【賛美歌 332】主は命を | “I Gave My Life for Three”
I GAVE MY LIFE FOR THEE – BRENDA JAMES
「また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです」 IIコリント5:15
どんな人も、誘惑に出会います。たとえそれが信仰を重ねたクリスチャンであっても、例外ではありません。最も高潔であると思われる人ほど、最も多くの誘惑に晒されるということもあります。
イエス様が誘惑と戦い、荒野で過ごされた40日間は、サタンの攻撃を克服する術を劇的に語るものです。サタンが繰り出す誘惑を、イエス様は聖句によって跳ねのけました。イエス様が引用した御言葉は、すべて申命記のものであり、旧約聖書に広く触れていることの重要性が見て取れます(申命記8:3、マタイ4:4)。
この世界にあるすべての誘惑から自分を引き離すことは出来ません。近代社会が繰り出す「魅惑」の数々は、これまでになく私たちに迫っています。しかし、私たちはこの戦いを一人で戦うのではありません。
「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」(へブル4:15)。なぜなら「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになる」(へブル2:18)からです。どんな誘惑であろうとも、主は私たちが対峙している敵をご存知であり、それに抗い、勝利する力を与えてくださいます。
本聖歌の作者であるホレイショ・パーマーは、アメリカ人の音楽家です。音楽理論に向き合っていたある日、この歌詞にある思いが急に与えられたと言います。若干の例外はあるものの、その時に急いで書き留めた内容が、そのままこの聖句の歌詞になりました。以来、この聖句は、毎日のように誘惑に直面する老若男女に、どのように誘惑と戦うかということを教えてくれています。
峯岸麻子
詩篇97:10、マタイ6:13、Iコリ10:13、
ユダ1:14、IIペテロ2:9、黙示3:10参照
Taken from [Amazing Grace] ©Copyright
September 22, 2017, Kenneth Osbeck,
Published by Kregel Publications, Grand Rapids, MI
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