義父の名はヨナ(4)
主人、光一さんは韓国人の父と日本人の母から生まれ育ちました。光一さんの父の名前はヨナといいます。主人は物心ついた時からお父さんの名前は変わっていて珍しいと思ったそうです。
韓国のクリスチャンホームで生まれ育った義父は祖父の ...
親友の救い(3)
1974年、二度目の留学の時にUSCのクラスメートとの出会いを思い出すと、全てが神様の御計画だったのだなあと感じています。
彼女の名前はギタ、イランからの留学生で5歳年下の美しい気品のある学生でした。最初のクラスからとても ...
志あるところ道あり(2)
「多くの人は道(way)があるならば、志(will)してみようと言いますが、志(will)あるところに、必ず道(way)あり」と尊敬する牧師から渡米する時にこの励ましの言葉を頂いた。
この真理を深く握り、神と一体で生きる喜 ...
特別証し | 8月号は戸羽正一兄のお証しを紹介致します。
8月号は戸羽正一兄のお証しを紹介致します。大きな深い困難の中からついに神様と出会う体験は感動的です。もし、このような困難や悲しみが貴方や私が経験したら、果たして神様を信じていたであろうか、いや神様を呪い、教会を呪い、信仰を嘲笑っていた ...
祖父の殉教を通して(1)
私は東京生まれの在日韓国人でクリスチャン3代目です。小学校から大学までメソジスト系クリスチャンの学校に通いました。父方の祖父は平壌で初代メソジスト教会の牧師兼神学校の校長でした。
祖父は戦争中、共産主義のキリスト教弾圧を受 ...
信仰復興
アメリカのキリスト教会の一つの特徴は、リバイバル運動が何度も繰り返し起こったことでした。信仰復興とは生き生きとした信仰を失っていた個人、教会、社会、国、世 ...
神との出会い
内村鑑三が札幌農学校で、新渡戸稲造らと”イエスを信ずる者の契約“に署名したのは1877年。西南戦争が起こったのは同じ年。内村は若く、西郷は晩年でしたが、西郷隆盛は、内村にとって同時代の英雄だった。あの堅物クリスチャンの内村が、神の声を ...
悶々と生きる
小学6年の図書の時間に、太宰治の短編小説を読んだ。その中に、“悶々”という言葉が出てきた。“心の中で大いに思い悩むこと。
悩む様子を外面にあらわすことなく、内心でじっと悩み苦しんでいるさま。”と辞書にあった。
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【証し】家族 | 鈴木光一
私が救われて、すぐに私の心を駆け巡った思いは家族全員の救いの事です。
愛する父母、姉妹にもこの偉大なる神様の事を知らせなければと。みんな教会には行ったことがありましたが、 洗礼はまだ受けていませんでした。いつも祈り続けてい ...
【証し】教会 | 鈴木光一
私たちはロサンゼルス・ホーリネス教会でお世話になり、信仰の先輩方から愛され、たくさんの事を教わりました。
その頃は80歳を越える方々から20歳代の若い学生さんが集っておられました。水曜日の祈祷会にも出席するようになり、主に ...