初めてのメッセージご奉仕

2021年12月20日

イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」ヨハネによる福音書9:3
 
私たちの敬愛する前原利夫牧師が7月1日に緊急入院をされ、一ヶ月です。前原牧師は、順調に回復され、現在リハビリに専念されておられます。

皆様のお祈り、励ましのお手紙を心より感謝致します。続けて前原師の速やかな回復、完全なる癒しのためにご加祷くださいませ。

7月3日午前中に睦子先生よりお電話を頂き、同日午後私と夫のデービットは病院へお伺いしました。術後すぐの先生は首を堅く固定され動けない状態の中、私たちに今後の指示をくださいました。

「明子さん、日曜日の礼拝でメッセージをしなさい。このタイミングは神様からのものだよ。 デービット、彼女のために祈ってあげなさい。」と前原先生。

私はGVICに仕えてから、前原先生から頼まれる事は断らない事を心がけてきましたが、メッセージをする事は、とてつもない大きなプレッシャーでした。

しかし、前原先生のご指名なので、従わなくてはなりません。

大緊張の中にいる私に、GVICの家族みんなが私を心配し、祈ってくださいました。祈り会で、メールでも電話でも、私のために祈ってくださいました。霊の家族の祈りに支えられて、人生初、献身してから初めての礼拝説教ご奉仕となりました。
 

神の御業がこの人に現れるためである

「神の御業が現れるためである」というタイトルで、ヨハネ9章からメッセージを致しました。
 私たちは目に見える世界だけが本当ではないという事はよく分かっているのですが、目に見える事を頼りに生きている事が案外に多いのです。

「神の御業がこの人に現れるためである」というイエス様のお言葉は、生まれつき盲人のことを指して言われました。この盲人の方も、家族も、周りの人もこの生まれつきの盲目は呪われているからだと思って生きてきたのです。

その彼らに、イエス様は呪いではない、これは、神の御業がこの人に会われるためです。とはっきり宣言されました。

癒された盲人

癒された盲人は、イエス様を信じて癒されたのではありません。イエスという人が、つばで泥をこねて目に塗り、シロアムの池で目を洗えと言われたので、そうしたら、治ったのです。と彼は実際に起きた事を言っています。

それから、この奇蹟に騒ぐあらゆる人々がなぜ癒されたのかを聞いてくる度に、元盲人は自分に起きた事を説明するのです。彼は自分に起きた説明の中で、イエスという方が、神であり、主であると分かって行きます。

彼の目が見えるようになったばかりでなく、彼の霊の目が開かれ、「主よ、あなたを信じます。」と言うのです。

またこの盲人は、目が癒されたので、イエス様を信じたのではありませんでした。自分に起きた事を話して行くうちに、彼の霊の目が開かれてイエス様を主と信じたのです。
私たちも霊の目を開かなくてはなりません。

人生は急な上り坂もあれば、下り坂、大きな石が投げ込まれたりします。しかし、あなたの主は言うのです。「これは、神の御業があなたの上に現れるためである」と。私たちの人生はこのお方がご一緒なのです。

今教会は、オフィスに前原先生のお姿が見えないことを皆が寂しく思っています。だからこそ、心を一つにして感謝して礼拝をささげております。

前原先生がおられないからこそ、先生の事がよく分かるのです。GVICがいよいよ 主に用いられる喜びの教会となることを宣言し、前原先生の復帰を待ち望んでいます。

キム明子