摂理のままに

2021年12月30日

1941年3月、沖縄に別れを告げて我が家は名古屋に移った。父の新任先は名古屋中央教会であった。私はメソジスト系ミッションスクールに転校出来た。

そして12月8日、ハワイ真珠湾攻撃には大きなショックを受けた。何故ハワイなのか?この時ほど、二つの祖国に挟まれた自分が恨めしく思う時は無かった。

厳格な男子校で勉学に励んだ。この頃父から洗礼を受けたがいつだったのか、まるで覚えていない。牧師の家に生まれて純粋培養的に育てられた私はひ弱なクリスチャンであった。

キリスト教に全く無縁だった人達が模範的クリスチャンになって行くのをみるにつけ、私は自らを恥じる。父はおそらく、嘆いていたことであろう。不肖の息子は父の後を継ぐこともなく、オタマジャクシは蛙にはならなかった。

結局、理系大学を経て、理科教師を勤めて、終戦後の1950年5月に生まれ故郷に戻った。そして翌月、 なんと朝鮮戦争が勃発、11月には早くも召集令状を受け、アメリカ陸軍に就役、あっという間に人生がガラッと変わってしまった。

幸い神様のご加護のもと、2年間の軍役は無事に果たして再びハワイに戻った。今度は除隊兵優遇制度のもと、学生生活が始まった。この時役立ったのが少年時代に覚えた沖縄方言であった。

言語学を専攻することにし、修士論文に沖縄方言の音韻論を選んだ。それが縁で琉球大学で教鞭をとりながら方言を研究する機会に恵まれた。神様は私を再び沖縄に戻してくださった。神様の手のひらに乗せられたような安堵感で再び沖縄の土を踏むこととなった。17年振りの沖縄は戦前の美しさは見る影もなく荒涼たる戦争の激しさをとどめていた。

鉄筋コンクリート建てだった教会堂は仮修復されており、会堂に溢れるほどの会衆が集まり、昔、父を支えてくれた信者達との再会は感激そのものであった。戦場と化した沖縄で生き残った人、疎開先から戻ってきた人、みな私を暖かく迎えてくれた。

神様の摂理の存在を素直に信じることができた。「それ神の道は人の道の上にあり。神は人の歩みをみそなわす。」旧約聖書ヨブ記34:21

サムエル北村


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