「・・・それは金で重さ一タラントであった。宝石がはめてあり、それをダビデの頭に置いた。、、、」サムエル記下12章30節

今月は部下の本分、という事を考えてみましょう。ダビデには優れた部下が数人いた、その中でダビデの政権をソロモンに譲る時まで、最後まで忠実に仕えたヨアブから部下の本分とは何か、翻って主に仕える事を学びましょう。

1. ヨアブという人物:

ヨアブには二人の兄弟がいて、3人ともダビデに仕えた。この3人は”ゼルヤの三人の子”とサムエル記下2章18節は呼ぶ。ゼルヤ( Zeruiah)はダビデのハーフシスターで、ヨアブはダビデの甥にあたり、叔父ダビデに仕えたわけである。

彼がどれ程神を愛し、信仰に生きたかは記録があまりない。一方、ライバル意識が高く、自分の前に立ちはばかる者は残酷にも消していった。しかし、彼の武勇伝は幾つも紹介され、優れたダビデの参謀であった。ある註解者はヨアブがダビデに仕えなければ、イスラエルを支配していたであろうと評価が高い。ヨアブは部下の本分が何たるかを身をもって教える。

2. 勝利の手柄を主人に返上:

この記録はサムエル記下11、12章を参照下さい。同11章はダビデが倫理的に最悪な罪を犯した記録が残されているところである。時は、春でヨアブに率いられたダビデの軍隊はアンモン軍とラバというところで交戦し、勝利を収める。

もし、ヨアブが主人ダビデを裏切り、反旗を翻そうと目論んでいたらこの時は絶好のチャンスであった。王はエルサレムで罪を犯しているばかりか、その夫のウリヤを敵に殺させるよう企だてたからである。

それを実行し、その秘密を握っていたのはヨアブだけであった。ヨアブがこの秘密を公開すれば、ダビデ王の顔は丸潰れ、失脚したであろう。そのような危機にあったダビデに、自分の手柄を惜しげも無く捧げるのである。

ヨアブがアンモン戦で勝利し、ラバの陥落を目前に、ラバを攻め落とすようにダビデに使いを送るのである。ダビデは兵を整えてその町を攻め落す。兵士達はラバの王から冠を取り、それをダビデ王の頭にかぶせるのである。その時、ヨアブはかく言う、

「・・・わたしがこの町を取って、人がわたしの名をもって、これを呼ぶようにならないためです。」(同12:28)。

部下の本分は主人に手柄を差し出し、主人の名前が永遠に残るように仕える事です。自らが隠れなければならない。栄光は主のものです! ダビデにとって、罪に負けた弱い者であったが、今尚、民の王であり、王冠を奪い去る者はいない。

3. ダビデ王が危機の時:

前述のようにこの出来事はダビデが危機の中にあった時に起こったヨアブの武勇伝です。罪を犯し、ウリヤ殺しを実行し、その罪の報いを言い渡されて窮地に追い込まれていたダビデでした。そのような時にも、右腕として頼りにしているヨアブが、励まし、尚も王として引き上げているのは、ダビデにとっては大きな励ましであったに違いない。

また、神もダビデの罪ゆえにユダ王国を見捨てずに、アンモンに勝利を賜ったのは、神の変わらない愛、ダビデ家を見捨てられない神の約束であろう。部下の本分は、主人が窮地に追い込まれても、どのような危機の中にあっても最後まで忠実に仕えていく事ではないか。我らの仕える神様も、私たちが心から悔い改めると、何時でも祝福をもって迎えてくださる。

私達の仕えるイエス様はヨアブが仕えたダビデのような弱さをお持ちでない。私達の主人は完全なお方であられる。ですから、ヨアブが忠実に仕えた以上にお仕えしなければならない。

自分が勝利した時、イエス様にその勝利をお返し、この勝利はイエス様から頂いたと栄光を帰し、祝福を受けたら、これもイエス様からの頂きものと、全ての栄光をイエス様にお返しする事です。

部下が主人に仕えるとは、バプテスマのヨハネが言ったように「彼は必ず栄え、わたしは衰える。」である。

前原利夫


cropped-gvic_banner1.jpg
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A. Tel.(310) 527-6112
www.gospelventure.com/


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


Post Navigation