エデンの園、美化された罪の恐ろしさ
「・・・ヘビは女に言われた、"園にあるどの木からも食べるなと、本当に神が言われたのですか"」創世記3章1節
毎木曜日の午後の祈りのとき数人で創世記を学んでいる。もともと創世記は旧約の福音書と呼ばれ罪の贖いの書であると教えられていたが、学びを重ねる毎にそのことがよく分かるようになった。神の素晴らしい天地創造、人間の創造が完成すると、あのサタンが姿を現す。悲しいかなエバはサタンの誘惑に負け、アダムも妻の誘惑に負けてしまう。神があれほど禁じたことに二人は背いてしまったのである。
神の言葉に疑いをはさむ:
サタンは神の園でもウロウロ餌食を求めていた。聖書はサタンを“狡猾”と名づけているから最大な注意が必要だ。まず、彼の狡猾さは神の言葉に一抹の疑いを混ぜること、そして自分のことを聞けは“自己栄光”が実現できるとエバの説得に乗り出した。サタンは人間は神の言葉なしではもろく躓く存在であることもよく知っていた。
だから、神との断絶は神の言葉を無効にすることが一番効果的であると詠んだのだ。“ほんとうに神がそう言ったのか?”と、何度も繰り返したに違いない。私たちは聖書66巻神の言葉として信じ、66巻に追加したり削除したりしない。ある教会や牧師の中には聖書を“検閲”して神の言葉に疑いをはさむ者がいると聞く。その後ろで誰かに操られていることに気が付かないのだ。いや~、相手は狡猾だから、、。
人間の歴史に流れる罪の毒針:
創世記3章のサタンとエバの会話のやり取りは実に巧妙であり、美化された罪の恐ろしさがそこに潜んでいる。ヘビに欺かれたというよりも、神の言葉に疑いをかけて無効とする罪の深さであろう。人間の原罪がここに流れている。4章に進むとアダムとイブの長男カイン、次男のアベルとの間に嫉み、そして史上初の殺人が起こる。
あの平和の時代、社会という社会も存在しない、たった家族4人の時代に人殺しの恐ろしい罪が生まれたのである。やがてノアの時代、大洪水が押し寄せるという神の言葉を無視した人たちの心は“いつも悪いことを図っている”状態であった。“悪いことを図る”とは神の言葉を無効と宣言することだ。神は心なくも地上から悪を取り去らずにおれなかった。
そして、バベルの塔の建設。シナル(バビロンの)の人たちは“生めよ増えよ”という神の言葉に反対、塔を天に届かせようと自己礼拝を求めた。あの最初のサタンのささやきの誘惑に、このような大きな罪を孕む神からの断絶があったでのある。しかしバベルの塔の崩壊すぐ後にアブラハムの名前が登場し神の救済の歴史が具体的に開始した。
美化された罪の深さ:
創世記を繰り返し読むごとに、神の命令に背くこと、即ち、サタンに騙されることがどれほど大きな罪であるかとつくづく思わされる。サタンの誘惑には誰でも陥ることだ、たった一度切りだと軽率に考えてはならない。あのサタンの誘惑が無責任、責任転用、嫉み、殺人、暴虐、世界の滅び、バベルの塔の崩壊等、大きく人類に大危機をもたらせた。罪は決して過小評価されたり、美化されたりしてはならないものだ。
アダムとイブの罪は、今日も私たちの中に原罪として流れていることを日々祈りの中で覚えていなければならない。
「だから、兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい。すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている」。使徒行伝13:38
前原利夫

ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A.
www.gospelventure.com/




