「彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いであって、わたしの羊を知り、わたしの羊もまた、わたしを知っている。」 ヨハネの福音書10章13, 14節

ヨハネの福音書の特徴は弟子であるヨハネがイエス様のことをこの方はこういうお方であると“ズバリ“宣言していることです。冒頭の1章に「すべてのものは、これによってできた。」と創造主であると宣言し、「見よ、神の子羊」とメシヤであと証言している。

イエスご自身は「わたしは世の光である」「わたしは良い羊飼いである」と人類の救い主であると宣言された。冒頭の「よい羊飼い」について考えてみましょう。

1)偽の羊飼い:同10章は良い羊飼いのキャラクターと並行して偽りの羊飼いにつても紙面を割いています。また偽の羊飼いを雇われ羊飼い、盗人、強盗とも呼ばれています。

彼らは正門から入らずに、牧柵を越えて羊の群れの中に入って来ます。羊の群は教会です。正門はイエスご自身ですから、そこは完璧に守られて崩されることはありません。

彼らは雇われ兵士のように戦場で自分の命が危なくなると、守ることを止めて逃げ去ります。牧柵が野原にある時は、羊飼いは野獣に襲われるとこもある。真の羊飼いは羊の群れに命を張る羊飼いです。わたしは良い羊飼いとはそのようなお方です。

2)よい羊飼い:12、14節に「わたしは良い羊飼い」とある“良い“ は“カロス“というギリシャ語 だそうです。同義語で“アガソス“ という言葉がありますが、前者は魅力的、力があり、誠実なという意味合いがあるという。

後者は単に道徳的なという意味があり、前者とは開きのある言葉と言われている。イエスはカロス的な羊飼いですね。羊飼いは羊をできる範囲内で守ればいいのであって、命まで張る必要は義務付けられてないはずだ。

あれは良いポリスマンだと評価されても、市民の命を守るために自分の命を張るであろうか。しかし、イエス様は「良い羊飼いは、羊のために命を捨てる」とおっしゃる。雇い 羊飼いは狼が来ると逃げるが、良い羊飼いは命を投げ出して狼と戦い守るのである。アモス書3章12節に良い羊が獣と戦う姿を描いています。

   「主はこう仰せられる。『羊飼いが、雄獅子の口から、二本の足、あるいは耳たぶを返すように、、』。」

羊が今獅子に喰われ、その2本の足は既に口の中で噛まれている時、良い羊飼いはその獅子に向かって戦いを挑み、自分の羊の足を取り戻すのであります。取り出された獅子は、羊飼いに向かい襲いかかってくるであろう。良い羊飼いはそれも覚悟で我が羊を守るのであります。

イエス様は私たちを悪魔の餌食から守るために、自らをあの十字架の上に釘付けにし、血を流して私たちを救われたのです。良い羊飼いは十字架のイエス・キリストのお姿です。

3)よい羊、羊の群れ:私達はこの良い羊飼いに囲まれ、守られた羊の群れであります。その羊の群れは、門を知り、牧柵を知り、羊飼いの声をよく知っている。門を間違えると偽りの羊飼いに惑わされ、牧柵の外に迷い出ると強盗羊飼いに殺され、声を聞き違えると取り返しのきかない教えに惑わされてしまう。

良い羊が偽りの羊飼いにつかないように、先頭の良い羊飼いに従っていきましょう。この方に従えば救われ、いつまでも牧草にありついて満たされるからです。

前原利夫



ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
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