私がどのようにしてキリスト教に導かれたかを振り返ると必然だったように思われる。
私がどのようにしてキリスト教に導かれたかを振り返ると必然だったように思われる。神様が見当をつけて、私の意思とは別に、生まれる前から私は神様に捉えられていたように思う。
父は韓国で祖父と祖母に無理やり神学校に入れられる。父の名は何故かヨナ。それじゃあ逃げちゃうでしょう。案の定、父はその神学校から夜逃げをして日本に来てしまう。その父が盛岡で医師として開業している時に私が生まれる。その父が私を何故か白百合幼稚園に入れてしまう。
その時から“主の祈り”を意味も解らないのに毎日するようになる。東京に移り、姉と妹がホーリネス教会に導かれる。私も足を運ぶようになる。ロスに留学した時に少林寺拳法に熱中。その先生がなぜか、キリスト教の話をするではないか。ある日、練習後、キリスト教小雑誌を私に渡して, 赤鉛筆でしるしてあるところを読むようにと言われる。
それがのちに私の妻になるあきの証だった。そんなこんなでロサンゼルス教会に導かれる。あきと結婚した年に洗礼を受ける決心をした。というより罪の赦しもはっきり把握せずに、それだけでなく自分の意思にも反して、強制にも似たような多少自分の良心にも反したものだったのである。ともあれ私は35歳でキリスト教の第一歩をふむ事になる。
教会生活が、聖書の学びが始まる。罪って何?違法はたくさんあれど、罪はただ一つ。神に背を向けた反逆。罪の罪、原罪なんだ。アダムとエバとが犯した罪の為、神と人の親子関係が絶縁となった。この原罪は人には決して取り除くことはできない。
解決法はただ一つ、神の子イエス様だけが癒すことがおできになる。人が、イエス様によって、神に対する反逆を認め、悔いて神様のもとに帰り、再び神の子となる。原罪、悔い改め、救い、すべて神の御愛を通してのみ顕現される。この奥義が私の中にずっとあった、空虚感を一度に満たしてくださった。神様が息を吹き込んだように。
鈴木光一
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A.
www.gospelventure.com/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません