パウロ、身を低く薪をくべる姿〜使徒行伝28章3節
私達は祈祷会で使徒行伝を半年に亘り学びました.パウロはステパノの殉教の現場で顔を覗かせるが、8章の冒頭ではステパノを殺す事に賛成していたと、彼がどんな恐ろしい人物であるかを書き出しています。
9章ではダマスコ途上で天からのイエス様の御声に触れ、光に打たれて新しいパウロが誕生します。8章と9章との間には言葉で表せないパウロの生涯の大転換、大ドラマが語られています。
13章からパウロの世界宣教が幕開き、ここからはパウロが主人公として使徒行伝の後半は展開します。二度目の宣教旅行では初めてヨーロッパ大陸に福音を携え、既に信仰をもっていた兄弟姉妹を励まし、ユダヤ教の回心者を多く作りました。
そして三度目はエーゲ海の東西の湾岸を中心にコリント、アテネまで宣教の足を伸ばしました。そして、23章で「ローマでもあかしをしなくてはならない」と主のみ声を聞き、幾つかの法廷答弁を後に、ローマ行きの船に乗船した。同行者はローマの近衛隊の百卒長と乗組員含めて267人でした。
ところがご存じのように、27章でローマ行きの船に乗ったものの、大嵐に遭遇して2週間以上も大海の木の葉のように揺れに揺れて危機に直面した。近衛隊長や船長や船主をよそに、パウロの指揮の下に船は難船するものの、辛うじてマルタ島の海岸に乗り上げ全員救助された。主の約束の通りでした。
島の人たちはひどい雨、寒さのために火を焚いて彼らをもてなすのであるが、パウロも薪などを探し回ったか、記録はないが、薪を焚べて皆んなのために働いていた様子が記録されています。この身をかがめ、皆んなのために薪をくべるパウロの姿が、何と私たちの胸を深く打つものか。
このローマ行きが開始し、特に大嵐になってからはパウロは267人の代表者のように危機の中を舵取り、リードしてきた。近衛隊長や船長たちもパウロのリーダーシップを認め、彼らもその指示に従ったのです。
それはパウロがただの民間人としてではなく、特別な神の人として、この危機の中に信頼、尊敬していたからであろう。最初、パウロの提案を聞いていたら、このような海上の難を避けることができたからであります。
パウロは267人から超尊敬を受け、彼らの命を預かったが、このような人物が身をかがめて皆なのために火を炊き、世話したのであろう。パウロの謙遜さでありましょう。パウロの謙遜な姿は、彼の書簡の至る所に見られるが、その姿がここに映し出されているようである。また、神はそのような魂を引き上げ、用いられるのである。
マルタ島で福音がいつ伝えられたかわかりませんが、パウロの薪の中に毒マムシがいて、彼の手にかみついた。島の人々は今にパウロはその犠牲になるであろうと、口には出さず思案していたのです。
しかし害毒もなく、島民はパウロを「この人は神様だ」と崇め、遂には島の病人たちの癒しを行い、福音宣教の働きがこの孤島でも始められたのである。海の難の中に、難船の中に、また毒マムシの中にも、神は働き給う。
私たちは身を低くすることを恥とは思わずに、福音が要求する必修であると考えたいものである。周囲人々のために敢えて仕えて行きたい。昔の人は「鶏口となるとも牛後となるなけれ」と教えました。或いは「ささいな仕事を断る人は、ささいな人にすぎない」と。パウロがどこに立っているかは明白である、貴方はどちらに立つクリスチャンですか。
前原利夫
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A.
www.gospelventure.com/
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