専念されておられます。

皆様のお祈り、励ましのお手紙を心より感謝致します。続けて前原師の速やかな回復、完全なる癒しのためにご加祷くださいませ。

7月3日午前中に睦子先生よりお電話を頂き、同日午後私と夫のデービットは病院へお伺いしました。術後すぐの先生は首を堅く固定され動けない状態の中、私たちに今後の指示をくださいました。

「明子さん、日曜日の礼拝でメッセージをしなさい。このタイミングは神様からのものだよ。 デービット、彼女のために祈ってあげなさい。」と前原先生。

私はGVICに仕えてから、前原先生から頼まれる事は断らない事を心がけてきましたが、メッセージをする事は、とてつもない大きなプレッシャーでした。

しかし、前原先生のご指名なので、従わなくてはなりません。

大緊張の中にいる私に、GVICの家族みんなが私を心配し、祈ってくださいました。祈り会で、メールでも電話でも、私のために祈ってくださいました。霊の家族の祈りに支えられて、人生初、献身してから初めての礼拝説教ご奉仕となりました。
 

神の御業がこの人に現れるためである

「神の御業が現れるためである」というタイトルで、ヨハネ9章からメッセージを致しました。
 私たちは目に見える世界だけが本当ではないという事はよく分かっているのですが、目に見える事を頼りに生きている事が案外に多いのです。

「神の御業がこの人に現れるためである」というイエス様のお言葉は、生まれつき盲人のことを指して言われました。この盲人の方も、家族も、周りの人もこの生まれつきの盲目は呪われているからだと思って生きてきたのです。

その彼らに、イエス様は呪いではない、これは、神の御業がこの人に会われるためです。とはっきり宣言されました。

癒された盲人

癒された盲人は、イエス様を信じて癒されたのではありません。イエスという人が、つばで泥をこねて目に塗り、シロアムの池で目を洗えと言われたので、そうしたら、治ったのです。と彼は実際に起きた事を言っています。

それから、この奇蹟に騒ぐあらゆる人々がなぜ癒されたのかを聞いてくる度に、元盲人は自分に起きた事を説明するのです。彼は自分に起きた説明の中で、イエスという方が、神であり、主であると分かって行きます。

彼の目が見えるようになったばかりでなく、彼の霊の目が開かれ、「主よ、あなたを信じます。」と言うのです。

またこの盲人は、目が癒されたので、イエス様を信じたのではありませんでした。自分に起きた事を話して行くうちに、彼の霊の目が開かれてイエス様を主と信じたのです。
私たちも霊の目を開かなくてはなりません。

人生は急な上り坂もあれば、下り坂、大きな石が投げ込まれたりします。しかし、あなたの主は言うのです。「これは、神の御業があなたの上に現れるためである」と。私たちの人生はこのお方がご一緒なのです。

今教会は、オフィスに前原先生のお姿が見えないことを皆が寂しく思っています。だからこそ、心を一つにして感謝して礼拝をささげております。

前原先生がおられないからこそ、先生の事がよく分かるのです。GVICがいよいよ 主に用いられる喜びの教会となることを宣言し、前原先生の復帰を待ち望んでいます。

キム明子

「この町には、わたしの民が大ぜいいる」使徒行伝18:10

2015年6月28日(日曜日)はGVICの教会史に主からの新しい使命が刻まれた歴史的な日となりました。キム・ダビデ師、明子ご夫妻がアナハイムの自宅を解放し、GVICのアナハイム枝教会をスタートすることになりました。2016年1月から新しい枝教会が誕生致します。何と神様からの素晴らしい働きに導かれてことでしょうか。ご夫妻の主のみ旨に従う決断であります。私たちの教会は宣教、伝道を主体とする教会、創立21年目にして新しい動きです。ただただ、神様を褒め称えます、ハレルヤ!

教会開拓への導き:

キム師と明子姉からアナハイムで教会開拓をしたいと相談があったのが今年3月末のことでした。私は“開拓伝道をしたい”というお二人の思いは遅かれ早かれ時間の問題であると心構えをしていました。“いよいよ時だ”とお二人の決意に主を崇めたものです。

20年前、睦子と二人で教会開拓に導かれ精神的な苦しい体験、またそれに勝る喜びと祝福を頂いて参りました。お二方もこの素晴らしい主の働きの同労働者として心から歓迎致します。何よりも、誰よりも主イエス様が励ましと祝福を注いで下さいますようにお祈り致しております。

キム師・明子姉の奉仕:

キム師は高校でフルタイムの教師をしながらEMや音響、また教会の細々とした奉仕をしています。明子さんも3人の娘たちの子育てをしながら沢山の奉仕をしています。それにGVICに来られる前からご自分の家を開放して毎週家庭集会を開いてこられました。

この奉仕の量、奉仕へのパッションは主を愛せずにはおれないご夫妻の姿です。私たちはお二人の奉仕の後継ぎになる方を今から祈り探していかなければなりません。英語の牧師、サンデースクール、ルツ会、ランチ、料理教室、他引継ぎの仕事が山積しています。

後任者のために必死に祈らなければなりません。送り出す私たちは多々心配もありますが全て主のみ手の中に行われることを信じて主にお委ねしましょう。この新しい働きはGVICにとっても大きな祝福となるでしょう。

伝道は共同作業:

この教会開拓の働はお二人だけで進めるものではありません。勿論、お二人がリードし責任をもって進ませますが、私たちも常に祈り、捧げ、伝道に必要なものを共に補っていかなければなりません。定期的な交流、コンサート、特別集会、合同礼拝等、共に励まし合って進みましょう。

お二人に贈るみ言葉:

教会開拓を志すご夫妻に次のみ言葉を贈ります。

使徒行伝18章のみ言葉、「、、するとある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、“恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。 あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる”」。

このみ言葉はパウロがアテネ経由でコリントに来たときに 主が語られた言葉です。この主の言葉から1) コリント伝道は主からの導きであった、2)恐れず、心配なく語る、3)主が共に働かられる、4)福音を必要としている民がいる、5)パウロは主の言葉に従順に語り続けた、等々。

キム先生ご夫妻の開拓伝道に主の豊かな祝福がありますようにお祈りしております! 向こう6ヶ月は準備と祈りの時です。

前原利夫


cropped-gvic_banner1.jpg
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A.
www.gospelventure.com/

-聖フランシスコの祈り-

神よ、
なたの平和の器とならせて下さい
憎しみあるところには愛の種をまき
間違いあるところには赦し
疑いあるところには信仰を
望みなきところには希望を
暗きところには光を
悲しみあるところには喜びを
もたらす者とならせて下さい

おお、聖なる神、
慰められることを求めるよりは、
は人を慰める者と
理解されるよりは理解する者に
者と愛されるよりは愛する者と
ならせて下さい
与えてこそ真に受くるのであり
赦してこそ赦され
死してこそ永遠の命に生まれることができるのです。
アーメン

-Player of St. Francis -

Lord, make me an instrument of
Thy peace;
where there is hatred, let me sow love;
where there is injury, pardon;
where there is doubt, faith;
where there is despair, hope;
where there is darkness, light;
and where there is sadness, joy.
O Divine Master,
grant that I may not so much seek to be consoled as to console;
to be understood, as to understand;
to be loved, as to love;
for it is in giving that we receive,
it is in pardoning that we are pardoned,
and it is in dying that we are born to eternal life.
Amen.


cropped-gvic_banner1.jpg
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A.
www.gospelventure.com/