私は門である
10月に入っても蒸し暑い日の続くLAの陽気に少々うんざりしておりましたが、朝の子供たちの登校時の青空は、もう秋の空と変わっていました。
私たちの教会GVICのためにお祈りくださりありがとうございます。また主任牧師の前原先生のために沢山の方がご心配くださり、お祈りくださって心より感謝申しあげます。多くの方の励まし、お祈りによって先生は順調に主のスピートで(Just Right)回復されています。
毎月第一日曜日には聖餐式が執り行われますが、この日曜日も、前原先生によって、聖餐式にあずかることができました。先生からの指名で一組のご夫妻が配膳係となり、御用をして下さいました。
このご夫妻の姿を見ながら、私たちGVICは先生の一声で主の働きに応答する者、共同体へと育てられてきたのだ、という思いが湧き上がりました。
先日の日曜日は私の5回目となるメッセージでした。「私は門である」というタイトルで、イエス様の主権ある赦しの宣言と真の悔い改めをテーマにお話を致しました。
イエス様は言われました。『わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。』(ヨハネ10:9) イエス様を通さなければ、私たちには救いの道がありません。この門は“狭い門”と言われているかもしれませんが、神の人類救済計画、イエス様の十字架の贖いが自分のためであったと受け取るとき、この狭い門を通ることができます。
今までの不安や問題や苦しみが、イエス様という羊飼いの囲いの中で平安と喜びに変わる生活、生きていながら天国を味わう緑の牧場が待っています。
『私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。』(ヨハネ10:14)イエス様は、私たちの群れを見てくださるだけでなく、一人一人を知っていてくださっています。また私たちもイエス様を知っているのです。お互いをよく知る世界にいるのです。
教会はどうでしょうか?牧師は囲い全体を把握しているでしょうか?羊の私たちそれぞれを知っていてくれているでしょうか? 私たち羊は、牧師をよく知っているでしょうか?
GVICは前原先生の病気を通して、我らの牧者をもっと知ることができました。また前原先生も、GVICという主の共同体を、また私たち一人一人のことを改めて知ってくださっているのだと思います。
さあ、GVICの緑の牧場が色づき始めています。囲いの外にいる羊を迎え入れるために、私たちに何ができるでしょうか!何をするべきでしょうか!
キム・アコ