「イエスのプロフィール」 ヨハネの福音書から学ぶ
ヨハネの福音書のテーマの一つは「イエスヨハネの福音書のテーマの一つは「イエスは誰か」「Who is Jesus?」と言えます。
今号はこのテーマに挑戦します。同福音書を開く度にこのテーマに注意を払いながら読んでいました。他の福音書にない特徴です。
今回、皆さんと1章から21章まで学びながら、私は1章毎に「イエスは誰か」を念頭に入れてノートしてきました。そのノートをベースに同福音書は「イエスは誰か」をどの様に証しているかまとめてみます。お断りしておきますが、ご紹介します資料は再度の確認チェック(三回チェックしましたが)が必要です。
しかし、今回の学びの範疇では問題がないと判断し、タイトルは「イエスのプロフィール」として進めます。口語訳聖書を使いました。
1.「イエスのプロフィール」の意味:
ヨハネの福音書で「イエスは、、、である」という宣言文章は直接であれ間接的であれ、イエスのプロフィールと解釈した。「イエス」を指した「キリスト」や「彼」や「ヨセフの子」のような代名詞もイエスと同等とした。プロフィールはイエスをメシヤ或いは神と肯定することだけではなく、否定的な呼び方、嘲笑もその一つとした。ある者はイエスは悪霊にとりつかれているなどと頭から否定し、敵対したほどである。
この様に21章まで数えると約60回数える事ができる。イエスご自身がご自分を指して呼ばれたのも含まれている。同じ呼び方が繰り返されている場合はおおよそ90回を数えることができる。プロフィールの一部を紹介すると、例えば「世の罪を取り除く神の小羊」「教師」「命のパン」「あれはよい人だ」「罪人である」「人の子」「ユダヤ人の王ばんざい」「我が主」等である。
2.どんな人達か:
上記の60回のプロフィールはどんな人達が登場してイエスを「、、、」
と呼んだか、或いは信じたかリストしてみよう。そうするとプロフィールの内容が浮き彫にされて、この人或いはこの人達は誰かが多少とも想像がつくものである。
バプテスマのヨハネ、弟子達のナタナエル、アンデレ、ピリポ、ペテロ、ヨハネ、トマスです。そして、群衆、ある人達、サマリヤの人達、下役、兵卒です。個人的にはニコデモ、サマリヤの女、盲人、マルタ、マグダラのマリヤ、ピラトです。十二人の弟子達の中で7人はイエスのプロフィールに拘っていない。その中にユダがいるのは珍しいことではない。
3.プロフィールを5つに分類:
60回のプロフィールを内容により大まかにこのように分けた:1)神・メシヤと呼んだ、 2)王と呼んだ、 3)人と呼んだ、 4)喩えて呼んだ、 5)否定的、嘲笑的に呼んだ等。神・メシヤとした呼び方が全体の4分の1でイエスを人でもない、王でもない、神と宣言した(イエスご自身もこの呼び方を何度もしている)。
最後に、イエスのプロフィールがこの21章からなる福音書に60回も記録されているのは、この福音書が「イエスは誰か」「Who is he?」と追求したからでしょうし、また、プロフィールの数の大きさは、神・メシヤを記述する単線的な表現がないからでしょう。
誰が、一体神の無限の働きを一言、二言で的確に表す事ができましょうか。ヨハネは「ナザレのイエス」が真のメシヤであり神であられることを追求し、それを証するために多角的に多面的に「イエスのプロフィール」を同福音書至るところに取り上げられたに違いない。メッセージを準備する方には「イエスのプロフィール」はテーマを数多く提供するに違いない。
私たちはこの様な真の神様に信頼し、生活を委ねて歩んでいるのは何と幸いなことであろう。 (紙面の関係上、学びの結果をここにご紹介できませんが、興味のある方は私の学びの確認作業をして頂きたいと願います。ご連絡下さい。)
前原利夫
ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A.
www.gospelventure.com/
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