小学6年の図書の時間に、太宰治の短編小説を読んだ。その中に、“悶々”という言葉が出てきた。“心の中で大いに思い悩むこと。

悩む様子を外面にあらわすことなく、内心でじっと悩み苦しんでいるさま。”と辞書にあった。

押せども、引けども、動かぬ扉が、この世の中にある。地獄の門さえ冷然とくぐったダンテもこの扉については、語るのを避けた。2005年から2009年にかけて、私はその悶々と生きることを実際に体験する事となる。

真暗闇の中にいた。何をするにも手がつかず、自分の力ではどうすることもできない。その思いは24時間、絶えず私を悩ませた。その思い煩いは消えず、朝まで寝付かれない時なども度々あった。

そんな中、神様の恵みにより、2009年にイスラエル・聖地を訪問することができた。初日の聖会では、私達二人は最初から最後まで涙、涙の連続。神様の憐れみと愛に触れ、癒やされる思いがした。

翌日、シナイ山に到着。午前2時に神の山、シナイ山頂を目指し、真っ暗な中、ヘッドライトを頼りに登り始める。頂上に登りつめると、うっすらと視界が開けてゆく、“見よ。わたしは濃い雲の中で、あなたに臨む。”神様との幻想的出会いを体験。次の日はガリラヤへ。早朝礼拝、あとは湖畔で聖書、そして祈りの時と神様の語りかけを待ち望んだ。

希望を持って生きる事に変えられていった。“いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。すべての事に感謝しなさい。”“私を呼べ。そうすればわたしはあなたに答え、あなたの知らない理解を超えた大いなる事をあなたに告げよう。”聖地で二人に与えられたみ言葉。悶々と生きた4年間、とても苦しかった。

この苦しみの経験を通して、神様は全ての事を働かせて益として下さる事を見させてくださった。やがて神様は我が家全員, 一人一人に思いもよらぬ、溢れるばかりの祝福を下さった。

どんなに暗闇の中にあったとしても、神の時に眩い光が差し込んでくる。ハレルヤ!

鈴木光一

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