2022年9月18日(日) 礼拝
GVIC賛美チーム:明子姉、ジミー兄、夕里佳姉
オープニング賛美:詩篇100(Psalm100) | 会衆賛美: 讃美歌358番 | こころみの世にあれど (Be thou my vison) | とわに礼拝します
メッセージ: 「幸いなるメッセージ」 マタイの福音書5章1−5節 キム明子姉
今日からいよいよ5章に入り、有名なイエス様の説教である、山上の垂訓に入ります。ここでイエス様は山上の垂訓全体を通してキリスト者としての生き方を語られるのですが、五章では、その入り口である8つの幸いから始まります。8つの幸いを通して一つ一つ、私たちは主の庭の玄関、入り口から中へ中へと進んでいくことでしょう。
1)心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだかです。
心の貧しさ=ギリシャ語の意味は、不渡りを出す、心の破産を指す。心の貧しさとは、神様に対して、わたしは飢え渇いています!わたしはあなたなしでは生きれません。
2)悲しむ者は幸いです。 その人たちは慰められるからです。
「悲しむ」とは、最大級の悲しみである。自分に起こった悲しみを通して、イエス様の悲しみを理解するようになるが、これこそ、御霊なる主がふれてくださるからこそ。主の悲しみを知る者は、主の悲しみを共有する者となる。
3)柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。
「柔和な者」はギリシャ語の意味「アーナー」悩む、苦しむ、惨めな者、と言う意味を指す。柔和な人は、謙遜で、この世のどんな不条理も、争いの中でも、決して争わず、謙遜の限りを尽くす者である。これも御霊様の助けなしにできることではなく、しかし、イエス様はそれをされた方。
私たちはイエス様の教えによって、神様の愛、キリストの愛を通して一つ一つ、霊的成長、成熟を身につけていくでしょう。。山上の垂訓の最初の教えは、イエス様に出会ったところから入ります。
イエス様に出会うことがあなたの人生を変えるからです。またキリストの弟子である私たちは、キリスト者としての生き方、献身の生き方を学ぶのです。
今週のみ言葉: 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」マタイの福音書5章3節
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません