The Isaacs – Does Jesus Care? [Live]

「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 マタイ 28:20

神は私たちが喜ぶときにはささやき、痛むときには叫ばれる。 C.S. ルイス

神の子供たちは、時に不思議に思うことがあります。傷ついているとき、とても重い重荷を抱えているとき、暗い経験をしているとき、抗えないような誘惑にあったとき、愛する人との別れのとき、主は本当に私たちのことを気にかけてくださっているのだろうか?

この讃美歌を書いたフランク・E・グレフも、こうした思いを知っている人でした。しかしグレフは、「私の救い主は、私を思ってくださっている!」と、その疑問に声高らかに答えています。

グレフは、メソジスト教団のフィラデルフィア教区では知られた存在でした。そのにぎやかで愛嬌のある性格で、「お日さま牧師」として親しまれた人です。しかし、そのグレフが非常に厳しい数多くの試練をくぐって来たことを知る人はあまりいません。

激しい体の痛み、疑い、落胆・・・。そんなとき、彼は慰めと力を求め、御言葉に頼りました。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」という第一ペテロ5:7は、辛い時のグレフにとって特に意味のある聖句でした。

『神なく望みなく』は、そんな彼が得た確信を書き記したものです。200を超える賛美歌を書いたグレフ。その中でも、私たちに一番の慰めを与えてくれるのが、この作品の歌詞でしょう。

峯岸麻子

詩篇28:7、42:8、イザヤ26:4、
マルコ5:36、Iペテロ5:7参照
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September 22, 2017, Kenneth Osbeck,.
Published by Kregel Publications,Grand Rapids, MI
Used by permission of the publisher.
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私が卒業したBiola大学は、La Mirada市に位置するキリスト教福音派系のクリスチャンスクールです。学校の名前は、Bible Institute of Los Angeles(ロサンゼルス聖書学院)の頭文字を取ってBiolaとしたことに由来します。

洗礼を受けたクリスチャンのみ入学が許可され、私の入学の際には、母教会の牧師先生による2通の推薦状が必要でした。教職員もすべてクリスチャンであり、キャンパスは、いつも平安に満ち溢れ、守られていました。

卒業式には、毎回サドルバック教会のリック・ウォレン(Rick Warren)師の奥様であるケイ・ウォレン(Kay Warren)夫人が参列して下さり、卒業生には、聖歌521番「キリストにはかえられません」の歌詞を訳された中田羽後師がおられます。

私が入学したのは、ちょうど創立100周年にあたる節目の年でした。すべての授業は、祈りから始まり、デボーションをシェアする時間もありました。

キャンパス内の教会では、毎日チャペルの時間があり、それに出席するとクレジットがもらえました。在学中、私は毎日ほとんどキャンパス内の図書館にいて、授業の準備をしたり、文献を読んだりしていました。

 神様の恵みにより、私はこの学校でIntercultural Studiesにおける修士号を取得することが出来たのですが、その中で、今後の信仰生活の土台となる多くのことを学びました。中でも、一番有意義だった授業は「Spiritual Warfare」でした。

このクラスは、Talbot神学大学院の学部長、Dr. Clinton E. Arnold (PhD, University of Aberdeen) によるものでしたが、その授業を通して、私は聖霊や悪霊など、特に霊の世界について学びました。

ヨハネ12章31節、エペソ2章2節、6章12節に記録されているように、この世の支配者は悪魔です。尊敬するDr. Arnoldから「この終わりの時、クリスチャンとして、どのように悪の勢力に立ち向かうのか?その実践的な方法」について学ぶ事が出来たことは、本当に感謝な事でした。
          
川口朋子


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「・・・それは金で重さ一タラントであった。宝石がはめてあり、それをダビデの頭に置いた。、、、」サムエル記下12章30節

今月は部下の本分、という事を考えてみましょう。ダビデには優れた部下が数人いた、その中でダビデの政権をソロモンに譲る時まで、最後まで忠実に仕えたヨアブから部下の本分とは何か、翻って主に仕える事を学びましょう。

1. ヨアブという人物:

ヨアブには二人の兄弟がいて、3人ともダビデに仕えた。この3人は”ゼルヤの三人の子”とサムエル記下2章18節は呼ぶ。ゼルヤ( Zeruiah)はダビデのハーフシスターで、ヨアブはダビデの甥にあたり、叔父ダビデに仕えたわけである。

彼がどれ程神を愛し、信仰に生きたかは記録があまりない。一方、ライバル意識が高く、自分の前に立ちはばかる者は残酷にも消していった。しかし、彼の武勇伝は幾つも紹介され、優れたダビデの参謀であった。ある註解者はヨアブがダビデに仕えなければ、イスラエルを支配していたであろうと評価が高い。ヨアブは部下の本分が何たるかを身をもって教える。

2. 勝利の手柄を主人に返上:

この記録はサムエル記下11、12章を参照下さい。同11章はダビデが倫理的に最悪な罪を犯した記録が残されているところである。時は、春でヨアブに率いられたダビデの軍隊はアンモン軍とラバというところで交戦し、勝利を収める。

もし、ヨアブが主人ダビデを裏切り、反旗を翻そうと目論んでいたらこの時は絶好のチャンスであった。王はエルサレムで罪を犯しているばかりか、その夫のウリヤを敵に殺させるよう企だてたからである。

それを実行し、その秘密を握っていたのはヨアブだけであった。ヨアブがこの秘密を公開すれば、ダビデ王の顔は丸潰れ、失脚したであろう。そのような危機にあったダビデに、自分の手柄を惜しげも無く捧げるのである。

ヨアブがアンモン戦で勝利し、ラバの陥落を目前に、ラバを攻め落とすようにダビデに使いを送るのである。ダビデは兵を整えてその町を攻め落す。兵士達はラバの王から冠を取り、それをダビデ王の頭にかぶせるのである。その時、ヨアブはかく言う、

「・・・わたしがこの町を取って、人がわたしの名をもって、これを呼ぶようにならないためです。」(同12:28)。

部下の本分は主人に手柄を差し出し、主人の名前が永遠に残るように仕える事です。自らが隠れなければならない。栄光は主のものです! ダビデにとって、罪に負けた弱い者であったが、今尚、民の王であり、王冠を奪い去る者はいない。

3. ダビデ王が危機の時:

前述のようにこの出来事はダビデが危機の中にあった時に起こったヨアブの武勇伝です。罪を犯し、ウリヤ殺しを実行し、その罪の報いを言い渡されて窮地に追い込まれていたダビデでした。そのような時にも、右腕として頼りにしているヨアブが、励まし、尚も王として引き上げているのは、ダビデにとっては大きな励ましであったに違いない。

また、神もダビデの罪ゆえにユダ王国を見捨てずに、アンモンに勝利を賜ったのは、神の変わらない愛、ダビデ家を見捨てられない神の約束であろう。部下の本分は、主人が窮地に追い込まれても、どのような危機の中にあっても最後まで忠実に仕えていく事ではないか。我らの仕える神様も、私たちが心から悔い改めると、何時でも祝福をもって迎えてくださる。

私達の仕えるイエス様はヨアブが仕えたダビデのような弱さをお持ちでない。私達の主人は完全なお方であられる。ですから、ヨアブが忠実に仕えた以上にお仕えしなければならない。

自分が勝利した時、イエス様にその勝利をお返し、この勝利はイエス様から頂いたと栄光を帰し、祝福を受けたら、これもイエス様からの頂きものと、全ての栄光をイエス様にお返しする事です。

部下が主人に仕えるとは、バプテスマのヨハネが言ったように「彼は必ず栄え、わたしは衰える。」である。

前原利夫


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キリストにはかえられません – NCM2 CHOIR

「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」 ピリピ1:21

リア・ミラーによる感動的で強く心に訴えるこの歌詞は、23才のジョージ・ビバリー・シェアの人生に大きな影響を与えました。シェアの父親はウェスリアン・メソジスト教会の牧師であり、敬虔なクリスチャンファミリーで育ちました。

彼が頂いていた声と歌唱の賜物は秀でたものであり、父親の教会では常に歌うことを求められ、請われていました。経済的な理由から自立し、保険会社に勤めていたシェアですが、教会やクリスチャン向けのラジオ番組での歌唱を続けます。そんな時、ニューヨーク市で教会とは関係のない歌手の仕事の打診を受け、そのオーディションに受かります。莫大な給料を手にし、名声を得るチャンス!でも、自分はどうするべきだろうか…。

ある日曜日、実家のピアノで日曜礼拝の歌の準備をしようとしていたシェアは、『キリストには代えられません』の詩を見つけました。彼の母親は美しい言葉や文書を収集していました。息子であるシェアの霊的な成長や方向性の助けになるようにと、彼女はそうした文書をピアノに置いていたのです。この詩を読んだシェアは、そこにある訴えに強く心を動かされ、すぐに曲をつけ、日曜礼拝で歌いました。

「歌を歌って何年にもなりますが、これまで一番歌ったのは『キリストには代えられません』です。心にしみるこの歌詞は、何度歌っても飽きることはないのです」とシェアは言っています。23才の若きシェアはこの歌詞のメッセージを受け取り、キリストに仕えるという素晴らしく生産的で価値のある人生を歩むことを決めたのです。そして彼の人生のテーマソングとなったこの歌は、世界中の人々に歌い継がれているのです。

峯岸麻子

ヨシュア24:15、マタイ16:24-26、
ローマ1:16、ピリピ3:8参照
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救われてから変わったことは、まず、いつも感謝があふれることです。神様から家族や健康など多くの恵みを頂いていることを思うと感謝が尽きません。その他、語学のタラントを下さり、礼拝や集会などで、これまで通訳の奉仕をさせて下さったことに感謝しています。

また、神様は、過去に進化論の誤った教育を受けた私を、ある創造科学者(現:宣教師)主催のグランドキャニオンツアーに参加させて下さいました。その中で、グランドキャニオンの地層がノアの洪水によって短期間に形成されたという事実、つまり聖書の記述通り、すべてを神様が創造されたということをハッキリと見せて下さいました。このように様々な方法で聖書が真実であると教えて下さる神様に本当に感謝しています。

救われた、今、私は、イエス様の再臨を待ち望んでいます。それには、様々な条件が整う必要がありますが、時には早く来て欲しいと思うこともあります。マタイ24章14節に「この御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。」と
イエス様の再臨の予言が記録されています。

ウィクリフ聖書翻訳協会の統計によると、現在、聖書の翻訳言語数は、3,350言語であり、そのビジョンによると2025年までに、聖書翻訳を必要としているすべての言語への翻訳の働きが始まることになります。つまり、全世界に福音が宣べ伝えられるのは、もう間近です。このような現状を見るとき、もしかしたら私が生きているうちに、イエス様が再びこの地上に来られるかもしれないと思うことがあります。

でも、その時がいつであるかは、神様以外、誰にもわかりません。また、最初は「救い主」として来られたイエス様が今度は「裁き主」として来られます。だから、いつも気を付けて、目をさましていようと思います。

川口朋子 


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パウロ書簡(ヘブル書を入れて14巻)には ”In Christ ” という言葉が160回程使用されているそうです。今号は短いコロサイ人への手紙からその一部を追跡、学んでみましょう。

英語の” In Christ”という語を NIV(New International Version) からその一語、一語をチェックしました。”In Christ”に相当した代名詞”In Him”で受けている場合も、同じ意味として数えると13回の活用があります。

以下にその言葉の出所をリストし、訳は口語訳を使用しました。新改訳、共同訳、その他の訳の聖書をお読みの方は、比較しながら学びますと、翻訳の難しさとか、原文の意味の解説の発展等が想像できるでしょう。これだけ数多く使われている背後には、この言葉がどれだけ大事であるか、また一般に広範囲に用いられているギリシャ語であろと想像できましょう。13回の中から、今回は幾つか取り上げて、今月の学びとしましょう。

1)13回の”In Christ” の使用と訳:

この言葉は1章2、4、20、28節、2章3、5、6、7、9、10、11、17節、3章11節、計13回現れています。口語訳では「、、、にある」「、、、に対して」「、、、にあって」「、、、のうちに」「、、、こそ」と ある。英語の In Christの一つの言葉が、日本語訳 では5つの違った表現が使われています。日本語がいかに難しいかがわかります。これは一つの発見です。

2)「キリストにある聖徒たち」、1:2:

コロサイ人への手紙の宛先はコロサイにいる信徒、忠実な兄弟たちへとなっています。勿論、姉妹たちもはいっています。コロサイという町は小アジアにありますが、黙示録の7つの教会の一つではありません。その一つであるラオデキヤの教会のすぐ東側に位置しています(地図で確かめて下さい)。

この手紙は回覧板のようで、最初、コロサイの教会に送られ、その後はラオデキヤの教会で朗読するように、また、ラオデキヤに送られた別の手紙がコロサイの教会でも朗読されるように、回覧が勧められています(4:16)。

 

3)「彼によってご自分と和解させて下さったのである」、1:20:

この言葉の前半にこう書いてあります「そして、その十字架の血によって平和を作り、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、、、」。キリストによって私たちを聖徒として下さったのは、先ず、神様との和解が先決でした。

神を知らない私達は、神に敵対する者と呼ばれ、神の救いの計画に無知で霊的な盲目でした。そのような私達に宣教の働きを通し福音の恵みに預からせて、キリストの十字架の血に目が開かれました。

それは敵と和解、裁きから赦しに、呪いから祝福に、死から命に、永遠の裁きから永遠の命に移されることでした。パウロは2章14節で「神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。」と、キリストにあって私たちは凱旋した、勝利したと宣言します。

 

4)「、、彼にあって歩きなさい」、2:6:

本6節の前半は「このように、あなたがたはキリスト・イエスを受け入れたのであるから、」とあります。要するに、イエス様を受け入れた私達は、イエス様のように、或いはイエス様が喜ぶように信仰生活を歩めと勧めます。この節の後にこの世のだましごとの教え、また罪の中にいたが、キリストにあって赦され、罪に対して凱旋した、とパウロは続きます。

もし、キルストにあって聖徒として称号を与えられるならば、私達はキリストの教えの中に歩むべきで、またしてもこの世と妥協するような罪の生活をしてはならない。それは、キリストの名を恥ずかしめることで、聖徒の名に相応しくないからです。

   私達の信仰生活は 「In Christ 」

「キリストにあって」という考えを軸に歩みたいものです。

前原利夫

ご案内

 

私の生き方はキリストにある生き方であるか、私の人間関係はキリストに対する関係のように歩んでいるであろうか。 In Christ, キリストにあってという吟味の中で、日々の生活を判断していきたいものです。一言で言うなら、イエス様ならどうするか。

      

前原利夫


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Fairest Lord JesusFairest Lord Jesus

「なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」コロサイ1:16

キリストの美と徳を声高に称えるこの素晴らしい歌詞は、私たちの心を賛美に、そして「美しい救い主」に導きます。すべての美の源であり本質であるイエス。そのイエスと自然を見事に対比させたこの歌詞に、私たちの心は神への畏怖の思いで満たされ、私たちの救い主は、神のあらゆる創造物にも、天使にも勝る存在であると知るのです。

この讃美歌の起源は不詳で、12世紀、聖地への過酷な旅を続けるドイツ人十字軍戦士たちによって歌われたという説があります。また、ジョン・フスの信奉者たち、1620年、血みどろの対抗宗教改革粛清の中でボヘミアから逃げ出したモラビア人たちが発祥という説もあります。『イエス きみはいとうるわし』は、彼らが落ち着いた先(現ポーランドの一部)に住む敬虔な農民たちが始めた民謡賛美というのです。

父なる神の栄光を私たちに表してくださる公正な神のひとり子。この賛美の歌詞は、彼に対する信仰と喜びにあふれ、何世紀もの長きにわたり、クリスチャンを祝福してきたのです。

峯岸麻子

ヨハネ1:1、3、14、5:23、20:31、ピリピ2:9-11、コロサイ1:13、15、2:9、へブル1:2、3参照
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渡米後、最終的に導かれた教会は、LAダウンタウンにあるメガチャーチで、信徒3,000人中、日本人は私が2人目という教会でした。そこでも、すべて神様が備えて下さっていたので、恵まれた素晴らしい教会生活が始まりました。

毎週、毎週、「来週は、どんなメッセージが語られるのだろう?」とすごく楽しみで、いつも期待でいっぱいの礼拝でした。本当に教会に行くのがとても楽しくて、次第に家庭集会や平日の礼拝にも行き始めました。

 そんなある日、その教会のホームページを見ていたとき、驚いたことに、約1,300の説教がアップロードされているのを見つけました。それは、創立以来、過去7年間の聖日の主題説教と平日礼拝の講解説教などでしたが、その時は、本当に宝物を見つけたように、すごく嬉しかったです。それは、毎週楽しみにしていた説教が、一気に1,300も見つかったからでした。

その日から、私は、それらの説教をiPodで毎日約5時間、3年の間、聞き続けました。特に講解説教は、1節1節丁寧に解き明かされるので、御言葉の深い解釈を学ぶ良い機会となりました。ローマ書10章17節に「信仰は聞くことから始まる」とありますが、この御言葉を聞く時を通して、私も少しずつ神様のことや信仰について知って行くようになりました。

また、この教会には、クリスチャンが学ぶための多くのプログラムが準備されていたのでで、私は「弟子訓練」、「創造論」、「祈り」、「聖霊」、「癒し」など様々なコースの学びを終えました。

当時は、学生だったので比較的、時間の余裕があり、このような信仰生活が可能でしたけど、当時の私にそのような環境を与えて下さった神様に心から感謝しています。

そして、この教会で学んだことは、その後、私がBIOLAの大学院に進学し、神学や宣教学を学ぶ際に、本当に大きな助けになりました。

川口朋子 


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「・・・ダビデは言った、『主よ、どうぞアヒトベルの計略を愚かなものにしてください』」。 サムエル記下15章31節

最近、ダビデ王に興味が増し、サムエル記を何度も繰り課して読んでいます。読むたびにダビデの人柄、神の僕としてまた王として、多く学びます。それ以上に、ダビデに対す神の取り扱い、厳しさや憐れみ深い事を教えられます。ダビデは祈りの人でした。

それは、あの詩篇を読むと、彼の祈りに感動せずにはおられません。ダビデは神の恵みに先導されて、100戦連勝、武将として国を治めます。しかし、ダビデは戦う前に、何度もこの戦いに出るべきか、避けるべきかを祈り求めます。感情に走らず、略奪に走らず戦いに備えました。それは祈りがあるからです。ダビデの戦いは主の戦い” で、国の軍事力に頼らずに、まず神の力に信頼を置いた戦いでした。

「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われわれの神、主の名を誇る。」(詩篇20:7)

一言の祈り:

本号では、ダビデの数々の祈りの中で最も短い、一言の祈りを取り上げ、その祈りの力、その祈りの深さを考えてみましょう(礼拝のメッセージで取り上げたが違った角度からアプローチ)。ダビデの一言の祈りがあります;

「・・・ダビデは言った、『主よ、どうぞアヒトベルの計略を愚かなものにしてください』」。

アヒトベルは父ダビデ王に反旗を翻したアブサロムに寝返りした武将でした。彼の戦略家としての実力は神に伺いを立てるようであると周囲から最高の評価を受けていた。ダビデ王の陣営を抜け出したことは、王にとっては戦略を大きく失った事になる。

そのアヒトベルの力を、神が愚かなものにするように、無駄、無益な計略となる様に祈るのは当然である。その祈りはアヒトベルの力の裏付けでもある。

もしこの一言の祈りがなかったなら:

神はダビデの友であるホシャイをダビデ陣営に送り込んで、アヒトベルと対決を見せるが、祈りがどの様にダビデ王を守られたかを考えてみよう。先ず1)ダビデの王位継続だ。アヒトベルの戦略に負けたダビデは、アブサロム陣営に殺されていたであろう。

アヒトベルは大勢の兵士達の首を狙わず、ダビデの首だけを狙った戦法であった。アヒトベルの戦法が実行されなかったために、ダビデは王位を継続できた。

2)もし、神がこの祈りに応えられないでいたら、ソロモンの壮大なエルサレム神殿の建立は、主のみ心であった計画とはいえ、工事の遅れ、建材の確保、何か支障が起こったかもしれない。ダビデはシリヤとの外交交渉で材木、技術者をエルサレムに導入する手立てをしていた。

3)ユダ族のダビデ王を通して数々のメシヤ予言は失敗した。詩篇の中にはメシヤの受難(詩篇22篇)や、イザヤ書のメシヤ誕生、ダビデの父エッサイの根からの誕生等がある。これらの予言は無残に成就せず、大きな失敗となっていたであろう。ひいてはキリスト教の存在もなかったであろう。

この様に、ダビデが王位継続をすることは予言、救い主・メシヤ、またキリスト教誕生の視点から、歴史的に必然でなければならない。 一言の祈り、何の重みのない祈りの様に感じられても、歴史的、救済的な含みの祈りである事に目を開きたい。

歴代志下6:19に預言者エリシャの一言、二言の勝利の祈りも参照下さい。

私達はイエス様の友の身分だ:神は私たちが祈り求めない先から私たちの必要を知っておられる。また、私達の祈りは何でも求められるものは叶えられるのである、それはみ心に沿った祈りであるならばです。

ヨハネの15章でイエス様は弟子達を僕の身分から友の身分に引き上げて、父から聞いたことを皆、あなたがたに伝えたと語られた。そして、弟子達がイエス様の名によって求めるものは、父がかなえて下さると約束されました。

ここに祈りの秘訣があろう。私達は主イエス様の友であり、イエス様と同じように天の父からの尊い情報を共有していることを。これ程の身分を頂いている事を信じ、これからの祈りに確信を持って捧げようではないか。それが、どのような短い、一言の祈りであっても、、。        

前原利夫


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Jesus paid it all hymn – lyrics
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「『さあ、来たれ。論じ合おう。』と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」イザヤ1:18

この讃美歌の作詞者は、エルビナ・ホールという一信者です。キリストの福音の基本的な真理は「完了した」の一言にあり、この真理はキリスト教信仰の基礎中の基礎となっています。ホールが書いたこの歌詞は、この真理をよく語っています。

ホールがこの詩を書いたのは、ある日曜の朝、教会の聖歌隊待機部屋で牧師のジョージ・シュリックの説教を聞いている間のことでした。礼拝が終わった後、二人の間にはこんな会話が交わされたのではないでしょうか。

「先生に罪を告白します。今朝の先生のメッセージに集中していませんでした。神の愛と赦しを本当に知るには、というお話を先生が始めた途端、私たちに救いを与えるためにキリストがすでにしてくださったすべてのことを考え始めてしまったのです。そしてこの言葉が私の心に溢れ出てきて、書き留めなければならなくなってしまって」

すると牧師はオルガン奏者のジョン・グレープを呼びました。彼は「すべての主に負う」と題した楽曲を牧師に提出したばかりでした。

驚くことに、この曲がホールの歌詞にぴったり合ったのです。1874年に初めて出版されて以来、この曲は教会で、特に聖餐式で広く歌われてきています。

峯岸麻子

ローマ3:24-26、Ⅰコリント6:11、エペソ1:7-9参照

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