日米開戦の直前までの6年間、我が家はのどかな沖縄で過ごすことができた。私は天妃小学校に通うこととなったが、同級生の中には後に大学教授、デパート社長、海運会社社長、病院長、参議院議員になるような優等生がいた。

小学校時代の思い出に方言札なる罰則がある。当時沖縄では 日本語普及のため、学校内での方言使用が禁止され、違反生徒には罰として方言札が首にかけられた。私はいつのまにか方言に馴染むようになり、方言札をぶら下げることもしばしばであった。

この方言習得がのちの私の生涯に役立つとはそのころは夢にも思はなかった。もう一つの思い出はハンセン病患者の惨状であった。当時の沖縄は環境衛生が悪く、重い皮膚病に罹った患者が不当に差別を受け、今で言うホームレスになって街のあちこちに群がっていた。

教会の庭にも患者達が集まるようになり、母がおにぎりを作っては、配っていた光景は忘れられない。その患者たちへの救済運動がキリスト教界の呼びかけで大きく発展し、やがて、政府や財団の支援を得て、救癩施設「愛楽園」が沖縄本島屋我地島に設立されるに至った。私はその愛楽園の創立式(1938年11月)に父に連れられて出席している。

聖書の中でもイエス様が重い皮膚病の患者を癒す場面が度々描かれているが,沖縄のクリスチャンたちは歴史に残る偉大なる証しを果たしたのである。父の牧会を陰ながら支援してくれた信者の中には県立図書館長、工業試験場長、病院長などの有力者がいたことも幸いであった。

父にとって沖縄での伝道は終生忘れがたい神様への献身であったに違いない。そして1941年3月、一家は名古屋へ移住することとなった。平和な島との別れであった。

4年後にこの島が悲劇の激戦地になろうとは夢想だにせず、一家は那覇港から船出したのである。米軍の沖縄本島上陸作戦は1945年4月1日、奇しくもEaster Sundayの朝に決行された。

サムエル北村


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ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
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夏のハワイから太平洋に揺られること1週間、神様の力強い御手に守られて、日本郵船秩父丸は1934年9月北村一家を恙無く日本に届けてくれた。ハワイにいた頃、父母から聞かされていた富士山を目の当たりに見た時の感激は忘れられない。

日本人のDNAがなせるわざなのか。冨士はその後何度も見る機会があったが,生まれ故郷ハワイの山では見られないあの美しさは何度見ても感動的であった。横浜埠頭に迎えに来てくれた初対面の親類縁者、日本語が通じる誇らしさ、秋風の冷ややかさも日焼けしたハワイっ子には心地よい。

その夜から、一家5人は東京の伯父宅に仮住まいすることになった。布団生活の初体験も新鮮だ。見るもの聞くものすべてが珍しい。クリスマスツリーの代わりに門松、注連縄が軒並みに見られる。クリスチャンの伯父一家のお陰で日本語の賛美歌、聖書にはすぐなじめた。

教会も近所にあって日曜学校では友だちもすぐできた。父の沖縄赴任までの半年ほどは、1934年9月、渋谷尋常小学校に通うこととなった。朝礼での「君ヶ代」斉唱には戸惑ったが、学芸会は楽しめた。

見上げるような二宮金次郎の銅像には圧倒された。渋谷駅前で忠犬ハチ公の本物の頭を撫でる機会にも恵まれた。雪知らずのハワイっ子にとって雪は珍しかった。雪合戦や雪だるま作りで近所のガキ大将とも仲良くなれた。

そして春の到来と共に待望の沖縄行きが実現した。1935年4月、横浜港から1泊2日の船旅を経て那覇港に上陸した。東京とはまるで大違いの那覇の町には目を見張った。

見るもの聞くもの、こうも違うのかと驚きの連続であった。しかし、ハワイを思わせる海の美しさ、ハイビスカスの強烈な赤、電車の無い静かさ、何となく心が和む南国的雰囲気に包まれると、ふと、東京の喧騒さが懐かしくさえ思えてきた。

父の赴任した那覇中央メソジスト教会は市内一等地ともいうべき久米町にあった。鉄筋コンクリート三階建ての立派な教会堂であった。一家にとって不慣れな日本の最南端での生活がようやく始まった。

サムエル北村


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昭和初期に父は日本とアメリカの神学校を卒業して最初に赴任した教会はハワイのマウイ島パイア教会であった。私はその田舎町で生まれたが、当時のハワイはまだアメリカの属領(territory)であった。

マウイ島はサトウキビの耕作が盛んで日本人移民のプランテーションがあちこちにあった。そのため、教会やお寺が建てられ宗教活動が行われていた。幼な友達には日本人の子供たちが大勢いた。

せっかく仲のよかった友達と別れる時がきたのは父のハワイ島パパイコウ教会への転任のためであった。やがて小学校に入学し、白人の友達もでき、日曜学校にもくる友達も増えていった。子供心にも賛美歌を共に歌える喜びは大きかった。

そして、今なお忘れられないことは、私のクリスチャン ネームの由来である旧約聖書の預言者サムエル(注1)の少年時代の複製画(注2)が私のベッドルームに飾られていたことである。正座して祈りを捧げる少年の姿は印象的であった。

もう一つ忘れられなかったことは、生徒たちは裸足で学校に通っていたことである。冬のないハワイならではの習慣であった。その冬知らずのハワイにも別れる時が来た。父の日本への転任が決まったからだ。

友達との別れ、教師との別れ、まだ見ぬ日本への移住は子供にとっては大きなショックであった。せっかく身についてきた英語で考える習慣、英語で歌う賛美歌、英語で読む聖書があっというまもなく、飛び散った感じであった。

しかし、牧師の子にとって、日曜学校は生活の一部であり、賛美歌はまるで子守唄のように思えた。そんな環境はそのまま日本にも延長された。

ただ大きく変わったことは英語社会が遠ざかり、裸足が靴に変わり、ベッドが布団に変わったことだった。父の日本での最初の赴任先は沖縄県那覇中央メソジスト教会であった。かくして私の第2の祖国での生活が日本の最南端から始まった。

サムエル北村

注1: 旧約聖書サムエル記第1:3章1〜21
注2: 「幼きサムエル」と題されたこの油絵は英国18世紀の画家、ジョシュア レイノルズの傑作の一つとされている


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今年卒寿プラス1を迎える筆者にとって、1年の計を元旦に立てる気には到底なれない。明日をも知れぬ身にとって 1年先を見通すなんて無理なことだ。

然し年頭にあたり、新鮮な気持ちで信仰生活を反省することは必要であろう。賛美歌414番に新年の心構えが歌われているのを見つけた。

「あらたまの 年立ち返り うらうらと 初日におえり 家ごとに 松竹立てて にい年を祝う目出度さ」
「ひととせ(一年)の たくみ(計画)はすべて にい年に ありとしいえば み心を 我に示して この年も 勝ちを得させよ」

新年を祝う気持ちは古今東西あらゆる人種にとって共通の心情である。古き年を忘れて、新しき年に希望を見出そうとする人類共通の思いは、ある意味で欲求不満を排除する安全弁であるかもしれない。

人類共通の知恵であろう。そして人は新しい年に希望、期待をよせるのである。今年がどんな年になるのか、個人にとって、我が家にとって、アメリカにとって、日本にとって、世界にとって、――――――ーリストは尽きない。人それぞれ疑心暗鬼になる。ここでその真価が問われるのがクリスチャンの心構えであろう。どんな結果が生まれようとも神のみ心に素直に委ねる気持ちが新年の心構えでありたい。そんな時、心の支えとなる賛美歌がつい口ずさみたくなる。

賛美歌385番 「疑い迷いの 闇夜をついて 恐れずたゆまず 我らは進む 行く手に輝く
み光あれば 共に手をとりて 喜び進む」
「いざいざ同胞(はらから) 十字架を負いて み国の道をば 雄々しく歩まん
世の旅終わりて 栄の主より 命の冠 賜る日まで」

この一年この賛美歌を口ずさみながら歩みたいものである。

サムエル・北村


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結婚12年目にようやく与えられた娘のノエルが、最初で最後の子供かと思いました。ところが、主は23か月後に息子、ジョナサンをも与えてくださったのです。これは私達の想像以上のブレッシングでした。いつも神様は私達の思いをはるかに超えて最善をしてくださるお方です。

そして私達の伝道の対象はそれまでは若者達でしたが、子供をもったお母さん達へと変わっていきました。贅沢かと思ったプール付きの家は家庭集会に大いに使われ、週末、多くの子供連れの方々で賑わいました。

それには裏付けがあります。モントレーパークの5ベッドルームのお宅に移られたばかりの前原家をお訪ねした時、ミセス前原に教えていただいたことです。

「神様はこんなに良い住まいを与えてくださって、これで宣教師の方や、日本からの牧師さん達に泊まっていただける所が与えられて、感謝よ」とおっしゃったのです。そこで、私達もプール付きの家は贅沢ではないと、主の御用のために大いに使いました。

その後も、夫が職を失ったり、心筋梗塞で倒れたり、いろいろなことがありました。けれど、人生の設計図を描くのは私達ではなく、創造主なる神様であることをすでに十分に知るようになりましたので、恐れることはありませんでした。

むしろ、そんな時には神様がどのように解決してくださるか、楽しみでさえありました。家を買うのも、引っ越すのも、転職するのも、最善をしてくださる主を信頼して決定してきました。

結婚した際には、クリスチャンではありませんでしたし、お互いの国籍故に苦労したわけですが、今は、「国籍は天にあり」と天国を目指して、GVICのみなさんと地上での黄昏時を歩んでいる日々です。

「人の心には多くの計画がある。しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。箴言19:21」

  
イー弘美


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神様と教会を中心とする生活は楽しいものでした。そして交わりを通して、日本から来る若者たちが次々に救われていくことを目の当たりにする喜びは格別でした。

ふたりともロスのダウンタウンで働いていましたが、家庭集会やバイブルクラスに明け暮れる毎日でした。周りでは若い人々にどんどん子供が与えられていきましたが、結婚後10年以上も経つ私にその兆候はありませんでした。

それまで、夫の父親が若死にしたので、その年から、逆算して何歳までに子供を産みあげなければならないか、計算したりしていましたが、その年はすっかり超えてしまいました。

毎日充実していましたので、別に子供が欲しいと切実に願ったわけではありませんでしたが、夫は赤ちゃん好きなのです。教会でよそ様の赤ちゃん抱かせていただく夫を見て、教会の姉妹たちが、祈ってくださるようになりました。

また、韓国の家の長男である夫に子供がいないというのは、夫の母にとってはつらいことであったようで、彼女はずっと祈っていてくれたということでした。

不妊の原因について調べましたが、どこといって悪いところはみつからず、義母は私を漢方医に連れて行って、鹿の角の煎じ薬まで調合してもらいました。

もうあきらめてアダプトしようと日本にある孤児院で韓国人と日本人のハーフの子をもらえないかと手続きを始めようとした時です。妊娠がわかりました。まるで、あの旧約聖書のサラが妊娠がわかった時に信じられなくて、笑ったように、私もまるで夢としか思えませんでした。

後でわかりました。神様は受洗後の私達に十分にクリスチャンとしての訓練の時期を与えてくださり、主から預かる子供の親としてふさわしく整えていてくださっていたということを。

「神様のなされることはみなその時にかなって美しい」伝道書の言葉は本当です。

私達は娘の名前を ノエルとつけました。
    
イー弘美


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朧気だったイエス様の姿が教会生活をするうちにはっきり見えてきました、と、書きましたが、みなさんも経験していらっしゃるように、イエス様が私の罪のために死んでくださったということはなかなかわかりませんでした。

この欄で、苦楽を共にした猫、ジョナのことをお話ししましたが、それにはこの猫が一役買っています。夫が獣医さんからの薬をジョナに与えた時、ジョナは窒息して亡くなったのです。その時、初めて私達の手でジョナを死なせてしまったことで、イエス様の贖いの死がわかったような気がしました。

子供もいなくて、夫はやることもないので、私と一緒にロサンゼルスホーリネス教会の日曜礼拝に行くようになりました。2階のバルコニー席の2番目に座るといつも一列目に小さな女の子二人を連れた素敵なご夫婦がいらっしゃいました。

それが前原利夫ご夫妻でした。40年も経った今、この前原先生の教会に集わせていただくことになろうとは思いもしなかったことでした。神様のなさることは本当に粋です。その年の秋、ロサンゼルスホーリネス教会の伝道集会に夫も出席してみました。

土屋先生がメッセンジャーでしたが、その後安藤兄(まだ先生ではありませんでした)の「我さえも愛したもう」の賛美を聞いた時、聖霊が働かれたのでしょう。理詰めだった夫の心と魂に主が働いてくださったのでした。

その年のクリスマスに夫は洗礼を受け、教会の若い方たちとの集会や、聖書の学び、修養会に二人で出席している間に水を得た魚のように御言葉に浸っていきました。
そして私達の人生はすべて神様の青写真のもとにあること、冒頭の聖句にありますようにその神様のために生きることが私達の生きる目的であることを知ったのです。 

イー弘美


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生活が安定してきて、暇をもてあまし、義弟に連れられてリトル東京でのバイブルスタディに顔を出すようになりました。夫の弟は日本ではアメリカンスクールに行き、カルポリに留学して、大学のナビゲーターでクリスチャンになったのです。

英語が第一国語だったので、そのころ、仕事の後、日本人留学生に英語でバイブルスタディをしていました。私達の結婚祝いに聖書をくれたくらいです。

そのバイブルクラスで、知り合った日本人の若者たちから「韓国の女の方のお話があるから」と誘われて、これも暇つぶしにロサンゼルスホーリネス教会の集会に行き、スピーカーを見て驚きました。あのビザ申請の時に助けてくださった金先生の奥様、安先生だったのです。

戦争中、韓国の女学校で先生をしていた安先生は朝礼で皇居に向かって天皇に礼をしなかったことで、日本政府に捉えられ死刑の宣告を受けたこと、処刑される前に終戦になったこと等々、強烈なお話をしてくださいました。その場で、先生の書かれた本、「たとえそうでなくとも」を購入、憑かれたように読みふけりました。

あのすてきな先生の過去がこんなにすごいものであったこと、イエス様のために死ぬことが彼女の願いだったことを知り、崖から突き落とされた気がしました。            

ちょうど、義母とのかかわりあいで、いかに自分が汚い人間であるかに気づき、その自分から新しくなりたいと思っていた矢先でした。同じ人間でありながら、安先生のようになるには、その背後にある、イエス様を信じることだと何もわからないまま、このお方に従えばよいのではという思いで、翌年のイースターに受洗しました。

そして教会生活をおくるうちにちょうど、エマオ途上の弟子たちが彼と歩いているうちに目が開かれたように、ぼんやりだったイエス様のお姿が私にもはっきり見えてくるようになりました。

イー弘美


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義姉を通してビザ取得できるとわかりましたが、それには良い弁護士を探さなければなりません。良い弁護士を探すには、とおもいついたのは、前に韓国領事館で親切にしてくれた韓国教会の金牧師でした。牧師さんだったら良い方を紹介してくれるだろうと、「お昼が出るよ」と誘われていた金先生のバプテスト教会に行ってみました。

笑顔で私達二人を出迎えてくれたのは、金先生の奥様の安利淑先生。私が日本人だと知ると、「通訳してあげるから、英語部ではなくて韓国語の私の夫の礼拝に来なさい」と、私の手をとって隣に座り、いちいち御主人のメッセージを日本語に訳してくれました。

金先生と同様に日本で教育を受けられたとのこと。賛美するその声の美しさは天使の歌声でした。そして教会で頼んでいる移民弁護士を紹介してくれました。その後、韓国領事館に書類を整えに行くときには一緒に行ってくださいました。どうして見ず知らずの私達に親切にしてくださるのか不思議でした。

あとで聖書の御言葉からわかりました。「もっとも小さい者達のひとりにしたのは、私にしたのです。マタイ25:40」 お世話になったので、お礼参りのように礼拝に通いました。私は前の職場に復帰し、夫は日本に送った船便をとり戻しに行った船会社で、コンピュータ化する将来のためにと雇ってくれて仕事に励んでいました。

しばらく義理で礼拝に通いましたが、もうお礼参りもこのくらいでいいだろうと礼拝に行かなくなっていました。ある時、当時のデパート、ロビンソンで、ばったり安先生にでくわしてしまったのです。「僕らもいろいろ忙しくて...」と夫はその場を繕いました。

「今戦時中のことを書いているから、本になったら読んでね」

礼拝に顔をださなくなった私達を責めるのでもなく、先生はそうおっしゃったのでした。    

イー弘美


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夫は、イングルウッドからカノガパークのオリベッテイという会社に1時間もかけて通いだしましたが、仕事にも慣れ、私も英語世界での経理の仕事がわかるようになってきていました。ダウンタウンからバスで疲れて帰宅すると大家さんのミセスケラーが熱いシチュウーをさしいれてくれたりしました。

すぐ夫の18か月のトレイニングビザが切れる時が来て会社のスポンサーのもと、永住権を申請しました。もう少しトレイニングを受けなければ日本に帰ってもモノにならないでしょう。移民局からの返事待ちでした。

3月の初めのことです。帰宅すると移民局がらの封筒が待っていました。なんと、3週間以内にアメリカから出国するようにとの国外退去命令でした。アメリカ全体が不況でこれ以上外国人を受け入れられないというのが理由でした。

まあもう3年も経っているのだから日本に帰ってもいいかもしれません。船でゆっくり帰ってみようと夫は船会社に手続きに行きました。

少量の荷物と猫のジョナがまだ元気だったころで、猫も船室に入れてくれる契約をしました。船荷を出した直後、この国外退去命令では、私は日本へ、韓国籍の夫は韓国へ帰るようにということだと判明。

大慌てして、ロスの日本領事館の領事に会った結果判明したことはその当時の日本は韓国人、共産国人、中国人、無国籍人にとても厳しく、母親が日本にいましたし、妻の私が日本人でも夫は日本には3か月しかいられないということでした。夫には韓国に行くしか道が残されていません。

韓国には誰もいませんのに。出るのは溜息ばかり。退去指定日まであと数日。夫の姉がサンディエゴから訪ねてきました。彼女が4ヶ月後に市民権を取得するから弟として永住権が取れるので、その間弁護士にかけるようにとのこと。

ぎりぎりのところで神様は備えていてくださったのです。           

イー弘美


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