救いの証(2)| クラーク・マリエ
母はとても難しく、口答えは一切許さない上、人の話は一切聞かない人でした。何か相談しても「あんたの選んだ道だからあんたの責任」と言われたり「人の愚痴を聞いても何も面白くない」と言われるのです。
何か母娘間で言い争い、誤っていると思う彼女の言い分でも、逆らうと3倍にも4倍にもなって怒号が返って来るので、自分の意見を呑み込んで難が去るようにいつしか努める様になって行きました。
母が12歳の頃、身内間で養子に出されたことを自分の不幸話として恨み辛みを永遠と話し、自分の人生や環境に幸せを感じることがなく、常に老後の話、癌の話、自分はどうやって死ぬか、など子供の私が聞くには好ましくない話ばかりを家庭内で話していました。
ですから私は、小学校の頃から自分の老後や、どうやって死ぬのかを心配するようになっていました。母は、仲の良い家族同士のキャンプやスキーなどのイベント事にも参加しなくなり、父親も仕事が忙しかったせいか、私は他の家族達に混じって、1人ポツンと自分だけ参加させてもらっていました。
他の子供達が親に荷造りをしてもらったり、次の日に着る洋服を用意してもらっている中、私は自分で自分の身の回りの事をしていました。そのためか、小学生の高学年の頃には大抵の事は、一人で全部出来る様になっていました。
普段の生活では、私は母親から文句を言われないように、小さな頃から言動に気を遣い、親への頼み事も気楽にできず、「私はお前の奴隷か?!」と言われ傷ついたのを覚えています。
沢山勉強をして優秀な成績を納め、それを喜んでもらおうと親に見せても、「上には上がいる」と跳ね除けられて以降、私は頑張った成績すら親とシェアすることを止めました。
私には8歳年下の妹がおり、母は常々「姉妹平等」と言っていました。しかし彼女の「平等」とは、私は最初の8年間一人っ子だったので,妹だけに8年間アテンションをあげる、私が高校3年生で初めて自分のお小遣いでPHSを購入したら、時期を同じくして小学生の妹に携帯電話を買い与える、私と妹の個人を写した写真の枚数は現時点で二人ほぼ同じにするなどというもので、彼女の価値観で言う「平等」には疑問があり、苦しみました。
そのせいか,徐々に徐々に早く家を出てこの人から離れたいと思うようになって行きました。家庭内,特に母親との時間は息苦しく、姉妹不平等の扱いに、私は限界を感じてしまっていました。
クラーク・マリエ
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A.
www.gospelventure.com/
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