留学当時、私を教会に誘ってくれた友人は、信仰についてもよく話してくれました。例えば、私が「自分は正しくない者だから教会に行くには相応しくない」と言うと、彼女は「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人」(マタイ9:12)だから、そう思うほど教会に行くべきだと言ってくれました。

日本の教会の友人達も私が受洗に導かれるように祈ってくれていたようで、機会があるごとに十字架の贖いの話しをしてくれました。話しを聞きながら私は、聖書の基準で見るとき、自分には罪があるので、天国に行くのは難しいと思いました。

何故なら、聖書における罪とは「行い」だけでなく「思いによる罪」も含まれるので、例えば、心の中で人を憎んだら「殺人」(1ヨハネ3:15)、もしも、人を羨んで嫉妬したら「ねたみ」(ガラテヤ5:19~21)という罪になってしまうからでした。

でも、その友人は罪を悔い改め、イエス様を自分の救い主として信じるなら、現在・過去・未来すべての罪が赦され(使徒10:43)、天国に行くことが出来ると言いました。ただし、そのチャンスは、生きている命のあるうちしかないとも付け加えました。

その時、私は「救いのチャンス」には期限があり、死んでからでは遅いことに気付きました。だから、生かされている今!チャンスのあるうちに信仰告白をし、イエス様を自分の救い主として受け入れたい!そして、信じて、従って行きたいと思いました。

それは、ローマ書10章9、10節に「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」と記録されているからでした。

この留学時代の経験や友人を通して、私は再び教会に通い始めました。

川口朋子

聖書引用:聖書 新改訳
©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会
       


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今年のイースターは4月21日にあたり、その前の週は受難週です。今号はイエス様の受難、次号では復活を考えてみましょう。イエス様の苦難は ゲッセマネの園の血の汗を流す祈り、ユダの裏切り、ペテロの三度の否み、ユダヤ人による捕縛、ピラトの下での裁判、そして十字架の死で肉体的、霊的受難の極限に達します。ゲッセマネの祈りでみこころがなりますようにと祈られた主は、十字架の上で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)と祈られた。父なる神の御心を求めながら父に見捨てられたメシヤの苦難の深さを知る術はありません。

今号のテーマはこの様な苦難をイエス様はどう乗り超えられたか、それは一言で言えるものではないが「沈黙」ではなかったか。「イエスは黙っておられた」、「イエスは一言もお答えにならなかった」、「イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった」と大祭司、総督ピラトや長老達の前に沈黙で対応された。

1) ゲッセマネの祈り:

イエス様はよくお一人で祈られました。バプテスマのヨハネがヘロデ王の下で首をはねられ殉教した時も世から静かに退き祈りました。ゲッセマネの祈りは最後の晩餐の後の祈りで、ご自分の時が目の前にあることをご存知でした。この時、3人の弟子達を同行しての祈りでした。彼等の執り成しの祈りを期待してのことであろう。

しかし、ここでもイエスの期待に応える弟子たちではありませんでした。イエス様はご自分の痛みを忘れたかの様に、弟子達を三度も励ましますが、私達のように弱い彼等でした。イエス様は血の汗を流しつつ、迎える十字架の死、罪の贖いの苦しみの中祈りました。苦難に勝利する沈黙はこのような祈りの戦い、御心を求める中から会得するものではないか。

2) 旧約聖書に立つ沈黙:

イエスの十字架はマタイの26、27章のテーマですが、他の福音書にも並行記事があるとおりです。イエス様はこの受ける苦難は当然であり、避けられない苦難である事を旧約聖書を拠り所としておられる。大祭司、律法学者、長老達を目の前に人の子は自分について書いてあるとおり去っていく、また彼等に捕縛された時、預言者たちの書いたことが成就するためであると語られた。

ご自分がイスラエルが待ち望んでいたメシヤである事をはっきりと言われた。だから、大祭司があなたは神の子キリストかと聞かれた時、イエス様は「あなたの言うとおりである」と答えられた。多くの偽証、侮り、侮辱、嘲弄に沈黙を守りながらも語るべき真実、真理については憚らない。イザヤ書53章は苦難のメシヤがひたすら沈黙することを記録しています。

3) 剣に代へて沈黙:

裏切り者のユダが大祭司を捕縛に案内した時、ペテロは大祭司に仕える僕の耳を切り落としたとあります。イエス様はその僕の耳に触れてお癒しになりました。そして「剣をとる者はみな、剣で滅びる」と戒められた。それは武力行為、たとい正当な理由であっても、剣をとる事を禁じられました。ご自分を裏切る人に、また不当に裁く宗教家や政治家に対してです。イエス様は天の父に願えば「天の使いたちを12軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うか」とご自分を守る軍団がおられる事を言われた。

古代ローマ兵の1軍団兵は5,000 – 6,000兵士からなるという。剣をとる者は剣で滅びると教えられたイエス様はご自分も武力をもって裏切り、不当な裁判に応戦しまんでした。ただ沈黙を守られた。イザヤ書2:4「、、、こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国に向かって、つるぎをあげず、、」と、ご自分が平和の君である事を敵の中で証された。

私達はこの地上で様々な試練、予期せぬ悪口、侮り、侮辱等を受けるものです。身じかな人からは辛いものである。しっぺ返しの誘惑に負けないようにイエス様のように「一言も答えられない」沈黙の力を学びたいものです。神様は私たちが耐えられないような試練は下さらない。「イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らはなにをしているのか、わからずにいるのです。』」と十字架の上から祈られた。(ルカ23:34)

沈黙は力、勝利です!    

前原利夫


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O love that wilt not let me go.

「主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」  エレミヤ書31:3

多くの思いが注がれ、芸術的な構成で産み出されたこの讃美歌の歌詞は、本当に素晴らしいものです。これは、敬愛されていたスコットランド人牧師、ジョージ・マチソンにより書かれました。

全盲であった彼は、執筆活動を「大いなる心の苦しみが生み出す実」と表現しています。目の見えない彼は、「心の苦しみ」を通じて様々なことを思い描きながら、歌詞を紡ぎ出したのでした。

はっきりとした証拠はありませんが、この讃美は妹の結婚式に際し、マチソンが自分の過去を振り返り書いたというのが通説となっています。当時、マチソンは、大学時代に知り合った女性と婚約をしていました。

しかし、妹の結婚式直前に、マチソンの視力が遠からず完全に失われるという診断がなされました。そしてマチソンがその事実を婚約者に伝えると、彼女は「私は、全盲の牧師の奥さんにはなりたくありません」と言ったのです。

恋人に拒否されるという苦い思い出を引きずっていたマチソン。だからこそ、決して破られることのない永遠の愛を思い、このように美しい歌詞を生みだすことが出来たのかもしれません。

この地での人間としての苦しみや困難があったとしても、神の永遠の愛の内に休みましょう。この讃美の歌詞が、そのようなあなたの心の支えになりますように。

峰岸麻子

ローマ8:35-39、Ⅰジョン3:1、黙示録1:5、6参照
Taken from [Amazing Grace] ©Copyright
September 22, 2017, Kenneth Osbeck,.
Published by Kregel Publications,Grand Rapids, MI
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幼い頃から外国の文化や言語に強い関心を持っていた私は大学卒業後、海外に9年間留学をしていました。仕事でも5年ほど海外勤務をしていたので、これまで多くの時間を異文化の人達と共に過ごして来ました。憧れの海外生活でしたが、その中で多くの葛藤も経験しました。

例えば、歴史認識の違いによる文化的な摩擦などでしたが、それらは決して自分では解決することの出来ない問題でした。何故なら、植民地支配など自分がしていない事で責められ続けるからでした。そんな時、すごく教会に行きたいと思いました。マタイ11章28節の「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」という御言葉が頭に浮かんだからでした。

当時、私が滞在していたのは、街中に教会が溢れ世界中に4千人を超える宣教師を派遣している国でしたが、私はそこで聖書的世界観よりも民族性を強く感じました。これまで日曜学校で学んだ通りであれば、人の罪を贖うことが出来るのは「罪のない神の独り子イエス様」だけです。

でも、私は「すべての人は、罪を犯した。」(ローマ3:23) とあるように聖書の基準において「罪びと」です。だから、人の罪の身代わりにはなれないと思いましたが、現地の人達に先祖の罪を問われ続ける環境にあったからでした。

聖書の別の個所には「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。」(ルカ6:37)、「互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ3:13) とあります。御言葉を通して神様は繰り返し「赦し」について教えています。

それなのに、どうして私はクリスチャンの多いこの国で、赦される事なく責められ続けるのだろう?しかも他人の犯した罪で… 次々と疑問が湧いてきました。そんな時、同じ学校のクリスチャンが私を教会に誘ってくれました。

川口朋子

聖書引用:聖書 新改訳
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「主はヨセフのゆえにそのエジプびとの家を恵まれたので、主の恵みは彼の家と畑とにあるすべての持ち物におよんだ。」 創世記39章5節

創世記のヨセフのサクセスストーリーは実にドラマそのものである。また、これ程に人を励まし勇気づける聖書物語は少ない。17歳の頃に異母兄弟達に虐められ、エジプトに奴隷として売り飛ばされ、罪の濡れ衣を被り、獄屋にぶち込まれ、そこから這い上がってエジプトの総裁の身分にまで出世したストリーは痛快そのもの。

何度読んでも飽きることはない。神でなければ作れないシナリオだ。読む度に新鮮なアイデアが生まれてくるようである。先ず、彼が成功する前、即ち仕える身分であるのに、周囲の人を祝福して富ましていくことだ。私達もそのように人様の祝福になりたい。

1. 貧しくても人を富ますことが出来る:


私たちは先ず自分の成功、祝福を第一に優先する。それは誰も咎めることができない。自分が健康でなければ人を強くすることができず、自分が豊かになって初めて人を恵むことが出来ると考える。人助けは自分から始まり、それから人様を考える、これは常識です。ところが、ヨセフの場合はエジプトの役人に仕える身で、その主人の財産を増やしていく。

番頭さんが主人を祝福する逆転の姿です。持てる人を更に豊かにしながら妬みがない。冒頭のみ言葉にあるように「主はヨセフのゆえに、、」 役人ポテパルの財産、所有物をどんどん増していく。ヨセフは奴隷の身分で仕えているのだが。ヨセフの父ヤコブが若い頃、叔父のラバンに仕えていた事を思い出す。兄エサウから逃れてハランの地で20年奉公するが、ヤコブの働きが叔父の財産を増やしていく。

彼はヤコブが祝福をもたらす事を知りカナンの地に帰そうとしない。その子ヨセフも自分は何も持たない。でも人を富ます不思議な器であった。この姿はイエス様の姿ではないか。

2. 逆境の中でも富むことが出来る:


私達は富む条件に整えられた環境は必須と考える。逆境、不利な状況の中では自分の力、リソースは生かされないという先入観があるからだ。確かに向かい風よりも追い風が吹くと帆船も人生も楽です。

いつも追い風の様に環境が整えられ、自力に外部の力が加わると思うように事が進むでしょう。しかし、ヨセフは仕えながら周囲を富まし、逆境の中で自ら富む者となった。彼の父も長い奉公の中で富む者となった。ヨセフはエジプトでは最悪の奴隷の身分、そしてポテパルの妻の誘惑事件で自由を剥奪されて獄屋にぶちこまれ、そこで信頼を受けて獄屋の責任者となる。言うまでもない、彼の10人の兄弟はヨセフを妬み、井戸に放り込み、エジプト行きの商売人に売り渡した。

ところがその様な逆境の中から、僅か13年でエジプトの総裁の身分となる。奴隷から獄屋へそして総裁の座へ!後は、彼のスクセス・ストリートが続く。 私達が逆境の中では富めないと考えているときは、主が共におられるという信仰の基本を忘れている。もし、主が共にいませば、不可能はないという信仰でどの様な環境をも受け止め、進むことを教えられる。主が共におられる時、主が私達に代わって働かれるからだ。

 

3. 主が共におられるから:


ヨセフの歩みを辿ると、そこに主がヨセフの傍におられると繰り返し記録されている。インマニュエルの神が投げ込まれた井戸に、閉じ込められた獄屋に、またパロの夢の解き明かしの傍におられたのです。

父ヤコブは臨終の床で12人の子の将来を予言し祝福する。以下はヨセフへの特別な祝福である; 「ヨセフは実を結ぶ若木、泉のほとりの実を結ぶ木、その枝はかきねを超えるであろう。」「あなたを助ける父の神により、また上なる天の祝福、下に横たわる淵の祝福、乳ぶさと胎の祝福をもって、あなたを恵まれる全能者による。」(創世記49:22、25)

父はヨセフが神の恵みで祝福された子供であることを十分知っていた。私達の存在が周囲の人々の祝福となり、益となれると考えたことがあるでしょうか。

もし、逆な事を期待しているなら、神はこのような小さい私達をも用いて下さることを信じよう。貴方が神の傍に立たなくても、神はいつも貴方の傍におられる。信じますか。
パウロは「だれでも、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるべきである。」と教える。 (第一コリント10:24)            

前原利夫


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私は、祖母と母がクリスチャンでしたので、幼い頃から毎週日曜学校に通っていました。そこでは聖書の話しを聞いたり、聖句を暗証したりしていました。また、クリスマスにはイエス様ご降誕の劇をしたり、イースターの時には卵をもらったりしていました。

でも、当時は信仰がありませんでしたので、教会では聖書を開いたりしましたが、家では全く読んでいませんでした。聖書は、ただ教会に行く時に持って行く本だと思っていました。聖書の約6割は物語ですが、私はそれらの話しを聞くときも決して真実だとは思わず、ただ昔話しのように聞いていました。それは、週に1度せっかく教会で創造論について習っても、残り6日は学校で進化論の教育を受けていたからでした。

信仰を持たずに通っていた教会だったので、高校入学以降あまり出席しなくなり、だんだん教会から離れて行くようになりました。行きたくなくなった理由としては、まず世間の常識に反する聖書の教えに同意することが出来なかったからでした。例えば、マタイ5章44節の「敵を愛しなさい」、使徒行伝20章35節の「受けるよりは与える方が幸いである」などでしたが、いつも何故だろう?と疑問に思っていました。

次に、クリスチャンは、とても窮屈だと思っていたからでした。聖書に出てくる神様の命令や律法をすべて守らないといけないと思い違いをしていたので、自分のしたい事ができず、したくない事をさせられると思っていたからでした。

最後の理由としては、教会で聞く話しがとても正気では信じられない事だったからでした。2000年前にイエスと言う人が十字架の上で亡くなった。それは自分の罪の為。その事実を信じて受け入れるなら天国に行き、そうでなければ地獄に行く。この教理をずっと理解できずにいました。

それに2000年前に亡くなったその人と自分が何の関係があるのか?も全く分かりませんでした。だから、ずっと洗礼も受ける気にはなりませんでした。  

川口朋子


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「主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」      詩篇37:3-5

「風吹く夜も」「天地は崩れ去るとも」、「我、主にすがらん」「小さくあれど、信仰抱きて」こうした歌詞のひとつひとつから、私たちは大切ことを学ぶことができます。どのように問題を解決できるか、あるいは人生がどのように進んでいくのかと思い、人間は常に先のことを知りたがります。

ひたすらに主を信じ、喜び、主にゆだねる人生を歩む代わりに、将来を心配することに多くのエネルギーを費やし、時間を無駄に過ごしてしまうのです。ひたすらに主を信じ、喜び、主にゆだねる・・・。これこそが、私たちが問題に直面する時、そして責任ある明日に向かう時に、主の強さと知恵を見出す方法なのです。

無名の、しかし熱心な一般信者だったエドガー・スタイテスは、「神の御霊の導きあれば」「などか怖ずべき」という霊的な真理を学び、この聖歌を作りました。神が導く道は、私たちが選ぶであろう道よりもはるかに素晴らしい道なのです。

スタイテスは、ニュージャージー州のメソジスト教会に通う熱心な信者でした。独立戦争に従軍した後、川船の船長と務め、後にダコタで家庭宣教師となり、「われは幼子」以外にも有名な聖歌を生みだしています。

1876年に新聞に掲載された「われは幼子」の詩は福音伝道者のムーディーに預けられ、彼のアシスタントであるアイラ・サンキーが曲を付けました。彼らの伝道集会で広く歌われた後、子供のような信仰を美しく描き出したこの聖歌は何年もの間、多くのクリスチャンの心をとらえています。

峰岸麻子

申命記33:25、詩篇84:11、箴言3:5、エペソ6:16、第一ヨハネ5:4、5参照
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「そして、御言を行う人になりなさい。、、、」
ヤコブの手紙1章22節

新年おめでとうございます!
新しい2019年は冒頭のみ言葉をご一緒に実行する者として成長したいと願います。

”行う人”になるには、それなりの意思強固、信仰が求められます。 「言わ易く、行いは難く」と言われるとおりです。言行不一致ではこの世の中では通用しません。不言実行型でなければなりません。

成功の秘訣をご披露:以前、こんなビジネスセミナーが大阪のホテルであったそうです。セミナーの講師は成功した家具店の社長、当然聞きに来た多くの出席者は同業者の家具店を経営している競争会社の人達であった。

講師は彼の経営理念、その成功の秘訣を一つ一つ丁寧に競争会社を前にご披露した。同業者たちは大変感動してセミナーに聞きいったという。セミナーが終わり記者会見となりました。「大勢の同業者、競争会社の前でどうして成功の秘訣を教えたんですか。御社に影響すると思いませんか」と記者が質問しました。講師は答えました「秘訣を聞いても、皆な実行しないから心配ないよ。」と。

賢い人、愚かな人:イエス様は山上の説教(マタイ5〜7章)で「、、、であれ」「、、、であれ」と何度も何度も繰り返します。それは私たちの霊的な状態を整えなさいということです。しかし、説教の結びである7章では、わたしの話を聞いても行わない者は「砂の上に自分の家を建てた愚かな人」と呼んでおられる。イエス様が説教を終わられると群衆はその教えに感動して、律法学者のようではなく、権威ある者のようだと教えを称賛した。

けれど、教えの素晴らしさを称賛しても、群衆の中から何人がイエス様を信じたでしょうか。また、イエス様はこうも言われた「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人」と呼んでいる。

 成功したいと願いながら、その秘訣を聞き、教えられても実行しない人は確かに愚かな人です。成功の機会が与えられているが実行しない。神の国に招かれ、門が開かれ、救いの道が開かれているのにすすみ入ろうとしないなら、私達は確かに愚か者とよばれるであろう。

父が望む子供:イエス様はパリサイ人にむかいこんな譬を語られた(マタイ21章参照)。ぶどう園を経営しているお父さんに二人の子供がいて、兄にぶどう園で働けと言いました。兄は「おとうさん、参ります」と生きのいい返事したが、でも行きませんでした。弟は「いやです」と断ったが、心を変えて、ぶどう園に向かいました。父の望み通りにした子は誰かいうまでもない。

  ”そして”の接続詞:冒頭のみ言葉を考えてみましょう。「そして、御言を行う人になりなさい、、、」。 ”そして”という接続詞があるのは大事な点です。この”そして”は前の節から続き、繋がっているという意味ですね。前節を読みますと、一つは「心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい」とあります。明らかに、神の言葉の種が蒔かれたクリスチャンの心です。従って、行う人は心に蒔かれたみ言葉に従って事を行うべき、これが原則になります。

心の中にあるみ言葉を無視したり鎮圧してはなりません。もう一つは、「御言には、あなたがたのたましいを救う力がある・」とあります。ですから、自らの魂を損なうような行いではなく、魂を救いに導く行いでなけれななりません。ここで、まとめると魂に蓄えられたみ言葉に従い、救いに至るような行いが求められていると解釈できよう。

「そして、御言を行う人になりなさい。」この言葉に「おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはならない。」と続きます。聞いて実行しない人をおのれを欺く人だとヤコブは厳しく諭します。聞いた言葉がたとえ自分の益になる事でも、それをしっかり実行する人は少ないです。 イエス様はこのような人を愚かな人と言っておられる。愚かになりたくありません!

新年、今年こそ、御言を行う者となりましょう、一人で頑張らずに、お互い助け合い、励し合い、御言を行う賢い人となりたく願います。

Happy New Year 2019!
              
前原利夫


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「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿夜番をしながら羊の群れを見守っていた。」ルカ 2:8

この美しい旋律を奏でる祝歌を歌わずして、クリスマスの季節を終えることはできません。それほど有名なこの聖歌ですが、その起源についてはほとんど知られていません。

「牧人ひつじを」は15世紀のフランスで誕生したと言われています。英語の題名にある「Noel」はフランス語であり、「誕生日」を意味するラテン語を起源とする言葉です。この歌はフランスの吟遊詩人の口をとおしてイギリスに伝わり、クリスマス・イブに好んで歌われるようになりました。クリスマス・イブになると村人全員が集まり、賛美と祝福をもって村にユールログ(イブに燃やす大薪。ブッシュドノエルのケーキの原型)を持ち込みますが、その時によく歌われました。当時、クリスマスの祝歌は宗教行事に合わせた流行りの歌として捉えられており、教会内で歌うよりも、一般の人々の間で歌うものと考えられていたのです。

生き生きとしたキリスト生誕の話を描き出す歌詞。歌の中で、喜びと共に繰り返される「Noel」という言葉。それはつまり、「ハッピーバースデー」の歌を歌っていることに他なりません。「貧しい牧人」に対してだけ知らされた「イスラエルの王」の誕生。しかし、最後の6節にある「すべての人が心を合わせ」、「キリストの血により人類が贖われた」という歌詞により、キリストがこの世界のすべてを救うために来られたことを私たちに思い出させてくれる・・・。それは大変興味深い展開だと思いませんか?

峰岸麻子

マタイ2:1-12、ルカ 2:8-20参照

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日本では「終活」という言葉が流行っている。人生の終末をどう締めくくるかということのようだ。私もその終末を迎えて自分の人生を回顧している。

私は生涯で4度,死から救われている。一度は幼年時代、生まれ故郷ハワイの海で溺れかけた時。

二度目は父の赴任先の沖縄で喘息発作で危うく呼吸困難になった時。

三度目は日米戦争末期、名古屋での米軍による焼夷弾空襲の時;四度目は1997年、前立腺癌を放射線療法で癒された時。

と、いずれも神様に救われたことで一生忘れ得ない感謝で今日まで生きてきている。そして多くの肉親の死を見てきている。

人は生きている限り死と常に直面しながら、神様によって生かされている存在である。

私の人生は能の舞台の「序破急」ではなく、「破急序」であったように思う。幼少年時代の死の恐怖から始まった「破」の時代、そして青年、熟年時代の慌ただしい「急」の時代、晩年の静かな「序」の時代と時が流れてきたように思う。

年の暮れは兎角、慌ただしいと言われるが、人生の黄昏はそれほどでもない。神様は人生の結末にあたって、ゆっくりとした癒しの時間を与えてくださっているように思う。

昨年の7月に、友人の勧めで当教会の礼拝に出席するようになった。そして、私はそれまでの10年近い冬眠状態の信仰生活から目覚めることができた。

お陰で多くの教会員とも交流でき、人生を語り合う友にも出会えた。何という神様の恵みであろうか。

乱れがちだったこれまでの人生の歯車が正常に回り始めた気さえする。もちろん、まだまだ生ぬるい信仰であるが、来年こそもっと根強い信仰生活を歩みたいと祈っている。

引き続き牧師先生ご夫妻始め、教会員各位の心の支えを仰ぎたいと願ってやまない。

サムエル北村

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