ハレルヤ。2016年もこうして主に守られ、恵みを分かち合えることを感謝します。2016年は私にとっては大きな年、チャレンジの年でもありました。

特にこの8年間共に仕え、礼拝を捧げてきたGVICを離れるという事は、結婚してからずっと祈ってきたことではありましたが、大きな決断でした。

GVICを離れてから思い返すことは、私がどれだけ神様によって愛され、どれだけの祝福と計画で満たされていたかということです。

織田先生がカナダに移られたときは、賛美リードを任され、一人でリードすることに自信もなければ、ただただ不安で一杯の時も、”会衆ではなくて主に賛美を捧げることをしなさい”と主は語って下さいました。

こんな私にリードを任して下さった前原先生、教会の皆様に感謝致します。聖歌隊やサンデースクールなど、色々奉仕を与えて下さいました。しかし奉仕をすればする程、どこかで自分は受けるよりも出しているかの様に感じていましたが、それは逆で、たっくさんの恵と祝福を受けていたんだ、と離れてみてから感じています。

奉仕の中で沢山の訓練も通されましたが、それも今振り返れば神様からの恵。神様は私を愛しているが故にそこを通され、通ってからでなければ受けられない恵もあったということです。

人に仕える時も、自分が誰に仕えているのか?どんな時も、最終的に仕えているのは主である、ということを信仰生活の大先輩でもある母から、いつも言われていたことです。

今は新しい場所に移されましたが、主の思いが私たち夫婦の思いとなり、主に召される所で忠実に仕え、共に成長していくことが私の願いです。数回に渡りですが、こうして私の証を読んで下さり感謝いたします。

それぞれ置かれている所で、与えられている奉仕に感謝し、主に根ざしていきたいですね。

皆様の上に主の祝福と恵がありますように。

キム真理子


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ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A. Tel.(310) 527-6112
www.gospelventure.com/


神様が最近私に語られた事。それは、神様は(時々ではなく)常に良いお方で、いつも私に最善のもので満たし、私の人生は祝福で約束されているという事。私は最近、自分の願い、思いとは反対の悲しい事が起きました。

しかしそんな中、礼拝の賛美を通して主が語ってくださったのは、”God is a good God”。私の願いとは違ったとしても、全ては神様の計画の中で許されて起きたことだから、主を見上げてその背後にある主の計画を見て勝利していくということ。時には、その神様のご計画がすぐに分からなくて5年、10年、とかかる時がある。私は高校卒業後、ある大学に入ってスチュワーデスになるのが夢でした。

一生懸命勉強したけれども、入りたかった大学どころか全部試験に落ちてしまい、行きたくなかった短大に入る事となり、その時は”どうして?”と思ったけれども、短大卒業後アメリカに留学するチャンスを与えられました。日本で大学までいっていたら、それから留学というのは考えなかったと思います。

主は先に起きる事も知っていて、備えて下さっていた。あと、父の病の癒しを私は子供の頃から祈っていたけれども、癒されることなく召された。神様は私の祈りには答えてくれない、と疑ったけれども、父が難病を抱えながらも主にあっていつも喜び、輝いていたことを通して、父の母と妹が救われ、皆に証となっていました。

背後には主の大きな計画がいつもある事を覚えます。今回も主が語って下さった様に、主は良いお方で、私たちの一生を良いもので満たして下さる、ということを告白して、神様に信頼していきたいです。

キム・真理子


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GVIC では礼拝以外に、バイブルスタディー、祈祷会、お料理教室など、沢山集会がありますが、その中に賛美と祈りの集会、Friday Worship Night というのが毎月第一金曜日にもたれています。ここではデービット キム先生のリードの下、主に沢山の賛美を捧げ、お互いの為に祈り合う時をもっています。この祈り会を通して、多くの祈りに主は応えて下さいました。

私の4つ下の弟は、日本で医大に入るために勉強していたのですが、中々合格は難しく、やっと一次試験を合格しても、二次は通らない、という様な状況でした。そして5年祈り続けました。私の祈りのリクエストは、いつも決まって彼の為でした。

そんな中、いつものFriday Worship Night で、デービット先生に私のいつもの祈りのリクエストを伝えました。その日先生は、「私達はもう5年も祈っています。彼が二次試験を合格し、この祈りを今夜で最後にさせて下さい」と祈りました。

そして祈り会も終わり、ピアノを拭いて片付けていると、日本にいる弟から携帯に電話があり、「お姉ちゃん、二次試験受かった」というものでした。主はその晩、私達の長年の祈りに応えて下さいました。その他にも、私の病の癒し、将来の伴侶の為、仕事、家族の為、、多くの祈りに神様は応えて下さいました。共に全てを分かち合い、祈り合う友を与えて下さり感謝します。

小さな集まりでも主は共におられます。すぐ聞かれる祈りもあれば、長く主に信頼し切る忍耐が伴う時もありますが、主は私たちを愛しているが故に、そこを通させる時があります。 主が私になしてくださったみ業を忘れず、更に信仰を強め、主をますます褒め称えていきたいです!

キム・真理子


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私がカリフォルニアに引っ越してきてずっと通った、Gospel Venture Internatinal Church (以下GVIC) を通して、神様が与えて下さった恵みは数えられません。

教会音楽(ピアノ科)専攻で、卒業を控えた大学四年生の頃の祈りは、”この音楽(ピアノ)を用いて主に仕えたい” というものでした。卒業した後GVICに導かれ、それがちょうど今から8年前の8月。その時、前原先生、睦子先生に温かく迎えられたことを今でも覚えています。8年前のことが昨日の様に思えます。

そして卒業して何もまだ経験もない私を、GVICのワーシップチームのメンバーの一人として温かく迎えてくださり、毎日曜日、織田先生を筆頭に、沢山の音楽奉仕者の方達と会衆と共に賛美を捧げてまいりました。ワーシップチームとして演奏することは、それが初めてでした。色々苦戦しながらも、主に仕える賛美奉仕者というものはどういうものなのか、主に聞き、時には自分の思いではなく、主の思いに従うことを訓練されました。

そしてGVICは伝道コンサートも多く、日本から、海外から多くのクリスチャンアーティストが来て演奏して下さいました。そこから彼らの主によって生かされる賜物を見ました。こんな機会を与え続けて下さったのも、神様が私にGVICを通して与えて下さった恵みです。前原先生の元で仕えながら、教会に、主に仕えるということはどういうことなのか、沢山教えて頂きました。

教会で仕えることを学びながら、共に私の信仰生活も成長させて下さったのは、神様のご計画だったと感謝でいっぱいです。私がここまでこられたのは、前原先生ご夫妻、GVICの方達の祈り、理解、サポートがあったからです。

今となっては家族ですから、この教会を離れることには沢山の寂しさもありますが、信仰によって一歩踏み出し、これから神様がGVICに、私に用意してくださっているご計画をただただ見たい、そして従っていきたいと願うばかりです。

ここでは感謝の言葉は言い尽くせませんが、今までこんな私を受け入れ、神様の愛で見守り、祈り励まして下さったことを本当にありがとうございました。同じ主にある兄弟姉妹として、これからも祈りに覚えていきたいと思います。

全ての栄光が主にありますように。

感謝して!

キム・真理子


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読者の皆様、先ず、次の聖書のストーリーに目を通して下さい。そして一時ストップしてご自分の人生のあり方、生き方を探ってみませんか。 新約聖書、マタイによる福音書25章からの引用です。

そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。

冒頭に、「そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。」とあります。   

先ず、ここで言う花婿とは誰のことでしょうか。イエス・キリスです。聖書はイエスを花婿に譬え、教会を花嫁に譬えることしばしばです。十人のおとめたちはブライダル・メイルです。実は、このストーリは単なる挿話ではなく、当時のユダヤ人の習慣でもあったようです。大変興味深い結婚式当日の話です。  

思慮深いおとめたち、思慮浅いおとめたち:
 話の内容から“思慮深い”、“思慮浅い”の別れ目は“油を用意してあったかどうか”です。当時、懐中電灯の役割は灯油のランプで、油はオリブ油を使っていました。灯油はバッテリーで、灯油がなくなればランプは使い物になりません。どんな高級車でもガソリンがなくては宝の持ち腐れです。ランプの容器のサイズは大小様々ですから何時、どんなイベントに使用するか前もって計画、判断、準備が必要です。

また、ここで問題となった一つは、どうして“油が切れたか”です。灯油ランプでも夜になると数時間使えたであろうに、何故、“油切れ”になるほどに長時間燃やさなければならなかったのでしょう。結婚式は1週間も延々と続いたのです! 十人のおとめたちはこの習慣を十分知っていた筈です。それを知りながら、灯油の予備、エクストラを十分に用意してなかったのです。だから油切れを体験したのです。

当時の習慣は花嫁が花婿を出迎えるのですが、出迎えの時間は定まっていません。ですから、花嫁はこの1週間の間、期待と希望を以って、今か今かとワクワク待っていたのです。眠っているときに花婿が出迎えにくるのは恥かしく、花嫁に相応しくないことでした。しかし、十人とも疲れ果てて寝入ってしまいましたが、彼女たちは咎められませんでした。問題は“用意”、“準備”があったかどうかです。

このストーリを読みながら、先日東海岸を襲ったSandy・サンディーのことを思い出します。大勢の犠牲者を出し、大きな被害の爪跡を残しています。6,7百万人の人が停電で暗中模索の生活を強いられました。懐中電灯を用意していた家族とその用意がなかった家族の対応はまったく違ったものであったでしょう。用意のある家族は危機の中でも光があり、用意のない家族は危機の中、しかも一条の光も見えない暗黒の中で対応しなければなりません。 誠に、同情とまた一日も速い復旧を願う者です。上の思慮浅いおとめたちは灯油のないランプをぶら下げてお店を探し回ったにちがいありません。花婿が到着しない前に、と。

思慮深いおとめ、思慮浅いおとめとの違いは:

 1) 不用意です
 2) 習慣の無視です   
        
習慣にはきちんと守るべき拘束力のあるものと、単に生活上の便利さの拘束力のないものがあり、その識別、判断と実行には大きな差が現われるでしょう。

次回、このストーリの意図するものを考えてみます。

「だから、目をさましていなさい。その日その時が、 あなたがたにはわからないからである。」

前原利夫


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「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に 自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、 洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れる ことはない。岩を土台としているからである。また、わたしの これらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた 愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、 風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ 方はひどいのである」(マタイによる福音書7章参照)

この言葉は、ある日イエス様が山に登られて大群衆と12弟子に語られたメッセージです。山上の説教として有名なくだりです。山上の説教はイエス様の語られた多くの説教を一箇所に纏め編集した珠玉のメッセージです。読む人に感動を与えずにはおれません。

その幾つかをご紹介いたします。

「あなたがたは地の塩であり、世の光である」
「右のほほをうつなら、左のほうもむけてやれ」    
「敵を愛しない」
「あなたの宝のあるところに、心もある」
「まず神の国と神の義をもとめなさい」
「求めよ、そうすれば与えられる」
「何事でも人々からして欲しいと望むことは、人々にもそのようにせよ」(黄金律)
「天にいます我らの父よ・・・」(主の祈り)

これらの話をした後に冒頭の言葉で結語とされました。即ち、話の結びとしてイエスはご自身が語られた言葉を実行しなさい、実行する人は岩の上に家の土台を据える賢い人だ、しかし、いい話を聞いても実行しない人は砂の上に家の土台を据える愚かな人だ、と警告されたのです。

家の土台:
当然なことながら頑丈な家は頑丈な土台でなければなりません。どんな建築でも土台作りから始めます。土台をどのスポットに据えるか、建材を何にするかは家のオーナーよりも専門家の設計士が判断します。自分の家でありながらここ一番大切なポイントはその道の人に判断して貰うものです。イエスが警告しているように砂やソフトな土質に高価な家は建てないものです。

人生の土台:
それでは、イエスはこの話の中で家の土台や家の建築方法を教えているのでしょうか。勿論、人生の土台を指しています。イエスは人生相談の抜群の専門家です。家を“岩”の土台の上に築き上げるように、人生の土台も“岩”の上に築くようにイエスは教えておられる。“岩”とは神の言葉、“とこしえの岩”、英語では”The Rock of Ages”と表現します。神の言葉とはイエスが今しがた群集や弟子たちに語られた言葉です。この言葉も素晴らしい人生訓も聖書の中に発見することが出来ます。自分の土台がどこに据えられているか時々チェックしたいものです。

おおよそ3000年前のソロモン王は、この地上に小さいけれども賢い四つの動物がいると教えます。その一つをご紹介しましょう。

「岩だぬきは強くない種類だが、 その家を岩につくる」。(箴言30章)

小さな岩だぬきさえも自分の保身を考え岩を宿とします。私たちは人の話を聞き、また読みながら“これは素晴らしい”、“こうすれば必ず成功する”という実証済みの話を聞いてそれを自分のものにしているでしょうか。聞いて実行するかしないかは成功するかしないかの分岐点ではないか。話を耳に入れて手足を動かす人、動かさない人との間には雲泥の差がありますよ、とイエスは貴方に話しかけておられるのです。多分、多くの聞き手はいい話を聞き、友人に家族に伝達してシェヤーしているだけで、自分のために行動に移すことに疎いのではないでしょうか。そこに“岩”と“砂”の落差があるのです。

こんな話があります。名古屋のある成功した家具店のオーナーがセミナーに招かれて、成功話をすることになりました。彼は自分の成功の秘訣を細かく聴衆者にご披露しました。一般に成功談は表面的なことを述べて細かなことは教えないものです。それは企業秘密です。セミナー参加者の中には競争相手もいたはずですが、彼は堂々とガラス張りのように開示してしまいました。セミナーが終わり、一人の方がそのオーナーに質問しました。

「、、、様、お話を細かく話して下さりありがとうございました。 でも、ここには御社の競争相手もいます。ご心配ありませんか」。 返事が返ってきました, 「人は聞いても実行に移す人は殆どいません。心配無用です」、と。

胸に両手を当てて熟考すべき返事ではありませんか。イエスの言葉と並べて吟味してみませんか。

前原利夫


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前回の「財産管理と天国」の譬え話の後編です。是非、前回の譬え話もお読み下さい。

英国Stowmarker市にSt. Peter & Mary という教会があります。その教会の建物の一部が壊れ修復を必要としました。 教会の牧師、Michael Eden師は修復費を募金することにしました。考え抜いた牧師は、「財産管理と天国」の譬え話をして、そして教会の皆さんに文字通り実行してもらうことにしました。

教会には90人ばかりの信徒が礼拝しました。2005年12月、 Eden牧師は自腹を切って一人に10ポンド($18)、トータルで900ポンド($1620)を準備し皆さんに配り、そして、“皆さん、これから出て行って、このお金を何倍かにしなさい”、と勧めました。

信徒は礼拝の後にそれぞれ教会を出ていきました。 それから(何日立ったかわかりませんが)一人一人がお金を持って教会に戻ってきました。ある人は18ドルでベーキングソーダーを買い、それでケーキやスコーン(アイスクリームを受ける)を作り売りました。$750 儲けてきました。 ある人は18ドルでウール(毛糸)を買い、スカーフを編で138ドル分売りました。こうして、18ドルを貰った人たちが帰ってきて持ち寄ったお金はトータルで$9200に達したそうです。

元金の6倍近くに膨れ上がったのです。Eden牧師は、この奇抜な資金集めを振り返って満足そうに言いました、“神様は私たちに色々なものを与えて下さいます。 そして、私たちが無駄をしたり、何もしないでいることを決して望まれるお方ではない“、と。実に、愉快な話です。さて、このイエス様の譬え話は幾つかの大切なレッスンを教えてくれます。

1)責任感:  
私たちに預けられたものへの責任感です。タラントの主人も教会の牧師も同じ思いで自分の財産を預けたのです。預けたお金、財産は責任を以って取り扱うという想定の下で預けるのです。

私たちが友達の車を一時預かることにします。 自分の車のように責任を以って扱わない人がいるでしょうか。無責任なドライブ、車の無茶な取り扱いは大きな迷惑となり、自分自身の評価になります。預ける人、また預かるものの“価値”によって預かる責任感も違うものです。

神様から1タラント($600,000)、 牧師から18ドル預かって、そのまま押し入れの中に仕舞い込んでいる分けにはいきません。責任感とは預かるものの価値を知り、それを大切に扱い、そして持ち主にお返しすることです。また、責任感は預けた人の意図、計画を理解することです。

2)忠実さ:
忠実とは“姿勢”だと思います。仕事に対する姿勢、上司、ボスに対する姿勢、人生に対する姿勢です。

クリスチャンならば信仰者としての姿勢、神に対する姿勢です。人様のものを忠実に預かるとはその預けた人への姿勢です。

1タラント預かった人はそれを預けた人への姿勢、2タラント預かった人はそれを預けた人への姿勢です。預けた人が意図したものへの応答です。もし、預けた人が預けたものを何倍にもして返してもらうことを意図していたら、 それに対する“頑張り”、“そう応えたい”という姿勢です。

タラントの譬え話の1タラントの人のように”I do not care”, 預けた人は“酷な人“、等と意外な姿勢は見せないはずです。預けられた仕事を忠実に成し遂げることは働く者の基本、 原則です。

3)管理能力:
この譬えではタラント(結構大きな金額)がそれぞれに預けられたわけだから、その額の大きさを弁えて、それを“資本金”として理解すべきです。資本金であればそれを基に増やしていかなければ資本金になりません。

即ち、預けられた人は“どうやって守るか”ではなく、“どうやって増やすか”、その管理能力が求められます。多く預けられた人は多く求められ、少なく預けられた人はそれなりに小さく求められています。管理能力の評価は“多く生産する”者が優れているのではなく、 それぞれの能力に応じた生産力が優れているのです。

主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』
マタイよる福音書25章

神の国はクリスチャンとして責任ある生き方、神に忠実に生きる、そして神から預かった能力をそれぞれに相応しく生かしていくところです。

前原利夫


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イエスは天国を分かりやすくするために多くの譬えを巧みに用います。これまで紹介した譬えでは“高価な真珠”、ブドウ園“などあり、今回は興味のある財算管理の譬えです。

一般に「タラントの譬え」として読まれていますが、少々長目のストーリですから途中で切って前半と後半に分けます。先ず、前半(マタイによる福音書25章14-18節)を冒頭に紹介し、後半(同25章19-30節)は末尾に紹介致しました。 タラントの話は次のように切り出します。

また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。 すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。 五タラントを渡された者は、 すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。 二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。 しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り主人の金を隠しておいた。 (マタイによる福音書25章参照)

タラントの価値:  
最初にタラントを説明しましょう。ここでは価値、財産価値を量る単位です。ドルは貨幣単位ですが、タラントは能力、重力などの単位にも使います。旅に出た主人がその部下Aさんに一タラント、部下Bさんに2タラント、そして部下Cさんには5タラントの財産管理を依頼しました。 その価値を先ず押えておきましょう。価値の把握ができないと話の内容が浮きあがってしまいます。

当時の一タラントは6000デナリと言われます。一デナリは一日の労賃、即ち日給です。当時の労働は殆ど農耕・牧畜関係ですから日給は比較的一定であったでしょう。 しかし、現代は多様化した労働市場ですから時給、日給と言っても雲泥の差があります。

タラントの理解を進めるために今日の日給を100ドルとして試算してみましょう(時給大体$12)。 一タラントは6000日分の日給となって、$600,000(6000x$100)の大金となります。私の日給は$200という方にはその2倍になります。結構、現代でも大きな数字ですね。

このイエス様の譬えは2千年前ですから、当時の数字としてはやや天文学的な概念に近かったかも知れません。

部下A,B、そしてCさんはそれぞれ$600,000、$1,200,000、そし$3,000,000の財産管理を言い渡された分けです。旅に出た主人とは神様であることは間違いないです。 因みに、芸能界のタレントはここのタラントを語源としています。神様は私たち一人一人に大変な管理能力を与えているのが分かります。

冒頭に、「それぞれの能力に応じて」、とあります。私たちは生まれながらにして固有な能力、物事を成し遂げることのできる力が与えられているのです。また、この力を潜在能力、ポテンシャルと呼ぶこともできましよう。

見方を変えれば、タラントとは私たちに賦与 (先天的に与えられたもの)された医学、科学、法学、教育、スポーツ、ビジネス、その他多くの分野に秀でる力とも言えましょう。私たちは与えられた能力をしっかり活用する使命があるのです。使命は命を使うと書きます。

能力の決算報告:
タラントを与えられた人はそのタラントに従って管理する力があり、またその量を生産する使命があります。このストーリでは2タラントと5タラントの人はそれぞれのタラントを活用して結果を生みます。

一方1タラントの人は預かった1タラントを土の中に隠し、預かったものを全く活用しませんでした。信頼して預けた主人が怒るのも無理のないことですね。

自分に当てはめてみて下さい。貴方が会社の社長さんです。 信頼した部下のAさんに$600,000の現金を預け、それでビジネスをするように預けました。しかし、貴方の部下は色々な理由をつけて自宅のsafety boxに隠して置いたとしましょう。社長である貴方が怒るのは当然ではないでしょうか。 自宅に隠さないで、せめて低利でも銀行預金をしておけば多少の利息で元金が増えたはずです。

聖書は私たちには人生の終わりの決算報告があると教えます。その時です、神様から預かった使命をどれだけ活用し、果したか問われるというのです。

また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、 自分の財産を預けるようなものである。

有意義な人生、生き甲斐のある人生とは与えられた能力、使命を十分に生かすことではないでしょうか。若者たち、日々を無駄に過ごしてはなりません。今日一日一日が貴方の未来を積み上げます。今日という日を貴方の使命に忠実に生きることです。 次号もタラントの話を取り上げます。 冒頭のタラントの話はこのように続きます。

「だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。 すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、 『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。 主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。 主人は彼に言った、 『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 一タラントを渡された者も進み出て言った、 『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。 そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。 すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。 それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。 そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。 さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。 おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。 この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。(マタイのよる福音書24章から)

前原利夫


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あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。 もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。 (マタイよる福音書18章)

この短いストーリーは羊飼いと羊の関係を見事に描写した大変中味の濃いものがあります。イエスは大工の経験を積まれましたが、当時盛んであった牧畜、羊飼いの話をされて神と人との関係を巧に結びつけ、神の私達への愛をわかりやすく伝えております。

旧約聖書には神を羊飼いになぞられた記事が頻繁に見られます。最も有名で多くの人が口ずさむダビデ王の詩篇23篇があります。少し脱線しますがここにご紹介致します。静かに、瞑想の中でお読みになるとなんだか自分に語りかけてくるような響きがします。

ダビデの歌 
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。  
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。  
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。  
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、
わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。  
わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
(詩編23)

冒頭の羊飼いの話はイエスご自身が語られました。羊は昔も今も変わりなく“迷いやすい性質”を持っているようです。その点人間も同じかも知れませ んね。羊は“迷える羊”と代名詞が付されている程に命の危険を知らずに野を駆け回るようです。

その上、おとなしく見えても意外と頑固な性格で羊飼いを困らせるそうです。羊飼いは牧柵を張り巡らせて羊たちを夜間の猛獣から守ります。昼間、羊飼いは杖と訓練された犬の護衛で羊たちを牧草に導きます。 詩篇の23 にも“あなたのつえ”とありますね。

ところが、100匹の羊の中には羊飼いの言うことを聞かない羊がいます。10人の大家族の中でも親の言うことを聞かない注意散漫、自分勝手に振舞う子もいます。羊飼いの大きな関心は羊たちの安全です。安全圏にいる99匹の羊たちよりも危険地域にいる1匹の羊です。 いつ深い谷底に足を踏みはずすか、野獣の餌食になるか油断できなません。青々とした草原でも羊飼い不在では無防備の状態です。食べる物があれば事たれりとは参りません。ここでの安全圏は神と人との距離間です。

どれほど人が神に近くいるか、羊が羊飼いにどれほど近くにいるかで危険度が分かります。人が神から遠く離れた状態が魂の危険地域です。即ち、羊が羊飼いの近くにいることが大事であるように、人も神とのの近い個人的な関係が大事です。

遠くに迷出でた羊を探し当てた羊飼いの喜びは天にも昇るほどの歓喜です。 旧約聖書のイザヤ書に羊飼いの姿が述べられています。

主は牧者のようにその群れを養い、そのかいなに小羊をいだき、そのふところに入れて携えゆき、 乳を飲ませているものをやさしく導かれる。

冒頭に“あなたがたはどう思うか”とありますが、読者の皆様はこの羊飼いの話をどう思われますか。神様って、優しい、愛のハグで貴方を抱きかかえて守って下さろうと待っておられます。(放蕩息子・1放蕩息子・2と重ねてお読み下さい)

前原利夫


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ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A. Tel.(310) 527-6112
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イエスのたとえ話(放蕩息子・2)は(放蕩息子・1)の続きですから、もう一度前号をお読み頂きますと、内容が一層はっきりと理解できことでしょう。

前回は息子に焦点を当てて考えました。放蕩息子が父の下を出て行き、父の下に帰るUターンの人生の姿を描いてみました。 ここでは父に焦点を当てて、赦しがたい放蕩に身を持ち崩し、あたら青年時代を無駄に生きた息子を迎える父の心を探ってみます。

 
1.父、罪を裁いて人を裁かず:
 私たちは「悪を憎んで人を憎まず」と言いますが、それは「罪を裁いて人を裁かず」と同じ意味であります。しかしその言葉通りを実行することは困難なことです。時には、偏見、差別、理由無しに人を裁くことすらする私たちです。 「人を赦してもその受けた傷は忘れない」という言葉の中にも人間の赦しの限界が見えてきます。放蕩息子の父がその息子を迎える姿には財産を失ったことへの言及や追及や怒りすら見えません。 父を裏切り道徳的にも父の期待から遠くかけ離れたライフスタイルの対しても父はそのまま自分の息子として受け入れます。

この父は私たちのような人間の父ではないようです。“神としての父”としか考えられません。 このお方だけが「罪を憎み人を憎まず」を実行できるお方です。

「父は彼をみとめ、哀れに思ってその首を抱いて接吻した」

とあります。 また新約聖書の中に「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」とありますように、神の愛は無限であります。

2.父、新しい出発を準備する:  
父の愛は更に深く表されます。息子が故郷に帰ってきた唯一の理由は新しい出発、人生のやり直しを思い立ったからです。たとえ自分の身分が父の僕たちのような低い身分に落ち込んでも、息子は故郷、 父の下に帰ることが人生のやり直しの場であり、外にはないと信じたに違いありません。

人、再び帰る故郷があることはなんと幸いなことか。失敗だらけの人生であったとしても私たちには帰る道があるのです。 放蕩息子は自分がかっての父の相続者の一人であったという特権も誇りも捨ててしまったのです。その時に自分の帰るべき道が開けて、見えてきました。 それは父が両手を大きく広げて自分をまっている父の姿でした。

“父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。 また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい食べて楽しもうではないか、それから祝宴が始まった” (ルカによる福音書15章)

戻る道は悔い改めの道、人生再起の道です。

3.父、万人を迎える:
このストーリの父の愛は神様の愛を示しています。忘れないで下さい。この放蕩息子の話はイエス様ご自身が語られました。そして、この父がご自身であることを示されています。

“この息子が死んでいたのに生き返り、”とある通りです。 神の愛は人間の知識の領域では把握できず、神は放蕩、失敗、駄目人間のような私たちでさえも祝福、祝宴を以って迎えて下さるお方です。 魂が神から遠く離れていて真の救いを知らない私たち迎えて祝福なさるお方です。

“神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである” (ヨハネによる福音書3章)

God bless you today and forever!

前原利夫


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