何か季節感、実感の伴わないような挨拶です。4月からスタートしたロックダウンは対外との交流は締め出され、夏の行事も取りやめ、季節を告げるスポーツもまばら、皆さんとの交わりもないこの頃は、外にも内にも今一つ活気が見えません。

感謝祭を迎えるのに、例年のような活力が感じられないのは私だけでしょうか。しかし、主の恵みは数えて見ると10本の指では納められないほど多くありましょう。

今号は、私達の霊的成長を点検しながら、主が私たちを探出して救い上げ、信仰を支えて成長せしめ、私たちに期待している働きを、コロサイ書から学んで見ます:すなわち、救、信仰、そして伝える、この3つの永遠的喜びと感謝をご一緒に考えてみましょう。

1)救を感謝する:

「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してく下さった。」(コロサイ書1:13)。私達はかつては救を知らない、神なしの世界を彷徨ていました。その世界は“この世“と呼ばれ、人間がその時代時代に蓄積した知恵です。客観的な知恵、主観的な知恵もあり、一時的で身勝手な知恵もあります。

その中で、罪を知らず、世の物差し定規として誇りつつ、生活を満足していました。ところが、イエスはそのような生き方は“やみの力“として退け、私達に“光の力“を示して下さいました。

私たちに光の世界を見せ、霊の目で闇の世界を見させ、神の視点から何が善か、何が悪かを判別できるようにして下さいました。そして、私達の命が、キリストと共に神のうちに隠されている事を示され、十字架の救に至らせて下さいました。貴方を、私を闇の世界から御子の愛の世界に移し救って下さったイエス様に感謝します!

2)信仰の堅持を感謝する:

「また、彼に根ざし,彼にあって建てられ、、、信仰が確立されて、あふれるばかり感謝しなさい。」(コロサイ2:7)。私たちは信仰に導かれると、あとは自分の力でやって行ける、やって来たと思うのであります。このような思いは信仰の破船の手前です。

信仰の堅持も神様からの贈り物と考えねばなりまん。信仰の歩みのモデルはイエス様です。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ,走るのであります。

しかし、言うは易し、行うは難しいものです。信仰は日々の生活との戦いです。戦いがあれば、敗北者も犠牲者も出ます。私達の誘惑はこの世への愛です;お金、大言壮語、誇り、見栄、謗り、無節制、乱暴、不品行、偽善等、多くの誘惑と戦わねばなりません。

要するに、神よりも世の快楽を求めようとする罪の残滓との戦いです。祈りが妨げられ、御言葉から離れて1人で歩こうとするかです。しかし、イエス様は私達が倒れないように、天から執りなし信仰を支えて下さっておられるます。

「だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。」ロマ8:34

主イエス・キリストに感謝致しましょう。

3)福音の伝達を感謝する:

「わたしは、神の言をつげひろめる務めを、あなたがたのために神から与えられているが、、」(コロサイ1:25)。パウロは苦難をかってでも福音の伝達に励みます。同24節にはコロサイの教会のためには苦難を喜んで受けると、パウロは福音伝道の代償は“苦難“で結構ですと、その働きを誇ります。

「わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇りにはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないならば、わたしはわざわいである。」 第一コリント9:16.

パウロはコリントの教会の信徒に“わたしのような者になれ“と励まします。 福音を伝える事は神の僕の特権です。パウロは若いテモテに、またイエス様は父の下にお帰りになる前に、全世界に出て行け、世界の人々を弟子としなさいと、私たちに命じました。

私達も自らがやみの力から救われ、御子の愛の下に移された時の大きな祝福を隣の人に、親戚に伝える者となりませんか。そして、福音の伝達者として、私たちにその重大な任務をお任せしておられたのです。イエス様に感謝致しましょう!

私達の霊的な生涯はまずイエス様と会い、救を頂き、イエス様の生き方に似るようにと信仰の働きに励みます。そして、この信仰生活の祝福を隣の人に伝える喜びを体験するものです。救、信仰、伝達この基本を点検し、イエス様が共に歩んで下さっていることを感謝致しませんか。

Happy Thanksgiving!

前原利夫



ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
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「罪の淵に」賛美歌 493番 “Rescue the Perishing”

「主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ」 イザヤ 61:1

この賛美歌の作詞者は、しばしば「ゴスペルの女王」と呼ばれるファニー・クロスビーです。 この賛美歌が生まれる数日前、ウィリアム・ドアンが『罪の淵に(原題訳『滅びゆく人を救う』)』という曲名をつけた歌をクロスビーに送っていました。

この曲名は「主人が僕に言った、『道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい』というルカ14:23から取ったものでした。クロスビーはこの曲に歌詞をつけたときのことを、このように記しています。

「1869年にこの詩を書いた時のことを覚えています。他の作品同様、私の経験に基づくもので、ニューヨークのバウリー・ミッション(低所得者救済施設)での出来事を詩にしました。私は週に一度はそこに行き、息子同然の利用者たちと話をしました。

ある暑い夏の夜、労働者階級のグループと話をしていた時のことです。この中に、今夜救われなければ永遠に滅びてしまう人がいる、という強い思いが沸き上がり、『この中に、家を出て根無し草のような生活をしている人がいたら、このお話の後に私の所に来てください』と強く訴えたのです。

すると話の後『あなたが言っていたのは、僕のことですか?僕は、母に天国で会うと約束をしました。でも、今の僕ではそれは無理でしょうか?』と来た人がいました。彼と一緒に祈ると『神様を見つけました。これで、母に会うことができます』と言って、彼の目に新しい光が射したのです」

峯岸麻子

エゼキエル18:32、ルカ 14:23、ローマ 9:2、Iぺテ3:9参照     
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主人、光一さんは韓国人の父と日本人の母から生まれ育ちました。光一さんの父の名前はヨナといいます。主人は物心ついた時からお父さんの名前は変わっていて珍しいと思ったそうです。

韓国のクリスチャンホームで生まれ育った義父は祖父の勧めで神学校に入学しましたが1年後耐えきれずに、寮を夜逃げし、日本に留学しました。

義父は日本で医学を学び、医師になりました。その後、光一さんの母と知り合い、結婚しました。医学生の時にはスポーツ万能でスピードスケートで日本一になり、オリンピックに出場できる資格を持っていましたが国籍が韓国だったので出場できなかったことを聞きました。

光一さんはかなりのプレイボーイだったらしいと言っていました。たまに光一さんがお父さんの書斎に入ると、なぜか本棚に聖書があったのを不思議に思っていたそうです。

お母さんの愛情に支えられて家族は東京で明るく楽しい生活をしていました。そして、光一さんは大学の時にアメリカに留学しました。

1993年日本リバイバルミッションが甲子園球場で開かれることを知り、家族の救いを祈りました。神様の導きにより家族全員が参加するはずでしたが光一さんが日本に着いたその日に義父は脳梗塞で倒れ入院してしまいました。今でも不思議に思うことは病院で父と息子が特別な時間を与えられたことです。

三日間、毎日お父さんの病院に面会に行った光一さんに義父がそれまで語ったことのないことを語り始めました。義父の口から家族のとりなしの祈りで今があり、ずっと神から離れていた放蕩息子だったことを涙して、その罪を赦してほしいと光一さんに告白しました。

その時、光一さんが義父の手を取り、神様に祈り、信仰告白に導きました。あの書斎の聖書は義父をいつも励まし続けていたと 確信します。  

義父はヨナのごとく魚の中で苦しみ悔い改めた時間を与えられ、みごとに聖会の最終日三日目にイエス様の身元に凱旋しました。
                
鈴木あき



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「あなたはわたしのために、嘆きを踊りにかえ、荒布を解き、喜びをわたしの帯とされました。」 詩篇30:11

「人を祝福する人」「神の祝福の管」に誰しもなりたいと願う者であります。それは人の喜びが自分の喜びにもなり、祝福を届ける幸いは、特別な祝福です。ところが、人を祝福する者は、自分も既に祝福を頂いていると想定します。使徒パウロが「受けるよりは与える方が、さいわいである」と教えています(使徒行20:35)。

しかしながら、多くの場合は自分が先ず祝福され、自分が最適な環境にいなければ、祝福を他人に届ける事は出来ないという前提に立っていると思われます。自分が所有して初めて、与えることが可能であると考えるからです。

創世記のヨセフの生き様からこの前提は間違いであり、人は自分が最適な環境にいなくても、いや最悪の環境でも周囲の人を祝福し、幸いを届ける管になれると証しします。祝福を準備している方は神様であり、人はその管の役割を演じるからです。

ヨセフの生き方を見ると、悲しむべき環境、嘆くべく環境、拘束された環境ですが、その中でも苦難の顔、嘆きの声等は見られず、聞かれず、喜びと踊りすら感じられる生き方です。たとえ牢獄でも、その中から他人に祝福を届け、喜びと踊りを届けています。

1)夢見る男ヨセフ:

彼が畑で仕事をしていると兄弟達の穀物の束、11の束がヨセフの束を拝みました。それからまた夢を見、その夢は11の星と、太陽と月が自分を拝みました。11の星は兄弟達です、太陽は父ヤコブ、月は母のことで、この夢は正夢となり、外国のエジプトでおおよそ17年後に実現します。神様はヨセフが人を祝福する人間になるように、そして自分が祝福を受ける前に、人を祝福する管に作り上げていきます。

2)奴隷の身で自由人を祝福:

奴隷は不自由ですが不自由しない自由な人を祝福します。仕える身でありながら、自分の上司を祝福します。これらは常識に反します、彼の身分や地位は、祝福を受ける側ですが、彼は祝福を届ける奴隷となり、上司を祝福する部下です。ヨセフは周囲の人々の嘆きを踊りに変える管でした。

3)パロ王の侍衛長を祝福:

ヨセフの奴隷としての最初の仕事はポテパルというエジプト王の侍衛長の財産を管理することでした。ポテパルは王を守る高官ですから多分多くの財産を所有していたことでしょう。創世記39章に、単に家の管理だけでなく、他に重要な仕事 (ビジネスの管理?)も与えられ、ポテパルの家が栄えたとあります。単なる家の管理や拭き掃除、維持ではない。このポテパルの財産を上手に管理し、実績を残し、他人の祝福となりました。これがヨセフの第一の祝福ですね。神様はヨセフを更に用いようとして、パロの側近に仕えさせた。これは神の知恵、将来への準備です。

4)獄屋でパロ王の側近を祝福:

ポテパルの妻の誘惑の果て、濡れ衣をきせられたヨセフは獄にぶち込まれます。しかし、その獄はパロ王の側近達の獄屋であり、パロ王に接近するのに好都合で一番近道でした。獄に近道があり、幸が隠されているとは、それは神様の知恵です。神が働かれるところには、宝も将来も隠されています。詳細を割愛しますと、ヨセフはやがてパロ王に謁見の機会を得、王に祝福を届ける管、全エジプトの宰相の地位を得ます。

5)私達の前提条件の間違い:

人を祝福するには、まず自分が祝福を受け、それから手渡すという常識の前提条件がいかに間違いであるかヨセフは証明してくれます。この発想は信仰の世界では通用しません。そこでは常識、経験、人間の科学よりも、信仰の力学、即ち神が働かられるかです。神は水をブドウ酒に変え、水の上を歩かせ、5つのパンで4、5000人をまかなう事ができるお方です。私達が神の祝福の管となりたいと願うなら、素手でも神はそれを成し遂げさせて下さいます。荒野に水を湧かせ、花を咲かせられるのは神の業です。私達も日頃から無から有を引き出す信仰にチャレンジしましょう。

ヨセフが逆境の最悪の中から、周囲の人々の祝福の管になれたのは、み言葉が繰り返しているように”神がヨセフと共におられた” からです。神と共に歩むから祝福がついてきます。そして、神はヨセフ自らを祝福なさることを決してお忘れにならず、エジプトの宰相として14年間、エジプトや隣接諸国の飢餓問題と戦い、解決します。神は嘆きを踊りに変えられる恵み豊かなお方です。

「悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている。」からです。(第2コリント6:10)

前原利夫



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「いとも尊き」 賛美歌 191“The Church’s One Foundation”

「なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです」 エペソ 5:24

牧師のサミュエル・ストーンによってこの賛美歌が書かれたのは1866年。イギリスでは自由主義運動により英国教会の基本的教義がおびやかされ、神学的議論が激しくたたかわされている時期でした。ストーンは保守的信仰を強く支持し、神学的正説に対する批判的な攻撃を断固拒否する人物でした。

この賛美歌でストーンが描きたかったのは、教会の基礎としてのキリストの主権を再確認することでした。使徒信条を元に、懐疑的な自由主義とたたかうために書いた十二の詩の中で、この賛美歌は「聖なる公同の教会、聖徒の交わり、御子はそのからだである教会のかしら」について書いた第九番目の詩から生まれたものです。

貧しきものの牧師と呼ばれたストーンは、「教会は人々の必要を満たすキリストの道具である」という強い信念を表しています。ロンドン東部で、貧しい人々や恵まれない人々への伝道に多くの時間を割いた彼は「つつましやかな人々のために美しい礼拝の場所を作り、そこを暗闇に射す光の中心とした」と言われています。

教会はこのような場所であるべきです。傷ついた人々のための病院であるべきで、自分本位のクリスチャンが集まる会員制クラブであっては決してなりません。教会とは、賛美と啓示、教えと交わりのために、人々が定期的に会うようにと、神ご自身がこの世界から呼び出された場所なのです。

峯岸麻子

マタイ16:15-18、Iコリ 3:11、コロサイ 1:18参照            

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1974年、二度目の留学の時にUSCのクラスメートとの出会いを思い出すと、全てが神様の御計画だったのだなあと感じています。

彼女の名前はギタ、イランからの留学生で5歳年下の美しい気品のある学生でした。最初のクラスからとても気が合いすぐに、姉妹のような関係になりました。その時はイランという国がどんな国か全くわからず、彼女からたくさんの事を学びました。

しかし、彼女はとても熱心なイスラム教徒で朝昼晩、身体を清め真剣に彼女の信じている神にひれ伏して祈りを捧げていました。あの熱心さはクリスチャンの私にはショックでした。その日からずっと彼女の救いを毎日祈り始めました。彼女の信じているアラーの神がどんな神なのかギタに聴きました。

マホメッドにある日、大天使ガブリエルが現れ啓示を与えられた。それがイスラム教の始まりだそうでした。父の子であるキリストは神であり、天の父と聖霊とを三位一体として信じている私にとって、いつの日かギタが真の神様、イエスキリストに出会えることを切に願いました。

今から7年まえに、私がハワイ在住の時、ギタはUSCで職を得ていましたが、同僚に誘われて教会に初めて行きました。牧師の説教を通して生けるキリストに出会い、聖霊に満たされました。そして信仰生活を始め、洗礼式を迎えました。

その時に偶然ではなく、神様の御計画に導かれて、私もロスに来ていてギタの洗礼式に出席しました。パサデナにあるプロテスタントの教会で涙ながらの証を聴きました。この動画がインターネットで流れたために、イランには戻りにくくなりましたが生けるキリストを信じて生きる喜びが溢れ出ていました。

その中でギタが、“私のために40年以上祈っていてくれた親友、あきがこの場に来ています。本当にとりなしの祈りをありがとう”と涙ながらに証ししていました。私も神様の素晴らしさに感謝しました。

今は聖霊に燃やされて毎朝、私にみ言葉を送ってくれます。         

鈴木あき



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新しいノーム: Newnorm

イエス様はここで旧約の律法を古い教えと呼び、ご自身の教え、即ち福音を新しい教えと呼ばれた。ぶどう酒とその皮袋の原則のように、古いぶどう酒は古い皮袋に入れ、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきと教えられた。同じように、ご自分の新しい教えは、古い律法という皮袋に入れるべきでなく、また古い律法という教えを、新しい教えの皮袋に入れるべきでもないと教えられた。

即ち、律法の時代の考え方と、福音の時代のものの考え方に大きな違いがあると指摘された。マタイの福音書5〜7章の山上の説教の内容を読めば、その意味がはっきりと理解されましょう。また、翻ってこの教えは、新時代にはその時代が要求するもので対応せよとも解釈できよう。

iphone/ipadの出現:ここ10年、私たちはiPhone, iPadの活用が膨大な上昇率で拡大し、手のひらのアイホーンで何でも出来る時代となりつつあります。以前こんな冗談を言ったものです、”私の小切手を Fax するから、貰っていいよ”、と。今は ID泥棒、バーチャル・バンキングでウカウカこんな冗談は禁物です。

スマホーンのIT時代に対応できない我ら高齢者、或いはITを避けている者は益々ついていけない時代になりました。コロナウイルス・パンデミックと重なり、ITの活用範囲は拡散し、新ノームのチャレンジと対応していかねばなりません。

これまで要求されなかったものが日常要求されるものとなりました。コンピューターが嫌だから、学びたくない等と言えない時代です。その様な言い訳は自分が取り残される時代、リーダーシップがないリーダーです。時代とともに新ノームが創造されていく、変化に対する対応がいつの時代にもリーダーの素質です。

新ノーム・Newnorm:この意味はこれまで普通でなかったものが普通になってきたことをいう。ロックダウで昼間何時間も家にいることが普通になった。それで以前よりも多く聖書を読むようになった。
アメリカ人はお金を節約するようになった。これらは新ノーム一例です。教会としては礼拝の持ち方、諸集会の持ち方が新しくなりました。3月の暮れからライブ礼拝、祈祷会もズームで再開するようになり、教会にとって新しい試みで、メッセージも賛美も奉仕者もライブでビデオで流れ、間違いも、言い訳もできません。

それからズームの活用も新ノームとなり、私はかろうじてズームを二ヶ月前から学びだしました。今はズームの時代、礼拝堂がなくても、一人一人が賛美し、メッセージも好きなところで録音され、編集者が各部分を巧みにつなぎ合せ、編集して礼拝が作りあげられるという便利な礼拝形式です。今は、多くの教会の礼拝形式はズームを介していると言う。

新礼拝媒体:会社はズーム媒体を会合や会議に取り入れ大いに用いている。私達は先月から祈祷会はズームで開き、10人前後の参加のお顔がスクリーンに現れる。教会にわざわざ行かなくても、勉強室、どこででも祈祷会に参加出来ます。多くの時間が節約出来ます。このような便利で、非常時の技術の恩恵はまさに福音の武器でありましょう。GVICには5人のズーム・グループがいて、私達を助けて下さいます。

黒澤姉、鈴木兄(俊)、キム明子姉、河野姉、そうして 榊原姉(結婚されて松本姉)。
5人の皆様に感謝申しあげます。

世代の交代: 私達は世代の交代は単に年齢的交代と考えてはいけません。それは時代に対応できない、新時代のニーズに応えられない事とも言えましょう。新ノームを果たせないではリーダーシップの責任を果たせないからです。新しいぶどう酒には相応しい皮袋があるのです。

私達が新時代の新ノームについていけない時、それは新時代の世代を喜び迎え入れ、自らは静かに道を譲るべきでしょう。私達はモーセがヨシュアに引き継いだ時、ダビデ王がソロモンに引き継いだ時、祝福をもって新世代に道を譲り、静かにバトンタッチをした姿をみたい。

ズームの新星と共に、さらに新しい皮袋も準備しなければと、神様は世代交代の道をも示しておられるのでありましょう。

前原利夫



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今年の独立記念日は、おおやけでの花火大会が禁止されたために、かえって個人単位で花火を上げる人々が多く、どこでも花火が許可されている市では当日夜中まであちこちで花火の音がきこえたようです。

花火を見ていつも思い出すのは鹿鳴館時代の舞踏会を書いた芥川龍之介の短編です。17歳の主人公の明子が父親に連れられて初めて鹿鳴館での舞踏会に招かれ、出席します。

明子はそこで出会った仏蘭西(フランス)人の海軍将校にダンスを誘われ、一晩中、一緒にダンスを踊って過ごすのですが、二人の中に漂う淡い恋が美しく描かれています。その中で花火が出てきます。その花火について、このフランスの将校が明子に向かって、花火のことをフランス語でいうヴィ(生)のようだといいます。

花火はあっという間にその美しさを見せて散ります。私達の人生もそうですね。ついこの間、結婚し、ついこの間子供が生まれ、そして、・・・・

でも聖書の詩篇にありますように私達クリスチャンはこの短い地上での生活でも一つの事だけを願います。詩篇27篇の4節です。

命のある限り、主の宮に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを

そしてこれに曲がつけられ、魂に訴える賛美になっているのですが調べたところ、1984年Stuart Scott作、マンハッタンミュージック社より、世に出たものだということ以外わかりませんでしたが、なんとわれらが織田先生がミシガン州にいた2003年に日本語訳をなさっています。

「ただひとつ私の願い求めは、主の家にすまうことを いのちのかぎり うるわしき主を仰ぎ見て、主の宮に住み、主を思う。」

そして、わが教会の黒澤倫子さんがすばらしい賛美をしてくださっていますので、是非おききください。

イー弘美

「多くの人は道(way)があるならば、志(will)してみようと言いますが、志(will)あるところに、必ず道(way)あり」と尊敬する牧師から渡米する時にこの励ましの言葉を頂いた。

この真理を深く握り、神と一体で生きる喜びをと18歳でアメリカに留学することができました。

まずロスに着き、私の英語が全然通じないことがわかり大変でした。そしてそれに加えて驚いたことはあまりにも文化が異なり、習慣の違いなどで戸惑うことが多々ありました。

ただこの御言葉を信じ、聖書を離さず祈り歩む時に、神様が一つ一つ私の志の道を開いてくださいました。恐れなどは全くなく、神様が必ず最善に導いてくださると信じ、実際そのようにして下さいました。毎朝、神様は御言葉を通して新たなる力と喜びを与えてくださいました。

志あれば必ず道は開けると信じて動きだし、困難な状況下に置かれても信ずる如くなると生きれば、神が助けられ、神と一体で生きることができる。

どんなに生きずまった状態にも、神の愛と善意にすがって、必死に祈る時、必ず救いの道があり、神が助けようとして道を開いてくださいました。

マザーテレサが「もし本当に祈りたいのなら神の声を聴くことを学ばなければなりません。心の静けさの中で神は語り掛けるのです。そしてその静けさが必要であり、清い心が与えられたときにそのことが実現します。」と語られた。

失敗もたくさんしましたが全てを益として導いてくださりました。人間の思いをはるかに超えて、神が愛であり、神は私の為に道を開き, 私の希望を実現させ、繁栄と幸福に生きる希望に満ちた生活にと導いてくださった。

「意志するところ道は存在する」なぜなら、神が人間の善き意志には応え、助け、道を開いてくださるからです。

「神を信ぜよ!」と言う聖書の言葉を握り、神の愛と力を仰いで事を行うとき、どんなことでもなると信じ歩み続けている。

主に栄光 ハレルヤ!

鈴木あき



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8月号は戸羽正一兄のお証しを紹介致します。大きな深い困難の中からついに神様と出会う体験は感動的です。もし、このような困難や悲しみが貴方や私が経験したら、果たして神様を信じていたであろうか、いや神様を呪い、教会を呪い、信仰を嘲笑っていたのではなかろうかと思わされます。

私達前原家は戸羽兄が教会に来られる前から存じ上げていたご夫妻でした。それは、娘の愛子が、天にお帰りになられた尚子奥様からピアノのレッスンを受けていたからです。当時はまだGVIC は初めていませんでしたが、やがてご夫妻をお誘いするようになりました。暫くして奥様が亡くなられ、戸羽さんも手術を受けられたと聞き、お見舞いに参じました。二度目の病院訪問のときは同兄が全身動けずベットに横たわっていたあの光景はショックで私の脳裏から消える事はありまません。どうぞ、祈りつつお読み下さい。前原利夫

証:「主に委ね、勝利への道」 戸羽正一

COVID-19の 蔓延の為 他人との接触を避けて過ごす毎日、余裕の時間を利用して、聖書を読みました. 特にインスピレーションの湧く詩篇を朗読しています。私がこのGVIC教会を訪ねたのはピアニストだった亡妻が未だ元気でいた頃の14年前のことです。其れ以前の数年の間、すでに、彼女の腎臓は悪くなっており、透析を続けていましたが、体力がなくなり、移植が唯一の救う方法でした。然し、U.S.国内では、マッチする腎臓を得ることがほぼ不可能なため、移植を他国に求め、やっと、フイリピンで、マッチする腎臓をお金で買える事になったのです。

2007年の12月初旬に、入院しましたが、数時間後、昏睡状態で手術室から出て来ました。正常な意識に戻らないまま、急に、死を知らされたのです。驚き、呆然として、病院の地下部屋のモルグの一角に、ミクロの個体となった亡骸を抱きかかえて、唯々、号泣する自分でした。

彼女の沖縄の親戚と共に火葬と葬儀を現地で済ませ、LOS ANGELESに、単身で戻ったのは、翌年の2008年の1月末でした。暫くは何も手につかず、無気力なままの毎日でしたが、これを機会に長年勤めたTOYOTA(TMS)から退職を計画する内、今度は、自分の健康管理に注意するべく決心しましたが、自分の右腕に“痺れ”を感じ、主治医に神経外科医を紹介してもらい、首の MRIの断層写真で診断の結果、2008年の8月末に、ついに、外科手術をすることに決心します。

2時間の手術を終えて病室へ移動しましたが、その日の午前0時を回った頃、目が覚め、自分の両手の指先が曲がり、両脚が動かなくなっていたのに、仰天し、看護婦に叫び続けました。担当医者が事後のオープン手術を行ったところ、不適切な手術処理の為、両脚が動かなくなっていたのです。2度までも悲劇的運命に落されるとは想像をするさえできませんでした。自分の余命もその後、最長5年までなのではと、絶望感に苛まれる日々でした。

「わたしは山に向かって目を上げる。我が助けはどこから、来るだろうか、我が助けは 天と地を造られた主からくる」詩篇121篇1&2(口語訳)

その後、前原牧師に導かれ、2009年に2人の友人達と共に、GVICで洗礼を受けました。

「主によって喜びをなせ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる」詩篇37−4節

「貴方の道を主に、委ねよ、主を信頼せよ。主が成し遂げてくださる」 同−5

その後、IP細胞(STEM CELL)を使った手術・治療などを ドイツ・DUSELDORFFやPANAMA-CITY(USでは未許可)に求めました。現在は毎日自宅で介護人のヘルプで1時間、全身ストレッチ体操とウェイトリフチングを励行しています。主は、12年前の絶望の崖淵から救いの手を差し伸べて下さっています。現在も生きる勇気と、そのた為の糧を下さっています。

更に、財政的な自由の恵みも下さいました。信頼できる人柄の フィリピン人の兄弟組の介護人と巡り会わせ、長期直接契約で、自宅に共に起居してくれていますので、家族のように大切にしています。趣味は、読書、CLASSIC MUSICや Los Angeles Opera定期公演購読者。こうして、聖書に親しみ、自らの道を主に求め、「主イエスに身を委ね」続けています。そうすれば「主が成し遂げてくださる」のだと思います。 



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