主の計画

主人がオレンジに引っ越してから3年くらい2人の子供とハンティントンピーチに引っ越して、日本人の人が家でやっている近くのデイケアで働きました。ところが知り合いの人がクリスチャンの幼稚園を始めるというのでトーランスまで通いました。

朝6時頃から私が仕事に行っていたので中学生の末っ子はバスで学校に通っていましたが、度々休むようになってしまい、結局またトーランスに引っ越しました。

幼稚園では2歳児のクラスの担当をして朝の会でギターで自作の「光の子」を賛美して、お祈りをして始まる毎日は、小さな子供達と共に神様を礼拝するというとても素晴らしい時間でした。

2年間、働きましたがいろいろな事が重なり、幼稚園を辞め、息子の通う学校の近くのアパートのデイケアで働きました。ある日、デイケアのオーナーが日本に一時帰国した時に、ビザの関係で戻ってこれなくなってしまったのです。それでも続けてお家賃も払いデイケアの子供たちの面倒を見ていましたが、突然監査が入りクローズせざるを得なくなり、私は自分の所でデイケアを続けていました。

当時は10人近くの子供たちを預かっていました。そんな時に、突然義母が日本から来るという連絡がありました。以前、ホームスクールを始めた時に義母が怒ってしまい、関係が悪くなっていたので、また怒られると思って心配していたのです。

いざ義母が来てみると、逆に応援してくれて、「私は、あなたをヘルプしたいからアメリカに来たの」と言って一軒家を買ってデイケアを続けるようにと勧めてくれて、協力してくれました。

私はデイケアのライセンスを取り、新しい家でデイケアをスタートしました。あれから11年経ちました。義母はアメリカに来る前はリュウマチになり寝込んだり、肝炎になったりしたのに、完全に癒されてしまったという奇跡を神様の計画のひとつとして起こし、私のデイケアを始めるに当たり、着々と準備を進めておられたのだと、今振り返って、つくづく神様にはなんでもお出来になるんだと思う今日この頃です。

義母との和解、主人との和解も神様の計画であった事を改めて感謝しています。さらに、登校拒否だった末息子も神様の計画により遠回りはしたものの今は就職して良い仕事につき、4人の子供達はそれぞれ独立して、上の3人は結婚をし安定した生活をしています。

今、神様の恵みは溢れんばかりに降り注がれています。 「神様のなさる事は時に叶って美しい。」 伝道の書3章

高島夕里佳