こわいもの知らずの私(2)
1986年から87年働いていた学校の研修制度を利用して、一年間息子二人を連れてLAの姉夫婦の家に居候をさせてもらい子連れ留学をしました。
午前中ESLで英語の勉強 午後はジャズダンス、モダンダンス等クラスを取り、家に帰れば ...
こわいもの知らずの私
高校卒業後、念願通り東京女子体育大学に進学しました。希望に満ちた大学生活が始まりましたが最初の授業から見事に崩れました。
例えば陸上の授業、高校時代狭いグランドで直線で50Mしか走ったことがなっかた私にとって何本も100M ...
東京YMCA家族キャンプ
私が5歳の時から、山中湖畔にあるYMCAキャンプ場で、毎年8月の1週間東京YMCA家族キャンプに家族全員で、参加していました。このキャンンプの特徴は、赤ちゃんからお年寄りまで、男女関係なく参加出来る事です。
参加するとまず ...
私の学校
私は、姉が通っていた中高一貫のクリスチャンスクール、恵泉女学園に通いました。
この学校は、1929年に河井道が国内外のクリスチャンに呼び掛け寄付により出来た学校です。私が入学した時は、創立者の意志を引き継いだ先生方が沢山い ...
私のヒーロー
私は、1948年クリスマスイブに高知県で、生まれました。
父は、ロスアンゼルスに移住した両親から生まれた日系二世です。父の母親は、育児院で婦長をしていましたが、臨月の時、交通事故に遭い、父を出産後、出血多量の為亡くなりまし ...
救いの道
私がGVICと巡り合ったのは2003年が終わる頃だったと記憶しています。これも神様の計画通りだったと今でも思います。
当初はバリバリのビジネスマンとお見受けしていた前原先生が実は牧師先生であられた事に驚き初めて教会の礼拝に ...
種をまく
色々あった私のクリスチャンライフの中で忘れられない喜びの思い出があります。教会にと出かける私と母をいつも見送って留守番していた父がある日曜日の事、聖書を抱えて一緒に行く言うのです。
私達はしばらくお互い顔を見合わせていまし ...
目覚め
社会に出て月日が過ぎ去ったころ私にやっと教会に通う機会が訪れました。しかしそれは自分からの意思ではなく運転のできない母の送迎係として付いて行っていました。
牧師先生のお話もあまり耳にそして心に飛び込んでこないような状態でし ...
教会への導き
~救いの証 3~
アメリカでの新しい生活が始まり私は環境の違いに戸惑いながらも学生生活を過ごしていた。日系2世の父はいつもにこやかで優しいとしかたとえようのない人で生涯家族を大切にし、私の事も深い愛情をもって育ててくれま ...
別れ
~救いの証 2~
成長すると共に私は信仰の深い母とは別の道に進んでいた。そのうち母が祈ってくれているので我が家は安泰とさえ思うようになりました。
一家に一人祈る者がいればすべて良しとはいったいどこから出てきた理論か ...
