ロンダニーニのピエタ

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洗礼の朝を迎えた。まだ迷っていた。イエスが十字架にかかって人々の罪を償ったと信じているの、と自分の心に棲む、もうひとりの自分がささやく。かぶりを振る自分。だとすると、受洗は神さまに対する欺瞞だ。

――断わる――

それはできない。

教会へ行く身支度をしながら、私はこれまで歩んできた人生をふりかえってみた。
渡米する動機になったこと、家庭崩壊になりかけたこと、数えればきりがないほど人生につまずきかけた。一歩間違えば、この世で地獄を見たかもしれない。その度に難を逃れている。ふと、
大いなる者にコントロールされているのではないか。計り知れない大きな存在、それが神か、仏か、わからない。ドスンと確かな手ごたえを感じた。守られている。だから、今がある。

突然、ミラノの博物館でみた「ロンダニーニのピエタ」が脳裏に浮かんだ。
視力を失った天才ミケランジェロが死の三日前まで手探りで制作したといわれる彫像である。弱々しいイエスが聖母マリアを背負っているかのように見える彫像。
ちなみに、ピエタは慈悲、哀れみなどの意味で一種の聖母子像だといわれている。

あっ、と思った。
イエスに背負われているのは、この私なのではないか、そうだったの
か。謎が解けた。途端に自然に口から歌があふれでた。

♪主われを愛す 
主は強ければ
われ弱くとも 
恐れはあらじ

わが主イエス わが主イエス

熱いものが込み上げてきた。
前原牧師に出会って十年目の師走のことであった。

           


惑い

2008年の秋、手術ミスによる事故で車椅子生活をされているT氏に教会で出会った。これまで大企業の超エリート社員として世界を飛び回って活躍されていた人である。突如として大逆転した境遇に氏の心中はいかばかりであったか、想像を絶する。 

T氏に出会った時、ふと思った。
この方が受洗される時がきたら、私も一緒に洗礼を受けようかな、と。
理由はない。イエスの救いを信じたのでもない。一線を飛び越えると自分の心がどのように変化するのか知りたいという不謹慎な動機であった。

私は時々、T氏の身近にいるK子さんに、
「T氏は洗礼を受けられるのかしら?」
 本心は隠して、さりげなく、度々、尋ねた。
その都度、
「そんな話は聞かないわねぇ」
 という返事に、なぜか生き延びたという思いでホッと胸を撫で下ろしいた。
ところが一昨年の十月だった。前原牧師から受洗の話が出た。
たまたまT氏と同じテーブルを囲んでいた時だったから、
「洗礼を受けられるのですか」
 当然、「No」という返事を期待しての問いであった。

「はい、受けます。12月に・・・」
ドキッとした。そして、時がきた! と思った途端、隣のK子さんに叫んでいた。
「私たちも一緒に受けようよ!」
 洗礼クラスがはじまった。
勉強をすればするほど、遠くにいる自分を感じた。これでいいのだろうか。神に対する冒涜ではないか。断わるべきだ。弾みで言ったことを後悔した。しかし、K子さんを巻き添えにしている。あれこれ思い悩んでいると、洗礼を受けるその瞬間に断わったという友の話を思い出した。そのテもある。が、そんな勇気があるかどうかが問題だ。私は惑いつづけたのである。    
 

           


出会い

 
 2001年春の早朝、医者の癌告知通り、夫は亡くなった。享年60歳。

「ありがとう。わがままな俺によくついてきてくれた。ほんとうにありがとう」
という言葉を遺して・・・。
 

私の心にぽかっと穴が空いた。淋しさがどっと押し寄せた。夜昼となく涙が溢れ出た。どこへ行くのにも一緒だった夫である。独りになった私は、時間を持て余した。そんな時に近所に住む友人が前原先生の教会へ誘ってくれたのである。

かねてからキリスト教に興味を持っていた私は、暇つぶしと好奇心で教会へ行くようになった。旅好きだった
亡夫と行ったイタリアでみた
キリスト教をモチーフにした
芸術品の数々。アダムとイブ、
ノアの方舟、モーゼ、ダビデ、
受胎告知、最後の晩餐、
キリストの磔刑などなど、
これまで断片的な知識だっ
た聖書に登場する人物の関わりが分かると、面白くなってきた。イスラエル聖地旅行にも参加した。

もつれた糸がほぐれてきた。しかし、知識と信仰は別である。一方、イエスの救いを本気で信じていること自体が理解できなかった。
救いは他の宗教にでもあるのではないか。東洋の国にはキリスト教に非常によく似た信仰があるという事を聞き、若いころ聴いた親鸞の教えを思い出した。訪日すると僧籍の友人と「信仰について」語りあった。
何年過ぎたころだったろう。前原牧師から、洗礼をすすめられようになった。
「何事にも時があります。その『時』がきたら」
逃げた。おまけに陰口を叩いた。
「洗礼を受けるだけで天国へ行けるのなら、熱湯だって浴びるわよねぇ」
ところが、手術ミスによる事故で車椅子生活になられたT氏が教会へこられるようになった。この出会いによって、頑なだった私の心に変化が起きたのである。

 

           


癌告知

 日本のバブル経済が崩壊した。日本人相手の仕事も先細りと見て、夫婦ではじめたビジネスに終止符を打った。夫52歳、一つ年上の姉さん女房の私は53歳。馬車馬のように突っ走った22年間であった。
 一人娘も親の手を離れた。贅沢をしなければ食べていける。人生を楽しもうということになった。そんな矢先、義母の介護が必要になり、夫婦で日米を往復しながら、看取る事ができた。旅もした。
 

そして2000年の春だった。夫の声が急にかすれた。風邪かなと思った。ところが一向にハスキーボイスが治らない。そうこうしていると食べ物が喉を通りにくいと言い出した。レントゲン検査では原因が分からず、CTスキャンを撮った。
「食道と気道の分かれ目に腫瘍が出来ています。繊細な部分なので手術はできません。・・・早くて三ヶ月か六ヶ月、よくもって一年」
 

平穏な日常生活を当然のように思い込んでいた私は、食道癌の告知に、この世の不幸を一身に背負ったように落ち込んだ。
半年過ぎた。私たちは海岸沿いを散歩するのが日課になっていた。おかしなもので、ひょっとして夫は助かるのではないかと希望を抱くものである。だが、ある日の午後、いつものように散歩をしていると、怒涛のごとく不安が襲ってきた。ふと、新聞に載っていた上智大学アルフォンス・デーケン教授のコラムの一節を思い出した。

あすのことは思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。

「そうだ!」
と思った瞬間、不安が消え、目の前が明るくなった。不思議な体験である。
これが新約聖書の言葉だとは知る由もない私であった。
           


ふたつのピエタ

渡米一年目で知り合った夫と三ヶ月後に結婚をした。明治生まれの伯父の家に居ずらくなった私は、相手をよくしらぬままの、見切り発車である。
 私に似合う人をと神さまに祈った結果だ。ともかく三年はどんなことがあっても我慢しようと思った。案の定、甘い新婚生活ではなかった。だが、三年目に娘が生まれた。やっと夫は不承妻にあきらめがついたのであろう。腰を落ち着けた。

夫婦ではじめた日本人相手のビジネスは日本の高度経済成長期でもあり順風満帆だった。ところが、15年後に落とし穴が待っていた。
 夫の浮気である。
「結婚しなくてもいいのです。私は、愛した人の子供を産みます」
 相手の女性が息巻いた。
「どうぞ、産んでください。ひとりで育てるのは大変でしょうから、私が引き取って育ててもいいのですよ」
 喉元まで怒りが込み上げるのを押し殺して、私はいった。しかし、妊娠は嘘だった。危ういところで家庭崩壊を免れたのである。若い頃、中学の先生だった人との辛い体験が役立った。人生に無駄な経験はひとつもないというのは本当だと思った。
 

夫は罪滅ぼしのつもりか家族旅行を計画した。行く先は、イタリアである。
宗教をモチーフにした芸術品の数々。モーゼ、ダビデ、受胎告知、最後の晩餐、キリストの磔刑などを見て歩くうちに、それらがどう繋がるのか知りたいと思った。印象に残ったのはヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂のピエタ像とミラノの博物館にあるロンダニーニと呼ばれているピエタ像である。前者は、マリアが降架のイエスを膝に抱いて歎き悲しむ像。後者は、倒れそうなイエスがマリアを背負っているかのように見える像。違う、と思った。
いずれもミケランジェロの作である。


5.重荷を背負って

かつて尊敬の眼差しで仰いでいた教育者としての先生ではなく、得手勝手なエゴイズムを丸だしにした男の姿に、どう対処してよいのか分からなかった。私は何かに祈りたかった。
――もし、この世に神様がいるのなら、助けてください。どうか先生との関係を断ち切らせてください。家庭を壊すのは私の本望ではありません。結果がどのようになろうと、私が傷つこうと不利になろうと、裁きとして受け入れます――

心から祈りつづけた。そんなある日、ロサンゼルスに住む伯父が訪日してきた。
私の母はハワイ生まれの2世である。11歳の時に母親に連れられて日本の土を踏んだまま、再び故郷に戻る事はなかった。望郷の念をいまだに抱いている母は市民権を持っていた。未婚の私は永住権が取得できることを知った。幸い、伯父は私の渡米を快く承諾してくれた。ちょうどいい。

アメリカへ行こう。
誰も何もしらない土地で人生をやり直そう。別の世界が開けるに違いないという母の強い勧めもあって、私は役所を辞め渡米の手続きを始めた。手続きが完了するまでの半年間、誰にも煩わされない他県にいる姉の家から編物教室に通ったのである。
1970年の夏、私は渡米した。
勤めはじめたニッティングの会社で知り合った友人にキリスト教会へ誘われた。生まれてはじめての体験である。

重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう

牧師のメッセージに、私は、思わず涙が溢れ出た。だが、教会へ行ったのは、それっきりであった。
その時に頂いた黒表紙の立派な聖書は30数年間、一度も開かれることなく、本箱に片隅で眠りつづけたのである。
          


4.曲がり角

中学の元教師だった先生と私は別館と本館の違いはあったが同じ県庁勤めである。庁舎の食堂で、
また、市町村に出張した帰りに同じバスに乗り合わせるなどの出会いが度々あった。  
ある秋の土曜日の午後だった。 「行ってみようかな、先生の課へ」 ふと、そんな気になった。

庁舎を出て電車通りを北へ歩くと崩れかけた原爆ドームが建っている。川を隔てた向こうは平和公園である。私は、コーヒーを飲みながら、川べりの喫茶店で、先生の学生時代の思い出や社会教育に携わっている仕事の話など聞いていた。

「だが、ジレンマを感じるんだよなぁ」 先生は深い溜息をついた。 「家庭生活はいかにあるべきかなどと講演してまわっているが、自分の家庭はどうだと反論されたら、二の句が次げない」  女房は社会に出て働いたことがない。だから、社会的感覚が欠如している。夫に対しての理解がない。話が合わないなどと、奥さんへの不満をこぼした。

聞きづらくなり、子供さんの話に切り替えた。 「娘がひとり、十歳になる」 「先生と美人の奥様のお子さんだから、かわいいでしょうね」 すると「ううーん」と、鼻でくぐもった返事をしてから、
「不思議だねぇ。きみと話していると心が和んでくる。乾いた砂に水をまくと染み込むように、心が潤ってくる」 といって、熱い眼差しで私の顔をじっと見ていた。これが中年男の口説き文句とも知らない私は、先ほどから、静かに空気を震わせているスメタナの旋律が急に気になりはじめた。陽が落ちた。 後に、この出会いが人生の大きな曲がり角になるとは思いもしなかった。


3.再会

庁舎の正面玄関のドアを押した時、危うくぶっつかりそうになった。その相手を見て「あら!」と私が叫ぶのと「おう!」と相手が応じるのが同時だった。後にのけ反り目を丸くしている相手は、
「元気か?」  と、訊ねた。 「はっ、はい」 「何課にいるんだ?」 「6階の住宅課です」 「そうか、私は別館の教育委員会だ。2階の社会教育課にいる」といって、内ポケットから名刺入れを出し、一枚、私にくれた。「暇があったら寄りなさい」そう言い残すと、同僚らしき人と外へ出ていった。背筋をのばし外股で歩く、しぶい低音も昔と変わっていなかった。私が県庁に勤め初めて8年目の春、中学時代の社会科の先生だった人にぱったり出会ったのである。高知の土佐出身だという若くてハンサムな先生は、最初の授業の時こんな話をしてくれた。

「高知の桂浜には、幕末を駆け抜けた風雲児『坂本竜馬』の彫像がある。太平洋の彼方にある世界を見据えるように懐手をして立っている。懐に入っているのは、何だと思う? 本だ。しかも洋書だ。
いいかみんな、未来を考えるにはまず現在を知らねばならん。現在を知るには、これまでどのような歩み方をしてきたか過去を探らねばならん。それには本を読んで勉強するしか方法がない。とにかく本を読め」 溌剌とした話ぶりに、竜馬がどちらを向いているかも知らなかった当時の私は、いつしか吸い込まれるように聞き惚れていた。

私は歴史が好きになった。 それから何十年後かにキリスト教に出会い、聖書に登場する人物のロマンやドラマに興味を覚えるのも、この先生の話に影響を受けているからだろうか。


2.静謐に魅せられ

 20代のころ、私は、学生相手に下宿屋を営んでいる浄土真宗の浄修院というお寺にお世話になったことがある。門を入ると山から引いた水が池に流れ落ちていた。掃き清められた境内に佇んでいるだけで心が洗われるようだった。

代々続いているお寺ではない。住職は、大正時代の末に私財でお寺を建て布教活動に生涯を捧げた人であった。私がお寺に行ったころ、住職はすでに亡くなっていたが夫人が健在だった。読経もなく法事や葬式もしない。門徒といえる人たちもいなかった。分かり易い言葉で仏の教えを説くお寺であった。静謐な雰囲気に魅せられ私は数日間、泊めてもらったのである。

毎朝5時になると木魚をたたく音と同時に念仏がはじまる。これで目が覚める。だが、私は起きない。蒲団のなかでまどろんでいると夢のなかに木魚と念仏が入り込んでくる。私が起きるのは6時過ぎ。身支度を整えると本堂で法話を聴く。 7時に朝食をとり勤めに出る。私の仕事は県庁の住宅課にあって市町村の公営住宅を設計する建築士である。

最初は2.3泊のつもりが、居心地がよくて通算4年もいた。 ふと、気がつくと友人は次々と結婚をしていた。婚期を逸するような気持ちになり、慌てた。親や兄、姉が結婚についてうるさくいってくるようになった。 「何をしているのだろう。こんな所で」 疑問が湧いた。と同時に、大げさにいえば、仏教における死生観の概念に反発のようなものが芽生えはじめていた。

「いつか死ぬ身だと知っていれば、人生において大事なことは何かが見えてくる」
間違ってはいない。しかし、これから結婚をして家庭を築こうとする私には、現実ばなれした話に思えてならなかった。しだいに距離を感ずるようになり、お寺を出た。 実家から勤めるようになったのである。


1.ロンダニーニのピエタ

洗礼を受けたことをノン・クリスチャンの友人にEメールで報せると「どうして?」と即、電話をくれた。返事に困った。 どうしてとは、どんな意味なのか、本心から神様を信じているの、と問いただされた気がした。一瞬迷ったが、私はこういった。
「・・・縁、そう縁なのよ」というと後の言葉は簡単だった。
「自分から求めたのじゃないけれど、出会ったのがキリスト教だったということかしら。強いていえば、揺れ動く心に、凛とした芯が欲しかったのかもしれない」というと、友人は納得してくれたようであった。

私は広島出身である。広島は江戸時代、安芸の国と呼ばれていた。こ地方は安芸門徒といって
親鸞上人を開祖とする浄土真宗を信仰している人が多い土地柄である。子供の頃は食事の前に必ず仏壇の前に座り、父が読経をし、みんなで手を合わせてから食事をする習慣が我が家にはあった。父は、食事中に仏教にまつわる話をよくしていた。若いころ学生相手の下宿屋を営んでいるお寺に下宿をしたことがある。 山手の閑静な住宅街にあるお寺である。毎朝五時になると木魚が鳴りはじめ、念仏が聞える。静寂に「南無阿弥陀仏」と唱える男性の低い称名に身がひきしまる。が、起きない。まどろみのなかに木魚と念仏が入り込む。木魚が止み、住職の法話がはじまる。読経はない。 私が起きるのはそれから。身支度を整え本堂へ座る。これは、食事前に本堂で手を合わせることが下宿のときの条件だからである。法話は頭上を通り抜ける。池に流れ落ちる滝の音が心地いい。そうした静謐な雰囲気が好きで四年間、下宿をした。


キリスト教とはまったく縁のない環境で過ごしていた。
そんな私が渡米をし、前原牧師に出会ったのは、今から十二年前の秋である。当時、夫は食道癌を患っていた。医者から「よくもって一年」と宣告を受けて半年が過ぎていた。気弱になっていた夫は、私の外出をとても嫌がった。
だが、ある日の夕方、後藤さかえさんが「聖書の勉強会へ行くから一緒に行かない?」と、誘いにきてくれた。
「行ってこい。行ってもいいぞ」珍しいことを夫はいった。
キリスト教系の大学を出て、幼い頃は教会の日曜学校へ行っていた夫だから、そういわせたのだろう。
前原牧師に出会うきっかけである。そして、キリスト教に出会う最初であった。
夫は、医者の宣告通り半年後に身罷った。暇を持て余している私を後藤さんは教会へ誘ってくれた。暇つぶしと興味本意である。

旅行好きだった夫と旅行をしたイタリア。キリスト教をモチーフにした芸術品の数々。アダムとイブ、ノアの箱舟、モーゼ、ダビデ、受胎告知、最後の晩餐、キリストの磔刑。そうした事柄がどのように繋がるのか知りたいと思った。イスラエル聖地旅行にも参加した。もつれた糸がほどけるように聖書に登場する人物の関わりが分かると、面白くなってきた。しかし、知識と信仰は別である。
一方、イエスの救いを本気で信じていること自体が理解できなかった。 イエスが十字架で処刑されたのは私たちの罪を償うため、頼みもしないのに。罪とはイエスの救いを信じないこと、身勝手な、と、いちいち反発していた。 何年過ぎたころだったろう。前原牧師から、洗礼をすすめられようになった。
「何事にも時があります。その『時』がきたら」 逃げた。おまけに陰口を叩いた。
「洗礼を受けるだけで天国へ行けるのなら、熱湯だって浴びるわ」


いまから三年半前、手術ミスによる事故で車椅子生活になった鳥羽氏と出会った。
そのころからだった。信じられなくてもいいのではないか。私はこれまでの人生をふりかってみた。何度も岐路があった。その度にきわどいところで難を逃れている。これって何だろう。ふと、大いなる者にコントロールされている感じがした。自分では計り知れない大きな存在。それが神か、仏か、わからない。
しかし、守られている、と思った。
鳥羽氏が受洗される時がきたら、一緒に受けようと決めたのである。
私は時々、鳥羽氏の身近にいる真船圭子さんに、
「鳥羽さん、洗礼を受けられるのかしら?」
 さりげなく尋ねると、
「そんな話は聞かないわねぇ」
その都度、なぜか胸を撫で下ろす自分がいた。生き延びたという感じである。
ところが、昨年の十月だった。教会で前原牧師から洗礼の話が出た。私は同じ机を囲んでいた鳥羽氏に「洗礼は受けられないのですか」と、訊ねた。
「はい、受けます。12月に・・・」
思いがけない返事に、時だ!と思った瞬間、隣に座っていた真船さんに、叫んでいた。
「私たちも一緒に受けようよ!」
弾みである。

洗礼クラスが始まった。 勉強をすればするほど、遠くにいる自分を感じた。
これで、いいのだろうか。
神に対する冒涜ではないか。断わるべきかもしれない。しかし、真船さんを巻き込んでしまっている。
悩みつつ洗礼の日を迎えてしまった。

pieta-photoその朝である。なぜか、ミラノでみたピエタの像を思い出した。視力を失ったミケランジェロが死の三日前まで手探りで制作していたといわれる「ロンダニーニのピエタ」である。弱々しいイエスが聖母マリアを背負っている。


二十二歳の作は、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂にあり、
十字架から降ろされたイエスの亡骸を抱く聖母マリア。以前から、二つの像の違いに疑問をもっていた。ちなみに、ピエタは慈悲、哀れみなどの意味で、
一種の聖母子像だといわれている。

夫が病に臥せっていた頃だった。 居たたまれない淋しさと不安がどっと押し寄せた。
私は、新聞に載っていた上智大学教授のエッセイの一節を思い出した。

あすのことは思いわずらうな。思いわずらったからとて、
自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。

肩の荷がすっと下り、不安が消えた。ぱっと明るくなった。不思議な体験であった。
それが聖書の言葉だと知る由もない。ヨハネによる福音書の一章に、

初めに言があった。言は神と共にあった。

不安が消えたのは、神の御言葉だったからなのだと気付いた。ひょっとして、イエスに背負われていたのは、この私ではないか。ロンダニーニのピエタのように。

証・森田のりえ

前回に引き続き「よきサマリヤ人」(Good Samaritan)の譬え話を考えてみます。 イエスのこの短い隣人愛の教えは世界の教会、世界のクリスチャン、政府機関、またキリスト教と全く関係のない諸 団体に多大な影響を与えています。

グローバルに散在する多くの慈善事業団体の活動はこのイエスの短い話に源流を見ることができます。 かつての博愛の活動は同族意識、地域意識に根ざしたが今はグローバルを意識した活動に発展しています。

“貧しいから助けてやる”、“余剰があるから助ける”という旧来の援助概念から“支援する”、“参加する”という「共存、共生」(シンビオシス、synbiosis)の概念へと発展しています。 以前は届かなかった地球の裏側も、今は地球村と呼ばれるほどに手の届く小さなコミュニーティー化してきています。そのような村意識は必然的に隣人として共存共生の意識を高めていきます。 最近のハイチ、ペルーの大災害への敏速な支援活動などもその一例ではありませんか。

さて、前回はこの譬え話の外枠的なコメントを致しましたが、今回は話の内側を覗いて見たいと思います。

1) 大切な旅行医療品を与える:
 このサマリヤ人は商用か何かでエルサレムに向かう途中でした。2千年前も今も変わりませんが、旅行者は旅をするとき必要最低限の医療品を持参するものです。私が欠かさず持参する品はアスピリン、風邪薬、バセリン軟膏等です。

サマリヤ人はオリブ油とブドウ酒を持参していました。オリブ油は傷口を癒す即効薬でブドウ酒は旅の疲れを一時癒すいい回復剤でした。昼間の疲れで夜眠れない方々はよくブドウ酒を軽く召し上がってお休みになるようです。

旅行中の医療品は希少価値のあるもの、当時不便な交通機関、薬店も存在しないような環境ですから、大切なものを見知らぬ人にただで上げる訳には行かないと誰しも考えます。高価なものは代用品がなく、供給が難しく即効力のある物で、 サマリヤ人の医療品はまさしく高価そのものでした。

しかし、サマリヤ人にとっては後で使用するであろう高価なものを確保しておくりよりも、見知らぬ人であっても傷付いた人を助けることが最優先でした。これがイエスの言う隣人愛です。

2) 徹底したアフターケヤーの精神:
サマリヤ人の親切心もさることながら、彼のアフターケヤーの愛は更に深く考えさせられるものがあります。道端に横たわる傷ついた人を助け、自分のロバ(車)に乗せ、宿屋(ホテル)に案内しました。投宿して、“それでは私はここで失礼します。 どうぞ、お元気で、さよなら”、と彼はその人を後にして別れても十分な親切を尽くしたことになります。何しろ、祭司や宗教家が見知らぬ振りをしたわけですから、彼の親切心は輝いていました。

しかし、彼の親切心は尚続きます。 きっと、エルサレムで用事を済ませ、その帰りにこの宿屋に戻り、前回前払いした費用が足りなければ追加で支払いします、と申し出るのです。

2デナリは当時の2日分の日給です。休むだけの簡易宿屋であったから数日分の料金であったでしょう。 サマリヤ人の心意気はこの傷ついたた人が、完全に癒されるまで、最後まで見届けて上げてお世話するアフターケヤーのサービス精神です。  

兎角、私達の親切心は“ここまでやれば十分”、“しなくていいのにして上げた”、“知らない人までは”的な薄っぺらなものではないでしょうか。サマリヤ人が“よき”と特別に形容詞を付して呼ばれているのは単なる形容詞ではありません。 人との関わり、またビジネスの世界でもこのアフターケヤーのスピリットが徹底していれば、より一層の祝福となるでありましょう。

3)答えを持っていても未解決の人生:  
元々この譬え話はある律法学者がイエスに答えを求めたことに端を発します。その質問は “先生、何をしたら永遠の命をうけられますか”、であった。答えは

“神を愛し、自分のように自分の隣人を愛せ”、

でした。 それを具体的に説明したのがサマリヤ人の話です。イエスは話の結びに

「あなたも行って同じようにしなさい」

と答えました。果たして、答えを与えられた律法学者がそれを実行したかどうかは知る由もありませんが、もし、答えを持ちながらそれを実行しないならば、 質問をする前と全く同じ元の状態ということになります。或いは、自分の都合のいい答えが得られないから実行しないということになりませんか。無責任さが問われます。

私たちは答えを持ちながら人生を未解決のままで送りたくないものです。 しかし、現実的には多くの人が解決策を手中に握りながら、解決策のない人生のようにさ迷い歩ているように思います。

2000年前、イエスのよきサマリヤ人の話は現在も生きていて多くのことを教えられます。バウンドレスの人類愛、愛のアフターケヤー、自分で言い出したことは責任をもって実行するなど、もう一度、聖書を開いてサマリヤ人の話を読んでみたくなりました。

前原利夫


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するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。 彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。 彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。 彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。 すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。 イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。 するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。 同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。 ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、 近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。 翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。 この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。 彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい (ルカによる福音書9章)

1)サマリヤ人について:  
この譬え話のヒーローはサマリヤ人です。サマリヤはエルサレムの北30マイル前後の地域にあり、その昔ユダヤ人が住んでいました。しかし、度重なる侵略戦争の犠牲となって、サマリヤの町にユダヤ人以外の異邦人が住み込み、 文化、宗教、人種にユダヤ的純粋性を失ってきました。

ユダヤ人にとって偶像礼拝は忌み嫌われる宗教であり、雑婚による混血は受け入れがたい人種でありました。サマリヤの人たちは、かつて兄弟の分身でありましたが、そのような“雑種”とは交際してはならず、 会話を交わすだけでも汚れると考えました。

サマリヤとユダヤとの絶交は数百年も続きました。そのような歴史的背景の中で、イエスはこの譬えを語られ、新しい角度から隣人愛の本質を教えられました。

2)憎しみを越えた隣人愛:  
イエスの新しい隣人愛は憎しみ、悪意、敵意をさえも越えて愛するという崇高なものです。世間の常識は愛してくれる者は愛し、憎む者は憎むというのがお決まりのパターンです。長い差別と偏見の歴史の中で、 憎み返すことを教えられたサマリヤの人にとって、ユダヤ人、たとえ傷ついて助けを必要としている人であっても、助け手を差し伸べることは容易な業ではありません。

しかし、このサマリヤ人は時代の流れの常識的な隣人愛の観念を破り、新しい隣人愛を教え、 新しい人間関係を作り上げています。一方、同じ事故現場を通りかかった祭司やレビ人が目をそむけて素通りしたのは、何と対象的な場面でありましょう。

祭司とは今流で言えば牧師であり、レビ人は当時の祭司や宗教行事に携わった人々であったからです。愛を説き、 隣人を愛することを率先してすべき宗教家と差別と偏見の犠牲者であるサマリ人が、傷ついた人に向き合ったときの彼らの対応、愛の応答にこれほどの差があるとは!傷ついた人がもしユダヤ人であったとしたなら、尚更、サマリヤ人の愛の深さを知ることができます。

3)距離感を越えた隣人愛: 
隣人とは物理的に隣にいる人、お隣、”next door”の人です。国家間で言うならば韓国は日本のお隣であり、アメリカは距離的に離れて隣国とは呼びません。勿論、気持ちの上での隣国という感覚もあるかも知れませんが。 これまでの隣人愛の基本は“距離感”で、近い人たちがお互いに助け合うという理念でした。

勿論、これも素晴らしいことですが、イエスの隣人愛のコンセプトはこの“距離感”、“地域性”を越えて、困っている人の“ニーズ、必要に応える”ことが真の隣人愛であるという点です。 隣人愛の土台が地理的条件から“必要条件”にとって代わった、ここにイエスの隣人愛の新しいコンセプトがあるように思われます。

このイエスの隣人愛の教えの下に、ナイチンゲールの敵の負傷兵士を介抱する赤十字運動、ワールドビジョン、国際飢餓対策、クッド・サマリタンのような大きなキリスと教的慈善事業団体が世界を隣人として援助、救済活動を展開しています。-次回に続くー

前原利夫


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「群衆の中のひとりがイエスに言った、“先生、わたしの兄弟に、遺産を分けてくれるようにおっしゃってください”。彼に言われた、“人よ、だれがわたしをあなたがたの裁判人または分配人に立てたのか”。 それから人々にむかって言われた、“あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである”。 そこで一つの譬を語られた、 “ある金持の畑が豊作であった。そこで彼は心の中で、どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが“と思いめぐらして 言った、”こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。 そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ“。 すると神が彼に言われた、”愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。 そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか“。 自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」 (ルカによる福音書12章参照)

ユダヤ人社会では数千年前から生前の遺産相続が執行されていたことは革新的であったと言えます。いずれ財産の分配をするわけですから、「死んでから」に拘らずに相続人が最も必要としているときに分配したほうが最も有効に財産の活用、管理ができるのではないでしょうか。

また相続分与する人も自分の目で見届けることができます。死んでからはでは遅過ぎます。 もう一点興味あることは、イエスをどのような人として観察されていたかということです。イエスは預言者であり、ラビ、宗教家として知られていました。

だのに財産分配という個人的に立ち入る遺産問題のアドバイスを求めて来た点です。尋ねてきた人はイエスなら自分の側に有利に分配するであろうと考えてのでしょうか。それとも兄弟間でこの財産分与で確執が生じたかもしれません。 さて、イエスは譬え話を展開してこの人の心の目を開かれました。

命は物質に勝る:
人の命は持ち物の量とは比較されてはなりません。物質至上主義の今日の価値観はついつい物質的成功がすべてであり、「地獄の沙汰も金次第」と考えがちです。質よりも量、休息よりも金、家族よりも会社、 精神的なものよりも物質、そして命よりも富が大切であるこのように価値付ける世界です。ここで立ち止まってイエスの言葉を吟味消化してみましょう。

「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。 また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか」。(マタイ16章)

明日の命はわからない:  
この言葉は真理です。朝元気よく出かけたご主人が交通事故で病院へ運び込まれ、そのまま帰らぬ人となった。元気にLAXで見送った恋人は再び会えぬ人となった、等々。私たちは命のはかなさを身近に体験しています。

イエスのポイントは、このような予測不可能な世界に生きている私たちは、生活に優先順位を立て、命を一番大切にする生活設計が大事です。スピリチュアル・ライフの設計がなさればなりません。

キリスト教は勤労を重んじ、仕事に精を出すように教えます。従って、勤労の実である富、財産が増し加わることを決して否定しません。しかし、その虜になり、我欲に生きることを戒めます。富を得て、 自分のためにだけ蔵を建てて独り占めにしないように社会に還元していきたいものです。

イエスを尋ねて来た人は財産分与の虜となり、自分の命の大切さ、明日どうなるかもわからないようなもろい我が身の魂を忘れていたのです。 富を得るのみに現を抜かしている現代ライフスタイルに反省が迫られます。

財産は天国に運べない:私は何十回と葬式に参列しましたが、誰一人財産を携えて逝った死人を見たことがありません。これは当然ではありませんか、と仰かも知れません。 しかし私たちのこの地上生活は恰も財産を死後の世界にも運べることができるかのような生き方ではありませんか。やがて地上の財産も富も全て誰かの手に残して旅立つのです。

貴方が流す苦労の汗、休む暇もなく稼で建た豪邸も、預金も全て誰かの所有として名義変更がなされます。 この地上の富はやがて消え失せていきます。

イエスは言われた。すると神が彼に言われた、 “愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか 自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。(ルカ12章)

前回の譬え話では宝を探し廻る人の姿を考えてみました。今回の譬え話は宝が身近にあってもそれを見つけることが出来ない人への警告です。貴方の魂は物質に勝り、命は富に勝るのです。

読者の上に神様の祝福をお祈り致します。 God bless you today and forever!

前原利夫


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天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。 彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。 それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。 そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。 そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。 五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。 彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、 『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。 さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、 『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。 そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。 ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。 もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして 言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。 そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。 あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。 自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。 自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。 それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』 このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。 (マタイによる福音書20章参照)

さて、読んで頂き、真っ先に口から出る言葉は「これは不公平だな~」という声が聞こえるようです。けれどもイエスが天国の譬えを雇用者と労働者との労使関係に結び付けたのは実に絶妙ではありませんか。

私たちは、 天国は神秘的で人間の想像を超えた美しく栄光に輝く世界であるとイメージしています。ここでの譬えは地に着いた誰でも体験している世界を取り上げています。この譬を3つの観点から考えてみましょう。

1)雇われた労働者たち:
当時のぶどう園の労働時間は12時間で、早朝の6時から夕方の6時までの重労働でした。日給制の日雇い労働者たちで、彼らは主人の下で働く奴隷よりも生活が不安定でした。日 給は一デナリ(時給$10として$80と考えましょう)で、就労時間は朝6時、9時、 正午、午後3時、最後のラストコールが5時でした。トランス界隈でも見かけますが、レンタルのUホールのヤードの傍らでその日の仕事を請けようと労働者が屯しています。同じ状況をこの譬えの中に描いて下さい。

雇用者と労働者との間には契約書が結ばれ日給が定まっていました。朝6時に就労した者、12時、或いは5時に就労した者も同額の日給が支払われました。しかも、後から就労した者たちが真っ先に賃金が支給されたというのですから、 早朝から汗水流して働いた者たちから“不公平”と苦情を立てても、その感情がわかります。それはこの世の常識であるからです。

2)ぶどう園の雇用者:
労働者は長い時間働けば短い時間働いた者たちよりも多く賃金が払われると考えます。ところが、ぶどう園のオーナーはすべての労働者が同じ状況の下にあるとは考えません。その中には若者、中年、高齢者、男子、婦人、 或いは肉体労働に不向きな弱々しい労働者がいたことであろう。

そのような人たちはその日の仕事にありつくことが出来るかどうか不安でした。譬の中の雇用者は仕事が欲しい人は誰でも断ることなく採用しています。生産性、労働効率、労質、 労働時間などを全く無視した採用でした。しかし、一つの原則は尊守し、契約通り一デナリを全ての労働者に支払っています。

3)契約という観点から:
聖書の神は契約の神です。聖書は旧約聖書と新約聖書という“契約の書”からなっています。神と人との契約、誓いの書です。従って、ぶどう園の主人が日給一デナリと定めたら、その通り支給されます。 一デナリの日給は最高額として契約されたのですから、長時間働いた人が短い時間働いた人と同額支払われたからと言って、文句を言うことは出来ません。契約は時給ではなく日給制でした。

裏を返せば、ぶどう園の主人は気前がいいから、 たった1時間働いた人にも一デナリを支給したのです。自分が公平に扱われている限り、人様に気前がいいという不平は大人ではい駄々っ子ではありませんか。さて、天国の譬えを纏めてみましょう。 雇用者は神、労働者は私たちです。ぶどう園とは教会と考えましょう。教会には幼い頃から来ている人、中年になってから来る人、或いはキリスト教のことを知らないで高齢者になって初めて教会に来る人たちがいます。

勿論、病気、多忙、 勤務先が原因でイエス様を信じる機会が訪れなかったということもよくあるケースです。ぶどう園で働き始めると何時間働いたかは関係なく、みな一様に報酬が約束されました。同じように教会に来られる方も長い、短いの信仰生活と関係なく、神からの特別な愛の下に育まれます。 神のこの愛は人類の救済、魂の救いに表されます。イエス・キリストを救い主と信じる全ての人に与えられる罪からの救い、永遠の命です。ここに神の超哀れみが見えてきます。  

最後の一句・・

「このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」

とありますように、神の世界は時間、常識の世界の発想ではありません。 神の世界は“哀れみ”、“愛”、“救い”という視点で捉えるときによく理解できる世界です。 それは「神はそのひとり子を賜ったほどにこの世を愛して下さったからです!神は愛なり、 貴方を私を愛しておれれます!  

God bless you today and forever!

前原利夫


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それからイエスはまた一つの譬を語られた、「だれも、新しい着物から布ぎれを切り取って、古い着物につぎを当てるものはない。もしそんなことをしたら、新しい着物を裂くことになるし、 新しいのから取った布ぎれも古いのに合わないであろう。 まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、新しいぶどう酒は皮袋をはり裂き、そしてぶどう酒は流れ出るし、皮袋もむだになるであろう。 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。 まただれも、古い酒を飲んでから、新しいのをほしがりはしない。『古いのが良い』と考えているからである」 (ルカによる福音書5章参照)

イエスは三つの短い譬を話しておられる。

①新しい布切れは新しい布切れに継ぐ。
②古いブドウ酒は新しい皮袋に入れる。
③古酒は新酒に勝るという考えには偏見もある。

新しい布切れを古い布切れに継がない、また、古いブドウ酒は古い皮袋に入れない。

①、②の二つの例話は相容れないものを一つにする時の破壊的な結末、そして熟成したブドウ酒の美味さを失うことがないようとの警告です。纏めると、美味しいブドウ酒の入れ物は新しい皮袋が最高であると言うことであります。

さて、イエスはここで古い宗教的思想や考え方(ユダヤ教)とイエスの新しい教えとの調和を言っておられます。これまでの古い宗教的思想は古いブドウ酒のように味のよいものですが、弾力性のある皮袋であるイエスの新しい教えを入れものとしなさいと教えられます。

古い皮袋は弾力性を失い、許容力にも限界があるからです。古い宗教的思想を否定しませんが、その弾力性、メシヤ・キリスの到来という新時代には、視点を変えてキリストという器に変えなければならないのです。ポイントは従来の入れ物、器に革命的な変化が必要である点です。 即ち、これまでの宗教思想の弾力性、発想の許容力です。それがイエスの教えの中にあるのです。

例えば、旧約聖書の中では「歯には歯、目には目」という復讐法が正当化されました。 それは傷を受けた人がその受けた傷より以上に相手に復讐してはならないという「同等復讐」という点で優れていました。しかし、イエスが説く「汝の敵を赦せよ」という新しい教えからは、旧約聖書の教えは古い伝統的で改革しなければならない教えとなります。 イエスは

「一マイル歩けと言われたら二マイル行け」、

「下着を求める者には上着をも与えよ」

と完全な愛と赦しを教えられたからです。ここにイエスの福音があり、その福音の弾力性、許容力の大きさ、深さがあります。また、福音の深さとは神が私達の犯す罪、 過ちに対する赦しの寛大な処置であります。
 
人は伝統的物の考えに弾力性を見失うこと度々です。自我や積み上げられた慣習に固守し、また職場で毎日同じことを繰り返していると、環境の変化や周囲の人々の進歩に気付かない場合がよくあります。毎日同じことを考え、 やっているとそれだけが正しいとついつい思い込んでしまうものです。イエスはこの点を改革せよと指摘されておられるのです。

私たちが社会の変化に対応、否、時代の先取りをするためには発想の柔軟性、環境への対応性、器の許容力等、 イエスのこの譬から多くを学ぶことができましょう。

2010年の一日一日が、24時間という単なる時間の流れで無駄になることなく、一日一日の中に神の知恵とエネルギーが埋蔵されていることを発見していくチャレンジな年であるように・・。

前原利夫


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神様はいつ、如何なる時も真実であられる。ということを救いと恵みの体験を通して分かち合いたいと思います。 私は終戦直後の焼け野原と化し、生活必需品である衣食住でさえ不足がちな沖縄本島南の半農半漁の寒村で生まれ育ちました。

何もない時代、小学校に入学した時など掘っ立て小屋の藁葺き校舎には床もなく机や椅子、教科書さえありませんでした。その頃、鉄の雨、蘇鉄地獄という言葉をよく耳にしましたが、それは当時の悲惨な状態を如実に物語っています。

揺れ動く激動の世界の渦の中に巻き込まれて再起さえおぼつかない沖縄でした。元来警察など必要のない長閑で平和な沖縄でしたが米軍の駐留と同時に民族間の複雑な事件や問題が多発し、政情、民心共に不安定で怒りや悲しみのやり場のない状態でした。

でも、神様は無力で小さな沖縄を見捨てるようなことはなさいませんでした。米軍の駐留と同時に多くの宣教師が続々とやってきたのです。やがて私たちの学校のすぐ隣にも教会が建ち、私も友人と楽しく日曜学校に出席していたのを思い出します。

教会へ行くと出席者カードにきれいな赤いマークをつけてもらえるのが楽しかったことと、賛美歌に自分たちで振り付けをして発表し合うのが楽しかったのです。

中学入学と同時に教会から遠ざかり高校卒業までぶっつりと教会へ行かなくなってしまいましたが、教会から頂いた文語訳の新約聖書が何故かこの上ない宝物のように思えて大切に大切に持っていました。

大学受験も済み、高校卒業が近付いてきた頃、源氏物語と聖書を入学前に読もうと思い立ちました。当時文学は人生いかに生くべきかを探求する最高の芸術だと信じていましたので、旧約の義なる神の前に縮みあがりながらも、新約では赦しの素晴らしい愛のメッセージになるほど聖書は世界の古典と言われるだけのことはあるなどと生意気な感想を持ったものでした。

大学在席中は勉強らしい勉強はせず、好きな読書に耽り乱読もいいところでした。そんなある日、人生を変えてしまうような本に出会ってしまったのです。それはトルストイの遺稿集の中に

“たとい人が全世界を儲けても自分の命を損したら何の得になろうか”

と言うマタイ伝16章26節を主題とした短編小説を読んだ時でした。それはほんとに衝撃的で強烈で、命と物という事について考えさせられました。もう40年も前の事で登場人物の名前や詳しい事は忘れてしまいましたが、内容は次のようなものでした。  

ある夕方一人の若者が、ロシヤの広大で肥沃な土地を見下ろすような小高い丘に座って物思いに耽っていました。
其処へいかにも裕福そうで善良そうな一人の老人がやって来てニコニコしながら若者に話しかけました。
 
「どうだ、この土地すごいだろう。この土地は私の物だ。肥えていて良い土地だが、使いこなせない。一つあなたと約束しよう。この土地に明日の日の出から日没までの間に1メートルおきに杭を打ち込んで囲むことの出来る土地はすべて貴方にあげよう。」

あまりのうますぎる話に若者は一瞬疑いの目を向けましたが、いかにも真摯そうで人のよさそうな老人の笑顔に安心して跳びあがって喜び、約束してしまいました。折りしも真っ赤に染まっていた太陽は地平線の彼方に沈み、赤銅色の空が灰色へと暮れなずんでいく、いかにも静かで平和な夕暮れ時でした。広大な土地が自分の物になる喜びで家にすっとんで帰った若者は寝る間も惜しみ、懸命に杭つくりに励みました。それは白々と夜が明けるまで続きました。

もうすぐ日の出です。出来あがった杭を全部丘の上に運び、日の出と共に杭打ちにかかりました。1メートル走ってはトントン、また1メートル走ってはトントン、さらに1メートル走ってはトントンと流れ落ちる汗を拭うのさえもどかしい程杭を打ち続けました。走っては杭を打ち、打っては走り、休むこともなくそれは日没まで続きました。
息も切れ切れに最後の杭を打ちつけたとき、おりしも、昨日と同じように真赤な太陽は地平線の彼方へ姿を消しました。若者は血の滲むような努力により見事に広大な範囲に杭を打ちつけることが出来ました。

若者は過労のため苦しい息の下から杭に囲まれた土地を見て満足し、事を成し終えた充実感でほっとするとどっと疲れが出てそこへしゃがみこむように倒れてしまいました。 そして、もう二度と再び起き上がることができなかったのです。  

たとい人が全世界を儲けても自分の命を損したら何の得になろうか、また、人はどんな代価を払ってその命を買い戻すことができようか。マタイ16:26  

私はあの老人が氷のように冷たい目をしてニタニタ笑っているような気がしました。すごいショックでした。以前に読み過ごしてしまった聖書の箇所が思い出されました。金持ちとラザロの話、金持ちと収穫そしてそれを収納するための倉とその晩に取り去られてしまった命等。“自分の為に宝を積んで神の為に富まない者はこれと同じである。”と言い切っています。全世界よりも尊い命;神に対して富んでいたら、あの若者は欲の為に命を落とすようなことはなかったでしょう。もしあの若者に本質を見抜く識別力があったらあの善良そうな老人の心の奥を見抜くことができたでしょう。私もそんな識別力、命が欲しい。

それからでした聖書を真剣に読み出したのは!聖書を読み進むうちに自分の罪深さをしらされ、その贖いのための十字架、そして復活のイエス様を信じて救いの確信が与えられて受洗しました。あれから私の側にはいろいろ問題がありましたがイエス様の愛は何時も変わりなく、恵みも充分でした。

いつも、どんな時も真実であられました。今でも至らない私は神様を悲しませてしまうような言行をしてしまいます。その度に義なる神様の怒りの炎は私の頭上で燃えるのですが、主イエス様のあの十字架のとりなしの故にいつもいつも赦され、恵まれ、守られて今日までやってきました。ほんとにいたらない私ですが、“今あるは主の恵み”と心から感謝してます。

 この喜びを日本人の方々にも伝えたいと願い日本人が住んでおられる方面に家が欲しいと祈っていましたら私どもの実力では天地がひっくり返って手にすることができないような素晴らしい家が与えられました。世的に考えると支払いのことが寝ても覚めてもきになるような額でしたが、神様が私どもに任せてくださった神様の家だと信じ、支払いのほうも神様が導いてくださると信じてやってきました。ですから私達は家を私物化することがないよう神様のために用いていただきたいと願っています。  

神様のなさることは無駄なく全て時に叶って美しい。戦後の悲惨な状況の中で宣べ伝えられた神様の御言葉は、沖縄の多くの人々をキリストへと導きました。意味も分からずに幼少の頃通った日曜学校も私を導くための神様の方法であったと今は確信を持って言うことが出来ます。  

“十字架の言葉は滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかる私たちには神の力である” 第一コリント1:18

これからも神様に従順に従って歩んで生きたいと心から願っています。

前原睦子


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「また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。 そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、 『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう。」 (ルカよる福音書15章参照)

ある女性が銀貨を持っていました。この銀貨はドラクマと言われ、それほど値の張る銀貨ではありませんでした、しかし文脈からして大変貴重で価値ある銀貨であることがわかります。

この女性は銀貨を一枚一枚バラバラに持っていたというよりも、 銀の鎖に10枚の銀貨を差し通して髪飾りとして使っていたと推測する人もいます。当時、このような髪飾りは、パレスチナの既婚女性のしるしで、結婚指輪と等しく大切なものでした。

結婚指輪を落として、探そうとしない人はおりません。また、あくどい借金取りでも、 このような髪飾りを返済にあてるように請求できなかったようです。 結婚指輪の価値はその支払った値段の高い、低いによって定まるのではなく、結婚を誓う二人の誓約のシンボルとして値ぶみのできないものです。

二人の生涯がこの誓約にかかり、 その誓約のシンボルがどんなに大切かは言うまでもありません。銀貨を失った女性はこの10枚の髪飾りにどれだけの犠牲を払って買い集めたか知りませんが、一枚たりとも失ってはならない貴重で取っておきのものです。子供の欲しい夫婦が10人の子供を持つ親に一人下さい、 貴方はそれでも9人いるでしょう、と言うようなものではありません。子を持つ親にとっては一人一人が高価な存在です。

さて、失われた銀貨の存在もそうですが、探している人は誰でしょうか。その人はパレスチナの暗い部屋を明かりで一杯輝かせ、部屋の隅から隅まで、くまなく探しています。

そして「注意深く」、「見つけるまで」とありますから、9枚も残っているからという考えなどは全くありません。 「チャリン」と音を立て、「キラリ」輝いて手元に戻る銀貨を探しているのです。一枚一枚が高価な銀貨なんです。その方はヤッキになって捜し続けています!  

聖書の別のヶ所に「人の子(キリストのこと)がきたのは、失われた者を探し出し、救うためである。」とあります。失われた銀貨を探すあの女性の姿は、神から離れた人を探す神の姿ではありませんか? 

たとえ私たちが暗闇の中にいても、どこか人知れぬ片隅にいたとしても、 神は貴方を、私を探し求めておられます。神は貴方を愛しておられるからです。心から。

前原利夫


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証・前原利夫 牧師



第7回 夢のパラダイスへ向かう

私は27才、南太平洋の楽園に留学派遣されることになった。長女が誕生したばかりの6ヶ月目である。そもそも、米大学への出発は9月のセメスターに間に合うように7,8月頃に出発するのだが、妻が出産を控えているという理由で後期セメスターに間に合うように延期願いを出していた。
 

出発は、終戦以来長々と日米間の政治問題になっている軍空港の嘉手納基地(カデナ)から飛び立つことになった。この空港は軍専用で民間機をチャーターして軍人、その家族と共にハワイのヒッカム空港に向かった。27才にして初めての飛行で、恩師夫妻、友人、妻と赤ちゃんの娘が見送りにきてくれた。

夢のパラダイスへ向かう中、私のハートはドキドキとしていた。ところがそこで意外な戦争の縮図を体験することになった。
私が予想していた飛行場とは全く違い、“ものものしい飛行場”であった。40数年後もあの“ものものしさ”が今目の前に押し迫ってくる。

当時はベトナム戦争の最中、沖縄は太平洋のキーストン(要)と呼ばれ、戦略的に重要な位置にある。軍車は軍服姿の兵隊を乗せて、爆音を立てて一号線(ハイウエー)を爆走、確かに世界のどこかで戦争があるのであろうとう概念的、情報として戦争を捉えていた。
しかし、嘉手納空港に来て初めて、戦争の現実を目撃した。空港にはユニフォームの兵隊、兵隊家族、野戦姿でバックバクを背負う兵士、松葉杖に寄りかかる兵士、妻と別れを悲しむ兵士、抱き合い励まし合う家族。

この基地の様子は確かに戦争が現実であることの証拠だ。これまで“戦争”は観念的にしか捕えていなかった言葉であったが、今、ベトナムで国と国が戦い、人と人が殺し合いをして生中継の実像を目にしているのである。戦争情報はビデオではなくライブ、現実なんだ!戦争体験のない私の“戦争”の概念と、兵隊、犠牲者を出した家族の“戦争”概念との間には、大きな開きがあることをこの基地の空港で体験させられた。
これから楽園の島、ハワイに向かおうとするその出発点で、私は世界の戦争の縮図を見たのだ。私の心の中には二つの大きな感動が混じり合っていたに違いない。夢のパラダイスでの学び、初めて体験する現実の戦争が。今、沖縄をひと飛びすれば人と人との殺し合いがあること。
軍チャーター機は妻と6ヶ月の娘を残して沖縄の夜空に飛び立った。真夜中の旅立ちである。
      

「平和を作りだすひとたちは、幸いである。彼らは神の子と呼ばれるであろう」
                    (マタイによる福音)


第6回 夢の米国留学

「将来の道場」、即ち療養所は私にとって学ぶ動機付けとなり、夢の米国留学への橋渡しとなった。遠回りしたような道、道草をしたような道でも実は一番近い道となつた。もし、健康で療養所に行かずにそのまま仕事中心に生活していたら、ダラダラと学びの機会を失っていたかも知れない。人間の目には“障害物”と思われても、神様はその障害物を宝にまたエネルギーに変えて下さる。私たちの障害物に対する姿勢、問題の取り組みが大事だ。私は職場復帰をして、夜間の大学で英文科を専攻することにした。幸いに英文科の特待生として一年授業料が免除となったのも、実に神様の祝福であった。

1960代の当時、向学心に燃えた沖縄の若者たちには二つの夢があった。一つは本土の大学への国費制、もう一つは米国留学制度であった。私はあまり勉強もしないただ英語が好きで米国留学を夢見ていた。何度か試験を試したがその度に落ちたが、いつか必ず“合格する”という楽観、信仰?からこの夢に縋りついた。やがて400人以上の受験者の中から19人のしんがりの一人として“合格”。新聞で自分の名前を確認したときは飛び上がって喜んだものだ。

それから暫くして1968年1月、新垣睦子と結婚。私の母は病名不明で死亡。私たちの結婚式を数週間後に控えての母はどんなにか楽しみにしていたことであろうか。そして、1969年1月にハワイ大に留学、マーケティングを専攻することにした。当時、1ドル360円の時代、今は円が4.5倍強になっている。貧しい沖縄の貧しい家庭の私がアメリカに渡ることは夢のような話であつた。沖縄はドルを使用していて私のサラリーは$120、年令からしていい報酬であった。

私の留学の過程の中で当時から今もず~と気になっている、いや、不思議に思い続けていることが一つある。それは、どうして私のような勉強もろくろくしない者がこの夢を叶えられたかという不思議さだ。多くの若者たちが英語塾に通い、24時間学んでいたからだ。本当に不思議だ。

米国留学の道が開けたことは神様の恵み以外にないと結論付けている。それは私の実力を越えて神様からのギフトであった。当時、教会に貧しい一家族が出席していた、今で言う“ホームレス”だ。彼は貧しいばかりか精神的にも障害があった。ある時、祈祷会が終わり、私は彼がどんな所に住んでいるか知ろうと追跡することにした。それは汚い空き家の倉庫のような住いで、いつもリヤカーを押しながら古新聞や空き缶、瓶を集めて売っての生活であった。私は心から同情してその家に$20を投げ込んでそのまま引つ返した。私はそのことを長い間誰にも伝えないで黙していた。ところが、どうしてか留学の実現とこの隠れた施しがいつも結びついて一つになる。神様は私の小さな施しを喜んで下って報いて下さったのだと、抱き合わせて信じている。どんな小さなよい行いでも誰も見てなくても神様が見ておられるのだ。それが聖書の教えだ。神様は隠れた祈り、隠れた善行、隠れた奉仕をご覧になられる。それがどんなに小さなものでも神様の目には尊いものだ。  聖書の言葉をお贈ります。

わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに 冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決して その報いからもれることはない」。
(マタイによる福音書10章)

貴方の隠れたよい行いに神の祝福がありますように!


第5回 将来への道場・その2

青年時代の療養生活は決して無駄になるものではない。一日24時間自分の生活を自由に計画できるものです。シャバでの人に振り回される生活、仕事中心の一日から解放されて自由に好きなことができるからです。一日を最大限に活用できる療養生活は走り回っていた私には都合のいい場所となったのです。自分を磨く学びの機会となりました。   また、療養生活は自分を静かに見つめ直す機会ともなりました:自分の魂はこれでいいのか、内面的な反省の時でした。クリスチャになって一生懸命に生きたつもりでしたが、深く心を探ることなくただただ走り回っていたのです。青年、クリスチャンとしての考え、行動、生活態度、信仰など大いに反省の好機となりました。私にとって、施設での短い療養生活は“ミニ神学校”となりまた“塾”となって将来へ備える道場となりました。

この療養施設に入居して数週間後、高校を卒業して丁度4年でした。1960年3月20日、
私は療養所の風呂場で一人浴びていました。その時でした、当時の音質の悪いトランジスターラジオから琉球大学の卒業式の模様が放送されてきました。高校を卒業してあれから4年、同期生たちは大学を卒業、おのおの社会に飛び立って行こうとしている。希望に溢れて大学を巣立つ同期生、一方、この自分は結核療養施設の片隅でうろうろしている自分の姿に男泣きしたものでした。自分の惨めさ、悔しさ、この状況の中で身動きとれないもどかしさに失望したものでした。しかし、心の片隅に“必ず、追いつき、追い越す”という意地があったようです。

あの琉球大学の卒業生の中に小・中学校と一緒であった新垣睦子―今の前原睦子―がいたのです。あの日、あの風呂場の悔しさはやがてエネルギー化して私の人生の転機となりました。若いときは「苦労を買え」とも教えます。青年のエネルギーは逆境を順境に、マイナスをプラスに転換する潜在力が秘められているのです。ここに至った一連のことを通して、私は神様のお導きを深く感謝したものです。 聖書にこのような言葉があります。

このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの
主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。 (ロマ書5章)



第4回 将来への道場・その1

数ヶ月自宅療養をした私は、人々が嫌がる結核療養所に送り込まれました。結核は体に痛みも痒みもない病気で、外観は健康そのものです。青年のエネルギーに溢れた私にはもて遊ぶ病気でした。 療養所には7-8ヶ月お世話になりました。丁度、日本が東京オリンピックを迎えた1964年でした。療養所には色々なクラブ活動のような楽しい遊びがありました。工芸、民謡、図書、聖書の学び、牧師の定期訪問、また知り合いの牧師の奥様も同療養所で治療していたことは奇遇でありました。

療養生活の一日は色々退屈しないように工夫され一日があっと言う間に過ぎてしまいました。軽症の患者たちは朝から動きまわり療養生活とはとても思えないような活発に遊びまわっていました。しかし、消灯時間は9時と厳守され朝食が8時頃でしたから長い夜を悶々と過ごせねばなりませんでした。 私はこの療養の機会を有意義に過ごすことを考えました。それは学ぶことに時間をかけることだと思いました。特に、二つのことを学ぶ計画をしました。入院前に英語専門学校(名護)で学んだ英語を復習しようと思い立ち、習った教科書を再度読み始めました。その中にはシェクスピア、トムソーヤの短編等がありました。英語の学びをし始めると新しい刺激を受けるようになり、米国留学の夢が療養所の中で再燃しました。当時、沖縄の若者に提供されていた米政府の留学制度がありましたがそれにパスすることは難しいと消極的でした。従って、ハワイに戻った宣教師のカネシロ・スタンリー師にご相談してハワイに留学できるようにと内心目論でいました。しかし、神様は後日それ以上に素晴らしい道を開いて下さいました。

もう一つの学びはギリシャ語の学びでした。独学ですから自己流は避けられず、アルファベッとからスタートしました。しかし、中々興味がありヨハネの手紙をギリシャ語で読みながら少しばかりかじった経験があります。ギリシャの学びは後々新しい学びをするときに自信をもってチャレンジする勇気を与えてくれました。また、聖書、信仰書を多く読む機会を与えてくれたのはこの療養所でありました。療養生活は知的にも霊的にもステップ・アップの機会となりました。これは神様からの「将来への道場」であったのでしょう。

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。 これによってわたしはあなたのおきてを 学ぶことができました。」詩篇119篇

若い方々、お耳を貸して下さい。貴方は今、壁、問題に直面していますか。真正面からその問題に取り組んで下さい。貴方の問題は貴方の目標への最短距離です。挫け、嘆き、諦めは将来への敵です。今、学び将来に備えるのです。 次回もまた「将来への道場」から涙の体験をお伝えします。



第3回 青年時代の試練

就職後、2, 3年経た年の暮れでした。風邪を引き、熱が出、咳き込みが激しく、寝汗を掻く日々が続きました。“まさか”と思いながら、また友人たちの勧めもあり保健所を訪ねました。心の中では“肺結核”ではないかと恐れ恐れ重い足を運びました。熱を計り、レントゲンを撮りました。当時は即時にレントゲンの結果は出ずに数日後にその結果を知るために出向いたことを思い出します。医師から“貴方は肺結核です。暫く療養が必要です”との宣告は、僕にとっては正に死の宣告のようでした。50余年前の結核治療はかなり進歩したとは言え、未だ死亡者を出す重病でした。私の病状はそう進んではいませんでしたが、肺には既に小さな空洞が2,3あったことを今思い出します。当時、新しく開発されたストレプトマイシンは即効力があるという新薬でそのお世話になりました。お蔭で副作用が併発して内耳炎を長年患い、これには夜も昼も悩まされました。

さて、結核を患い、青年前原はこれからどうなるか、どうするかと心配でなりませんでした。問題が二つありました。当面の経済問題と将来の問題でした。保健所からは療養所のベットが空くまでは自宅療養をしなさいという指示を受けていました。治療費は無料でしたので一人の生活に困ることはありませんでしたが、暫く仕事ができない、収入の道が完全に閉ざされることになりました。私は重い心で会社に辞職願を出しました。ところが副社長が“前原君、君の療養中はサラリーの70%を支給するから早く元気になり、復職しなさい”という全く予想してなかった励ましの言葉を頂きました。心から神様に会社に感謝しました。

私はこのような会社の特別扱いに何故だろうかと考え、これまで会社にどのような貢献をして来たかと自問自答しました。特に貢献というのはありませんが、一生懸命、忠実に仕事を果しました。それと就職するや否や、私は率先して毎朝「便所掃除」をしました。これが唯一の貢献かもしれません。時々、社長は好意的に僕を自宅に招いてくれました。社長宅は当時アメリカ人が住む住宅地で庶民の我々の住む地域ではありませんでした。“前原君、君も将来このような家に住むようになり、香港やアメリカの本社に出張して飛び回るようになるよ、一生懸命やれよ”、と励ましたてくれました。 経済問題が片付いた今、私は数ヶ月の自宅療養をすませ、那覇から北にある療養所に向かいました。そこで待っていたのは様々な学びの機会でした。ま た、青年時代の反省の機会として神様はここに導いたのでありましょう。やがて療養所が私の“将来の道場”になるとは思いもつかぬことでした。 新約聖書(第二コリント12章)にこのような励ましの言葉があります。

“ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。
わたしの力は弱いところに完全にあらわれる“。それだから、キリストの力
がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 だから、
わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まり
とに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

次回は“道場”からの体験をお届け致します。



第2回 青年時代に学べ

就職先が決まらないままに高校(那覇商業)を卒業、下宿先から田舎に帰りました。いつ就職が決まるのか先が見えない僕には悶々とした毎日でした。今アメリカ経済の不況で失業中の人が大勢いますが同じような気持ちです。数ヵ月後に、採用通知(コルゲート歯磨き製品関係の総代理店)が届いたときは飛び上がり喜びました。これで苦労している兄の家族を少しでも助けることもできると。暫く田舎から通勤しましたが、那覇に引越し休んでいた教会にも出席するようになりました。

沖縄聖書教会は宣教師がハワイに帰国した後、若い牧師を迎えていました。それが奇遇か、かって高校の化学の先生でした。当時、30才にならない牧師は大学講師と牧師の掛け持ちで、若くエネルギッシュで三度の飯よりも学ぶことが好きな学者でした。この先生との出会いは神の導き、青年時代の僕に学ぶことと神を信じることがどんなに大切かを深く教えてくれました。

このような牧師でしたから多くの若者たちが教会で聖書や他のことを広く学びました。 私は高校ではバスケットボールの選手、沖縄代表で全国インターハイに出場、キャプテンでバスケに明け暮れたスポーツマンでした。その私に牧師はこう言いました、 “君たちは朝から晩まで運動場で走り廻っているがどんなに速く走っても馬には勝てないね。馬に勝てないような無駄なことはするな。” この言葉は強烈に私の胸を突き刺しました。なんと時間を無駄にしているか、時間を大事にし、将来のために使っているだろうか深く反省させられました。

そのこともあって、聖書と好きな英語の勉強にいそしむようになりました。学ぶ意欲は米国留学という夢に挑戦する力になりました。 恩師、運天康正牧師の指導の下に1960年12月24のクリスマス・イブ、今は牧師として活躍している友人と二人で洗礼を受けました。 人との出会いは将来のコースに大きな影響を与えるものです。出会いを大切にまたその人のいいものを盗む程に活用したいものです。知識を広げ、深め、学問をする人は神の存在を謙虚に認めることがスタートラインであることも教えられました。そして、神との出会いこそ人生の祝福であることも、、、

「主を恐れることは知識のはじめである」(箴言、旧約聖書)



第1回 生い立ち

「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って 『わたしにはなんの楽しみもない』と言うようにならない前に、、」伝道の書12章1節

私は幼少の頃から宗教心があったようです。ただ、どの神が本当の神様か知りたいと、あの神かこの神かと日記帳に無造作に書き並べていました。昔、小学校の校門の近くに、貧しいコンセントで建てられた村の小さい教会がありました。登校前、数人の友達と教会に入り、黒い服を着た先生が大きな黒表紙の本からなにやら話をしています。その中で幽かに覚えている話は、 「神様はめんどりが雛をその羽で覆い隠すように、私たちを守って下さる」という話でした。 後日、この話は聖書の中にある教えであることが分かりました。あれから何十年も経ちましたが、神様はそういうお方ですね。体験が証明します。

高校3年、卒業をまじかに控えた時、将来の進路に迷いました。進学か就職の道か。将来はどうなるんだろうか、心配、不安でした。5年生の時から兄に育てられた私は、これ以上兄のお世話になることはできない、寧ろ4人の娘たちを抱えた兄を助け恩返しをしなければならないと思いました。 そこで就職の道を選びました(もっとも進学準備もできていなかったこともありますが)。 そんな人生の岐路に立たされ、右か左かという不安なときに、教会へ足を運びました。この教会は校舎の裏側にあるハワイ二世の宣教師が建てたこじんまりした教会でした。勇気を振り絞りながら二階のドアをトントンと叩きました。迎えに出てきたのは奥様で、奥へ通されました。初めて出会う人でしたが、その牧師夫妻の神々しさ、心の温かさ、そしてタドタドシイ日本語の祈りが20歳の若者の心配事を包み込んでくれました。 丁度、めんどりが雛を囲むように。あの時以来、イエス様を信じてよかったと思っています。 これまでの人生、祝福で一杯です。


天に宝を

退屈な話と聞きほれるような話の大きな違いは、そこに「たとえ話」、「イラストの例話」等があるかどうかです。私も教会でメッセージの務めが多くありますが、適切な例話があるときの話とないときの話では、聞く人たちの反応が違います。 メッセージの準備で一番の苦労は「いい例話」を組み込む作業です。

新約聖書にはイエスのメッセージ(説教)が沢山紹介されていますが、その殆どが「たとえ話」に結び付けています。美しい自然、身近な生活環境、習慣、価値観を基に組み立てられたイエスのたとえ話は実に絶妙です。’ それ故に、イエスは超一流の説教者であったと言われます。

オバマ大統領も巧みな話術で相手候補に勝利しましたが、イエスの足下にもおよびません。さて、ここ数回「イエスのたとえ話」を紹介致しますが、今月は天国のたとえ話です。

天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。 (マタイよる福音書13章参照)

天国は宝のようなものであると言いたいのですが、ここでイエスは“畑に隠してある“と、当時の奇妙な習慣を担ぎ出します。「畑に宝を隠す」、この言葉は当時のパレスチナの人々にはすぐ理解出来たことですが、時代、文化の違う私たちには想像も出来ない、聞きなれない表現です。

昔、ラビ(ユダヤ人の宗教家)たちは、「お金を貯える唯一の安全な場所は大地である」と考えました。今は、お金を預ける安全な場所は銀行ですが(昨今は安全でもありませんね)、ユダヤ人にはそれは大地、地下、畑でした。パレスチナは地理的な状況から、 歴史的に戦場に巻き込まれる危険性が高く、貴重品や宝を家の中や裏庭に保管することは大変危険でした。

こんな話を聞いたことがあります、「ユダヤ人の家では、非常時に備えて、それぞれの家族が誰にも知られないように、自分の貴重品、お金を隠す」、と。

天国は宝、 「宝は人の魂」とも解釈できます。宝や魂が盗人や強盗に襲われる危険にさらされてはいけません。安全な場所を確保することが賢明です。「喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてそれを買うのである」とありますから、この人は自分の畑を耕していたのではありません。

この人は、誰かが(地主か、隣人か)畑の中に宝を隠してある筈だ、だから意図的に宝探しを試みたのです。幸い、見つかったので自分の所有物を全て売り払い、この畑を買ったとういうのです。これは単に、不動産売買、先を見込んだ投資や宝探しの話ではありません。

「天国という宝」、「天国という自分の魂」を最上の価値あるものとして、それを贖いとる(買い取る)、 即ち、自分の魂を一番大切にしなければならないという真理が隠されています。 人は全て遅かれ早かれこの世とお別れしなければなりません。この地上の生活は束の間です。イエスは天国という素晴らしい永遠の国を貴方に提供しようと、このたとえ話を語られたのです。

前原利夫


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