執りなしの祈り
明けましておめでとうございます!
2016年、祈りの年になることを願いつつ、”執りなしの祈り”を考えてみます。
執りなしの祈りは人のために祈る祈りで、代 祷ともいう。昨年、私は皆さんの執りなしの祈りをどれだけ受けたか測り知れません。この新しい年、友、家族のために更に祈る者となりませんか。
1) アブラハムの執りなし:
執り成しの祈りで分かりやすい例は、甥ロトのために祈るアブラハムの祈りでしょう。(創世記18章参照)。神の使いはモラルの退廃したソドムの町を滅ぼそうとします。アブラハムは甥とその家族を助けようと、神の使いに食い下がり執りなします:もし、ソドムに50人の正しい人がいたら、45人いたら、40人いたら、、、10人いたら、と。アブラハムは愛するロトのために懸命に祈ります。私達は友や家族のためにどの様な執り成しをしているでしょうか。
2) モーセの執りなし:
モーセーが聖山で神に祈っている間、40日40夜、山の麓ではイスラエルの民たちは偶像を作り、偶像礼拝に耽りました。神の怒りは爆弾のように偶像に耽る裏切りの民の頭上に落ちました:”それで、わたしをとめるな。わたしの怒りは彼らにむかって燃え、彼らを滅ぼしつくすであろう。しかし、わたしはあなたを大いなる国民とするであろう”。(出エジプト32:10) 。モーセの執りなしの祈りが神の怒りを宥め、民を偶像礼拝の罪から、裁きから救います。”、、、どうかあなたの激しい怒りをやめ、あなたの民に下そうとされるこの災いを思い直し、、、それで、主はその民に下すと言われた災いについて思い直された”。(同32:12-14)。モーセは民全員のために懸命に執りなす、指導者の祈りはパワーフル、神は貴方に代わって他人の祈りに耳を傾けて下さる愛と寛容の神です。
3) イエス様の執りなし:
イエス様の執りなしは最後の晩餐の席で弟子たちのために祈られます(ヨハネ17:9-26)。”わたしは彼らのためにお願いします、、聖なる父よ、わたしに賜った御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つとなるためであります”。イエス様の執りなしは、動揺する弟子たち、悲しむ彼らを励まし、一つとなって立ち上がることを天の父に祈ります。弟子たちは一時バラバラになりますが、主の復活後は立ち上がり、一つとなっる聖霊の注ぎを受け、初代教会を立ち上げて進みます。
イエス様は弟子たちにどのような人のためにも執りなすことを教えられました(マタイ5:44)。パウロも自分のために執りなしをするようにローマの兄弟姉妹たちに勧めます(ロマ15:30).
最後に、私たちの執りなしはどうであろうか。冒頭で書いたように睦子と私はこれほどの執りなしの恵みに預かったことはありません。私の快復、睦子の健康、勿論、GVICが守られるように、多くの方々が執りなして下さっています。紙面を以って感謝申し上げます。
私たちも、イエス様のご命令通り、主にある兄弟姉妹のために、執りなしをしていこうではありませんか。
前原利夫
PS. 前原は昨年12月20日、6ヶ月ぶりにクリスマス礼拝でルカの2章を中心にメッセージを取り継ぎました。また、「飛脚」も今号から「巻頭言」を担当します。まだリハビリ中ですので、皆さんの背後の執りなしの祈りをお願い致します。