琉球⼤学での沖縄⽅⾔の研究は難しかったが離島巡りのフィール ドワークは楽しかった。そんな時に私が留学⽣として⽅⾔研究を していることが地元新聞に掲載された。

その記事を⽬にしたアメリカ⺠政府(沖縄統治機関)から連絡が⼊り、アメリカ政府のために働いてくれないかとの勧誘があった。

仕事の内容は琉⽶⽂化会館 の監督官職で、結局私はそのオファーを受諾し、国家公務員としてのキャリアを歩むこととなった。最初の1年は宮古島勤務であっ たが、その間、宮古⽅⾔を研究する機会に恵まれ、⽇本国語学会 の学術誌「国語学」に拙論が掲載される栄に浴した。

その後、那 覇市にある⺠政府本庁に転属となり、1972年沖縄の本⼟復帰まで の14年間を広報局⽂化担当官として、地元住⺠とアメリカ政府と の橋渡し役を務めることとなった。お陰で島内をくまなく巡る機 会も多く、地元の⼈々との交流も深まった。

⽂化会館は全島に5箇 所あり、アメリカ⽂化の紹介、⽶琉間の交流親善、⽶国統治によ る住⺠との摩擦の軽減など極めて微妙な使命が託されていた。

⽶ 琉間のはざまに⽴って両者のトラブル解決に頭を悩ますことも 多々あった。⼆つの祖国を持つ⽇系⼆世の宿命と思いつつ、微⼒ を尽くした。当時、教会は⽶軍基地内のチャペルで礼拝を守り、聖歌隊で歌うことが楽しかった。

年末恒例のヘンデルの メッサイアを⽶琉合同の合唱団で歌う企画にも参画し、⾒事に成功させた時の感激は忘れられない。

やがて⽶軍による沖縄統治が 終 わり、第⼆の故郷沖縄を去る⾟い時が来た。転勤族の⾝では致 し⽅ないと諦めて、⽇本本⼟内⽶軍基地に転勤することとなった。これも神様の摂理と思いながら、機上の⼈となったのが1972年9月のことであった。 

サムエル北村


cropped-gvic_banner1.jpg
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A. Tel.(310) 527-6112
www.gospelventure.com/


1941年3月、沖縄に別れを告げて我が家は名古屋に移った。父の新任先は名古屋中央教会であった。私はメソジスト系ミッションスクールに転校出来た。

そして12月8日、ハワイ真珠湾攻撃には大きなショックを受けた。何故ハワイなのか?この時ほど、二つの祖国に挟まれた自分が恨めしく思う時は無かった。

厳格な男子校で勉学に励んだ。この頃父から洗礼を受けたがいつだったのか、まるで覚えていない。牧師の家に生まれて純粋培養的に育てられた私はひ弱なクリスチャンであった。

キリスト教に全く無縁だった人達が模範的クリスチャンになって行くのをみるにつけ、私は自らを恥じる。父はおそらく、嘆いていたことであろう。不肖の息子は父の後を継ぐこともなく、オタマジャクシは蛙にはならなかった。

結局、理系大学を経て、理科教師を勤めて、終戦後の1950年5月に生まれ故郷に戻った。そして翌月、 なんと朝鮮戦争が勃発、11月には早くも召集令状を受け、アメリカ陸軍に就役、あっという間に人生がガラッと変わってしまった。

幸い神様のご加護のもと、2年間の軍役は無事に果たして再びハワイに戻った。今度は除隊兵優遇制度のもと、学生生活が始まった。この時役立ったのが少年時代に覚えた沖縄方言であった。

言語学を専攻することにし、修士論文に沖縄方言の音韻論を選んだ。それが縁で琉球大学で教鞭をとりながら方言を研究する機会に恵まれた。神様は私を再び沖縄に戻してくださった。神様の手のひらに乗せられたような安堵感で再び沖縄の土を踏むこととなった。17年振りの沖縄は戦前の美しさは見る影もなく荒涼たる戦争の激しさをとどめていた。

鉄筋コンクリート建てだった教会堂は仮修復されており、会堂に溢れるほどの会衆が集まり、昔、父を支えてくれた信者達との再会は感激そのものであった。戦場と化した沖縄で生き残った人、疎開先から戻ってきた人、みな私を暖かく迎えてくれた。

神様の摂理の存在を素直に信じることができた。「それ神の道は人の道の上にあり。神は人の歩みをみそなわす。」旧約聖書ヨブ記34:21

サムエル北村


cropped-gvic_banner1.jpg
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A. Tel.(310) 527-6112
www.gospelventure.com/


日米開戦の直前までの6年間、我が家はのどかな沖縄で過ごすことができた。私は天妃小学校に通うこととなったが、同級生の中には後に大学教授、デパート社長、海運会社社長、病院長、参議院議員になるような優等生がいた。

小学校時代の思い出に方言札なる罰則がある。当時沖縄では 日本語普及のため、学校内での方言使用が禁止され、違反生徒には罰として方言札が首にかけられた。私はいつのまにか方言に馴染むようになり、方言札をぶら下げることもしばしばであった。

この方言習得がのちの私の生涯に役立つとはそのころは夢にも思はなかった。もう一つの思い出はハンセン病患者の惨状であった。当時の沖縄は環境衛生が悪く、重い皮膚病に罹った患者が不当に差別を受け、今で言うホームレスになって街のあちこちに群がっていた。

教会の庭にも患者達が集まるようになり、母がおにぎりを作っては、配っていた光景は忘れられない。その患者たちへの救済運動がキリスト教界の呼びかけで大きく発展し、やがて、政府や財団の支援を得て、救癩施設「愛楽園」が沖縄本島屋我地島に設立されるに至った。私はその愛楽園の創立式(1938年11月)に父に連れられて出席している。

聖書の中でもイエス様が重い皮膚病の患者を癒す場面が度々描かれているが,沖縄のクリスチャンたちは歴史に残る偉大なる証しを果たしたのである。父の牧会を陰ながら支援してくれた信者の中には県立図書館長、工業試験場長、病院長などの有力者がいたことも幸いであった。

父にとって沖縄での伝道は終生忘れがたい神様への献身であったに違いない。そして1941年3月、一家は名古屋へ移住することとなった。平和な島との別れであった。

4年後にこの島が悲劇の激戦地になろうとは夢想だにせず、一家は那覇港から船出したのである。米軍の沖縄本島上陸作戦は1945年4月1日、奇しくもEaster Sundayの朝に決行された。

サムエル北村


cropped-gvic_banner1.jpg
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A. Tel.(310) 527-6112
www.gospelventure.com/


夏のハワイから太平洋に揺られること1週間、神様の力強い御手に守られて、日本郵船秩父丸は1934年9月北村一家を恙無く日本に届けてくれた。ハワイにいた頃、父母から聞かされていた富士山を目の当たりに見た時の感激は忘れられない。

日本人のDNAがなせるわざなのか。冨士はその後何度も見る機会があったが,生まれ故郷ハワイの山では見られないあの美しさは何度見ても感動的であった。横浜埠頭に迎えに来てくれた初対面の親類縁者、日本語が通じる誇らしさ、秋風の冷ややかさも日焼けしたハワイっ子には心地よい。

その夜から、一家5人は東京の伯父宅に仮住まいすることになった。布団生活の初体験も新鮮だ。見るもの聞くものすべてが珍しい。クリスマスツリーの代わりに門松、注連縄が軒並みに見られる。クリスチャンの伯父一家のお陰で日本語の賛美歌、聖書にはすぐなじめた。

教会も近所にあって日曜学校では友だちもすぐできた。父の沖縄赴任までの半年ほどは、1934年9月、渋谷尋常小学校に通うこととなった。朝礼での「君ヶ代」斉唱には戸惑ったが、学芸会は楽しめた。

見上げるような二宮金次郎の銅像には圧倒された。渋谷駅前で忠犬ハチ公の本物の頭を撫でる機会にも恵まれた。雪知らずのハワイっ子にとって雪は珍しかった。雪合戦や雪だるま作りで近所のガキ大将とも仲良くなれた。

そして春の到来と共に待望の沖縄行きが実現した。1935年4月、横浜港から1泊2日の船旅を経て那覇港に上陸した。東京とはまるで大違いの那覇の町には目を見張った。

見るもの聞くもの、こうも違うのかと驚きの連続であった。しかし、ハワイを思わせる海の美しさ、ハイビスカスの強烈な赤、電車の無い静かさ、何となく心が和む南国的雰囲気に包まれると、ふと、東京の喧騒さが懐かしくさえ思えてきた。

父の赴任した那覇中央メソジスト教会は市内一等地ともいうべき久米町にあった。鉄筋コンクリート三階建ての立派な教会堂であった。一家にとって不慣れな日本の最南端での生活がようやく始まった。

サムエル北村


cropped-gvic_banner1.jpg
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A. Tel.(310) 527-6112
www.gospelventure.com/


昭和初期に父は日本とアメリカの神学校を卒業して最初に赴任した教会はハワイのマウイ島パイア教会であった。私はその田舎町で生まれたが、当時のハワイはまだアメリカの属領(territory)であった。

マウイ島はサトウキビの耕作が盛んで日本人移民のプランテーションがあちこちにあった。そのため、教会やお寺が建てられ宗教活動が行われていた。幼な友達には日本人の子供たちが大勢いた。

せっかく仲のよかった友達と別れる時がきたのは父のハワイ島パパイコウ教会への転任のためであった。やがて小学校に入学し、白人の友達もでき、日曜学校にもくる友達も増えていった。子供心にも賛美歌を共に歌える喜びは大きかった。

そして、今なお忘れられないことは、私のクリスチャン ネームの由来である旧約聖書の預言者サムエル(注1)の少年時代の複製画(注2)が私のベッドルームに飾られていたことである。正座して祈りを捧げる少年の姿は印象的であった。

もう一つ忘れられなかったことは、生徒たちは裸足で学校に通っていたことである。冬のないハワイならではの習慣であった。その冬知らずのハワイにも別れる時が来た。父の日本への転任が決まったからだ。

友達との別れ、教師との別れ、まだ見ぬ日本への移住は子供にとっては大きなショックであった。せっかく身についてきた英語で考える習慣、英語で歌う賛美歌、英語で読む聖書があっというまもなく、飛び散った感じであった。

しかし、牧師の子にとって、日曜学校は生活の一部であり、賛美歌はまるで子守唄のように思えた。そんな環境はそのまま日本にも延長された。

ただ大きく変わったことは英語社会が遠ざかり、裸足が靴に変わり、ベッドが布団に変わったことだった。父の日本での最初の赴任先は沖縄県那覇中央メソジスト教会であった。かくして私の第2の祖国での生活が日本の最南端から始まった。

サムエル北村

注1: 旧約聖書サムエル記第1:3章1〜21
注2: 「幼きサムエル」と題されたこの油絵は英国18世紀の画家、ジョシュア レイノルズの傑作の一つとされている


cropped-gvic_banner1.jpg
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A. Tel.(310) 527-6112
www.gospelventure.com/


今年卒寿プラス1を迎える筆者にとって、1年の計を元旦に立てる気には到底なれない。明日をも知れぬ身にとって 1年先を見通すなんて無理なことだ。

然し年頭にあたり、新鮮な気持ちで信仰生活を反省することは必要であろう。賛美歌414番に新年の心構えが歌われているのを見つけた。

「あらたまの 年立ち返り うらうらと 初日におえり 家ごとに 松竹立てて にい年を祝う目出度さ」
「ひととせ(一年)の たくみ(計画)はすべて にい年に ありとしいえば み心を 我に示して この年も 勝ちを得させよ」

新年を祝う気持ちは古今東西あらゆる人種にとって共通の心情である。古き年を忘れて、新しき年に希望を見出そうとする人類共通の思いは、ある意味で欲求不満を排除する安全弁であるかもしれない。

人類共通の知恵であろう。そして人は新しい年に希望、期待をよせるのである。今年がどんな年になるのか、個人にとって、我が家にとって、アメリカにとって、日本にとって、世界にとって、――――――ーリストは尽きない。人それぞれ疑心暗鬼になる。ここでその真価が問われるのがクリスチャンの心構えであろう。どんな結果が生まれようとも神のみ心に素直に委ねる気持ちが新年の心構えでありたい。そんな時、心の支えとなる賛美歌がつい口ずさみたくなる。

賛美歌385番 「疑い迷いの 闇夜をついて 恐れずたゆまず 我らは進む 行く手に輝く
み光あれば 共に手をとりて 喜び進む」
「いざいざ同胞(はらから) 十字架を負いて み国の道をば 雄々しく歩まん
世の旅終わりて 栄の主より 命の冠 賜る日まで」

この一年この賛美歌を口ずさみながら歩みたいものである。

サムエル・北村


cropped-gvic_banner1.jpg
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A. Tel.(310) 527-6112
www.gospelventure.com/


結婚12年目にようやく与えられた娘のノエルが、最初で最後の子供かと思いました。ところが、主は23か月後に息子、ジョナサンをも与えてくださったのです。これは私達の想像以上のブレッシングでした。いつも神様は私達の思いをはるかに超えて最善をしてくださるお方です。

そして私達の伝道の対象はそれまでは若者達でしたが、子供をもったお母さん達へと変わっていきました。贅沢かと思ったプール付きの家は家庭集会に大いに使われ、週末、多くの子供連れの方々で賑わいました。

それには裏付けがあります。モントレーパークの5ベッドルームのお宅に移られたばかりの前原家をお訪ねした時、ミセス前原に教えていただいたことです。

「神様はこんなに良い住まいを与えてくださって、これで宣教師の方や、日本からの牧師さん達に泊まっていただける所が与えられて、感謝よ」とおっしゃったのです。そこで、私達もプール付きの家は贅沢ではないと、主の御用のために大いに使いました。

その後も、夫が職を失ったり、心筋梗塞で倒れたり、いろいろなことがありました。けれど、人生の設計図を描くのは私達ではなく、創造主なる神様であることをすでに十分に知るようになりましたので、恐れることはありませんでした。

むしろ、そんな時には神様がどのように解決してくださるか、楽しみでさえありました。家を買うのも、引っ越すのも、転職するのも、最善をしてくださる主を信頼して決定してきました。

結婚した際には、クリスチャンではありませんでしたし、お互いの国籍故に苦労したわけですが、今は、「国籍は天にあり」と天国を目指して、GVICのみなさんと地上での黄昏時を歩んでいる日々です。

「人の心には多くの計画がある。しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。箴言19:21」

  
イー弘美


cropped-gvic_banner1.jpg
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A. Tel.(310) 527-6112
www.gospelventure.com/


神様と教会を中心とする生活は楽しいものでした。そして交わりを通して、日本から来る若者たちが次々に救われていくことを目の当たりにする喜びは格別でした。

ふたりともロスのダウンタウンで働いていましたが、家庭集会やバイブルクラスに明け暮れる毎日でした。周りでは若い人々にどんどん子供が与えられていきましたが、結婚後10年以上も経つ私にその兆候はありませんでした。

それまで、夫の父親が若死にしたので、その年から、逆算して何歳までに子供を産みあげなければならないか、計算したりしていましたが、その年はすっかり超えてしまいました。

毎日充実していましたので、別に子供が欲しいと切実に願ったわけではありませんでしたが、夫は赤ちゃん好きなのです。教会でよそ様の赤ちゃん抱かせていただく夫を見て、教会の姉妹たちが、祈ってくださるようになりました。

また、韓国の家の長男である夫に子供がいないというのは、夫の母にとってはつらいことであったようで、彼女はずっと祈っていてくれたということでした。

不妊の原因について調べましたが、どこといって悪いところはみつからず、義母は私を漢方医に連れて行って、鹿の角の煎じ薬まで調合してもらいました。

もうあきらめてアダプトしようと日本にある孤児院で韓国人と日本人のハーフの子をもらえないかと手続きを始めようとした時です。妊娠がわかりました。まるで、あの旧約聖書のサラが妊娠がわかった時に信じられなくて、笑ったように、私もまるで夢としか思えませんでした。

後でわかりました。神様は受洗後の私達に十分にクリスチャンとしての訓練の時期を与えてくださり、主から預かる子供の親としてふさわしく整えていてくださっていたということを。

「神様のなされることはみなその時にかなって美しい」伝道書の言葉は本当です。

私達は娘の名前を ノエルとつけました。
    
イー弘美


cropped-gvic_banner1.jpg
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A. Tel.(310) 527-6112
www.gospelventure.com/


朧気だったイエス様の姿が教会生活をするうちにはっきり見えてきました、と、書きましたが、みなさんも経験していらっしゃるように、イエス様が私の罪のために死んでくださったということはなかなかわかりませんでした。

この欄で、苦楽を共にした猫、ジョナのことをお話ししましたが、それにはこの猫が一役買っています。夫が獣医さんからの薬をジョナに与えた時、ジョナは窒息して亡くなったのです。その時、初めて私達の手でジョナを死なせてしまったことで、イエス様の贖いの死がわかったような気がしました。

子供もいなくて、夫はやることもないので、私と一緒にロサンゼルスホーリネス教会の日曜礼拝に行くようになりました。2階のバルコニー席の2番目に座るといつも一列目に小さな女の子二人を連れた素敵なご夫婦がいらっしゃいました。

それが前原利夫ご夫妻でした。40年も経った今、この前原先生の教会に集わせていただくことになろうとは思いもしなかったことでした。神様のなさることは本当に粋です。その年の秋、ロサンゼルスホーリネス教会の伝道集会に夫も出席してみました。

土屋先生がメッセンジャーでしたが、その後安藤兄(まだ先生ではありませんでした)の「我さえも愛したもう」の賛美を聞いた時、聖霊が働かれたのでしょう。理詰めだった夫の心と魂に主が働いてくださったのでした。

その年のクリスマスに夫は洗礼を受け、教会の若い方たちとの集会や、聖書の学び、修養会に二人で出席している間に水を得た魚のように御言葉に浸っていきました。
そして私達の人生はすべて神様の青写真のもとにあること、冒頭の聖句にありますようにその神様のために生きることが私達の生きる目的であることを知ったのです。 

イー弘美


cropped-gvic_banner1.jpg
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A. Tel.(310) 527-6112
www.gospelventure.com/


生活が安定してきて、暇をもてあまし、義弟に連れられてリトル東京でのバイブルスタディに顔を出すようになりました。夫の弟は日本ではアメリカンスクールに行き、カルポリに留学して、大学のナビゲーターでクリスチャンになったのです。

英語が第一国語だったので、そのころ、仕事の後、日本人留学生に英語でバイブルスタディをしていました。私達の結婚祝いに聖書をくれたくらいです。

そのバイブルクラスで、知り合った日本人の若者たちから「韓国の女の方のお話があるから」と誘われて、これも暇つぶしにロサンゼルスホーリネス教会の集会に行き、スピーカーを見て驚きました。あのビザ申請の時に助けてくださった金先生の奥様、安先生だったのです。

戦争中、韓国の女学校で先生をしていた安先生は朝礼で皇居に向かって天皇に礼をしなかったことで、日本政府に捉えられ死刑の宣告を受けたこと、処刑される前に終戦になったこと等々、強烈なお話をしてくださいました。その場で、先生の書かれた本、「たとえそうでなくとも」を購入、憑かれたように読みふけりました。

あのすてきな先生の過去がこんなにすごいものであったこと、イエス様のために死ぬことが彼女の願いだったことを知り、崖から突き落とされた気がしました。            

ちょうど、義母とのかかわりあいで、いかに自分が汚い人間であるかに気づき、その自分から新しくなりたいと思っていた矢先でした。同じ人間でありながら、安先生のようになるには、その背後にある、イエス様を信じることだと何もわからないまま、このお方に従えばよいのではという思いで、翌年のイースターに受洗しました。

そして教会生活をおくるうちにちょうど、エマオ途上の弟子たちが彼と歩いているうちに目が開かれたように、ぼんやりだったイエス様のお姿が私にもはっきり見えてくるようになりました。

イー弘美


cropped-gvic_banner1.jpg
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A. Tel.(310) 527-6112
www.gospelventure.com/