「勝利の主 イエスの名と」 賛美歌224 “Ye Servants of God, Your Master Proclaim”

 「彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、 御座にある私たちの神にあり、小羊にある」 黙示録7:10

福音を述べ伝えるには、ひたむきで熱い霊の働きが必要です。福音が語られる目的は、それを聞く人が回心し、その人生に画期的な変化が生まれることを経験します。

聖書では、この変化を「新しく造られる」と表現しています。そしてこの変化の中では、回心者の中で自分とキリスト、教会、そして世界との関りが新しくそして意識的に変わります。

神への献身そして神に仕えるために他のことを犠牲にすることなく、自らを中心に考え続けているなら、その回心は全く意味を成しません。

ウェスレーがこの詩を書いたのは1744年のこと。ウェスレー一家とその支持者たちが激しい迫害を受けたこの年、ウェスレーが書いたいくつかの賛美の中にこの『勝利の主 イエスの名と』がありました。

本作は詩篇93編1-4節と黙示録7章9-12節を元にしており、迫害を受けている支持者たちを励ます目的で書かれました。クリスチャンが最も光り輝くのは、御名のゆえに迫害をうけた時と言えるでしょう。

そしてそれはウェスレー家とメソジスト派にとっても真実でした。迫害が厳しく激しくなればなるほど、彼らはより強い福音の宣言者となっていったのです。

福音を語る時、私たちも自分が好きなことや自分の思いや経験といった横道に逸れることなく、人生そして永遠の救い主、主、そして指導者であるイエス・キリストに常にフォーカスしていきましょう。      
峯岸麻子           

詩篇93:1-4、96:1―10、マルコ14:43、45、黙示7:9-12参照              
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September 22, 2017, Kenneth Osbeck,
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「なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。」   エペソ5:23

1866年のイギリスでは神学論争が熱を帯び、自由主義派たちは長老教会の主要な教理をなきものとするほど、圧倒していました。そんな時代に書かれた賛美が、この『いとも尊き』です。保守的信仰の強力な信者であった作者のサミュエル・ストーンは、正統派の信仰が激しく攻撃される中、一切の妥協を許しませんでした。

教会の基礎を成すキリストの主権を再確認するような賛美を作りたいと願っていたストーンは、懐疑的な自由主義の教えに対抗するべく、使徒信条を基本とする賛美歌を12曲生み出します。そしてこの『いとも尊き』は9番目の信条、「聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず」から、キリストがこの教会という体の頭(かしら)であることを歌っています。

ストーンは「貧しき者の牧師」として知られた人物です。そして、教会とは必要に迫られた人々がキリストと出会うための手段として存在するという自身の強い信念がこの賛美に表れています。

ロンドン東部のはずれの町で、貧しい人々や恵まれない人々に仕えた彼のミニストリーについては「氏が作った粗末な暮らしぶりの人々のための麗しい礼拝の場所は、暗闇の真ん中に輝きわたる光となった」という記述が残されています。

教会とはこのような場所であるべきです。教会は、独善的なクリスチャンだけが集まる、特別な会員制クラブのような場所であっては決してなりません。そこは、傷ついた人々のための病院のような場所でなければならないのです。

神ご自身によってこの世界から呼び集められた人々が集まって共に礼拝し、感化しあい、教え合い、交わりを持つ場所です。

そして教会で過ごした後、神は私たちをご自身の民として世界に送り出されます。神の民である私たちは、この世界のすべての人間に対して、神ご自身を表すものとして、また神の愛の模範として羽ばたきながら教会を後にするのです。

峯岸麻子 

マタイ16:15-18、Iコリント3:11、コロサイ1:18参照                    Taken from [Amazing Grace] ©Copyright
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「主よささぐる」 聖歌 296 My Jesus, As Thou Wilt!” 

「わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」詩篇40:8

人類のために神様が用意してくださった救いを受け入れるかどうかは、私たちにとって、とても大切な決断です。そしてその次に大切なのは「将来に何が起きようとも神様の御心を行っていくのだ」という決断です。

しかしながら、神様の御心をはっきりと見極めることは難しいことですね。「偉大な祈りの人」の一人に数えられるジョージ・ミュラーはこの件について以下のような意見を述べています。

 

「神の御心を探る時。

  • 祈りの課題について、自分の意志が入らないように心を整える
  • 神の御言葉を通し、あるいは御言葉と関連付けて御霊のご意志を求める
  • 神の御采配がどのような状況にあるかを考える
  • 祈りの中で、御心をはっきり示してくださるよう神に願う

 

このようにして、神への祈り、御言葉の学びと省察を通して、慎重に判断をくだし、心に平安が得られたならば、その事柄に対してさらにいくつかの願いを祈っていく。私にとっては、この方法が常に効果的なのである。」

 

この聖歌が最初に発表されたのは1704年のこと。ドイツ語の賛美歌集に収められました。その後、1820年に発表された「賛美歌集:ルターの土地から(Hymns from the Land of Luther)」でジェイン・ボースウィックの翻訳による英語版が生まれました。

神様のために勝利に満ちた人生を私たちが歩めるようにと、神様は私たちに力を与えてくださいます。しかしそれは、私たちの思いを神様にすべてお委ねすることでのみ実現するということを、この聖歌の歌詞は私たちに思い起こさせてくれます。

峯岸麻子

マタイ6:10、エペソ5:17、コロサイ1:9、

へブル13:21、Iヨハネ2:17参照

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「安けさは川のごとく」 聖歌 476 “It Is Well With My Soul”

「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」 詩篇46:1

神の愛に対する絶対的な信頼によって、心に平安を得ることができるという事実は、成熟したクリスチャン信仰における現実的な証拠です。天の父に対するこのような確信によってのみ、作者のホレシオ・スパフォードは、胸が張り裂けるような悲劇を経験しながらも「全て安し、御神、共にませば」と言うことができたのです。

スパフォードは、シカゴで成功を収めた弁護士で4人の娘に恵まれ、長老教会の会員として活発に活動し、D.L.ムーディをはじめとする当時の指導者たちの誠実な友であり支援者として平穏で幸せな日々を過ごしていました。

ところがその彼を次々と悲劇が襲います。まずは、1871年のシカゴ大火で、スパフォード家が大規模に展開していた不動産投資のすべてが焼き尽くされました。

その後、ムーディと彼の音楽牧師であるアイラ・サンキーがイギリスへの宣教旅行に行くことになった時、家族を元気づけることになると思ったスパフォードは、この旅行に家族と共に同行することを決心しました。そして現地のイギリスでムーディとサンキーに合流する約束をします。

1873年11月、出発を目前にしたスパフォードに急な仕事が入ってしまいました。すぐに追いかけるからと、スパフォードは予定通りに妻と4人の娘をSS Ville du Harve号に乗せ先に行かせます。しかし大西洋を半分渡ったところでこの船はイギリスの軍艦と衝突し、わずか12分で沈没してしまいました。

妻は奇跡的に助かり、数少ない生存者に数えられることとなりましたが、スパフォード家の4人の娘は犠牲者226名の中に名前を連ねることになりました。

ウェールズ州のカーディフで、悲しみに暮れながら自分を待つ妻の元に向かうために乗った船の甲板で、スパフォードは何時間も立ち尽くしていました。娘たちが命を落とした海域に近づいた時、スパフォードは神様からの慰めを感じ続けていました。

そしてこの慰めのゆえに「悲しみは波のごとく わが胸満たす時 すべて 安し 御神共にませば」という賛美を書くことができたのです。なんと素晴らしい希望の姿でしょう!

峯岸麻子

詩篇31:14、142:3
ガラテヤ2:20
Iペテロ4:19参照

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I Heard The Voice of Jesus Say (Kingsfold) – Audrey Assad

「ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。」 イザヤ 55:1

キリスト教福音書の中心にあるのは「来なさい」という優しい語りかけの言葉です。その人に福音が語られ始めた瞬間から、神の永遠の栄光を理解するその時まで、救い主は「来なさい」という招きの言葉をかけ続けてくださっています。この恵み深い「来なさい」という言葉は、聖書の中に500回以上、記されています。

ホレイシャス・ボナーが紡ぎだすこの美しい賛美歌の歌詞は、私たちに平安なる思いそして小躍りしたくなるような喜びを与えてくれます。イエス様の声に応えながら歩く人生。本作の詩は、その人生の旅路に差し込む神秘の光と共に歩く自らの姿を連想させ、私たちに穏やかな気持ちを与えてくれます。

ボナーは19世紀のスコットランドで最も才能と影響力のある伝道者および文筆家でした。ボナーが残した600を超える作品の中でも最高傑作と考えられている本作は、彼がスコットランドのケルソーにある長老派教会で牧会をしている時に誕生しました。

ボナーはキリストの御業と人格における真理を子供たちに伝えることを常に大切に考えており、本作も子供向けの賛美として作られたものです。最初に発表された1846年以来、イエス様の中にある喜びに満ちた休息と復活というこの賛美歌のテーマは、世界中の人々に愛されてきています。

峯岸麻子    

イザヤ55:1-3、マタイ11:28、ヨハネ4:14、8:12、黙示3:20参照
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「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」 詩篇 19:1

一年の中で最も美しい月は5月であると考える人は多いのではないでしょうか。3月の風、4月の小雨が自然の中での掃除屋さんの役割を果たし、5月の地球は、神に与えられた自然の美しさのすべてを備えた姿を現します。

人類すべての中で、神の創造した世界を最も喜ぶべきはクリスチャンです。神の創造の業のすべてを科学的かつ十分に理解したり説明したりすることは、私たちには出来ないかもしれません。

それでも、私たちは確信をもって「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず」(使徒信条)、「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り」(へブル11:3)と言うことが出来ます。神が造られた「果てしも知られぬ大空」の中に見られる神の驚嘆や不思議は、偉大な創造主に対する永遠の賛美を呼び起こすことでしょう。

聖書では、人間は神を知らないとは言えないと教えています。創造主は、外界においては自然の中に(ローマ1:19-21)、そして内面的には人の良心という形で(ローマ1:32、2:14・15)ご自身を現しています。しかし、人が真にそして完全に神を知ることは、イエス・キリストの働きによってのみ実現するのです(「神の栄光の輝き」へブル1:3)。

『果ても知られぬ』は、イギリスで著名な著述家のジョセフ・アディソンによって書かれたもので、賛美として発表される前に書かれたエッセイの内容を元にしています。

その前書きで、彼は自分の作品について「果ても知らぬ存在は、ご自身の実在を天地創造の中で最高の立論を展開されている」と述べています。この賛美の初出は1712年、『スペクター紙』で行われました。

峯岸麻子

創世記1:1-19、詩篇19:1-6、イザヤ40:26、ローマ1:20、へブル11:1-4参照
         
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When I Survey The Wondrous Cross – Fernando Ortega

「彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って『どくろの地』という場所に出て行かれた。彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスと一緒に、他の二人の者をそれぞれ両側に、イエスを真中にしてであった」 ヨハネ 19:17、18

真に感動的なこの賛美歌が生み出されたのは1707年、聖餐式の準備中のこと。そして同年に出版された珠玉の「聖歌・宗教歌」の中で発表されました。原語での曲名は「奇跡なる十字架を思う時」となっていますが、元々は「キリストの十字架、世界を磔刑にかけること」でした。

その歌詞には、十字架上のキリストの死にある驚くべき愛に対する作者アイザック・ワッツ個人の大きな感謝が綴られています。当時の会衆賛美は重々しい調子で詩篇を繰り返すものでしたから、個人の思いを綴ったこの歌詞は「霊ではなく人間が書いた」ものとして大論争となりました。

死にゆく救い主の姿を鮮烈かつ印象的に紡ぎだすその歌詞は当時としては稀有であり、18世紀のクリスチャンをより深い礼拝と賛美の経験に誘ったに違いありません。神学者のマシュー・アーノルドが「英語で書かれた賛美の中で最も素晴らしい」と呼んでいることも注目すべき点でしょう。

5歳でラテン語、9歳でギリシャ語を学ぶなど神童だったワッツは、成長と共に、詩篇を復唱するだけの賛美を行う英教会のスタイルに違和感を覚えるようになり「神への賛美を歌うことは天に最も近づく礼拝の一部であるが、私たちの賛美はこの世界で最悪のパフォーマンスである」という言葉を残しています。生涯を通して600を超える賛美歌を残したワッツは、今日「イギリス聖歌制作の父」として知られています。

峯岸麻子 

マタイ26:28、ルカ7:47、ローマ5:6-11、ガラテヤ6:14参照                            
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「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」 ルカ 18:17

この賛美歌は、聡明なプリンストン神学校の教授にまつわるエピソードから生まれました。この教授は卒業式の際には、必ずこのような言葉を贈っていました。「皆さん、聖書のこと、この世界のこと、私にはまだまだ分からないことが沢山あります。しかしその中でひとつだけ確信していることがあります。

それは『主はわれを愛すると聖書は語られ。よって、われ、主を愛することを知れり』ということです。そして皆さん、私たちにはこの確信があれば十分なのです」

この賛美が、他のどの賛美よりも、子供たちに親しまれてきた曲であることは間違いないでしょう。アナ・ワーナーのシンプルな言葉が賛美歌の詩となったのは1860年のこと。以来、今日においても、アメリカ以外の国で救われたばかりの信徒が最初に習う賛美歌のひとつとなっています。 
 
この賛美歌の歌詞は、姉のスーザンと共著した本の中で完成されました(『Say and Seal』同書は今日もベストセラーとなっています)。それは、登場人物の一人、リンデン氏が死の床にあるジョニー・ファックスという子供を慰めるために読んで聞かせた詩という形で書かれています。

この詩に曲をつけたウィリアム・ブラッドリーは、当初、単純な4連しかなかった詩に、ブラッドリーは自身の手でコーラスを付け足しました。アメリカにおけるゴスペルソングの黎明期にその発展に寄与した人物の一人であり、当時の公立校および教会における児童唱歌のパイオニアとしての評価を受けています。

1862年に出版した彼の賛美集に収められたこの賛美は、すぐに大きな反響を呼ぶこととなりました。

峯岸麻子

創世記33:5、詩篇127:3、マタイ11:25、
マルコ10:16参照                              
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「だから、わたしたちは、はばからずに言おう、/「主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか」 へブル13:6

クリスチャンにとって、この世界でしっかりと安定した信仰生活を送ること、また永遠のいのちへの確信を持つための源泉は御言葉にあります。生ける神が私たちに与えてくださる導きは明白で間違いがありません。神の導きは私たちにとって確固たる基礎であり、「主はこう仰せられます」と聖書に書かれた主の啓示です。

研究者たちは、長い間この賛美歌の作者を特定できずにいます。1787年、ロンドンにあるカーター・レーン・バプテスト教会の牧師であるジョン・リッポン博士が出版した『賛美選集』の中に登場したのが最初の記録です。リッポン牧師は、当時、絶大な人気と影響力を兼ね備えた牧師の一人でした。

この賛美歌の一番は、キリスト教信仰の基礎が、神の御言葉の上に成り立っていることをはっきりと告白しています。この内容を見るときに「神ご自身の言葉以上に、人間にとって神ご自身を完璧に啓示するものなどあるだろうか?」ということを考えざるを得ません。その後の歌詞は、御言葉からの尊い約束を歌い上げる素晴らしい賛美となっています。

二番:イザヤ41:10
「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。 驚いてはならない、わたしはあなたの神である」
三番:イザヤ43:2「あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる」
四番:Ⅱコリント12:9「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」
五番:へブル13:5『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない』

峯岸麻子

詩篇46:1、118:6,7, へブル13:5,6参照
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「御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。

『さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。』…羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」ルカ2:15、20

クリスマス時期に歌われる歌の多くは人類が最高峰の曲に数えられています。その中で、この『神の御子は今宵しも』も、世界中の人々に愛されている曲のひとつと言えるのではないでしょうか。

プロテスタント教会が生まれる前のカソリック教会で歌われていたこの賛美は、原語であるラテン語から100を超える言語に翻訳され、現在は教派・教団を超えて世界中で歌われています。

この賛美歌が鮮やかに描き出すキャロルの様子は、時を超え、あらゆる文化の中で強く訴えかけるものがあるのです。

長年にわたり、作者不詳とされてきたこの賛美ですが、近年の研究により、ジョン・ウェイドというイギリス人青年が1744年に書いたものであることが分かりました。

最初に世に出たのは、1751年のことで、ウェイドの歌集『Cantus Diversi』に収録されています。それからおよそ100年後、英国教会の牧師であるフレドリック・オークリーが、自分の教会で会衆賛美ができるようにと、近代英語に翻訳しました。

英語においても、正式な曲名は『Adeste Fideles』となっています。これは、原語歌詞の歌いだしにあるラテン語をそのまま引用したもので、「誠実なあなたは、今、近くにおられる」という意味があります。

峯岸麻子

マタイ2:1、2、ルカ2:9-14、ヨハネ1:14参照
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