私の父は言葉の人ではなく、そこはとても不器用な人でした。

「俺はよ、家族がおもしろおかしく仲良く暮らすのが一番なんだ!」というのが口癖でしたが、元来の我が侭で、お酒を飲んでは威張る、自然災害の庭、畑の被害も、飼っている鯉やニワトリが猫やイタチに襲われることも、全て母が責められ、怒られていました。

家の中は笑いどころか、悲しい冷めた空気だけが残るのが日常です。父が機嫌が良いと安心し、悪いと重い鉛が心に押し寄せました。両親が仲が良くない、父が母に優しくない、母が父を尊敬していないと言う事実は、子供にとっては悲しいことです。

子供は夫婦の愛情のこぼれで育つと言われますが、私たち兄弟は、夫婦の争いの中で、母の悲しみ、父の愚かさに傷ついていったのです。

それでも、私と妹は表面的には良い子に育ち、学校でも明るく元気でした。本当は心の痛みに蓋をし、触れないように見ないようにしていたのですが。

しかし、弟は、苦いものに蓋をするほど、強く、もしくはずるく生きられませんでした。傷が溢れ出すように、自分を責めて親を責めて、泣き崩れながら家の中が壊れて行きました。

何も隠すことができず、何の言い訳もできなくなり、私たちの家族は崩れ落ちました。父がいくら怒っても、怒りでは彼の心は治りません。

母がいくら謝っても、奴隷のように不自由な母を更に責めるばかり。怒りの標的は母に行き、母はどうしたらよいか分からず、自分がいると怒りが助長する「私がいるから息子がだめになる」と思い、家を出ます。サンダル履きに手さげバック一つで外に出た母は、ダンプカーが走って来るのを待ちました。「ダンプが来たら飛び込んで死のう」と思ったそうです。

しかしその時、手さげの中のトラクトが目に留まり、それは一度だけ行った事のある教会のものでした。その教会へ電話をすると、その教会の牧師先生ご夫妻が、遠いところから車を飛ばして母を迎えに来て下さいました。

母が家を出た翌日、父のところに電話が入り、教会にお世話になっていること、着替えもお金もないから持ってきてほしいという事でした。

本来なら父が家の問題のために教会へ行きご挨拶をするべきですが、私の父はそういう事ができません。「あっこ、悪いな!ちょっとママのところへ行ってくんな。」と私に頼み、一つの難をしのぐのです。

私は私で、父は情けない、まともな口がきけない人だと思っていますので、父のプライドを傷つけないように、いつでも笑顔で何でも父のために動きました。
 
全く神様に頼る事を知らず、努力、頑張りでこの問題を乗り越えようと思っている私が、教会の扉を叩きます。

キム・明子

続く・・

弟の登校拒否から8年が経っても、彼の心の痛みは癒されないまま、私たち家族の心は疲れ切っていました。どうしてこんな風になってしまったんだろうか。家族一人一人がそれなりに努力してきましたが、私たちの抱える問題は大きくなるばかり。

母は、弟の前では笑顔でも、普段は泣き顔でした。外に出るのが辛くて、買い物は夜に出かけます。ある夜、息子のために牛乳を買いに出かけた母に、夜空の星が輝いていました。いつも下を向いていたのに、母は空を見上げて星を見たのです。

「私は、この子のために牛乳を買うことができるんだわ。」と輝く星をみて、感謝の思いがこみ上げてきたそうです。

ちょうどその頃,自宅ポストに無料英会話クラスのチラシが投げ込まれました。近所の教会の無料英会話教室です。英語好きな母は、そのチラシをもって、英語クラスへ行くと、そこには、アメリカから来た宣教師の先生がおられ、温かく迎えられました。

今までいろいろな所へ問題の解決を求めては行っていた母は、教会でも、自分のことを打ち開けたのでしょう。すると、みんなが母の為に手を取って祈ってくれたそうです。

自分の為に、涙を流して祈ってくれる人がいる、じっくり自分の話しを聞いてくれる人がいる、偏見なしに我が息子のことを理解しようとしている人がいる。これらのことは、母に大きな励まし、慰め、そして喜びとなりました。

これを機に母が教会に行くようになり、母が明るくなりました。いつも泣いていたのに、私たちの前ではボロボロだったのに、友人が出来て、元気になりました。真っ暗闇だった母の心に、一つの光が入り込んだのです。夜明け前が最も暗い時だと言いますが、一つの希望によって夜明けが来たのです。

一方、娘の私は、母のような疲れきった人には宗教も良いが、私は自分で頑張るんだと思っていました。母はキリスト教で楽になるならそれで良い。しかし私は自分の愛で弟を愛し、理解する、と思いました。決して家の問題で弱音を吐かず、泣かず、問題と向き合って頑張りました。同情されたくない、これが私の本音だったのです。

それでも24歳の私には背負い切れない、いくら強がっても大きな不安がいつもありました。

25歳の夏。少し落ち着いていた家の状況が崩れるように悪くなりました。今までになく、弟が暴れました。自分を責め、泣きながら物を壊していきます。物が壊れる音は彼の心が破れていく音のようでした。

頑張っても、またこの最悪な状態がくるんだ。。。

私の心はどん底、真っ暗闇。しかし暗闇の私に神様が一筋の光を投げようと働かれたのです。私の夜明けの始まりです。 

キム・明子

続く・・

Kim_Family

今月から、このGVICのホームページ上で、私の人生にイエス様がどのように関わって下さったかを証させて頂けることを、感謝致します。

私は今夏でクリスチャンとなって20年になります。まずはイエス様を知ることになる私の背景からお話し致します。

小さい頃から、私には何となく「バレたら嫌だな」という痛みがありました。その「バレたら。。」というのは、両親が不仲である事。そして、父親が立派でない事でした。

お酒に酔っぱらっては母を怒鳴り、威張る父。それに居たたまれない母は、「アコちゃん、お父さんは情けない。家で威張って、外では口がきけない。馬鹿な男と結婚すると一生苦労する」というのが口癖でした。ですから、私は、父が「ちゃんとしたお父さん」ではないと思い込んで育ちました。

私の中の痛みは、その傷が時々うずくのですが、私はそれでも明るく元気でした。でもあるとき、私たち家族に大きな新しい問題が起こります。それは、私の末の弟が学校へ行けなくなる「登校拒否」となった事でした。

以来、私の家族に1つの石が投げ込まれました。この石に家族全員が揺さぶられました。父は更に怒る人となり、お酒と遊びに逃げました。母は、我が子のために、必死に勉強し、動きました。私も妹も、この問題の渦に巻き込まれる中で、自分の事は何一つ親に相談できませんでした。

この様な状況なら家族が崩壊してもおかしくないのに、なぜか、家族の回復の為に其々がが問題を見つめるように変わって行きました。神を知らない私たちは、様々な神様に頼み、良いと思う事は何でもしました。しかし、これらは弟の心を苦しめるだけで、全く彼は癒えませんでした。

一生懸命この状況から脱出しようと頑張る彼に、私たち家族は、「この子は登校拒否児、引きこもり、家庭内暴力」というレッテルを貼り付けていたのです。なぜなら、私たちは自分が良いと思う事を信じて、自己中心によって物事を考えていたので、全てが悪い状態に堕ちて行きました。どん底、真っ暗中で、神様は私たちを教会へと導いて下さるのです。

キム・明子


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