わが子らよ、今は怠ってはならない | 歴代志下 29:11    

2021年12月20日

 
一月前になりますか、冒頭の言葉に強く惹かれた。今、私は何を怠っているのか、今、何をしなければならないのか、としばし魂を探る機会が与えられた。この言葉は優しく励ますようにも響き、また厳しいお叱りのようにも響いた。ユダの王ヒゼキヤ(王位、BC 715ー687)の言葉です。

歴代志下の28章と29章の間には国の霊的状態に大きな溝があることは1、2節読むと明らかです。ヒゼキヤの父はアハズ王、彼は子供たちを火に焼いて供え物とした程に神に背いた。アハズ王の治世で活躍した予言はホセヤ、ミカ 、イザヤらがいる。28章は父の憎むべき偶像礼拝の記録、一章進とその子の献身的宗教改革の記録である。

ヒゼキヤ王の霊的活動は神の祝福を受け、物質的にも祝され、町々の建設、倉庫、畜舎も増築され、城内にギホンの泉から地下水路を建設した。今日、ヒゼキヤのトンネルとして知られ、聖地旅行のコースである。

ヒゼキヤはは国の霊的刷新のために”わが子らよ、今は怠ってはならない”と彼の治世の第一年に、ユダヤの霊的覚醒の陣頭指揮にあたる。その順序を29章から要約し、また、”わたしに”語りかけるみ言葉の招きに応えようではないか。

     1. 宮清め:アハズはエルサレムの宮の戸は閉鎖し、町々に偶像を建て上げて異邦の神々を祀った。宮の閉鎖は意図的に神を捨てたことになり、国民に礼拝を禁じた。国は指導者の不信仰、背信のゆえ、荒れに荒れた。ヒゼキヤは父の死後政権に着くや、宮の戸を開き、宮清めを始めた。子の時代になって宮の戸は開かれ、倉庫化した宮の清めが始まった。汚物は取り出され、塵のたかった器物を取り出して、先ず、主を迎える宮を整えた。イエス様も、商売化した宮から商人を追い出し、祈りの家として清められた。GVICの礼拝堂は整えられているであろうか。聖霊の宮である私たちの身体はイエス様を迎えるにふさわしい者でしょうか。

     2. レビ人の回復:宮が閉じられると、かつて仕えていたレビ人は務めを失い散されて行った。今、宮の門が開かれ、人々が自由に出入した。礼拝を捧げるためには神に仕える祭司達がいなければならない。宗教儀式、行事を取り扱う祭司、預言者等、専門職を宮に迎え回復した。レビ人の回復はみ言葉の回復でもある。彼らの不在では律法の解釈、生活の実施が出来ないからである。こうして神を迎える宮も人材も整えられたのである。

     3. 賛美チームの結成:回復されたレビ人を中心に賛美を捧げるチームが立ち上げられた。彼らは立琴、ラッパを楽器に神を褒め称え始めた。整えられた宮に訓練の行き届いた指導者の下に賛美が宮の隅から隅に響きわたった。何年も、何年もゴミの山の宮に声高らかに喜びと感謝の叫びが天に達した。賛美は礼拝に欠かせない、神を称えるに大いに用いられている。私たちの礼拝から賛美チームがなくなったら、感動も主の臨在感も半減するに違いない。GVIC賛美チーム、聖歌隊の皆んさ、益々、霊と技を更に磨いて下さい。

    4. そして、礼拝が捧げられる:ヒゼキヤ王は全てを整えて、燔祭を捧げるよう命じます。燔祭は犠牲であり、礼拝は犠牲を以って最高に達する。イエスキリストはご自身を燔祭として捧げられた、私たちは、何もを以って神を礼拝するのでしょうか。

こうして、主の宮は開かれ、回復された。私たちの魂の破れはありませんか。この悪の時代、世俗の習慣の奴隷になっていませんか。破れていたら繕う、閉じられていたら、開こう。

“わが子らよ、今は怠ってはならない"

                                                                                     前原利夫