家庭崩壊 | 証・キム・明子(3)

2021年12月30日

私の父は言葉の人ではなく、そこはとても不器用な人でした。

「俺はよ、家族がおもしろおかしく仲良く暮らすのが一番なんだ!」というのが口癖でしたが、元来の我が侭で、お酒を飲んでは威張る、自然災害の庭、畑の被害も、飼っている鯉やニワトリが猫やイタチに襲われることも、全て母が責められ、怒られていました。

家の中は笑いどころか、悲しい冷めた空気だけが残るのが日常です。父が機嫌が良いと安心し、悪いと重い鉛が心に押し寄せました。両親が仲が良くない、父が母に優しくない、母が父を尊敬していないと言う事実は、子供にとっては悲しいことです。

子供は夫婦の愛情のこぼれで育つと言われますが、私たち兄弟は、夫婦の争いの中で、母の悲しみ、父の愚かさに傷ついていったのです。

それでも、私と妹は表面的には良い子に育ち、学校でも明るく元気でした。本当は心の痛みに蓋をし、触れないように見ないようにしていたのですが。

しかし、弟は、苦いものに蓋をするほど、強く、もしくはずるく生きられませんでした。傷が溢れ出すように、自分を責めて親を責めて、泣き崩れながら家の中が壊れて行きました。

何も隠すことができず、何の言い訳もできなくなり、私たちの家族は崩れ落ちました。父がいくら怒っても、怒りでは彼の心は治りません。

母がいくら謝っても、奴隷のように不自由な母を更に責めるばかり。怒りの標的は母に行き、母はどうしたらよいか分からず、自分がいると怒りが助長する「私がいるから息子がだめになる」と思い、家を出ます。サンダル履きに手さげバック一つで外に出た母は、ダンプカーが走って来るのを待ちました。「ダンプが来たら飛び込んで死のう」と思ったそうです。

しかしその時、手さげの中のトラクトが目に留まり、それは一度だけ行った事のある教会のものでした。その教会へ電話をすると、その教会の牧師先生ご夫妻が、遠いところから車を飛ばして母を迎えに来て下さいました。

母が家を出た翌日、父のところに電話が入り、教会にお世話になっていること、着替えもお金もないから持ってきてほしいという事でした。

本来なら父が家の問題のために教会へ行きご挨拶をするべきですが、私の父はそういう事ができません。「あっこ、悪いな!ちょっとママのところへ行ってくんな。」と私に頼み、一つの難をしのぐのです。

私は私で、父は情けない、まともな口がきけない人だと思っていますので、父のプライドを傷つけないように、いつでも笑顔で何でも父のために動きました。
 
全く神様に頼る事を知らず、努力、頑張りでこの問題を乗り越えようと思っている私が、教会の扉を叩きます。

キム・明子

続く・・