世界ではじめてのクリスマス| 証・山内修一

2021年12月30日

世界ではじめてのクリスマス

illust

山内修一

世界ではじめてのクリスマスは

ユダヤのいなかのベツレヘム

宿にもとまれず 家畜小屋で

マリヤとヨセフの二人だけ

赤子のイエスさま 草の産着

ゆりかご代わりのかいばおけ

優しい笑顔に見守られて

恵の光が照らすだけ

グローリヤ インエクチェルセス ディオ

②~③ 省略

信仰をもってから、私の人生観と価値観は変わってしまった。
クリスマス…あっ、それはキリストの誕生日。

サンタクロースがプレゼント持ってきて子供たちの靴下に入れてくる。大人たちはキャバレーでダンスしてワイン飲んで、帰りにクリスマスケーキぶらさげて、クリスマスツリーの下に置いたりして…。

ノーノー、とんでもない。ほんとのクリスマスは、違うんだ。聖書読んでごらん。

私は、どうしたらクリスマスの事実を世の人に伝えられるか、考えた。そして思いついたのがこの題名。

始まりはこうだったんだよ。
この曲には、思いがけない思い出がいっぱいある。

テレビのスイッチをひねったら、この曲が突然流れてきた。山口県のフランシスコ・ザビエル記念礼拝堂の

サンデースクールの歌声だった。
後でわかったことだが、日本の‘カトリックの教会では、全国統一の讃美歌集を用いている。幼稚園児がSスクールでそれらの歌を覚えて、大きくなって自分たちの子供を同じ教会に通わせると音楽教育のサイクルが出来上がるというわけだ。みなさんのクリスマスはいかがですか?


イースターの朝には

1)イースターのあしたには
まっ白なゆりの花

イエスさまのよみがえり  しのんで飾りましょう

暗いほろびの墓より   白い衣によそって

勝利の命へと
よみがえられたイエスさま

2)主を心からしたって
泣きぬれていたマリヤ

み使いのことばに
ふしぎな胸のたかなり

なんというこの驚き
なんというこのよろこび

きよらかなお姿の
なつかしきロボニ、イエスさま

3)イースターのあしたには
大きなよろこびで

涙をぬぐわれた
やさしいいマリヤのように

悲しい心はぬぐわれ
希望のよろこびにふるえて

イエスさまを賛えましょう
イエスさまにお逢いしましょう

1975年3月、自分で歌うために作曲した。だから、テキストのヨハネ20;11-18までを、静かな声で朗読する。

これが、歌うよりむずかしい。ラビは先生でラボニは大先生ということで、ここにマリヤの感動があらわされている。朗読がうまくゆくと、歌うのはわりとやさしい。ミロデーが感情を表現しやすいように流してある。

マグダラのマリヤが、おどろきのあまり胸を押えて、墓の入り口から弟子たちのところへ駆けてゆく姿が見えるだろうか。

さて、訂正を一つ。3月の飛脚の証で(すばらしき主イエスの愛)は(すんばらしけ主イエスの愛)でした。方言のなまったところを子供たちがよろこんだ、ということで、羽鳥先生が説教タイトルに借用したものと、そのせいでした。


野に咲く百合の花

野に咲く百合の花は み神の命のままに

だれも見ていなくても きれいに装うでしょう

青空飛ぶ小鳥は み神の命のままに

だれも聞いていなくても きれに歌うでしょう

あしたは明日のこと この日を大事にして

だれも見ていなくても つとめに励みましょう

夕焼けのもえる頃は 百合の花も小鳥も

ひと日のわざを終えて 静かに祈るでしょう

み神のみむねの中で  全てをゆだねきって

心からささげましょう  感謝のいのりを

この曲は1971年3月の作、当時私の家族は埼玉県浦和市に住んでいました。

ここから職場まで片道電車で一時間半。東京世田谷区の梅ヶ丘の駅で下車。ここから急ぎ足で職場まで6分。

車中でまとめた曲想を忘れないうちに、ノートに書き留めたりしたものです。

さて2011年、New Year のスタートラインです。
イエス様が宣教をスタートされた第一声は、

この有名な山上の垂訓。マタイ伝5章1節から7章の最後まで声に出して読んでみましょう。

途中でつっかえたら、はじめからやり直すつもりで、おちついて、ゆっくりと。

大体25分から30分で終わります。それでは皆様、ハッピーニューイヤー!


忘れないで

1. 忘れないで いつもイエスさまは

きみのことを みつめている

だからいつも 絶やさないで

胸の中にほほえみを

2. だけどいつか 激しい嵐が

きみのほほえみ 吹き消すでしょう

だからいつも はなさないで

胸の中の みことばを

3. 忘れないで 悲しみの夜は

希望の朝に かわることを

だからすぐに よりもどして

いつものきみを ほほえみを

自分で書いた歌で、自分がなぐさめられたというあかし。

2月20日(日)

SDの中村章先生から電話をいただいた。ロマリンダで開かれた年会で、上記の歌が歌われ、

小原牧師や沢山の参加者から私によろしくとのことだった。
この週、私は大変だった。

2月21日(月)

体調をくずしてねていたが真夜中、急に発熱、体のふるえがとまらない。

911のNo.を思いだせなくて、祈っていたら、いつのまにか寝込んで、朝を迎えていた。

薬(ピル)の組み合わせの
トラブル。

2月23日(水)

夕方6時台所で皿を洗っていた。皿が落ちて割れ、するどい破片が右手首に突き刺さった。隣家のYさんに助けを求め、トーランスの救急病院に運ばれた。家に戻ったのは午前1時。応急措置がよかったとドクターにほめ

られた。

2月24日(木)

長男がラスベガスからトーランスに用事で来て、午後訪ねてきた。台所の血跡をみて、さすがにおどろいた。
25日は傷の治療。薬針の形で傷はくっついていた。

2月26日(土)

眼が覚めたら咳が泊まらない。体がだるい。風邪の再々発。

熱いみそラーメンをたべたら、咳が小休止。よしや!というわけで原稿をかいている。


友よ歌おう

友よ歌おう 救いのみわざ

あの日あのとき きいたよきおとずれ

罪にしずむ 世人のために

イエスは十字架で 血しおながし

すばらしいみ神の 愛をしめされ

永遠のみちに まねかれたのだから

友よ語ろう 十字架のことば

語りつづけよ 「世の光」として

皆さん、一緒に歌って下さい(イエス・キリストの)救いのみ業を。

私はあの日(1960年頃)23才の時でした。絶対安静の病室、そう、肺結核の重症で、喀血が続いていました。

枕元のラジオから、福音放送「世の光」が流れていました。

だれでも重荷を負っている人は私(キリスト)のところに来なさい。あなたがたを休ませてあげましょう。

それは私のように罪(さまざまの苦しみ)に沈んでいる人たちのため、イエス様が身代わりとなって、

十字架にかかいり血
(あがないの)を流してくださった。

これは神(天のお父さま)の私に対する愛の表現でした。

信仰をもって神さまを見上げると永遠の命を与えて下さるのです。

皆さん、一緒に聖書をひらいて下さい。神さまのことばをききましょう。それは暗闇の中に輝く光となって、、、

注:この曲は同名の映画(友よ歌おう)の中に収録されています。


雪ふる夜は

1) 雪ふる夜は 耳をすませて

静かにイエスの み声を聞こう
雪より白く 罪の汚れを

清めてくれた イエスのみ声

2) 雨ふる夜は 故郷としのび

信仰の友に 便りを書こう

涙を流し 祈ってくれた

優しい友の 愛のゆるし

3) 星ふる夜は ギターつまびき

み神のわざを 賛えて歌おう

み旨のままに 造られた世界

希望の光 輝く世界

今から約50年前、私は療養所を出てから、青森福音キリスト教会書店に仕事をみつけた。

そして毎週日曜、キリスト教会に出席した。24才の頃だった。

ある冬の礼拝後、私はKさんと二人で雪道を帰っていった。彼は言った、

「山内さん、つまり信仰というのは、毎日祈っていると自然にわかってくると思うけれど、、」。

そして今日は特別に凍っているからといって、自分の着ていたジャンパーを私の背中にかけてくれた。

Kさんはまだ独身で建具師であり、おれは学がないからと言っていたけれど、

後年、このジャンパーを着る度に、彼の素朴な信仰の姿を思い出された。

翌年私は、その母教会「青森福音キリスト教会」のサポートを受けて神学校に入学した。

現在の東京基督教大学で、当時は校舎が東京都杉並区浜田山にあった。
この曲を書いた1971年私が東京声専音楽学校(現在昭和音楽大学)を卒業した年で、

これから伝道音楽の活動を始めることになる。

この年(友よ歌おう)というタイトルの歌集をPBA(太平洋放送協会)から出版され、

この歌集は32ページ、手書きで第6集まで出版した。1976年これが一冊にまとめられ、

いのちのことば社(友よ歌おう)ヒットソング集として刊行された。

又、この前年クリスチャンAVセンターより伝道映画(友よ歌おう)が作られた。


ドロローサ

私の罪のために 重い十字架負わされ

あざける人の中を耐えてゆかれたイエスよ

ドロローサ ドロローサ カルバリーの丘へ

ドロローサ ドロローサ のぼってゆく道

私の胸の中に 刻まれた主の十字架

いばらの冠つけて 祈られる主の姿

ドロローサ ドロローサ 悲しみの丘へ

ドロローサ ドロローサ のぼっていく道

私は行こう今日も 主の歩まれた道を

血汐のあとをたどり 十字架を負ってつづこう

ドロローサ ドロローサ よろこびの丘へ

ドロローサ ドロローサ のぼってゆく道

血汐の道はつづく 十字架の跡のこして

あがないの丘越えて 父なる神のみ座に

ドロローサ ドロローサ のぼってゆく道

神学校卒業の春、私は召命(Calling)という問題にぶつかった。

私は牧師に向いていない、ということであった。

誰もいない学校のチャペルで、迷い、苦しみ、祈っていた。

その時、迫ってきた聖句があった。「

「・・・自分を捨て、自分の十字架を負うて、私に従ってきなさい・・・」(マタイ16:24)

召命とは、一体何だ?
私はうなだれて、悲しみの道(ビア・ドロローサ)を歩き出した。

ろくな才能もない男が、
30才近くなって、これから音楽の学びを始めるだと?

PBA(太平洋放送協会)に就職し、東京西世田谷バプテスト教会の副牧師として雇われ、

夜学の音楽学校で学び始めた。
それは5年間続き、その間に私は結婚して、子供も生まれていた。

1967年頃、カルバリの丘は遠く感じられた。


夕日静かに

 夕日静かに 山辺に燃えて

たそがれの訪うとき

やすらかに主の 愛の迫りて

我が心を満し給う

来り給え 我が心の賤家に

宿り給え 再び来る日まで

神学校の二年生のとき、校舎が東京都杉並区浜田山から都下、

国立市の郵政局に近い広々とした郊外へ移転した。 1963年の春のことである。

鉄筋コンクリートの校舎と男子寮は完成したが、女子寮の方は間に合わず、

校舎の三階を使うというあわただしさであった。

国立は国分寺と立川の中間にあり、音楽大学や一橋大学のキャンパスがある学園都市である。

夏休みになって私はふるさとの青森へは帰省せず、学校に残って、アルバイトに精を出すことにした。

沖縄出身の学生など、4~5名の仲間もいた。校庭の草刈、道の工事など、なんでも引受けた。

校庭から谷保駅を眺めると、信州のアルプスが遠くに見え、その背後に富士山がうっすらと霞んでいた。

夕日はアルプスの山並みの上に沈んで行くが、次第に左側から右側に移動して、ある時期富士山頂に落ちる。

落日は赤々と燃え、私たちの心もあかく照らす。
息を呑む美しさだ。再臨の輝きだ。

汗を拭き、カッター(除草機)を片付けて、寮へ戻る。
が、食堂は夏休みで閉鎖されている。

小銭をポケットに、夕暮れの街へ仲間と出かける。


シャローム

シャロームシャロームまた逢う日まで

シャロームシャローム神のみめぐみ

シャロームシャロームまた逢う日まで

シャロームシャローム

豊かに豊かに豊かに1972年2月の作。

この頃、愛知県民の森,屋外ステージを囲んで、高校生、短大生のキリスト教大会が開かれた。

集会の終わり頃、みんなで、シャロームを歌った。

私はこの曲に合わせて、大声で祈りのことばをかぶせた。

そして数人の学生がステージに駆け上ってきて歌ったのである。

聖霊の感動が人々を包んだ。

もう一つ。古今組の吉沢さんから電話をもらった。

「あんたの曲シャロームを、テキサスのある教会で日本人の人々が歌っていたよ。」

なんでも福島県の農業視察団の青年たち40人ほどが、交換会のとき歌ったらしい。

クリスチャンのグループでない人々だったということで吉沢さんがびっくりしたらしい。

会津若松教会の高橋牧師は私の友人である。

教会の近くにある商業高校の生徒手帳には私の作品が5-6曲集録されてあった。

作品は様々の小さな流れにのって、いろいろな場所に散らばってゆく。

もう15年くらい前のはなしであるが。


すばらしき主イエスの愛は

すばらしき主イエスの愛は
広く深い(おっ!)
すばらしき主イエスの愛を
たたえて歌いましょ

(おっ、おっ!)

3月27日(日)の礼拝、午後の食事をすごしながら、この歌を私は心の中で叫びつづけていました。

この歌は1971年発行の(友よ歌おう)第一集に収録したものである。

この頃私はギターを肩に、日曜学校の生徒たちと、この歌をよく歌った。

おっ!というところはこぶしを上につき上げる。

羽鳥明先生の説教のタイトルが「すばらしき主イエスの愛」となっていたこともある。

3月27日、改築された新会堂が初めて公開された。これはすばらしい。

いやすゥばらしい!音響がいい。さんび指導者の声が、きれいに、はっきり聞こえる。

サックスの特別さんび。滝元先生のパンチの効いた若々しい説教。

ちょうど焼肉をレタスに包んで、
からみそをたっぷりつけてほおばった味わいだ。これゃうまい。

滝元先生の息子さんたちを中心にしたグロリシンガーズというバンドがあった。

当時(歌集を発行していた頃)P.B.A.のゴスペルフォーク・ジャンボリーに毎回参加してくれた。

今、その中の一人が新城教会、つまり滝元先生の後をついで、主任牧師をしておられるとのこと。

GVICは名前がユニークだ。これから英語部もスタートする。内容も充実していく。

私は闘病中で体は動かない(声が出ない)

けれど、心の中で“おっおっ!”と こぶしをつきあげて、明日の夢をみている。


赤いばら

赤いばらを あなたにあげよう

飾ってごらん あなたの胸に

イエスさまが 十字架の上で

流してくれた まっかな血汐が

あなたの心で 激しく燃えて

愛の命が めざめるように

小さなばらも いっしょにあげよう

さわってごらん あなたの指で

イエスさまが 十字架の上で

ひたいにかぶった いばらの冠が

あなたの心を 鋭く刺して

罪の痛みを 感じるように

葉っぱの零で 濡らしてあげよう

のばしてごらん あなたの腕を

 

イエスさまの 十字架の下で

マリヤの頬を ぬらした涙が

あなたの心を やさしくうるおし

救いの恵みに ひたれるように

ある朝職場で、後輩のWさんからばらの花一輪もらった。さっそく机の上の花びんに飾る。

なんと鮮かな色!花自身はそれに気付かないのに、、、。

ということで浮かんできたのが上記の詩。1972年6月の日付がある。

それからしばらく経って「赤いばら」というタイトルのカセットテープが送られてきた。

ヒュペル・クリストというバンドの演奏。

う~む、上手い。特に「ちびたザァカイ」のアドリブは最高!


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