余力を残すな!

2021年12月20日

「エリシャは彼に『弓と矢を取りなさい』と言ったので・・・」    列王記下13章15節

列王記下13章の記録によると預言者エリシャは死ぬ病気にかかっていた。そのエリシャを見舞いに参上したのが北イスラエルの王ヨアシ(BC 801-786)である。王は涙を流して最期のお別れに、こう叫ぶ「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と。その臨終の枕元で王に応えたのが冒頭の言葉「矢と弓を取りなさい」である。エリシャは命が尽き果てる最後の最後まで国を守る事を心配し、死の床から最後の予言を王に託すのである。

1)エリシャの余力:

ヨアシの父エホアハズは北イスラエル王国を17年治めたが、彼の時代はスリヤに軍事的に悩まされ、王ハザエルの手に支配されていた。エリシャはこの敗北の辛酸をなめたのである。自分の死後、スリヤの支配から開放される事を願ったエリシャの予言は、王ヨアシが弓を取り、戦いに勝利することである。エリシャは「それをもって地を射なさい」と命じたので、王は3度射てやめた。

エリシャは怒り「あなたは5度も6度も射るべきであった」と言う。エリシャの予言通り、ヨアシはスリヤを3度うち破り父エホアハズがスリヤに奪われた戦利品を取り返した。5、6度地を射ていたら、他に多くの勝利を得ていたであろうに・・。

臨終の中でも国を思うエリシャの心は、私たちに「余力を残すな」の生き方を教えましょう。こと引退を早々と成し遂げ、余生を楽しもうと考えるのは世の常、一つの目的を成し遂げると余力が出来、一休みしたいものです。しかし、信仰の先輩たちは余力を惜しんで残す事なく、いや、余力が尽きるほどに最後まで神に仕え働いたのである。

2)パウロの余力:

パウロは身体が自由な身である限り国境無きがごとく国々を飛び回った。福音を語らないことはわざわいであるパウロの活動は凄まじい。パウロの宣教活動を妨げた様々な苦難を見ると彼には人生の余力などあるはずがない。燃え尽きたであろう(第二コリント11章参照):投獄、死に直面、8回の鞭打ち、石打、難船、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難、不眠、飢えかわき、寒さ、裸、そして諸教会の心配、等。

このような肉体的な拷問、更に教会を心配する精神的苦痛に余力などがあるはずがない。パウロはスーパーマンです。更に、獄屋に閉じ込められたパウロは、獄中書簡を残し、肉体の拘束があってもなくても、限界ギリギリ働き続けた。

3)イエス様の余力:

パウロが宣教活動で飛び回れば、イエス様は罪の赦しの福音を伝えるのに余力を残さずに働かられた。イエス様は十字架にかけられる前の晩、拷問を受けます。翌日は十字架の上で一人の強盗を天国に迎え、そして「父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」(ルカ23章参照)と、福音の赦しを最期息がつき果てるまで語られた。

4)私達の余力:

私たちもエリシャのように最後まで 弓を取り地を射ることができるでしょうか。最近、癌を患っている主にある友からのメイルに、”わたしも最後まで弓を射る”と力強い言葉がありました。私達は余力を残して、この地上を去ろうとしているのでしょうか。貴方の知恵、知識、エネルギー、タラント、財政に余力がありませんか。天に積む宝は地上に残す余力よりも永遠です。
 
弓と矢を取りなさい! 信仰の先輩たちに倣い、最後まで余力を惜しまずに使命を貫こうではありませんか。  

前原利夫


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