第⼆の故郷での14年間
琉球⼤学での沖縄⽅⾔の研究は難しかったが離島巡りのフィール ドワークは楽しかった。そんな時に私が留学⽣として⽅⾔研究を していることが地元新聞に掲載された。
その記事を⽬にしたアメリカ⺠政府(沖縄統治機関)から連絡が⼊り、 ...
摂理のままに
1941年3月、沖縄に別れを告げて我が家は名古屋に移った。父の新任先は名古屋中央教会であった。私はメソジスト系ミッションスクールに転校出来た。
そして12月8日、ハワイ真珠湾攻撃には大きなショックを受けた。何故ハワイなのか ...
「沖縄での少年時代」(証4)
日米開戦の直前までの6年間、我が家はのどかな沖縄で過ごすことができた。私は天妃小学校に通うこととなったが、同級生の中には後に大学教授、デパート社長、海運会社社長、病院長、参議院議員になるような優等生がいた。
小学校時代の思 ...
「日本上陸と霊峰冨士」 (証3)
夏のハワイから太平洋に揺られること1週間、神様の力強い御手に守られて、日本郵船秩父丸は1934年9月北村一家を恙無く日本に届けてくれた。ハワイにいた頃、父母から聞かされていた富士山を目の当たりに見た時の感激は忘れられない。
「生まれ故郷ハワイ」(証2)
昭和初期に父は日本とアメリカの神学校を卒業して最初に赴任した教会はハワイのマウイ島パイア教会であった。私はその田舎町で生まれたが、当時のハワイはまだアメリカの属領(territory)であった。
マウイ島はサトウキビの耕作 ...
一年の計は元旦にあり?
今年卒寿プラス1を迎える筆者にとって、1年の計を元旦に立てる気には到底なれない。明日をも知れぬ身にとって 1年先を見通すなんて無理なことだ。
然し年頭にあたり、新鮮な気持ちで信仰生活を反省することは必要であろう。賛美歌41 ...
御国(みくに)をめざして
結婚12年目にようやく与えられた娘のノエルが、最初で最後の子供かと思いました。ところが、主は23か月後に息子、ジョナサンをも与えてくださったのです。これは私達の想像以上のブレッシングでした。いつも神様は私達の思いをはるかに超えて最善を ...
神のなされることは時にかなって美しい
神様と教会を中心とする生活は楽しいものでした。そして交わりを通して、日本から来る若者たちが次々に救われていくことを目の当たりにする喜びは格別でした。
ふたりともロスのダウンタウンで働いていましたが、家庭集会やバイブルクラス ...
我家と我は主に仕えん | ヨシュア記24:15
朧気だったイエス様の姿が教会生活をするうちにはっきり見えてきました、と、書きましたが、みなさんも経験していらっしゃるように、イエス様が私の罪のために死んでくださったということはなかなかわかりませんでした。
この欄で、苦楽を ...
エマオ途上のイエスさまの姿
生活が安定してきて、暇をもてあまし、義弟に連れられてリトル東京でのバイブルスタディに顔を出すようになりました。夫の弟は日本ではアメリカンスクールに行き、カルポリに留学して、大学のナビゲーターでクリスチャンになったのです。
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