「だから、わたしたちは、はばからずに言おう、/「主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか」 へブル13:6

クリスチャンにとって、この世界でしっかりと安定した信仰生活を送ること、また永遠のいのちへの確信を持つための源泉は御言葉にあります。生ける神が私たちに与えてくださる導きは明白で間違いがありません。神の導きは私たちにとって確固たる基礎であり、「主はこう仰せられます」と聖書に書かれた主の啓示です。

研究者たちは、長い間この賛美歌の作者を特定できずにいます。1787年、ロンドンにあるカーター・レーン・バプテスト教会の牧師であるジョン・リッポン博士が出版した『賛美選集』の中に登場したのが最初の記録です。リッポン牧師は、当時、絶大な人気と影響力を兼ね備えた牧師の一人でした。

この賛美歌の一番は、キリスト教信仰の基礎が、神の御言葉の上に成り立っていることをはっきりと告白しています。この内容を見るときに「神ご自身の言葉以上に、人間にとって神ご自身を完璧に啓示するものなどあるだろうか?」ということを考えざるを得ません。その後の歌詞は、御言葉からの尊い約束を歌い上げる素晴らしい賛美となっています。

二番:イザヤ41:10
「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。 驚いてはならない、わたしはあなたの神である」
三番:イザヤ43:2「あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる」
四番:Ⅱコリント12:9「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」
五番:へブル13:5『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない』

峯岸麻子

詩篇46:1、118:6,7, へブル13:5,6参照
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ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A.
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私が初めて聖書に触れたのは、弟がキリスト教系の幼稚園に通っていた頃の事です。

彼が持ち帰ってきた子供用の聖書の物語が幼心に面白く、また時に恐ろしかったりして夢中で読みました。今でもその挿絵を思い出しているくらいですから、神様のプランは私が母の胎にある頃から始まっていたのだなぁと改めて思わされます。

その後、母が家族で初穂のクリスチャンとなり、私自身もカトリック系の高校に通った事もあって、キリスト教自体は身近なものとなりました。しかし、主により頼む母の姿は当時の私の価値観から見ると自分がなく依存的な態度に思え、”神を受け入れる事は弱い者のする事”と激しく拒否をしていました。

人間誰でも人生の失敗談があるかと思いますが、私にも思い出すのが恥ずかしい大きなつまづきの時期があります。

大学時代に文字通り”放蕩娘”に成り下がった私は、両親や友人達から受けた愛情も忘れ、絶縁の啖呵を切って家を飛び出し音信不通になる…という愚かな選択をしてしまいました。

周囲の心配通り、その選びには多くの試練があり、最終的に私は路頭に迷うか実家に助けを求めるか…というところまで追い詰められました。

この時にやっと「こんな自分勝手に離れていった子供を赦してくれるはずはない…でも謝るだけでも謝りたい。どんな扱いでもいいから戻りたい。」という気持ちが私の中で大きくなり、意を決して私は数年ぶりに実家に電話をかける事にしました。

電話口に出たのは母でした。私がぽつりぽつりと謝罪を述べると、母は一言の苦言も口にする事なく「無事で本当に良かった、すぐに家に戻っていらっしゃい」と、ただ両手を広げて私を迎え入れてくれたのです。

私の全てを無条件で赦し、受け入れてくれた母の愛の深さが私の心に刺さりました。

また、こんなにも母を悲しませ、苦しめてきた自分の愚かさ、罪深さも身に染みました。

こうして私は「赦される」という貴重な経験をして、両親の愛の下に戻る事が出来たのですが… (次回に続く)

黒澤 倫子



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「神の世界を見る!」創世記15章5節

「そして、彼を外に連れ出して仰せられた。『さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。』さらに仰せられた。『あなたの子孫はこのようになる。』」

2020年は全世界が自分の小さな世界に閉じ込められた年であった。それが国や州からの命令であろうと自宅という世界が活動の場となった。自粛命令の下に教会も閉鎖、ビジネスも”Essential “以外は在宅勤務、かなり解放されても、今もレストラン等のビジネスがロックダウン中である。

これらのビジネスが倒産に追いやられるのは当然だ。このような社会・生活環境の中では物事が消極的、否定的となり、前向きの発想がもぎ取られてしまう。また、現実的に前向きの計画が難しい。

アブラハムはビジョンを失いかけていた:

しかし、私たちはアメリカ市民33万人以上の命を奪い取ったコロナウイルスにいつまでも恐れてはならない。この悲劇の中でも、その束縛、閉じこもった小さな世界から、神様の声を聞き、神の世界に出て行かなければならない。

神はアブラハムを召して、大きなビションを与えました(創世記12章)。人間にとって神のビジョン達成は不可能としか思われません。100才のアブラハム、10才違いの石女のサラの間に子供ができる、そしてその根から世界に子孫が星のように増え広がる、このビジョンを信じる人間はこの世にいるであろうか。アブラハムは迷った、本当か、いや無理だ、約束を失いかけていたに違いない。

彼にはエリエゼルという信頼できる僕がいた。アブラハムはこの僕に相続させようと目論んだ、その時です、神はアブラハムを外に呼び出して

「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。そして、あなたの子孫はこのようになる」と、アブラハムの約束、信仰を回復したのです。アブラハムが義と認められたのはこの時である。

神の世界を見る:

神は実物教育の専門家であられる。アブラハムに夜空に輝く無数の星を見せて奮起させた。アブラハムは夜空の星をこれまで何度も見ていたであろう。

住まいの天幕を一歩出れば、天の河、天から降るような星の群れが手に取るように近い。しかし、神様が星を数えよと言われた時から、アブラハムの星を見る目は変わった。空の星を一つ一つ数えて、自分の懐に大事にしまったに違いない。

ついでにアブラハムの曾孫に当たるヨセフの夢に出る星も子供(兄弟たち)を指している(創世記37章)。これまでの星は神の被造物、今見る夜空の星は自分の子供達だ。アブラハムは毎晩夜空の星を数えて、ビジョン達成がいつであろうかと楽しんだに違いない。

私たちも外に出ましょう、神の声に耳を傾けましょう。そして、天を見上げ、そこに輝く星の群れを数えるロマンを楽しみましょう。神の世界を眺めよう。小さな束縛された家から、この生活環境から神の世界に出ましょう。神様はアブラハムに上のみ言葉を13章、15章、そして22章で表現を変えて繰り返している。

そして、イサクには26章、ヤコブには28章で約束を繰り返している。それは、神を信じる者が、神の世界を見る、神の大きな世界観で生きよということでありましょう。天の星のように、地のちりのように、海の砂のような無限な数、広さ、宇宙大のスケールの世界観、発想において、神に似るようにと教えておられる。

無限の星の中に、ちりの中に、砂のなかに、神の無限の力がある。神様は私たちが小さく生きることを望んでおられるでしょうか。大胆に神様を信じて倣うことではないでしょうか。神様はご自身のイメージを私たちが反映し、引き継いでいくことを望んでおられるでしょう。

イエス様はガリラヤの田舎で育ちましたが、その働き、発想はいつも世界的、グローバルを軸にした行動でした。イエス様は人類の救いのために誕生し、弟子たちを訓練して世界宣教に遣わされ、私たち一人一人に全世界に出て行き、福音を伝えよと命じておられる。イエス様に倣い私たちも小さな我が家から神の世界に出ましょう。

2021年は恐れず神の世界、新しいビジョンを求めて進もうではありませんか。私たちの教会も新しいビジョンに立ち上がるよう祈ります‼

Happy New Year!

前原利夫



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「御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。

『さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。』…羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」ルカ2:15、20

クリスマス時期に歌われる歌の多くは人類が最高峰の曲に数えられています。その中で、この『神の御子は今宵しも』も、世界中の人々に愛されている曲のひとつと言えるのではないでしょうか。

プロテスタント教会が生まれる前のカソリック教会で歌われていたこの賛美は、原語であるラテン語から100を超える言語に翻訳され、現在は教派・教団を超えて世界中で歌われています。

この賛美歌が鮮やかに描き出すキャロルの様子は、時を超え、あらゆる文化の中で強く訴えかけるものがあるのです。

長年にわたり、作者不詳とされてきたこの賛美ですが、近年の研究により、ジョン・ウェイドというイギリス人青年が1744年に書いたものであることが分かりました。

最初に世に出たのは、1751年のことで、ウェイドの歌集『Cantus Diversi』に収録されています。それからおよそ100年後、英国教会の牧師であるフレドリック・オークリーが、自分の教会で会衆賛美ができるようにと、近代英語に翻訳しました。

英語においても、正式な曲名は『Adeste Fideles』となっています。これは、原語歌詞の歌いだしにあるラテン語をそのまま引用したもので、「誠実なあなたは、今、近くにおられる」という意味があります。

峯岸麻子

マタイ2:1、2、ルカ2:9-14、ヨハネ1:14参照
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“新型コロナウィルス”が世界的に広がって、私たちの生活は大きく変わり始めました。最近届けられるニュースも暗いものが多く、山火事や人種差別の暴動、デモなど2020年は今までにない出来事が続けて起こっています。

その影響かもしれませんが体に異常をきたす人が多く、神経衰弱に陥り自殺者も増加してきています。この疫病は人類,

誰一人として逃れることのできない出来事です。しかし、聖書にはこのようなことが必ずやってくると預言されています。

こんな時代だからこそ、暗黒を照らす真の光である神の言葉が、またイエスキリストの神の愛が必要だと一人一人に語られているように思います。

聖書の黙示録にはこれからの近い将来、人類史上極めて厳しい患難な時代に入っていくことが書かれています。その中で私たちはどのように歩んで行ったらいいでしょうか。

100年に一度の危機とされるコロナウィルス禍で教会も変化を余儀なくされています。オンライン礼拝に切り替えるほど様々な対応を迫られています。

しかし、教会堂が閉ざされていても教会は決して閉ざされません。どんな状況下にあっても教会は存在すると信じています。

教会はキリストの体(エペソ1:23)とあるように教会の頭であるイエスキリストにあって集められた群れそのものと信じます。この時こそ聖霊の力によってこの困難な時代を希望に満たされ喜びと平和を持ち続けて2021年を迎えたく祈っています。

1テサロニケ5:9-10 神は私たちがお怒りを受けるようではなく主イエスキリストに救いを得るように定めてくださったからです。

目を覚ましていても、眠っていても主と共に生きるようになるためです。今月12月25日はイエス様の聖誕日です。私たちを救うためにこの世にお生まれ下さった神様からのギフトです。

その方を私たちが心を開いて受け入れるときにどんな状況下に置かれたとしても神の平安が私たちを包んで守ってくださります。

メリークリスマス! 

鈴木あき

クリスマスおめでとうございます。

今日、クリスマスが何のお祝いか知らない人が意外と多いのに驚きます。イエス・キリストの誕生日を祝う特別な日です。どうして特別でしょうか。

私たちは2月22, 12日、ワシントンとリンカーン両大統領の誕生日を休日として、彼らの偉業を称え、お祝いします。

クリスマスはイエス・キリストの偉業を称えて祝う日です。どんな偉業ですか、その偉業は「人類の救い」のために誕生されたからです。イエスの名前、Jesus は「神は救い」 (Jehovah is salvation )という意味です。クリスマスは神様のその偉大な働きを祝う日です。

1「迷える一匹の羊を見つけ喜ぶ」:

この人類の救い、Jesus について短く考えてみましょう:新約聖書の中に、沢山のストーリ、譬え話があります。とりわけ、「迷える一匹の羊」の話は有名です。100匹の羊がおりましたが、そのなかから1匹だけ、仲間からはずれて、どこかに迷い出てしまいした。

羊飼はその失なわれた迷える羊を放り出して、残りの99匹を連れて、帰るでしょうか。それは無責任な羊飼ですね。

良い羊飼は最後の最後まで、迷える羊を探し出し、見つけ求め、元気な羊達のところに戻るのです。その時に、聖書は「見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰ってくる」とあります。

羊飼が羊をかついで帰るとは、喜びがどんなに大きいか、深いかを意味します。あるいは迷える羊は傷付いていたのでしょうか。可哀想に、羊飼は傷付いた羊を肩に載せて帰りました。人間が動物をかつぐのです。

迷える羊とは、神から離れた人間の姿ですね。羊飼は神様のことです。すると、神から離れた人間が、神様の下に戻る時、神様はその人をかついで、懐に抱いて大喜びなさる、ということですね。

神が貴方を喜ぶ姿、私を喜ぶ姿を想像してみて下さい。皆さん、神様が貴方を喜んでくださていると考えた事がありますか。神様は貴方を喜んでおられるのです。この迷える一匹の羊の話に、神様が喜ぶ姿を発見します。

2「放蕩息子を迎え喜ぶ」:

多分、迷える一匹の羊の話よりも、「放蕩息子」の話が広く伝えられ、愛されたストーリーかもしれません。二人の息子を持つお父さんがいました。次男がお父さんに要求して、私が頂くべき財産を今下さい。気前のいいお父さんは次男坊に財産の半分を分けてやりました。

次男坊は財産をもらい、父の下から遠く離れた町に住みました。父の目の届かない所にいることをいいことに、財産を湯水のように使い果たしました。お金を貯めることは年月のかかることですが、お金はすぐなくなります。

飲んだり,食ったり,ギャンブル,女と遊び回ると,One millionはすぐなくなるであろう。昔,親戚の兄さんが,ある村の人を指して彼は大酒飲みだと言って、彼のお腹には何百坪の水田が入っていると皮肉っていました。お腹の中には沢山のものが入るのであります。飲んだり食ったり,遊んだりがお腹に入ります。

父から遠く離れても,父の優しさは忘れる事ができない。そうだ,お父さんの所に帰ろう,彼は決心しました。この彼の気持ちを,聖書はこう言っています、

“立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。」” 。一方,父は次男の帰りを一日千秋の思いで待っていました。息子を迎える父の喜ぶ姿を聖書はこう表現します:

“『 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。” 

帰りを願う息子の心境よりも、喜び迎える父の姿がクローズアップされます。皆さん,これ以上説明することもありません。

知って頂きたい。迷える一匹の羊を見つけ出し、肩に乗せて大喜びの神,また、若き人生を無意味に浪費した青年を、ありのままの姿で迎えて宴会を催す、神の寛大な愛、人間に対する救いの業をみましょう。

神が一番喜ぶ姿は、人間が神に戻ることでありましょう。私は18歳の時にイエス様の救いに預かりました。以来、60年、神様の祝福を頂いてきました。

皆さんの中で、神様をもっと知りたいという方はおられませんか。今が時です。クリスマスは救いの時です。今がチャンスです!

貴方にクリスマスの喜びと祝福が届けられますように!

前原利夫



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「主のまことはくしきかな」新聖歌20番 | “Great is Thy Faithfulness”

荒野をさまよっていたイスラエルの民が学ばなければならなかった大事な教えのひとつに、神様が朝ごとにマナを与えてくださるという事実があります。このマナは古くなったら食べられなくなり、また将来のためにため込むこともできませんでした(出エジプト16:19-21)。

長く愛される賛美歌は、作者のドラマチックな経験を元に生まれるものです。この賛美歌も作者の日々の生活の中で、神が「朝ごとに」誠実に対応してくださるというシンプルな経験から生まれたものでした。1960年、死の直前に作者のクリスホルムはこのようなことを書いています。

「若い時に体を壊して以来ずっと健康に苦しんできた私は、現在に至るまで十分な収入を得られたことはありませ。しかしここで私は、神が誠実に約束を守ってきてくださったことを記さなければなりません。いくつもの素晴らしいものを私に与えてくださってきた神様の働きを思う時、私は感謝の思いで圧倒されるばかりです」

トーマス・オバデヤ・クリスホルムはケンタッキー州フランクリンにある粗末な小屋に生まれました。中学までの教育しか受けられませんでしたが、16歳の時に自分が卒業した小学校で教師の職を得て、小学校教師としての経験を積みます。

キリストを受け入れた後、「ペンテコステ・ヘラルド」紙の編集者となった彼は、その後メソジスト派の牧師として按手を受けます。クリスホルムが残した賛美の詩は1,200を超え、その多くが有名な賛美歌になっています。

峯岸麻子

詩篇9:10、36:5-7、102:11、12、ヤコブ1:17参照  
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いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これが、キリストイエスにあって神があなたがたに望んでおられる事です。 (1テサロニ5:16-18)

楽しいことがあったら喜ぶことができますが嫌なことがあったり、苦しい事があったときは喜ぶことができません。しかし、そんな中にあっても私達が自分の考えや思いに捕らわれることなく、キリストイエスにあるならできる。そして絶えず祈りとはいつも神に信頼し神と交わることの恵み、最後にすべての事に感謝するとあります。私にとってすべてに感謝を心から捧げよという事が心に入るまで時間がかかりました。

聖歌476番 “やすけさは、川のごと”を書かれたホレイシオ スパフォードは絶望の状況の中でも神の前で喜び、賛美し、そして感謝した人と知って、この聖歌を歌ったときに心からすべてに感謝する恵みを与えられました。彼はシカゴの弁護士であり、教授であり、ドワイトムーデイーが赴任していたシカゴの教会の執事でした。

しかしシカゴ大火災で全財産を失いました。失望の中、妻のアナと4人の娘たちをヨーロッパに送りましたが乗った船が衝突事故を起こし、妻は気を失い海上に浮いているところを助けられましたが4人の娘たちは全員天に召されました。その妻を迎へに行く途中に船上で作った曲がこの聖歌でした。

やすけさは川のごとく、心浸すとき
悲しみは波のごとく、わが胸満たすとき 
すべてやすし、御神ともにいませば

見よ、わが罪は十字架に釘付けられたり
このやすき、この喜び誰も損い得じ 
すべてやすし、御神ともにいませば。

喜び、祈り、そして感謝。これがキリストイエスにあって神が私たちに望んでおられる事、これが神の御心。私の力ではこの神の御心を行うことはできないが、キリストイエスにあってのみ可能である。救いの恵み、聖霊の喜び、神がともにおられる感謝を信仰によって捧げていこうとあの日から主に語られています。
          
鈴木あき  



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何か季節感、実感の伴わないような挨拶です。4月からスタートしたロックダウンは対外との交流は締め出され、夏の行事も取りやめ、季節を告げるスポーツもまばら、皆さんとの交わりもないこの頃は、外にも内にも今一つ活気が見えません。

感謝祭を迎えるのに、例年のような活力が感じられないのは私だけでしょうか。しかし、主の恵みは数えて見ると10本の指では納められないほど多くありましょう。

今号は、私達の霊的成長を点検しながら、主が私たちを探出して救い上げ、信仰を支えて成長せしめ、私たちに期待している働きを、コロサイ書から学んで見ます:すなわち、救、信仰、そして伝える、この3つの永遠的喜びと感謝をご一緒に考えてみましょう。

1)救を感謝する:

「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してく下さった。」(コロサイ書1:13)。私達はかつては救を知らない、神なしの世界を彷徨ていました。その世界は“この世“と呼ばれ、人間がその時代時代に蓄積した知恵です。客観的な知恵、主観的な知恵もあり、一時的で身勝手な知恵もあります。

その中で、罪を知らず、世の物差し定規として誇りつつ、生活を満足していました。ところが、イエスはそのような生き方は“やみの力“として退け、私達に“光の力“を示して下さいました。

私たちに光の世界を見せ、霊の目で闇の世界を見させ、神の視点から何が善か、何が悪かを判別できるようにして下さいました。そして、私達の命が、キリストと共に神のうちに隠されている事を示され、十字架の救に至らせて下さいました。貴方を、私を闇の世界から御子の愛の世界に移し救って下さったイエス様に感謝します!

2)信仰の堅持を感謝する:

「また、彼に根ざし,彼にあって建てられ、、、信仰が確立されて、あふれるばかり感謝しなさい。」(コロサイ2:7)。私たちは信仰に導かれると、あとは自分の力でやって行ける、やって来たと思うのであります。このような思いは信仰の破船の手前です。

信仰の堅持も神様からの贈り物と考えねばなりまん。信仰の歩みのモデルはイエス様です。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ,走るのであります。

しかし、言うは易し、行うは難しいものです。信仰は日々の生活との戦いです。戦いがあれば、敗北者も犠牲者も出ます。私達の誘惑はこの世への愛です;お金、大言壮語、誇り、見栄、謗り、無節制、乱暴、不品行、偽善等、多くの誘惑と戦わねばなりません。

要するに、神よりも世の快楽を求めようとする罪の残滓との戦いです。祈りが妨げられ、御言葉から離れて1人で歩こうとするかです。しかし、イエス様は私達が倒れないように、天から執りなし信仰を支えて下さっておられるます。

「だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。」ロマ8:34

主イエス・キリストに感謝致しましょう。

3)福音の伝達を感謝する:

「わたしは、神の言をつげひろめる務めを、あなたがたのために神から与えられているが、、」(コロサイ1:25)。パウロは苦難をかってでも福音の伝達に励みます。同24節にはコロサイの教会のためには苦難を喜んで受けると、パウロは福音伝道の代償は“苦難“で結構ですと、その働きを誇ります。

「わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇りにはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないならば、わたしはわざわいである。」 第一コリント9:16.

パウロはコリントの教会の信徒に“わたしのような者になれ“と励まします。 福音を伝える事は神の僕の特権です。パウロは若いテモテに、またイエス様は父の下にお帰りになる前に、全世界に出て行け、世界の人々を弟子としなさいと、私たちに命じました。

私達も自らがやみの力から救われ、御子の愛の下に移された時の大きな祝福を隣の人に、親戚に伝える者となりませんか。そして、福音の伝達者として、私たちにその重大な任務をお任せしておられたのです。イエス様に感謝致しましょう!

私達の霊的な生涯はまずイエス様と会い、救を頂き、イエス様の生き方に似るようにと信仰の働きに励みます。そして、この信仰生活の祝福を隣の人に伝える喜びを体験するものです。救、信仰、伝達この基本を点検し、イエス様が共に歩んで下さっていることを感謝致しませんか。

Happy Thanksgiving!

前原利夫



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「罪の淵に」賛美歌 493番 “Rescue the Perishing”

「主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ」 イザヤ 61:1

この賛美歌の作詞者は、しばしば「ゴスペルの女王」と呼ばれるファニー・クロスビーです。 この賛美歌が生まれる数日前、ウィリアム・ドアンが『罪の淵に(原題訳『滅びゆく人を救う』)』という曲名をつけた歌をクロスビーに送っていました。

この曲名は「主人が僕に言った、『道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい』というルカ14:23から取ったものでした。クロスビーはこの曲に歌詞をつけたときのことを、このように記しています。

「1869年にこの詩を書いた時のことを覚えています。他の作品同様、私の経験に基づくもので、ニューヨークのバウリー・ミッション(低所得者救済施設)での出来事を詩にしました。私は週に一度はそこに行き、息子同然の利用者たちと話をしました。

ある暑い夏の夜、労働者階級のグループと話をしていた時のことです。この中に、今夜救われなければ永遠に滅びてしまう人がいる、という強い思いが沸き上がり、『この中に、家を出て根無し草のような生活をしている人がいたら、このお話の後に私の所に来てください』と強く訴えたのです。

すると話の後『あなたが言っていたのは、僕のことですか?僕は、母に天国で会うと約束をしました。でも、今の僕ではそれは無理でしょうか?』と来た人がいました。彼と一緒に祈ると『神様を見つけました。これで、母に会うことができます』と言って、彼の目に新しい光が射したのです」

峯岸麻子

エゼキエル18:32、ルカ 14:23、ローマ 9:2、Iぺテ3:9参照     
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