無事に実家に戻った後は日々仕事に追われ、充実しているようで刹那的な生活を送っていましたが、2009年結婚に伴い、夫の駐在勤務で南カリフォルニアに移り住む事となりました。

海外生活が初めてだった私は、アメリカ人の友人が欲しい&英語が話したいという動機で、英語のバイブルスタディに参加するようになりました。

毎週数人の姉妹達が自宅を訪れ、私1人に対して時間を割いて聖書を教えてくれる…どうしてこの人達はここまで私に親身になってくれるのだろう?と、その熱意に不思議な思いでいましたが、彼女達はいつも「あなたがJesusを知る事が私達の願いだから」と真剣に、時には涙ぐんで話していました。

その思いに応えたいという気持ちもあり、私自身も熱心に聖書を開くようになってしばらく、有名な”放蕩息子のたとえ”の箇所を読む機会が訪れました。

私にとってはその一文一文がまさに自分の過去を見るようで、そこで恥ずかしさと共に、忘れかけていた「赦された喜び」が今一度思い起こされたのです。

かつて母が私に示してくれた愛を通して、神様が私に個人的に示して下さっている無条件の愛が”体験”として理解出来ました。こんな私をも愛して下さるなら、素直に委ねて受け入れられたいと、心から思えたのです。以前は主に委ねる人生を歩む母を馬鹿にしていた、高慢で自己中心の私は180°変えられました。

こうして2010年秋に洗礼を受けたのですが、その際に日本から届いた母の手紙には、99匹の羊のたとえと、母が私の救いの為に10年祈りを積んでいてくれた事が書かれていました。主は祈る者に必ず応えて下さる。これほど励まされる真実はありません。

その後、日本語での聖書の学びや交わりの必要を感じ始めた私は、GVICで開かれたコンサートに訪れた事を機に、日本帰国までの1年余りをGVICでも過ごさせて頂くようになります。右も左も分からなかった幼い私を温かく迎え入れて下さったGVICの皆様には感謝の思いでいっぱいです。

そして、2012年頭に夫が栃木県へ転勤となり、日本に帰国致しました。(次回、日本での信仰生活について)

黒澤倫子



ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
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四福音書はそれぞれ特徴がありイエス伝を語っている。マタイの福音書は「王」としてイエスを描き、マルコは「人の子」、ルカは「メシヤ・救い主」、そしてヨハネは「神の子」として描いている。

四福音書の共通のテーマはイエスは救い主であり、神であられ、受肉して人類の罪の贖いのために十字架にかかり死に、そして三日目に復活されたと記録している。新約聖書全体はイエスの救いは唯一であり、唯一の信仰のモデルであり、この方をとうしてのみ天国に行けると証言している。イエスは救い、信仰、御国への道である。

 1) 「この人による以外に救いはない」使徒行伝4:12

この言葉はペテロとヨハネが大祭司の一族、律法学者、役人、イスラエルの指導者の前で恐れもなく宣言した言葉である。二人は生まれながらの足のきかない男を宮で癒した。その癒しはナザレ人イエス・キリストの名前で本来の足に完全に戻しました。

癒された男の奇跡は、イエスを信じる多くの人々を興し、イエスの名前がエルサレム中に広がり始めた。使徒達がイエスの復活の話をすると5000人の大勢の人達が信じた。その前に3000人の群衆がイエスを信じているから、ペンテコステ以来短時間で8000人の新弟子がエルサレムに満ち溢れた。

従来のユダヤ教の指導者たちがこの新宗教に恐れをなした。彼らは弟子達を捕え、投獄、処刑、迫害へと伸ばして行った。

このようなアンチ・キリスト教の環境でペテロやヨハネがこの人以外に救いはない、私たちを救う方はこの人以外に天下の誰にも与えられてないと正面きってチャレンジした。弟子達は迫害の波に乗るかのように唯一の救いの福音を伝えて進んだ行った。

2)信仰の導き手であり、また唯一の完成者である、ヘブル人への手紙12:2

イエス様は救い主、また同時にその救いを完成された唯一のモデルとなられた。イエス様の足跡を踏み歩ことは不可能ですが、私たちを前後から助けて共に歩んで下さるお方です。

天から遠く離れておられるのではなく、日々の生活の中に生きて、共に歩み、働いて下さるお方です。だからこのモデルに聞き従うことが可能です。

イエス様は恥をも厭わず十字架を忍び通したとあります、それは父なる神の右のみ座に座することが約束されていたからです。その光栄に預かるには十字架の苦しみでさえも取るに足りない苦しみでした。

私達が信仰を持つ事は安心立命を求めてではありません。この地上には多くの苦難、困難、また迫害が必ず襲って来るものです。しかし、やがて来るべき世界で受けるべき報酬、祝福は私達のイマージネイションをはるかに超えるものでありましょう。

3)唯一の道、唯一の真理、唯一の命である、ヨハネの福音書14:6

イエスの名声が高まり、また一方ユダヤ人達の陰謀も深くなってきた頃である。イエスは弟子達とガリラヤ湖の北ピリポ・カイザリヤの地方におられた時、イエスは弟子達に「人々は人の子を誰と言っているか」と尋ねられた。

弟子達はバプテスマのヨハネ、エリヤ、あるいは預言者の一人であると答えました。ペテロは「あなたこそ生ける神の子キリストです」とお答えになられた。

ペテロの告白はもっともである。おおよそ3年半イエスと寝起きし、神の子の生き様、愛、奇跡の業を日々目撃してきました。この人以外に救いはない、この人以外に生ける神のキリストはいないのである。

イエスキリスは私達を救い、導き、天の父の家に道案内をして下さる唯一のお方です。 私達はやがて御国に案内を受け、永遠に主の栄光の中に生き続けます。

ですから、選択を間違えては一生どころか、永遠の不覚、取り返しができません。唯一無二の天地の創造者、全人類の救い主は、神が人となられたナザレのイエス、大工の倅であります。

前原利夫



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「だから、わたしたちは、はばからずに言おう、/「主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか」 へブル13:6

クリスチャンにとって、この世界でしっかりと安定した信仰生活を送ること、また永遠のいのちへの確信を持つための源泉は御言葉にあります。生ける神が私たちに与えてくださる導きは明白で間違いがありません。神の導きは私たちにとって確固たる基礎であり、「主はこう仰せられます」と聖書に書かれた主の啓示です。

研究者たちは、長い間この賛美歌の作者を特定できずにいます。1787年、ロンドンにあるカーター・レーン・バプテスト教会の牧師であるジョン・リッポン博士が出版した『賛美選集』の中に登場したのが最初の記録です。リッポン牧師は、当時、絶大な人気と影響力を兼ね備えた牧師の一人でした。

この賛美歌の一番は、キリスト教信仰の基礎が、神の御言葉の上に成り立っていることをはっきりと告白しています。この内容を見るときに「神ご自身の言葉以上に、人間にとって神ご自身を完璧に啓示するものなどあるだろうか?」ということを考えざるを得ません。その後の歌詞は、御言葉からの尊い約束を歌い上げる素晴らしい賛美となっています。

二番:イザヤ41:10
「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。 驚いてはならない、わたしはあなたの神である」
三番:イザヤ43:2「あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる」
四番:Ⅱコリント12:9「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」
五番:へブル13:5『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない』

峯岸麻子

詩篇46:1、118:6,7, へブル13:5,6参照
Taken from [Amazing Grace] ©Copyright
September 22, 2017, Kenneth Osbeck,
Published by Kregel Publications, Grand Rapids, MI
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私が初めて聖書に触れたのは、弟がキリスト教系の幼稚園に通っていた頃の事です。

彼が持ち帰ってきた子供用の聖書の物語が幼心に面白く、また時に恐ろしかったりして夢中で読みました。今でもその挿絵を思い出しているくらいですから、神様のプランは私が母の胎にある頃から始まっていたのだなぁと改めて思わされます。

その後、母が家族で初穂のクリスチャンとなり、私自身もカトリック系の高校に通った事もあって、キリスト教自体は身近なものとなりました。しかし、主により頼む母の姿は当時の私の価値観から見ると自分がなく依存的な態度に思え、”神を受け入れる事は弱い者のする事”と激しく拒否をしていました。

人間誰でも人生の失敗談があるかと思いますが、私にも思い出すのが恥ずかしい大きなつまづきの時期があります。

大学時代に文字通り”放蕩娘”に成り下がった私は、両親や友人達から受けた愛情も忘れ、絶縁の啖呵を切って家を飛び出し音信不通になる…という愚かな選択をしてしまいました。

周囲の心配通り、その選びには多くの試練があり、最終的に私は路頭に迷うか実家に助けを求めるか…というところまで追い詰められました。

この時にやっと「こんな自分勝手に離れていった子供を赦してくれるはずはない…でも謝るだけでも謝りたい。どんな扱いでもいいから戻りたい。」という気持ちが私の中で大きくなり、意を決して私は数年ぶりに実家に電話をかける事にしました。

電話口に出たのは母でした。私がぽつりぽつりと謝罪を述べると、母は一言の苦言も口にする事なく「無事で本当に良かった、すぐに家に戻っていらっしゃい」と、ただ両手を広げて私を迎え入れてくれたのです。

私の全てを無条件で赦し、受け入れてくれた母の愛の深さが私の心に刺さりました。

また、こんなにも母を悲しませ、苦しめてきた自分の愚かさ、罪深さも身に染みました。

こうして私は「赦される」という貴重な経験をして、両親の愛の下に戻る事が出来たのですが… (次回に続く)

黒澤 倫子



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「神の世界を見る!」創世記15章5節

「そして、彼を外に連れ出して仰せられた。『さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。』さらに仰せられた。『あなたの子孫はこのようになる。』」

2020年は全世界が自分の小さな世界に閉じ込められた年であった。それが国や州からの命令であろうと自宅という世界が活動の場となった。自粛命令の下に教会も閉鎖、ビジネスも”Essential “以外は在宅勤務、かなり解放されても、今もレストラン等のビジネスがロックダウン中である。

これらのビジネスが倒産に追いやられるのは当然だ。このような社会・生活環境の中では物事が消極的、否定的となり、前向きの発想がもぎ取られてしまう。また、現実的に前向きの計画が難しい。

アブラハムはビジョンを失いかけていた:

しかし、私たちはアメリカ市民33万人以上の命を奪い取ったコロナウイルスにいつまでも恐れてはならない。この悲劇の中でも、その束縛、閉じこもった小さな世界から、神様の声を聞き、神の世界に出て行かなければならない。

神はアブラハムを召して、大きなビションを与えました(創世記12章)。人間にとって神のビジョン達成は不可能としか思われません。100才のアブラハム、10才違いの石女のサラの間に子供ができる、そしてその根から世界に子孫が星のように増え広がる、このビジョンを信じる人間はこの世にいるであろうか。アブラハムは迷った、本当か、いや無理だ、約束を失いかけていたに違いない。

彼にはエリエゼルという信頼できる僕がいた。アブラハムはこの僕に相続させようと目論んだ、その時です、神はアブラハムを外に呼び出して

「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。そして、あなたの子孫はこのようになる」と、アブラハムの約束、信仰を回復したのです。アブラハムが義と認められたのはこの時である。

神の世界を見る:

神は実物教育の専門家であられる。アブラハムに夜空に輝く無数の星を見せて奮起させた。アブラハムは夜空の星をこれまで何度も見ていたであろう。

住まいの天幕を一歩出れば、天の河、天から降るような星の群れが手に取るように近い。しかし、神様が星を数えよと言われた時から、アブラハムの星を見る目は変わった。空の星を一つ一つ数えて、自分の懐に大事にしまったに違いない。

ついでにアブラハムの曾孫に当たるヨセフの夢に出る星も子供(兄弟たち)を指している(創世記37章)。これまでの星は神の被造物、今見る夜空の星は自分の子供達だ。アブラハムは毎晩夜空の星を数えて、ビジョン達成がいつであろうかと楽しんだに違いない。

私たちも外に出ましょう、神の声に耳を傾けましょう。そして、天を見上げ、そこに輝く星の群れを数えるロマンを楽しみましょう。神の世界を眺めよう。小さな束縛された家から、この生活環境から神の世界に出ましょう。神様はアブラハムに上のみ言葉を13章、15章、そして22章で表現を変えて繰り返している。

そして、イサクには26章、ヤコブには28章で約束を繰り返している。それは、神を信じる者が、神の世界を見る、神の大きな世界観で生きよということでありましょう。天の星のように、地のちりのように、海の砂のような無限な数、広さ、宇宙大のスケールの世界観、発想において、神に似るようにと教えておられる。

無限の星の中に、ちりの中に、砂のなかに、神の無限の力がある。神様は私たちが小さく生きることを望んでおられるでしょうか。大胆に神様を信じて倣うことではないでしょうか。神様はご自身のイメージを私たちが反映し、引き継いでいくことを望んでおられるでしょう。

イエス様はガリラヤの田舎で育ちましたが、その働き、発想はいつも世界的、グローバルを軸にした行動でした。イエス様は人類の救いのために誕生し、弟子たちを訓練して世界宣教に遣わされ、私たち一人一人に全世界に出て行き、福音を伝えよと命じておられる。イエス様に倣い私たちも小さな我が家から神の世界に出ましょう。

2021年は恐れず神の世界、新しいビジョンを求めて進もうではありませんか。私たちの教会も新しいビジョンに立ち上がるよう祈ります‼

Happy New Year!

前原利夫



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「御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。

『さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。』…羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」ルカ2:15、20

クリスマス時期に歌われる歌の多くは人類が最高峰の曲に数えられています。その中で、この『神の御子は今宵しも』も、世界中の人々に愛されている曲のひとつと言えるのではないでしょうか。

プロテスタント教会が生まれる前のカソリック教会で歌われていたこの賛美は、原語であるラテン語から100を超える言語に翻訳され、現在は教派・教団を超えて世界中で歌われています。

この賛美歌が鮮やかに描き出すキャロルの様子は、時を超え、あらゆる文化の中で強く訴えかけるものがあるのです。

長年にわたり、作者不詳とされてきたこの賛美ですが、近年の研究により、ジョン・ウェイドというイギリス人青年が1744年に書いたものであることが分かりました。

最初に世に出たのは、1751年のことで、ウェイドの歌集『Cantus Diversi』に収録されています。それからおよそ100年後、英国教会の牧師であるフレドリック・オークリーが、自分の教会で会衆賛美ができるようにと、近代英語に翻訳しました。

英語においても、正式な曲名は『Adeste Fideles』となっています。これは、原語歌詞の歌いだしにあるラテン語をそのまま引用したもので、「誠実なあなたは、今、近くにおられる」という意味があります。

峯岸麻子

マタイ2:1、2、ルカ2:9-14、ヨハネ1:14参照
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“新型コロナウィルス”が世界的に広がって、私たちの生活は大きく変わり始めました。最近届けられるニュースも暗いものが多く、山火事や人種差別の暴動、デモなど2020年は今までにない出来事が続けて起こっています。

その影響かもしれませんが体に異常をきたす人が多く、神経衰弱に陥り自殺者も増加してきています。この疫病は人類,

誰一人として逃れることのできない出来事です。しかし、聖書にはこのようなことが必ずやってくると預言されています。

こんな時代だからこそ、暗黒を照らす真の光である神の言葉が、またイエスキリストの神の愛が必要だと一人一人に語られているように思います。

聖書の黙示録にはこれからの近い将来、人類史上極めて厳しい患難な時代に入っていくことが書かれています。その中で私たちはどのように歩んで行ったらいいでしょうか。

100年に一度の危機とされるコロナウィルス禍で教会も変化を余儀なくされています。オンライン礼拝に切り替えるほど様々な対応を迫られています。

しかし、教会堂が閉ざされていても教会は決して閉ざされません。どんな状況下にあっても教会は存在すると信じています。

教会はキリストの体(エペソ1:23)とあるように教会の頭であるイエスキリストにあって集められた群れそのものと信じます。この時こそ聖霊の力によってこの困難な時代を希望に満たされ喜びと平和を持ち続けて2021年を迎えたく祈っています。

1テサロニケ5:9-10 神は私たちがお怒りを受けるようではなく主イエスキリストに救いを得るように定めてくださったからです。

目を覚ましていても、眠っていても主と共に生きるようになるためです。今月12月25日はイエス様の聖誕日です。私たちを救うためにこの世にお生まれ下さった神様からのギフトです。

その方を私たちが心を開いて受け入れるときにどんな状況下に置かれたとしても神の平安が私たちを包んで守ってくださります。

メリークリスマス! 

鈴木あき

クリスマスおめでとうございます。

今日、クリスマスが何のお祝いか知らない人が意外と多いのに驚きます。イエス・キリストの誕生日を祝う特別な日です。どうして特別でしょうか。

私たちは2月22, 12日、ワシントンとリンカーン両大統領の誕生日を休日として、彼らの偉業を称え、お祝いします。

クリスマスはイエス・キリストの偉業を称えて祝う日です。どんな偉業ですか、その偉業は「人類の救い」のために誕生されたからです。イエスの名前、Jesus は「神は救い」 (Jehovah is salvation )という意味です。クリスマスは神様のその偉大な働きを祝う日です。

1「迷える一匹の羊を見つけ喜ぶ」:

この人類の救い、Jesus について短く考えてみましょう:新約聖書の中に、沢山のストーリ、譬え話があります。とりわけ、「迷える一匹の羊」の話は有名です。100匹の羊がおりましたが、そのなかから1匹だけ、仲間からはずれて、どこかに迷い出てしまいした。

羊飼はその失なわれた迷える羊を放り出して、残りの99匹を連れて、帰るでしょうか。それは無責任な羊飼ですね。

良い羊飼は最後の最後まで、迷える羊を探し出し、見つけ求め、元気な羊達のところに戻るのです。その時に、聖書は「見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰ってくる」とあります。

羊飼が羊をかついで帰るとは、喜びがどんなに大きいか、深いかを意味します。あるいは迷える羊は傷付いていたのでしょうか。可哀想に、羊飼は傷付いた羊を肩に載せて帰りました。人間が動物をかつぐのです。

迷える羊とは、神から離れた人間の姿ですね。羊飼は神様のことです。すると、神から離れた人間が、神様の下に戻る時、神様はその人をかついで、懐に抱いて大喜びなさる、ということですね。

神が貴方を喜ぶ姿、私を喜ぶ姿を想像してみて下さい。皆さん、神様が貴方を喜んでくださていると考えた事がありますか。神様は貴方を喜んでおられるのです。この迷える一匹の羊の話に、神様が喜ぶ姿を発見します。

2「放蕩息子を迎え喜ぶ」:

多分、迷える一匹の羊の話よりも、「放蕩息子」の話が広く伝えられ、愛されたストーリーかもしれません。二人の息子を持つお父さんがいました。次男がお父さんに要求して、私が頂くべき財産を今下さい。気前のいいお父さんは次男坊に財産の半分を分けてやりました。

次男坊は財産をもらい、父の下から遠く離れた町に住みました。父の目の届かない所にいることをいいことに、財産を湯水のように使い果たしました。お金を貯めることは年月のかかることですが、お金はすぐなくなります。

飲んだり,食ったり,ギャンブル,女と遊び回ると,One millionはすぐなくなるであろう。昔,親戚の兄さんが,ある村の人を指して彼は大酒飲みだと言って、彼のお腹には何百坪の水田が入っていると皮肉っていました。お腹の中には沢山のものが入るのであります。飲んだり食ったり,遊んだりがお腹に入ります。

父から遠く離れても,父の優しさは忘れる事ができない。そうだ,お父さんの所に帰ろう,彼は決心しました。この彼の気持ちを,聖書はこう言っています、

“立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。」” 。一方,父は次男の帰りを一日千秋の思いで待っていました。息子を迎える父の喜ぶ姿を聖書はこう表現します:

“『 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。” 

帰りを願う息子の心境よりも、喜び迎える父の姿がクローズアップされます。皆さん,これ以上説明することもありません。

知って頂きたい。迷える一匹の羊を見つけ出し、肩に乗せて大喜びの神,また、若き人生を無意味に浪費した青年を、ありのままの姿で迎えて宴会を催す、神の寛大な愛、人間に対する救いの業をみましょう。

神が一番喜ぶ姿は、人間が神に戻ることでありましょう。私は18歳の時にイエス様の救いに預かりました。以来、60年、神様の祝福を頂いてきました。

皆さんの中で、神様をもっと知りたいという方はおられませんか。今が時です。クリスマスは救いの時です。今がチャンスです!

貴方にクリスマスの喜びと祝福が届けられますように!

前原利夫



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「主のまことはくしきかな」新聖歌20番 | “Great is Thy Faithfulness”

荒野をさまよっていたイスラエルの民が学ばなければならなかった大事な教えのひとつに、神様が朝ごとにマナを与えてくださるという事実があります。このマナは古くなったら食べられなくなり、また将来のためにため込むこともできませんでした(出エジプト16:19-21)。

長く愛される賛美歌は、作者のドラマチックな経験を元に生まれるものです。この賛美歌も作者の日々の生活の中で、神が「朝ごとに」誠実に対応してくださるというシンプルな経験から生まれたものでした。1960年、死の直前に作者のクリスホルムはこのようなことを書いています。

「若い時に体を壊して以来ずっと健康に苦しんできた私は、現在に至るまで十分な収入を得られたことはありませ。しかしここで私は、神が誠実に約束を守ってきてくださったことを記さなければなりません。いくつもの素晴らしいものを私に与えてくださってきた神様の働きを思う時、私は感謝の思いで圧倒されるばかりです」

トーマス・オバデヤ・クリスホルムはケンタッキー州フランクリンにある粗末な小屋に生まれました。中学までの教育しか受けられませんでしたが、16歳の時に自分が卒業した小学校で教師の職を得て、小学校教師としての経験を積みます。

キリストを受け入れた後、「ペンテコステ・ヘラルド」紙の編集者となった彼は、その後メソジスト派の牧師として按手を受けます。クリスホルムが残した賛美の詩は1,200を超え、その多くが有名な賛美歌になっています。

峯岸麻子

詩篇9:10、36:5-7、102:11、12、ヤコブ1:17参照  
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いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これが、キリストイエスにあって神があなたがたに望んでおられる事です。 (1テサロニ5:16-18)

楽しいことがあったら喜ぶことができますが嫌なことがあったり、苦しい事があったときは喜ぶことができません。しかし、そんな中にあっても私達が自分の考えや思いに捕らわれることなく、キリストイエスにあるならできる。そして絶えず祈りとはいつも神に信頼し神と交わることの恵み、最後にすべての事に感謝するとあります。私にとってすべてに感謝を心から捧げよという事が心に入るまで時間がかかりました。

聖歌476番 “やすけさは、川のごと”を書かれたホレイシオ スパフォードは絶望の状況の中でも神の前で喜び、賛美し、そして感謝した人と知って、この聖歌を歌ったときに心からすべてに感謝する恵みを与えられました。彼はシカゴの弁護士であり、教授であり、ドワイトムーデイーが赴任していたシカゴの教会の執事でした。

しかしシカゴ大火災で全財産を失いました。失望の中、妻のアナと4人の娘たちをヨーロッパに送りましたが乗った船が衝突事故を起こし、妻は気を失い海上に浮いているところを助けられましたが4人の娘たちは全員天に召されました。その妻を迎へに行く途中に船上で作った曲がこの聖歌でした。

やすけさは川のごとく、心浸すとき
悲しみは波のごとく、わが胸満たすとき 
すべてやすし、御神ともにいませば

見よ、わが罪は十字架に釘付けられたり
このやすき、この喜び誰も損い得じ 
すべてやすし、御神ともにいませば。

喜び、祈り、そして感謝。これがキリストイエスにあって神が私たちに望んでおられる事、これが神の御心。私の力ではこの神の御心を行うことはできないが、キリストイエスにあってのみ可能である。救いの恵み、聖霊の喜び、神がともにおられる感謝を信仰によって捧げていこうとあの日から主に語られています。
          
鈴木あき  



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