新約聖書の中で一番分かりやすい書物は「ルカによる福音書」でありましょう。多くの譬え話が盛り込まれてユニークな角度から話が展開します。そして神の人間への限りない愛を鋭く描きます。「放蕩息子」として広く知られるストーリに描かれている父の姿は深く印象的です。 その一部抜粋してご紹介します。

また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。 ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。 それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。 何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。 そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。 彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。 そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。 立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。 もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。 そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。 むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。 しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。 また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。 このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。 (ルカによる福音書15 章参照)

こんな美しい父と子の話がこの世にあるでしょうか。優しく無限に赦す父と放蕩に明け暮れた子。その親子の関係! 私たちの社会通念では遺産相続は親が死んだ後に受けるものだが、2千年前、いやそれ以前からユダ人社会では「生前相続」が実施されていました。この習慣は驚くべきユダヤ人の知恵であります。

生存中の遺産相続の利点は相続側が必要な時に遺産を活用できる点にあります。 親よりも子が早く死ぬこともあり、また時が経てば、遺産の活用度が減少する場合もあります。 このストーリーを読みながら多く教えられます。

1)人生、緊急時に備える:  
当時の遺産相続は長男が2/3、次男が1/3を受け継いだと言われます。このお父さんは金持ちであったようですから、弟が処分して貰った財産はかなりのものであったに違いない。 将来に備えて投資を考えたどうか知りませんが、現実は息子は父から遠く離れた外国で放蕩三昧、財産を湯水のように全て浪費しました。

浮き浮き乱痴気騒ぎの享楽、飲んでも飽くことない底なしの酒、ドラグ、ギャンブル、女、財産は羽のはえたように飛んでなくなりました。気が付いたときはポケットの中は無一文! 自分が稼いで貯めたお金は大事に管理しても、他人のお金は痛くも痒くもなく捨てるように使うものです。人間の放蕩癖は昔も今も変わりません。

さて、外国生活、何年経ったでしょうか。大飢饉がその国を襲いました。「金の切れ目は縁の切れ目」とかで、これまで付き合っていた友達は皆離れて行ってしまったようです。助けにも相談にものってくれません。飢饉は日々厳しく、食べることにも窮し始めました。 息子はユダ人が一番軽蔑した豚を飼う仕事にやっとありつき、食事も豚の餌を三度の食事にしました。

金持ちの息子から社会の最底辺、どん底の生活に転落。ホームレスもいいところ、貯えのない人生の惨めさはトコトン身に沁みました。 人生、特に外国に生きる私たちは緊急時に備える物資的な余裕と心の余裕が必要ではないでしょうか。 放蕩息子はそのような境遇の中で、自分が後にして来た故郷を思い出し、そこに優しい父の存在を心に留めました。今、自分がどこに立っているかを考え始めたのです。

2) 人生、故郷を忘れるな:
故郷とは自分の生まれた所、或いは育った所です。自分のアイデンティティーがそこにあります。そこに懐かしい父、母、兄弟、親戚や友人らの温もりがこもっています。この心の温もりはそこを離れて遠くへ行ったときに初めて感ずるものです。

特に、一人、外国で暮らし、病気になり、衣食住に事欠くピンチに直面したときに、“ふるさと”を思い出してそこにもう一度帰ってやり直したいと思うのは自然ではありませんか。 「可愛い子には旅をさせよ」と言いますが、旅先は故郷とは違い、環境は厳しく、冷たい計算ずくめの人々が周囲にたむろするものです。 旅先は自分で自分の将来を切り開くよい機会でもありますが、失敗し、財産をスッカラカンに失い、誰も助けてくれない時にこの息子は故郷の父を思い出しました。

私たちとて同じことを考えることでしょう。 極めて我侭な息子であったが、父のところへ戻ろうとしている彼を誰が留めることができましょうか。失敗の人生であったからこそ、帰る故郷があるのではないでしょうか。この放蕩息子は”セカンド・チャンス”(second chance)の人生を考え初めたのです。

3)人生、立ち直る決断が必要:  
放蕩息子にもついに目覚めが来ました。自分の現状、“今”を認識し始めました。一体、どこに立っているのか、どこに向かっているのか、心を探り、人生を真剣に考え始めたのです。 彼は仕切り直しをして、今、自分の立っているこの所では立ち直れない、またこの失敗の原因が自分にあることを認めました。“本心に帰って”とはそのことです。

本心に帰るとは決意のことで、息子は故郷の父のところに一歩足を運び始めました。 人生には失敗がつきもので、完全無垢の人はいません。問題は失敗の事後処理が大事です。失敗に埋もれるか、失敗を踏み台に再起するかです。息子の再起を促したのは外でもない父の存在でした。放蕩に身を持ち崩した息子を故郷の父はどう迎えるでしょうか。  

次回をお楽しみ下さい。 God bless you today and tomorrow!

前原利夫


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