「わがためイエス君」新聖歌103 “Wounded for Me”
Wounded For Me by the White Sisters
「あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました」 第一ペテロへの手紙 2:21
十字架刑は、最も悲惨な死の形のひとつです。当時、ローマ人で十字架にかかった人は一人もいません。つまりこれは、憎きローマの敵のために特別に用意された処刑方法だったのです。ローマ政府のむち打ち刑は、拷問としてまた苦痛を与える手段として最も凄惨なものでした。拷問に使われる鞭は雄牛の腱に鋭い骨の欠片を編み込んだものです。
鞭が打たれるたびに編み込まれた骨の欠片が皮膚を引き裂き、ついには受刑者の骨から肉片がむしり取られるのです。私たちを贖うため、キリストはこのような痛みに耐えられました。しかし最悪なのは身体的な苦しみではありません。むしろ、罪に対する神の怒りにより父なる神から引き離されるという事実、そしてその罪の重さこそが、キリストにとって最も苦しいことだったのです。
しかしこのようなキリストの苦しみと死を知ることは十分とは言えず、その事実を私たちの日々の生活に当てはめていかなければならないのです。「それは私のためだったのだ!」と認めるのです。
私たちのためにキリストがしてくださった客観的な事実のすべてを、聖霊を介して私たちの中で主観的に生かしていただくのです。そして日々の生活の中でこの救いの御業を経験したら、謙虚に、愛をもって、思慮深く「主の足跡に従う」ことに努め、また周りの人々の回復を求めるのです。
「わがためイエス君」は、救い主の苦しみからその再臨まで、神の救いの業のすべてが表現されています。この聖歌を歌う時にはどの言葉も省略することなく、すべての歌詞を歌わねばなりません。
するとゆっくり、優しい始まりから「わがためイエス君、わがために来られる」という感動的なクライマックスへと、私たちを導いてくれるのです。
峰岸麻子
詩篇65:3、103:12、イザヤ53、エペソ2:5参照
Taken from [Amazing Grace] ©Copyright
September 22, 2017, Kenneth Osbeck,.
Published by Kregel Publications,Grand Rapids, MI
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