2021年12月12日(日)礼拝報告

2021年12月31日

いつもの賛美チームに河野弘子姉、金真理子姉が加わり待降節にふさわしい、「荒野のはてに」「天なる神には」が賛美され、また織田恭博先生の「小さなイエス」の特別賛美もありました。金明子姉のメッセージはイザヤ書9章6~7節から「祈りは聞かれている」でした。

「イエス様が生まれた当時のユダヤはローマの支配下にあり、霊的には400年の間神様からの啓示が途絶えていた暗黒の時代でした。暗闇に光がこられ。私たちのためにひとりの嬰児がお生まれになられたので、神と私たちの関係が、天の父と神の子との関係とされていきます。

私たちは主に祈ります。なぜなら、主は神様であり、私たちの天の父であられるからです。私たちは、神様は祈りを聞いてくださると信じているのですが、時に、祈りが聞かれない、御心ではなかった、という事があります。

インドの宣教師だった、エミー・カーマイケルは、『祈る人が私たちの主イエスの御名によって父なる神のもとに来るなら、祈りは常に聞かれます。』と言われました。

『私は主を愛している。主は私の声私の願いを聞いてくださる。主が私に耳を傾けてくださるので、私は生きている限り主を呼び求める。詩篇116:1、2』

私たちは祈るのですが、時に、自分の思い通りでない結果や願いと違う結果に祈りは聞かれないと思いがちです。待望したメシアのご降誕にも、主の答えに気がつかない民ばかりでした。イエス様の父となったヨセフのことを通しても、ヨセフの祈り(思い)と主の思いを見せられます。

婚約者マリアの妊娠に非常に迷ったヨセフでしたが、御使の命令に信仰によって従っていきました。そこに、主の教えがあり、主を恐れる信仰が与えられ深い洞察力を得ていきます。ヨセフは、自分たちの救い主の父となること、この嬰児を育てること、母となったマリアをケアすることに誠実に対応していきます。自分の思いをはるかに超えた主のご計画の中に自分を置く事ができたのです。

ユダヤの人々にとって、霊的には真っ暗闇だった時、光である救い主がお生まれになりました。マリヤもヨセフも十分には理解できないことばかりだったけれども、『メシアよ、来てください』の祈りが彼らの腕の中の嬰児として、見せられ、二人は思いを巡らせたことでしょう。

私たちの人生も十分に理解できないことばかりです。しかし、確かに2000年前に私たちのためにイエス様がお生まれになり、この方が私を愛してくださり、私の声に耳を傾けてくださっています。主に信頼して、生きている限り、主を呼び求めていこうではありませか。主の御心の真ん中に私たちは置かれるのです。」

今週のみ言葉: 上記の詩篇116篇、1-2