わたしは羊飼 | イエスのたとえ話
あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。 もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。 (マタイよる福音書18章)
この短いストーリーは羊飼いと羊の関係を見事に描写した大変中味の濃いものがあります。イエスは大工の経験を積まれましたが、当時盛んであった牧畜、羊飼いの話をされて神と人との関係を巧に結びつけ、神の私達への愛をわかりやすく伝えております。
旧約聖書には神を羊飼いになぞられた記事が頻繁に見られます。最も有名で多くの人が口ずさむダビデ王の詩篇23篇があります。少し脱線しますがここにご紹介致します。静かに、瞑想の中でお読みになるとなんだか自分に語りかけてくるような響きがします。
ダビデの歌
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、
わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
(詩編23)
冒頭の羊飼いの話はイエスご自身が語られました。羊は昔も今も変わりなく“迷いやすい性質”を持っているようです。その点人間も同じかも知れませ んね。羊は“迷える羊”と代名詞が付されている程に命の危険を知らずに野を駆け回るようです。
その上、おとなしく見えても意外と頑固な性格で羊飼いを困らせるそうです。羊飼いは牧柵を張り巡らせて羊たちを夜間の猛獣から守ります。昼間、羊飼いは杖と訓練された犬の護衛で羊たちを牧草に導きます。 詩篇の23 にも“あなたのつえ”とありますね。
ところが、100匹の羊の中には羊飼いの言うことを聞かない羊がいます。10人の大家族の中でも親の言うことを聞かない注意散漫、自分勝手に振舞う子もいます。羊飼いの大きな関心は羊たちの安全です。安全圏にいる99匹の羊たちよりも危険地域にいる1匹の羊です。 いつ深い谷底に足を踏みはずすか、野獣の餌食になるか油断できなません。青々とした草原でも羊飼い不在では無防備の状態です。食べる物があれば事たれりとは参りません。ここでの安全圏は神と人との距離間です。
どれほど人が神に近くいるか、羊が羊飼いにどれほど近くにいるかで危険度が分かります。人が神から遠く離れた状態が魂の危険地域です。即ち、羊が羊飼いの近くにいることが大事であるように、人も神とのの近い個人的な関係が大事です。
遠くに迷出でた羊を探し当てた羊飼いの喜びは天にも昇るほどの歓喜です。 旧約聖書のイザヤ書に羊飼いの姿が述べられています。
主は牧者のようにその群れを養い、そのかいなに小羊をいだき、そのふところに入れて携えゆき、 乳を飲ませているものをやさしく導かれる。
冒頭に“あなたがたはどう思うか”とありますが、読者の皆様はこの羊飼いの話をどう思われますか。神様って、優しい、愛のハグで貴方を抱きかかえて守って下さろうと待っておられます。(放蕩息子・1、放蕩息子・2と重ねてお読み下さい)
前原利夫
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
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