「私の心に立ててしまっている壁」を打ち壊すべく、気がつかなかった問題 “父との関係”が祈りを増すごとに、明らかとなり、緊張とチャレンジではありましたが、心の奥底では、その壁を打ち壊すことへの喜びが湧いて行きました。

まずは、父に“愛されたかった”という思いと、“父を父とも思わずにいた”ことへの謝罪をするため、私は、手紙を書くことにしました。

畑や庭仕事が好きな父に、スイスの窓辺に飾るお花の事、家畜の牛さえスイスではおしゃれに見えることなどを書いてから、本論に入りました。

・・・お父ちゃん、私は学校で「父の愛」というテーマで神様のことを勉強しています。ここでは、お父さんという存在は、娘を無条件で愛し、いつでも私を見てくれている存在だということを知りました。

 しかし、これは私には胸の痛むことでした。実はお父ちゃんから愛されていると思うことができないでいたからです。だから、愛されることよりも私がお父ちゃんを愛して、良い娘になろうと思っていました。

でもこの事は、不自然でした。いつの間にか、お父ちゃんのご機嫌をうかがい、傷ついているのに、とても嫌な思いをしているのに、ぐっと我慢していたのですから。

 まず、勝手にお父ちゃんから「愛されていない」と思ってしまったこと、ごめんなさい。ご機嫌を伺っていると言いましたが、自分の気持ちを一切言わずにいたこともごめんなさい。色々なことがあったので、お父ちゃんには父親としてのせきにんは荷が重すぎるとずっと思っていました。

やっぱり、私はお父ちゃんから愛されているという実感を十分受けたかったのだと気がついたのです。
これを伝えたくてお手紙を書きました。

この手紙を書きながら、小さい頃の事がどんどん蘇ってきて、キャッチボールにマラソン、体操に楽しい思い出ばかりでした。

イエス様を信じたら、今まで見えなかったことが見えるようになって嬉しいです。お父ちゃんの事、弟の事もイエス様にいつも祈っています。明子・・・・

キム・明子

「あなたの心に建てている壁は何か?」の問いかけに、この壁が父との関係にあることを示されました。私自身は大丈夫(問題なし)と思っていたものの、この壁の示しは来る時が来た、という思いでした。

というのも、私は父との会話にいつも気を使い、本音の会話はできず、軽い喧嘩など出来るはずもなく、父の気持ちを安心させることを常に心がけていました。大事な話になればなるほど、母にはできても、父にはできません。しかし、大学進学や進路の話というものは父親を通さなければなりません。これらの一つ一つが私にはとっても気の重い厄介なことでした。

パッと高くそびえ立つ壁を見せられた時、これは厄介なことを神様に言われてしまった!さすが神様、私の問題をよくご存知なのだと思いました。しかし、見せられた壁は依然として気の重い壁です。 
これを私の手で壊すという具体的な方法は全くわかりませんでしたが、とにかく祈り始めました。

イエス様、私の心に建ててしまっている壁がわかりました

イエス様、私の心に建ててしまっている壁がわかりました。父との関係ですね。この壁を壊すことを神様は私に言われているのですか。この壁はどうしたら壊れるでしょうか。私だけの問題ではない、父の心はイエス様から遠く、イエス様の十字架の救いの話をすれば怒る人なのです。

祈って静まり、祈って静まるを繰り返しました。

1)あなたは、お父さんに愛されていないと思っているけれど、お父さんはあなたを心から愛している。娘は父親から愛される存在である。

2)“父は情けない男だから、私が父を助ける“とあなたが思っていることは、罪である。 あなたは父親の権威を、立場を無視している。

私は父から愛されているとは到底思えず、それを考えると傷つくので考えず、その代わりに私が父を愛そう、と一生懸命に父のために尽くす娘でした。ですから、父からも良い娘だと思われていたと思うし、父に対して罪を犯しているとはびっくりな主からの語りかけでした。

主は続けて語り、導いてくださいました。

何もわからない私に、主は続けて語り、導いてくださいました。「あなたは、お父さんからもっともっと愛されたかった、それを実感したかったのだ。それをお父さんに話ししてごらん。また娘として父を父と思わないような気持ちでいたこと、これをお父さんに謝らなければならないよ。」

神様のご命令は、父に「愛されたかった」「ごめんなさい」を伝えること。気が重く、難しいのですが、神様のご命令です。壁を打ち壊すためにやるしかない。壁壊しの始まりです。

私の人生において、イエス・キリストを神として信じることは、心の癒しの始まりでした。心が元気になる、喜びが溢れるという経験はもちろんですが、今まで気がつかないでいた私の「痛み」「罪」を見せられ、そこに神様が臨まれるという経験です。

自分の痛みと向き合うということは、時にとても難しく、認められず、受け入れ難いものでした。しかし、それでもその問題と向き合うとき、神様が私の背中を守るように押してくださって癒しのステップへと進むのです。

クリスチャンになって2年が過ぎ、私はワイアム(Youth With A Mission)のスイス校にいました。この学校では、DTS(Disciple Training School) 神様との個人的関係を深く学びました。

当時の私は、イエス様を知った嬉しさと、宣教師になりたい!という思いでいっぱいでした。そういう元気な私に、初めのステップ、「痛み・罪」へのお取り扱いが始まるのです。

ある日の授業、「父の愛」というテーマに大きな木の下に座っての青空教室でした。

スピーカーの先生が言います。

「あなたの心の中に建ててしまっている壁はなんですか?」

「もし、あなたが建ててしまっている壁があるなら、それをあなた自身の手で打ち壊さなければなりません。」

「今しばらく、あなたの心の壁が何であるのか、父なる神様に聞いてみましょう。」

もう一度言いますが、私の心は、クリスチャンになった喜びで、ルンルンでした。家族の問題はあるけれど、私自身に問題があるとは思えませんでした。ですから、もう心の壁は打ち壊されているし、この祈りはあまり自分には関係がないと思いました。

しかし、祈った瞬間に私の心に高い壁が建てられているのが見えました。この壁は何でしょう。私が父との間に建ててしまった高い壁でした。

「おとうちゃんだ。」胸がズキンと痛みました。

それは、小さい時から私が父に建ててしまっている壁。怖い壁。話しても理解されない壁。怒りの壁。馬鹿にしている壁。情けない壁。悲しい壁でした。この高い壁と向き合うことは、私にはできない、これだけは無理!と思いました。

まずいことを神様に言われてしまった!と思いながら部屋に帰り祈りました。怖い、面倒臭い、向き合えない、父に理解してもらえるなんてありえない。無理だよ、、、しかし、神様が私の背中を優しく押されます。もっと祈ってごらんと。(続く)

イエス様を信じた時、私は25歳。(今思うと若かったな〜と思うのですが)もっと早くイエス様を知りたかったよ!と、とても強く思いました。それほど、イエス様との出会いは、人生を変える素晴らしいものだったからです。

私はサービス業の会社で、マネージャーをしていましたので、仕事のスケジュールが割と自由にできた上に、クリスチャンになった半年後には、会社の社長夫人がイエス様を信じ、続けて社長が信じ、会社の従業員の方も救われていき、会社のラウンジには、賛美歌が流れるようなるという、奇跡のような、素晴らしい環境で働いていました。

清掃係をしていたおじさんがイエス様を信じた時、おじさんも嬉しい思いが抑えきれなかったのでしょう。仕事が終わると、ラウンジに来ては聖書のことやイエス様のことを私に話しに来ます。ある日、私がいつから信仰を持ったのかと聞いてきましたので、答えると。

「あ〜!やっぱりそうですか。今のお顔はとっても柔らかくて嬉しそうですけど、以前のあなたは、馬鹿にされるものか!と肩に力が張っているように見えましたから。」というのです。

おじさんからの悪気のない一言でしたが、「気配りがあり、笑顔で優しいマネージャー」と自分では思っていたので、とっても恥ずかしいやら、赤面でした。

確かに、「仕事で馬鹿にされてはいけない」と思い、「家の問題で仕事に迷惑をかけない」と気をつけ、いつも元気に振舞っていました。仕事で分からない事は、夜遅くまで会社に残って勉強しました。

しかし、孤独を感じ、ストレスを感じ、しっかりしているように見えても、買い物三昧、ゴルフ三昧。そういう事ができる自分に、いい気になっていた頃でした。(現実逃避をしている父を見下げていたのに、形は違っても私も同じでした。)

イエス様を信じることを、「新生する」と言い、また信仰を持って生活し成長することを、「聖化する」と言います。

イエス様を信じてすぐに神様は職場を祝福してくださいました。幼い私の信仰は、その職場と、教会の往復で心が解放され、喜びが生まれ、育っていくのです。

実際に、家族のためだけに祈っていた私が、会社のために祈り、従業員のために祈り、お客さんのために祈り、朝に晩に礼拝メッセージを聞いて仕事に励む生活へと変えられていくのです。(続く)

キム・明子

私は確かに自分の意思でイエス様を信じたのですが、大いなる力に包まれたことによって、イエス様が神である事が分かったと言うべきかもしれません。
神様がいる、と信じた私には、聖書の話がどんどん素直に入ってきました。
イエス様を信じると、力が注がれる、喜びが注がれる、病気が癒される、問題の解決がある。私の心は新しい期待でいっぱいです。

しかし、心は喜びいっぱいでも、家での現実は悲惨なものでした。

父は、息子の問題に向き合うことができず、お酒や遊びに逃げる現実逃避。しかし、家中のガラス、扉、窓が壊れ、欠片が庭に散乱しているのを目の当たりにすると、正気に戻ったように、父はしゃがみ込みました。

イエス様を信じる前の私は、父に対して、「我が家の問題は父には荷が重すぎる」と勝手に判断し、父に心配、負担をかけないようにと、私は一人で頑張っていました。母には、「母は賢くなんでもできる人」という思いから、もっと頑張れ、もっと頑張れと叱咤激励の連続だったように思います。

本当は、弱り果てている人に、叱咤激励なんてしてはなりません。イエス様の愛を知るまでは、私は自分の思いを母にぶつけては、母の悲しみに追いうちをかけていました。また娘でありながら、娘として父を敬うことはせず、父を助けているつもりで実は父の権威を取り除くという罪を犯していました。
しかし、これらの罪に私が気がつくのはもう少し後になってからなのですが。

家中が荒れはてた様子を見て、しゃがみこむ父に、「おとうちゃん、ママがお世話になった教会へ行ってみようよ。」と私はとっさに言いました。父は、夜勤明けで疲れていましたが、一緒に教会へ行くと言ってくれました。車の中で必死に祈りながら、神様に期待しました。父がイエス様を信じればなんとかなる。私が変えられたように、父が変わるように祈りました。

教会では、第一ヨハネ4章から「神は愛」というお話でした。私はずっと泣いていて、父は黙って聞いていました。父は言葉の人ではないのですが、勘の良い人です。集会がおわり、牧師先生が父と私のために祈ってくださって、私たちは家に帰りました。

途中「アッコ、うどんでも食べてく?」と父に言われて、うどん屋さんへ入りました。そこで父が「アッコは教会に行ってんの? 気持ちがすっとすんな。たまにはああいうとこに行くものいいや。」と田舎訛りで言うのでした。 父がイエス様に心を開いている!と希望を持った時でした。

それから、16年、父が救われるのにかかるとは全く知らずに。 

しばらくの間教会へお世話になるという母からの電話の後、私は荷物をまとめ始めました。夏だったので、数枚の着替えと下着などを揃えて持っていこうと思っていましたが、母の下着はろくな物がなく、どれもボロボロでした。母の苦労が今更ながらに分かって涙がこみ上げてきました。

途中、母の下着を購入し、電車で田舎へ下って45分のところに、母がいる教会がありました。
 
私に取っては生まれて始めての教会です。そこは、とても小さい平屋の家で、『主イエスキリストの教会』と看板がありました。チャイムを鳴らすと中から男性が出て来て、中へ通してくださいました。

小さな部屋にはワープロがあって何か作業をされていたのかもしれません。その男性が牧師先生でしたが、私は牧師も神父の違いも分かりませんし、ずいぶん普通のおじさんで、普通の格好だなと持ったのを覚えています。

以前の私は、家庭の問題について聞かれれば、なるべく平静に、笑顔で相手に分かりやすいように説明してきました。私が悲んだり、泣いて落ち込むことは、弟の存在を否定することになると思っていたからです。ですから、あの時も家族の非常事態にも関わらず、私はきちんと落ち着いて挨拶してすぐに帰ろう、と決めていました。
 
しかし、その牧師先生がとても温かい笑顔で、歓迎して下さり、色々と話しかけて来られました。「弟さんはどうですか?」「お父さんはどうですか?」「今お家はどうですか?」等々。私を思ってくださっての言葉だと分かりました。私は感謝しながら、いつものように淡々と笑顔でお家事情を話しているのですが、涙が後から後から溢れて流れてしまいます。

やがて母と牧師夫人が出先から帰ってきて、私は荷物を母に渡し、先生ご夫妻にお礼を言って失礼することにしました。牧師先生が「最後にお祈りしましょうね」と言って、私の頭に手を置いて、祈ってくださいました。

祈りを聞いたのも、祈ってもらったのも初めての体験です。祈りが始まったと同時に、頭の上から足の先まで私に熱いものが流れこみました。涙が溢れ出して嗚咽するほど泣いてしまいました。その熱い中『もう大丈夫、今まで良くがんばったね』と。聖書も読んだことがなく、イエス様のことも知らない私でしたが、それは「神様だ!」と直感し、私は神様の存在を信じました。

喜びが泉のように湧いて

帰路の電車の中でも涙が止まらず下を向いて帰りました。その涙が止まると今度は、喜びが泉のように湧いて来て嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

家の中は酷い状態なのに、母は家を出ている状態なのに、嬉しくて、私の中の大切な部分が理解されたような、大事な物を探し当てたような喜びが溢れるのです。

午後から仕事へ出ると、私にこみ上げる喜びを押さえ切れずに、職場の方々に「今日ね、教会へ行ったの。」と言い歩いていました。不思議な体験でした。

数日経っても、私の湧き上がる喜びは変わらず、また教会へ行きたい!あの場所へ行きたいという思いが募りました。母に聖書はどこで売っているのかを尋ねると、母も嬉しかったのでしょう、直ぐに新しい聖書が用意されていました。

再び教会へ

それからの私は、水曜日祈祷会、木曜日の婦人会、日曜日の礼拝、時々金曜日の徹夜祈祷会へと通うようになりました。教会に入ると、空気が変わる様でした。賛美に、メッセージに、いつも泣いていまいした。そして、その後は喜びで満たされました。

今までの私は、家族の問題を除けば、友達も多く、仕事もやりがいのある充実した生活でした。私のことを悪く言う人もそれほどいませんでした。

なのに、私の心はカラカラに渇いていたのです。私はずっと頑張っていました。本当は折れて倒れそうでした。
しかし、私を愛し、私を理解されるお方、私の霊のお父さん、神様と出会ったのです。私の霊は喜びで満ちて、渇いた心がどんどん潤っていきました。

こうして私はイエス様を私の救い主と信じるのです。

キム・明子

初めに、神が天と地を創造した。創世記1章1節

先月末、私は一年ぶりにフロリダ州に住む長男夫婦と二人の孫達に会いに、91歳の母と北海道から遊びに来ている知り合いのお嬢さんと三人で行ってきた。フロリダ州オーランド市は蒸し暑い毎日で、汗かきの私には正直住みにくい所ではあったが、大きくなった孫達と一緒にいるといつしかその暑さも忘れるほどだった。

しかし、30年以上も前に自分の子供達を幼稚園の入園式に連れて行ったように、今度はその長男が小さな孫の手をとって幼稚園に連れて行く後姿を見たとき、「私も歳を取ったものだ!」と思わざるを得なかった。

今回、私はフロリダ州にいる間に是非見たいところがあった。それは、あの月に向かって宇宙船を飛ばした「ケネディー・宇宙センター」であった。車で1時間半走ったところにあるケープ・カナベラルは、予想をはるかに超えた広大な土地だった。

1961年、ケネディーアメリカ大統領は、議会の中で「アメリカは、1960年代が終わるまでに人類を月に着陸させ、無事地球に帰還させるという目的を達成するために全力を挙げるべきだ!」と演説したが、その8年後の1969年7月16日にまさしく二人の宇宙飛行士、ニール・アームストングとバズ・オールドリンをアポロ11号に乗せて月へと送ったのだった。それは、中学生時代に突如現れた「ザ・ビートルズ」の次に、当時大学1年生だった私にとっては衝撃的な出来事であり、今でも鮮明に覚えている。

初めて宇宙船アポロ11号が月面に到着した瞬間、そして月面をゆっくりと歩いたアーム・ストロング宇宙飛行士が、「一人の人間にとって小さな一歩にすぎないが、人類にとっては大きな躍進である。」と言ったことばは、宇宙とはいかに大きな存在なのかと感動したものだった。

しかし、クリスチャンとなった今の私には、人間の創造では計り知れない宇宙の広大さに驚く以上に、その宇宙を含む「天と地を創造された偉大なる神様の存在」に、改めて大きな感動を覚えるのであった。

創世記1章1節の「初めに、神が天と地を創造した。」というみことばは、何の解説もなくいとも簡単に書かれてあるが、しかし『創造した』のへブル語「バーラー」とは、「何もないものから創った」という意味で、同じ1章16節にある『(太陽や月を)造られた』の「アーサー(既に存在する材料を用いて造った)」とはまったく違ったことばである。つまり神様は、私達の存在する地球や天を、何の材料も使わずに無から創造されたのである。

そして、アーム・ストロング宇宙飛行士が月面を歩いたという46年前の一大ニュースは、神様が創造されたところに初めて足跡を残したというだけのことであった。宇宙から小さな地球を見たアームストロング宇宙飛行士は、地球の美しさと共に神様の偉大さを褒め称えたという。

その小さな地球に住む私たちは、日々の生活の中で何を見てるだろうか?広大な宇宙の一つの星「地球」に存在する私達は、、独り子イエス・キリストを十字架につけるほどに愛する「天の父なる神様」を賛美し、その偉大さを日々褒め称えているのだろうか?それとも、取るに足らない小さな問題に心と思いを向けて、不平、不満、時には神様に文句を言いながら毎日を過ごしているのだろうか?日々の忙しさから一時その手足を止めて、顔を天に向け、父なる神様に賛美の声を上げようではないか!

天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。(詩篇19編1節)

織田恭博

私の父は言葉の人ではなく、そこはとても不器用な人でした。

「俺はよ、家族がおもしろおかしく仲良く暮らすのが一番なんだ!」というのが口癖でしたが、元来の我が侭で、お酒を飲んでは威張る、自然災害の庭、畑の被害も、飼っている鯉やニワトリが猫やイタチに襲われることも、全て母が責められ、怒られていました。

家の中は笑いどころか、悲しい冷めた空気だけが残るのが日常です。父が機嫌が良いと安心し、悪いと重い鉛が心に押し寄せました。両親が仲が良くない、父が母に優しくない、母が父を尊敬していないと言う事実は、子供にとっては悲しいことです。

子供は夫婦の愛情のこぼれで育つと言われますが、私たち兄弟は、夫婦の争いの中で、母の悲しみ、父の愚かさに傷ついていったのです。

それでも、私と妹は表面的には良い子に育ち、学校でも明るく元気でした。本当は心の痛みに蓋をし、触れないように見ないようにしていたのですが。

しかし、弟は、苦いものに蓋をするほど、強く、もしくはずるく生きられませんでした。傷が溢れ出すように、自分を責めて親を責めて、泣き崩れながら家の中が壊れて行きました。

何も隠すことができず、何の言い訳もできなくなり、私たちの家族は崩れ落ちました。父がいくら怒っても、怒りでは彼の心は治りません。

母がいくら謝っても、奴隷のように不自由な母を更に責めるばかり。怒りの標的は母に行き、母はどうしたらよいか分からず、自分がいると怒りが助長する「私がいるから息子がだめになる」と思い、家を出ます。サンダル履きに手さげバック一つで外に出た母は、ダンプカーが走って来るのを待ちました。「ダンプが来たら飛び込んで死のう」と思ったそうです。

しかしその時、手さげの中のトラクトが目に留まり、それは一度だけ行った事のある教会のものでした。その教会へ電話をすると、その教会の牧師先生ご夫妻が、遠いところから車を飛ばして母を迎えに来て下さいました。

母が家を出た翌日、父のところに電話が入り、教会にお世話になっていること、着替えもお金もないから持ってきてほしいという事でした。

本来なら父が家の問題のために教会へ行きご挨拶をするべきですが、私の父はそういう事ができません。「あっこ、悪いな!ちょっとママのところへ行ってくんな。」と私に頼み、一つの難をしのぐのです。

私は私で、父は情けない、まともな口がきけない人だと思っていますので、父のプライドを傷つけないように、いつでも笑顔で何でも父のために動きました。
 
全く神様に頼る事を知らず、努力、頑張りでこの問題を乗り越えようと思っている私が、教会の扉を叩きます。

キム・明子

続く・・

弟の登校拒否から8年が経っても、彼の心の痛みは癒されないまま、私たち家族の心は疲れ切っていました。どうしてこんな風になってしまったんだろうか。家族一人一人がそれなりに努力してきましたが、私たちの抱える問題は大きくなるばかり。

母は、弟の前では笑顔でも、普段は泣き顔でした。外に出るのが辛くて、買い物は夜に出かけます。ある夜、息子のために牛乳を買いに出かけた母に、夜空の星が輝いていました。いつも下を向いていたのに、母は空を見上げて星を見たのです。

「私は、この子のために牛乳を買うことができるんだわ。」と輝く星をみて、感謝の思いがこみ上げてきたそうです。

ちょうどその頃,自宅ポストに無料英会話クラスのチラシが投げ込まれました。近所の教会の無料英会話教室です。英語好きな母は、そのチラシをもって、英語クラスへ行くと、そこには、アメリカから来た宣教師の先生がおられ、温かく迎えられました。

今までいろいろな所へ問題の解決を求めては行っていた母は、教会でも、自分のことを打ち開けたのでしょう。すると、みんなが母の為に手を取って祈ってくれたそうです。

自分の為に、涙を流して祈ってくれる人がいる、じっくり自分の話しを聞いてくれる人がいる、偏見なしに我が息子のことを理解しようとしている人がいる。これらのことは、母に大きな励まし、慰め、そして喜びとなりました。

これを機に母が教会に行くようになり、母が明るくなりました。いつも泣いていたのに、私たちの前ではボロボロだったのに、友人が出来て、元気になりました。真っ暗闇だった母の心に、一つの光が入り込んだのです。夜明け前が最も暗い時だと言いますが、一つの希望によって夜明けが来たのです。

一方、娘の私は、母のような疲れきった人には宗教も良いが、私は自分で頑張るんだと思っていました。母はキリスト教で楽になるならそれで良い。しかし私は自分の愛で弟を愛し、理解する、と思いました。決して家の問題で弱音を吐かず、泣かず、問題と向き合って頑張りました。同情されたくない、これが私の本音だったのです。

それでも24歳の私には背負い切れない、いくら強がっても大きな不安がいつもありました。

25歳の夏。少し落ち着いていた家の状況が崩れるように悪くなりました。今までになく、弟が暴れました。自分を責め、泣きながら物を壊していきます。物が壊れる音は彼の心が破れていく音のようでした。

頑張っても、またこの最悪な状態がくるんだ。。。

私の心はどん底、真っ暗闇。しかし暗闇の私に神様が一筋の光を投げようと働かれたのです。私の夜明けの始まりです。 

キム・明子

続く・・

Kim_Family

今月から、このGVICのホームページ上で、私の人生にイエス様がどのように関わって下さったかを証させて頂けることを、感謝致します。

私は今夏でクリスチャンとなって20年になります。まずはイエス様を知ることになる私の背景からお話し致します。

小さい頃から、私には何となく「バレたら嫌だな」という痛みがありました。その「バレたら。。」というのは、両親が不仲である事。そして、父親が立派でない事でした。

お酒に酔っぱらっては母を怒鳴り、威張る父。それに居たたまれない母は、「アコちゃん、お父さんは情けない。家で威張って、外では口がきけない。馬鹿な男と結婚すると一生苦労する」というのが口癖でした。ですから、私は、父が「ちゃんとしたお父さん」ではないと思い込んで育ちました。

私の中の痛みは、その傷が時々うずくのですが、私はそれでも明るく元気でした。でもあるとき、私たち家族に大きな新しい問題が起こります。それは、私の末の弟が学校へ行けなくなる「登校拒否」となった事でした。

以来、私の家族に1つの石が投げ込まれました。この石に家族全員が揺さぶられました。父は更に怒る人となり、お酒と遊びに逃げました。母は、我が子のために、必死に勉強し、動きました。私も妹も、この問題の渦に巻き込まれる中で、自分の事は何一つ親に相談できませんでした。

この様な状況なら家族が崩壊してもおかしくないのに、なぜか、家族の回復の為に其々がが問題を見つめるように変わって行きました。神を知らない私たちは、様々な神様に頼み、良いと思う事は何でもしました。しかし、これらは弟の心を苦しめるだけで、全く彼は癒えませんでした。

一生懸命この状況から脱出しようと頑張る彼に、私たち家族は、「この子は登校拒否児、引きこもり、家庭内暴力」というレッテルを貼り付けていたのです。なぜなら、私たちは自分が良いと思う事を信じて、自己中心によって物事を考えていたので、全てが悪い状態に堕ちて行きました。どん底、真っ暗中で、神様は私たちを教会へと導いて下さるのです。

キム・明子


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ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
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