「続:わたしは良い羊飼い」〜ヨハネの福音書10章1−18節
2022年6月5日の礼拝メッセージは「わたしは良い羊飼い」と題して同10章から短くまとめました。
礼拝後は、私たちが祈り待っていました明子さんとセイゴ先生の就任式で喜びを分かち合いました。私は同じ聖句から、同じ題でメッセージを準備致しました。英語部の参加者がいつもより多く見込んで英語で準備しました。日語部の方々は麻子さんの通訳で聞いて頂きました。
朝のメッセージとはダブリませんので、就任式のメッセージとしてここに認めます。
1)「門番は彼のために門を開き」(3節):羊の囲いには門番がいるとあります。どうして門番がいるのでしょうか。良い羊飼いとはイエス様のことですから、堂々入られたらいいのではないか。しかし、門番は本物の羊飼いと偽の羊飼いを見分けて、囲いの中に迎えなければなりません。
また、客観的にこの方が本物です、というお墨付きが大事です。羊飼いには偽物、雇われ羊飼いがいるから、間違うと羊たちの命に関わリます。では、この門番とは誰のことでしょうか、考えたことがありましょうか。
私は旧約聖書でメシヤの来臨を預言した預言者たちと考えます。アブラハム、モーセ、ダビデ、エレミヤ、イザヤ、ミカ、その他キリストを待ちわびた人々です。これらの預言者が門番となって、真の羊飼い、神から遣わされた神の子羊を囲いの入り口で立証し、彼らはこの方を囲いの中に案内し、平伏して礼拝されたことでしょう。
囲いの中に真の羊飼いが入られる、その方が門となられ、門番の働きは無くなります。門番はただ一度だけ書かれているのは理解できます。ところで、門番とは誰か、ローマ書1章、ヘブル書1章の冒頭を参照下さい、
2)「そして彼は自分の羊の名を呼んで連れ出す」(3節):羊飼いはあの群れを成す羊たちをも個々の名前で呼ぶというのです。動物はみんな同じような動き、同じような外形をしていても、良い羊飼いは彼らの鳴き声でも判別できると言います。
人間は外見の違いがあり、個性があり、声も違う、だから牧師にとっては、どんな大勢でも、個人個人の名前を知ることができましょう。特に、その人のために祈っている、その人を気にかけている場合は、名前を知らずしてはできません。
イエス様はそのような方です。税金取り立て人、ザーカイと初めて会い、「ザーカイ、今日お前の家に泊まることにしている」と、本人がびっくりしたことでしょう。イエス様のミニストリーはパーソナル、個々に絞られたケヤーであります。
3)「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(11節):イエス様は「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」と弟子たちに教えました。そして、そのようにご自身を十字架の上で命を捨てられて、私たちの身代わりの犠牲を払われました。
7節から18節には、良い羊飼いと書かれたところには命を捨てるという表現は続いています。ミニストリーは犠牲を伴います。偽の羊飼いは自分の都合で物事を進めますが、良い羊飼いは相手の都合が優先です。そこには犠牲が伴います。ある牧師は、最高教育の代わりに福音を選び、あるビジネスマンは富を捨ててイエス様を選ばれました。
門から入った牧師はこの世を選ばずに、天への道を選ばれたのです。そして、イエス様に従って進むのです。全てのクリスチャンが、イエス様を仰ぎ、祝福を受けるように最善を尽くします。
明子さんとセイゴ先生を迎えた私たちも、イエス様に従い、お二人に祈り、サポートしましょう。
前原利夫
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A.
www.gospelventure.com/
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