夢の国、ハワイに嫁いだが(2)
前号でも書きましたが、ハワイでの結婚後の生活は期待に沿うこともないばかりか、肉体的、精神的な限界を感じるものでした。姑に家を出ると恐る恐る伝えたら、どうぞ、と言わんばかりに返事がきました。内心、断わられるかと思い、悲しい思いでしたが、すると、今までこのような状況下を黙視していた主人が、「自分も一緒に出る、女一人、二人の子供(幼児とお腹の赤ちゃん)を抱えてはいけない」と私を守ってくれました。
結婚して初めて、夫の存在、夫の愛を感じました。子供は自分のだけの子供ではなく、二人の子供であると教えられ、感謝で胸が一杯になりました。すると、姑は「なんでお前まで行くのか、一人で出ればすぐに戻って来るのに」と、複雑な気持ちで聞きました。
私たちの決心は固く$2000を手に、家を借りて新しく出発しました。私はお腹に(3人目)の赤ちゃんがいることを隠しながら、レストランの皿洗い、夫は洗濯屋の配達、子供達を可愛がり、貧しい生活の中にも幸せな日々でした。その後、私たちの生活も落ち着き始めた頃に、姑が家に戻るようにと迎えにきました。
彼女曰く「これからは貴方たちに昼の仕事してもらいたい。そして新しいアパートも上げる」という条件でした。私は以前のようになりかねないと心は塞いだが、主人は大喜びで、元に戻ることになりました。この辺の考えが自分の母をみる目、姑をみる目が違うのでしょうか。
私は以前の豆腐作り、主人は夕方の5時ごろまで洗濯屋の配達、その後はボーリングを楽しんでいました。私といえば、週6日働き、子供たちと過ごす日は日曜日だけでした。ある日の日曜日、3人の子供たちを連れてどことなく歩いていると、耳元に讃美歌が聞こえてきました。 私は立ち止まり耳を澄ますと小さい頃に歌った「主我を愛す、主は強ければ」の歌でした。
私はその歌の声に誘われるまま、初めてその教会の扉を叩きました。 ― 続 ―
上原民子
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません