「・・・ダビデは言った、『主よ、どうぞアヒトベルの計略を愚かなものにしてください』」。 サムエル記下15章31節

最近、ダビデ王に興味が増し、サムエル記を何度も繰り課して読んでいます。読むたびにダビデの人柄、神の僕としてまた王として、多く学びます。それ以上に、ダビデに対す神の取り扱い、厳しさや憐れみ深い事を教えられます。ダビデは祈りの人でした。

それは、あの詩篇を読むと、彼の祈りに感動せずにはおられません。ダビデは神の恵みに先導されて、100戦連勝、武将として国を治めます。しかし、ダビデは戦う前に、何度もこの戦いに出るべきか、避けるべきかを祈り求めます。感情に走らず、略奪に走らず戦いに備えました。それは祈りがあるからです。ダビデの戦いは主の戦い” で、国の軍事力に頼らずに、まず神の力に信頼を置いた戦いでした。

「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われわれの神、主の名を誇る。」(詩篇20:7)

一言の祈り:

本号では、ダビデの数々の祈りの中で最も短い、一言の祈りを取り上げ、その祈りの力、その祈りの深さを考えてみましょう(礼拝のメッセージで取り上げたが違った角度からアプローチ)。ダビデの一言の祈りがあります;

「・・・ダビデは言った、『主よ、どうぞアヒトベルの計略を愚かなものにしてください』」。

アヒトベルは父ダビデ王に反旗を翻したアブサロムに寝返りした武将でした。彼の戦略家としての実力は神に伺いを立てるようであると周囲から最高の評価を受けていた。ダビデ王の陣営を抜け出したことは、王にとっては戦略を大きく失った事になる。

そのアヒトベルの力を、神が愚かなものにするように、無駄、無益な計略となる様に祈るのは当然である。その祈りはアヒトベルの力の裏付けでもある。

もしこの一言の祈りがなかったなら:

神はダビデの友であるホシャイをダビデ陣営に送り込んで、アヒトベルと対決を見せるが、祈りがどの様にダビデ王を守られたかを考えてみよう。先ず1)ダビデの王位継続だ。アヒトベルの戦略に負けたダビデは、アブサロム陣営に殺されていたであろう。

アヒトベルは大勢の兵士達の首を狙わず、ダビデの首だけを狙った戦法であった。アヒトベルの戦法が実行されなかったために、ダビデは王位を継続できた。

2)もし、神がこの祈りに応えられないでいたら、ソロモンの壮大なエルサレム神殿の建立は、主のみ心であった計画とはいえ、工事の遅れ、建材の確保、何か支障が起こったかもしれない。ダビデはシリヤとの外交交渉で材木、技術者をエルサレムに導入する手立てをしていた。

3)ユダ族のダビデ王を通して数々のメシヤ予言は失敗した。詩篇の中にはメシヤの受難(詩篇22篇)や、イザヤ書のメシヤ誕生、ダビデの父エッサイの根からの誕生等がある。これらの予言は無残に成就せず、大きな失敗となっていたであろう。ひいてはキリスト教の存在もなかったであろう。

この様に、ダビデが王位継続をすることは予言、救い主・メシヤ、またキリスト教誕生の視点から、歴史的に必然でなければならない。 一言の祈り、何の重みのない祈りの様に感じられても、歴史的、救済的な含みの祈りである事に目を開きたい。

歴代志下6:19に預言者エリシャの一言、二言の勝利の祈りも参照下さい。

私達はイエス様の友の身分だ:神は私たちが祈り求めない先から私たちの必要を知っておられる。また、私達の祈りは何でも求められるものは叶えられるのである、それはみ心に沿った祈りであるならばです。

ヨハネの15章でイエス様は弟子達を僕の身分から友の身分に引き上げて、父から聞いたことを皆、あなたがたに伝えたと語られた。そして、弟子達がイエス様の名によって求めるものは、父がかなえて下さると約束されました。

ここに祈りの秘訣があろう。私達は主イエス様の友であり、イエス様と同じように天の父からの尊い情報を共有していることを。これ程の身分を頂いている事を信じ、これからの祈りに確信を持って捧げようではないか。それが、どのような短い、一言の祈りであっても、、。        

前原利夫


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