勝利の主イエスの名と〜賛美歌224“Ye Servants of God, Your Master Proclaim”

「彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある」 黙示録7:10

福音を語るには、神様への献身と熱い思いが求められます。福音を伝える目的は、それを聞く人の回心の一助となること。つまり、その人の心の中で神との個人的な関係が築かれ、悔い改めに導かれるための助けとなることです。回心とはその人の人生が180度変わるということであり、その人が「新しくなる」(IIコリ5:17)ことだと聖書は語ります。

このように「新しくなる」ことの中には、救い主、教会、そしてこの世界という少なくとも3つの側面において、それらを意識した、新しい関係性を持つことが含まれます。神様へ自らをお捧げする、自らを犠牲にしてでも神様の御用をする。そのような働きもなく、自分中心の生活を変えないのであれば、その人の「回心」には何の意味もありません。

チャールズ・ウェスレーがとその支持者たちが激しい迫害に晒されていた1744年当時、ウェスレーが発表した『試練と迫害の時の賛美』というタイトルの数冊の小冊子の中に、この賛美が収められています。詩編93篇1-4と黙示録7:9-12の聖句を基にしたこの詩は、迫害に喘ぐ彼の支持者たちに対する「『栄光の御国』の王であり『すべてを治める方』に専心せよ!という励ましのメッセージでした。

迫害の時にこそ信仰が成長する。これは、一般的によく知られた真理です。それは、ウェスレーとメソジスト派のクリスチャンたちにとっても真理であり、この賛美の歌詞は戦う彼らの「ときの声」となりました。そして弾圧が激しくなるほど、彼らの福音の宣言はより強くなっていったのです。

私たちが福音を述べ伝えるときも、彼らと同じような戦いをすることができますように。私たち自身の考えや経験、耳に心地よい話だけをすることなく、救い主、人生の主、そして生命と永遠の主であるイエス・キリストを中心とした福音を常に宣言することができますように。

峯岸麻子         

Taken from [Amazing Grace] ©Copyright
Septe mber 22, 2017, Kenneth Osbeck,
Published by Kregel Publications, Grand Rapids, MI 
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 詩篇93:1-4、96:1-10,マルコ10:43、45、
 黙示録7:9-12参照