先月の本欄で私は西郷隆盛に触れ、彼の座右の銘、「敬天愛人」にキリスト教に相通ずる精神性を感じると書いたがその後、偶然にも、「西郷隆盛と聖書ー敬天愛人の真実」なる本の存在を知り、早速日本から取り寄せた。今年1月に発行されたばかりで著者の守部喜雅氏は「キリスト教新聞」、「百万人の福音」の編集長だった人であるが、とにかくその内容に驚かされた。

著者によると、10年近く前に日本の民放テレビで「西郷隆盛はキリシタンか?」という歴史探訪番組が放映されたことがあり、これに刺激されてこの本を書くに至ったという。これによると、西郷は漢訳聖書を読んでいただけではなく、横浜で洗礼まで受けていたようだと書かれている。

俄かに信じ難い内容であるが、私には何となくありうることと読めた。明治維新の実現に犠牲的精神で奔走し、驕り高ぶらず世のため、人のために一生を捧げた西郷がクリスチャンであった可能性はゼロではないと思う。

著者は西郷のほか、坂本龍馬、勝海舟、大隈重信など多くのサムライたちが幕末維新のころ、聖書に接する機会があったと指摘している。その多くは宣教師たちの影響が見られ、聖書の不思議な力がサムライたちの心を揺さぶり、日本改革の気運を促したに違いない。明治維新はその証だと私は思いたい。

幕末維新のサムライたちが聖書に心打たれる思いで、高い志で国家のために活動したのであれば、彼らはなんと幸せであったことだろう。翻って、私は幼少の頃より聖書に親しむ機会に恵まれてきたものの、クリスチャンとして心を揺さぶられる経験は乏しい。

私には証に相応しい信仰経験が無いのだが、父母によく言われた「耐え忍べ」という言葉だけは守ろうと努めてきた。然しそれとても至難のわざである。(ローマ人への手紙5章3ー4節「それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」)

サムエル北村


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ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
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私が通っていた名古屋のキリスト教系中学校の校訓(モットー)は「敬神愛人」であった。講堂正面の扁額に墨痕淋漓大きく書かれた4文字は少年心に深く彫まれた。長ずるに及んで、これと同じような言葉を明治維新の立役者、西郷隆盛が愛用していることを知った。「敬天愛人」である。

先月号の証で私は日本の著名な宗教家、思想家、内村鑑三について触れた。その内村の名著「代表的日本人」5人の中に西郷隆盛が堂々と名を連ていることに私はかねてより興味を覚えていた。西郷にとって天とは何か?彼は神を信じていたのであろうか?彼は何故、今なお日本を代表する偉人として慕われるのであろうか?興味は尽きない。

内村鑑三は何故、西郷隆盛を日本を代表する人物に選んだのであろうか?西郷のほかに、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮が含まれているが、いずれも、その人生において、節を曲げずに自己の信念に忠実な人物たちであった。特に西郷は無私無欲、驕らず高ぶらず謙遜そのものであった。

内村はこのような地味で世間的に仰々しく振る舞わない日本人の精神性を広く海外に誇示すべくこの本を英文で書いている。西郷は自己を超えた大きな存在に寄り添う生き方をしたといわれている。この大きな存在こそ天であり、神ではなかったのであろうか。西郷はクリスチャンではなかったがクリスチャンに合い通ずる精神性を有していたと思う。

ここで私は聖書のルカの福音書14ー11「なぜなら、だれでも自分を高くするものは低くされ、自分を低くするものは高くされるからです」のみことばを思い出す。イエス様は自らこのような人のあり方を私たちに具現されてくださったお方である。

私は少年時代に受けた敬神愛人のモットーが私の信仰生活の根底に常に生きていることに感謝している。

サムエル北村


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先月号の本欄で私は日本のキリスト教について触れ、クリスチャン人口の少なさを嘆いたが、翻ってその日本のキリスト教に私はどう関わってきたのであろうかと、自問自答している。日本の諺に「論語読みの論語知らず」という言葉がある。

儒教の経典である論語をいくら読んでいても実行が伴わなければ役立たずであるという皮肉である。私は聖書読みの聖書知らずであったことを反省している。日本に長く住んでいて日本人の友人も沢山できたが、その友人達を教会に誘うことは一度も無かった。牧師の子でありながら宣教になんら手を貸すことは無かった。

今それを悔いている。宣教は聖職者だけに任せて、信者はただ手をこまねいて傍観していいはずはない。私は迂闊にもそのことに気付かずに無為に日本で怠惰な信仰生活を続けて来たのである。米軍基地に勤務していた関係で基地内のチャペルで礼拝だけは守った。チャペルはいわゆる”non-denominational”で教派の区別は無かったが、聖公会系の信者達だけは、日本で伝道している聖公会宣教師を基地に招いて特別礼拝を持っていた。

日本には世界でも極めて珍しい無教会主義派があって、特定の教会に属せずクリスチャン生活を維持している信徒がいるようだが、私は会う機会は無かった。ただ、私の父方の遠縁に、無教会主義の提唱者であった内村鑑三がいたことは、父からよく聞かされていた。内村は「二つのJ」を愛するという有名な言葉を残している。

一つはJesusのJ、もう一つはJapan のJである。彼の墓碑にはこう刻まれている。”I for Japan; Japan for the World; The World for Christ; And all for God.”彼は立派な愛国者である前に立派なクリスチャンであったのだ。

彼の墓は東京都府中市多磨霊園にあるが、私はいつか墓参できたらと願っている。
      
サムエル北村


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沖縄での勤務を終えて転任した先は神奈川県座間基地にある⽶国陸軍本州基地司令部であった。渉外部⻑として本州各地に点在する⽶陸軍基地と周辺⾃治体との親善交流、防衛省/⾃衛隊との渉外業務が主な任務であった。

沖縄の時と同じように仕事がら各地を訪れる機会に恵まれ、マスコミとの縁もでき、⾊々な友⼈もできた。教会は基地の中のチャペルで、従軍牧師と親しくできた。

然し、基地の外ではクリスチャンには中々めぐり合わなかった。⼈⼝の1%以下という⽇本のクリスチャン⼈⼝の少なさを痛感させられた。明治維新のキリスト教解禁以降も⽇本のクリスチャン数は何故、⼈⼝の1%を上回わることはないのであろうか。

隣国の韓国ではクリスチャン数が⼈⼝の30%以上という⾼率に引きかえ⽇本は異常に少ないのである。⽇本古来の祖先崇拝、儒教、神道、仏教など既成宗教の根強い影響は当然あろうがそれにしても少くな過ぎる。

それでいて、聖書の売り上げはなんと、アメリカ、イギリスに次いで世界第3位; しかも、キリスト教系⼤学数は77校と全国⼤学総数780校(2011度)の10%を占めている。

結婚式に⾄っては、神式に次いでキリスト教による式が多く、格好いいとされている。ファッションとしてのクロス(⼗字架)のペンダントなどをつけている⼥性も多い。

⽇本⼈特有の曖昧主義、本⾳と建前の使いわけ、多神教の深層が⽇本⼈のキリスト教へのコミットメントを阻害しているのであろうか。

どうやら、キリスト教は⽇本では宗教として定着せずに知的好奇⼼、⽂学的ジャンル、ファッション性としてとらえられる残念な状況である。全国の宣教に携われる牧師、神⽗、宣教師さんたちへの惜しみない応援が緊急課題である。

サムエル北村


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琉球⼤学での沖縄⽅⾔の研究は難しかったが離島巡りのフィール ドワークは楽しかった。そんな時に私が留学⽣として⽅⾔研究を していることが地元新聞に掲載された。

その記事を⽬にしたアメリカ⺠政府(沖縄統治機関)から連絡が⼊り、アメリカ政府のために働いてくれないかとの勧誘があった。

仕事の内容は琉⽶⽂化会館 の監督官職で、結局私はそのオファーを受諾し、国家公務員としてのキャリアを歩むこととなった。最初の1年は宮古島勤務であっ たが、その間、宮古⽅⾔を研究する機会に恵まれ、⽇本国語学会 の学術誌「国語学」に拙論が掲載される栄に浴した。

その後、那 覇市にある⺠政府本庁に転属となり、1972年沖縄の本⼟復帰まで の14年間を広報局⽂化担当官として、地元住⺠とアメリカ政府と の橋渡し役を務めることとなった。お陰で島内をくまなく巡る機 会も多く、地元の⼈々との交流も深まった。

⽂化会館は全島に5箇 所あり、アメリカ⽂化の紹介、⽶琉間の交流親善、⽶国統治によ る住⺠との摩擦の軽減など極めて微妙な使命が託されていた。

⽶ 琉間のはざまに⽴って両者のトラブル解決に頭を悩ますことも 多々あった。⼆つの祖国を持つ⽇系⼆世の宿命と思いつつ、微⼒ を尽くした。当時、教会は⽶軍基地内のチャペルで礼拝を守り、聖歌隊で歌うことが楽しかった。

年末恒例のヘンデルの メッサイアを⽶琉合同の合唱団で歌う企画にも参画し、⾒事に成功させた時の感激は忘れられない。

やがて⽶軍による沖縄統治が 終 わり、第⼆の故郷沖縄を去る⾟い時が来た。転勤族の⾝では致 し⽅ないと諦めて、⽇本本⼟内⽶軍基地に転勤することとなった。これも神様の摂理と思いながら、機上の⼈となったのが1972年9月のことであった。 

サムエル北村


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1941年3月、沖縄に別れを告げて我が家は名古屋に移った。父の新任先は名古屋中央教会であった。私はメソジスト系ミッションスクールに転校出来た。

そして12月8日、ハワイ真珠湾攻撃には大きなショックを受けた。何故ハワイなのか?この時ほど、二つの祖国に挟まれた自分が恨めしく思う時は無かった。

厳格な男子校で勉学に励んだ。この頃父から洗礼を受けたがいつだったのか、まるで覚えていない。牧師の家に生まれて純粋培養的に育てられた私はひ弱なクリスチャンであった。

キリスト教に全く無縁だった人達が模範的クリスチャンになって行くのをみるにつけ、私は自らを恥じる。父はおそらく、嘆いていたことであろう。不肖の息子は父の後を継ぐこともなく、オタマジャクシは蛙にはならなかった。

結局、理系大学を経て、理科教師を勤めて、終戦後の1950年5月に生まれ故郷に戻った。そして翌月、 なんと朝鮮戦争が勃発、11月には早くも召集令状を受け、アメリカ陸軍に就役、あっという間に人生がガラッと変わってしまった。

幸い神様のご加護のもと、2年間の軍役は無事に果たして再びハワイに戻った。今度は除隊兵優遇制度のもと、学生生活が始まった。この時役立ったのが少年時代に覚えた沖縄方言であった。

言語学を専攻することにし、修士論文に沖縄方言の音韻論を選んだ。それが縁で琉球大学で教鞭をとりながら方言を研究する機会に恵まれた。神様は私を再び沖縄に戻してくださった。神様の手のひらに乗せられたような安堵感で再び沖縄の土を踏むこととなった。17年振りの沖縄は戦前の美しさは見る影もなく荒涼たる戦争の激しさをとどめていた。

鉄筋コンクリート建てだった教会堂は仮修復されており、会堂に溢れるほどの会衆が集まり、昔、父を支えてくれた信者達との再会は感激そのものであった。戦場と化した沖縄で生き残った人、疎開先から戻ってきた人、みな私を暖かく迎えてくれた。

神様の摂理の存在を素直に信じることができた。「それ神の道は人の道の上にあり。神は人の歩みをみそなわす。」旧約聖書ヨブ記34:21

サムエル北村


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日米開戦の直前までの6年間、我が家はのどかな沖縄で過ごすことができた。私は天妃小学校に通うこととなったが、同級生の中には後に大学教授、デパート社長、海運会社社長、病院長、参議院議員になるような優等生がいた。

小学校時代の思い出に方言札なる罰則がある。当時沖縄では 日本語普及のため、学校内での方言使用が禁止され、違反生徒には罰として方言札が首にかけられた。私はいつのまにか方言に馴染むようになり、方言札をぶら下げることもしばしばであった。

この方言習得がのちの私の生涯に役立つとはそのころは夢にも思はなかった。もう一つの思い出はハンセン病患者の惨状であった。当時の沖縄は環境衛生が悪く、重い皮膚病に罹った患者が不当に差別を受け、今で言うホームレスになって街のあちこちに群がっていた。

教会の庭にも患者達が集まるようになり、母がおにぎりを作っては、配っていた光景は忘れられない。その患者たちへの救済運動がキリスト教界の呼びかけで大きく発展し、やがて、政府や財団の支援を得て、救癩施設「愛楽園」が沖縄本島屋我地島に設立されるに至った。私はその愛楽園の創立式(1938年11月)に父に連れられて出席している。

聖書の中でもイエス様が重い皮膚病の患者を癒す場面が度々描かれているが,沖縄のクリスチャンたちは歴史に残る偉大なる証しを果たしたのである。父の牧会を陰ながら支援してくれた信者の中には県立図書館長、工業試験場長、病院長などの有力者がいたことも幸いであった。

父にとって沖縄での伝道は終生忘れがたい神様への献身であったに違いない。そして1941年3月、一家は名古屋へ移住することとなった。平和な島との別れであった。

4年後にこの島が悲劇の激戦地になろうとは夢想だにせず、一家は那覇港から船出したのである。米軍の沖縄本島上陸作戦は1945年4月1日、奇しくもEaster Sundayの朝に決行された。

サムエル北村


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夏のハワイから太平洋に揺られること1週間、神様の力強い御手に守られて、日本郵船秩父丸は1934年9月北村一家を恙無く日本に届けてくれた。ハワイにいた頃、父母から聞かされていた富士山を目の当たりに見た時の感激は忘れられない。

日本人のDNAがなせるわざなのか。冨士はその後何度も見る機会があったが,生まれ故郷ハワイの山では見られないあの美しさは何度見ても感動的であった。横浜埠頭に迎えに来てくれた初対面の親類縁者、日本語が通じる誇らしさ、秋風の冷ややかさも日焼けしたハワイっ子には心地よい。

その夜から、一家5人は東京の伯父宅に仮住まいすることになった。布団生活の初体験も新鮮だ。見るもの聞くものすべてが珍しい。クリスマスツリーの代わりに門松、注連縄が軒並みに見られる。クリスチャンの伯父一家のお陰で日本語の賛美歌、聖書にはすぐなじめた。

教会も近所にあって日曜学校では友だちもすぐできた。父の沖縄赴任までの半年ほどは、1934年9月、渋谷尋常小学校に通うこととなった。朝礼での「君ヶ代」斉唱には戸惑ったが、学芸会は楽しめた。

見上げるような二宮金次郎の銅像には圧倒された。渋谷駅前で忠犬ハチ公の本物の頭を撫でる機会にも恵まれた。雪知らずのハワイっ子にとって雪は珍しかった。雪合戦や雪だるま作りで近所のガキ大将とも仲良くなれた。

そして春の到来と共に待望の沖縄行きが実現した。1935年4月、横浜港から1泊2日の船旅を経て那覇港に上陸した。東京とはまるで大違いの那覇の町には目を見張った。

見るもの聞くもの、こうも違うのかと驚きの連続であった。しかし、ハワイを思わせる海の美しさ、ハイビスカスの強烈な赤、電車の無い静かさ、何となく心が和む南国的雰囲気に包まれると、ふと、東京の喧騒さが懐かしくさえ思えてきた。

父の赴任した那覇中央メソジスト教会は市内一等地ともいうべき久米町にあった。鉄筋コンクリート三階建ての立派な教会堂であった。一家にとって不慣れな日本の最南端での生活がようやく始まった。

サムエル北村


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昭和初期に父は日本とアメリカの神学校を卒業して最初に赴任した教会はハワイのマウイ島パイア教会であった。私はその田舎町で生まれたが、当時のハワイはまだアメリカの属領(territory)であった。

マウイ島はサトウキビの耕作が盛んで日本人移民のプランテーションがあちこちにあった。そのため、教会やお寺が建てられ宗教活動が行われていた。幼な友達には日本人の子供たちが大勢いた。

せっかく仲のよかった友達と別れる時がきたのは父のハワイ島パパイコウ教会への転任のためであった。やがて小学校に入学し、白人の友達もでき、日曜学校にもくる友達も増えていった。子供心にも賛美歌を共に歌える喜びは大きかった。

そして、今なお忘れられないことは、私のクリスチャン ネームの由来である旧約聖書の預言者サムエル(注1)の少年時代の複製画(注2)が私のベッドルームに飾られていたことである。正座して祈りを捧げる少年の姿は印象的であった。

もう一つ忘れられなかったことは、生徒たちは裸足で学校に通っていたことである。冬のないハワイならではの習慣であった。その冬知らずのハワイにも別れる時が来た。父の日本への転任が決まったからだ。

友達との別れ、教師との別れ、まだ見ぬ日本への移住は子供にとっては大きなショックであった。せっかく身についてきた英語で考える習慣、英語で歌う賛美歌、英語で読む聖書があっというまもなく、飛び散った感じであった。

しかし、牧師の子にとって、日曜学校は生活の一部であり、賛美歌はまるで子守唄のように思えた。そんな環境はそのまま日本にも延長された。

ただ大きく変わったことは英語社会が遠ざかり、裸足が靴に変わり、ベッドが布団に変わったことだった。父の日本での最初の赴任先は沖縄県那覇中央メソジスト教会であった。かくして私の第2の祖国での生活が日本の最南端から始まった。

サムエル北村

注1: 旧約聖書サムエル記第1:3章1〜21
注2: 「幼きサムエル」と題されたこの油絵は英国18世紀の画家、ジョシュア レイノルズの傑作の一つとされている


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今年卒寿プラス1を迎える筆者にとって、1年の計を元旦に立てる気には到底なれない。明日をも知れぬ身にとって 1年先を見通すなんて無理なことだ。

然し年頭にあたり、新鮮な気持ちで信仰生活を反省することは必要であろう。賛美歌414番に新年の心構えが歌われているのを見つけた。

「あらたまの 年立ち返り うらうらと 初日におえり 家ごとに 松竹立てて にい年を祝う目出度さ」
「ひととせ(一年)の たくみ(計画)はすべて にい年に ありとしいえば み心を 我に示して この年も 勝ちを得させよ」

新年を祝う気持ちは古今東西あらゆる人種にとって共通の心情である。古き年を忘れて、新しき年に希望を見出そうとする人類共通の思いは、ある意味で欲求不満を排除する安全弁であるかもしれない。

人類共通の知恵であろう。そして人は新しい年に希望、期待をよせるのである。今年がどんな年になるのか、個人にとって、我が家にとって、アメリカにとって、日本にとって、世界にとって、――――――ーリストは尽きない。人それぞれ疑心暗鬼になる。ここでその真価が問われるのがクリスチャンの心構えであろう。どんな結果が生まれようとも神のみ心に素直に委ねる気持ちが新年の心構えでありたい。そんな時、心の支えとなる賛美歌がつい口ずさみたくなる。

賛美歌385番 「疑い迷いの 闇夜をついて 恐れずたゆまず 我らは進む 行く手に輝く
み光あれば 共に手をとりて 喜び進む」
「いざいざ同胞(はらから) 十字架を負いて み国の道をば 雄々しく歩まん
世の旅終わりて 栄の主より 命の冠 賜る日まで」

この一年この賛美歌を口ずさみながら歩みたいものである。

サムエル・北村


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