52年後、土の中から芽が出る

2021年12月20日

“朝のうちに種をまけ・・"
伝道の書11:6

4月27日(月)。私たちが祈っているワシントンDCの上原隆牧師から電話があった「艶子さんのお父さん稲福信雄さんが信仰告白をしました」と。私はこの朗報に“唖然”とした気持ちで“えっ、信雄兄さんが”まるで信じられないビッグニュースだ。一瞬、タイムカプセルが半世紀前に戻り、私は上原牧師と昔のことを振り返りながら神様の深い摂理に感謝するのみでした。

52年前に福音の種をまく

信雄さんは私の近い親戚で彼の住む村で私は兄夫婦に育てられた。私はイエス様を受け入れすぐこの村にイエス様のことを伝え始め、教会の方々と土曜学校を開いた。子供たちが10,20人と集まり、やがて家庭集会が始まり、上原先生をはじめ母教会の先生方が遠い那覇から長い間集会をして下さった。子供たちは初めて聞くイエス様の話に耳を傾け、彼らのお母さんや兄弟たちの中にはイエス様を受け入れるようになって、初期の頃に洗礼を受け入れた方々は信雄さんの奥様の良子さん、良子さんのお姉さん光枝さんであった。良子さんはお元気ですが光枝さんはイエス様の下に召されました。そして、艶子さんも救いに与り、今は飛騨高山でクリスチャンホームを築き3人のお子様もしっかりと教会に仕えている。稲福家だけでも信仰に導かれた者は8,9人はいるでしょうか。

私はニュースを受けたよく早朝に艶子さんに電話入れた。電話を入れる前に村に福音の種をまいたのは何時頃であったか半世紀前のことを確かめた。高校を卒業した年は1960年、、だから1962,3年頃に種まきが始まった。あれから52,3年前に村の人、信雄さんも福音を聞いたことになる。その間、福音の種は死なず、時がくるまで静かに彼の心の中に眠っていたのである。艶子さんは飛騨高山から沖縄に何回も足を運び、父を信仰告白に導いた、三度目の正直、父はイエス様を受け入れた、ハレルヤ! 信雄さんは86才です。

忘れらない信雄さんのエピソード

子供の頃、稲福一家には大変お世話になり、今でも帰郷すると皆さんを訪るように努めている。艶子さんが田舎をあとに上京したときのことだ。両親は彼女に反対した。当時、若い娘を東京に出すことを両親はためらうのだった。両親の反対を押し切り艶子さんの旅立つ日が来た。彼女は旅装を整え家を出て10分くらい歩き村の農道まで来た。すると道端に体を丸めた父の姿が目についた。父は道路に背を向けて草を刈っている。父は娘がこの道を通ることを知り、娘より一足先家を出て娘に無言の“さよなら”と言いいたかったのだ。娘の上京に反対し“元気でね”、“早く帰って来い”と照れ臭くて言えない父の沈黙の励ましであった。娘の“行ってまいります”の別れの言葉がとても聞くに堪えられなかったのであろう。うつむいて涙を拭いていたのであろな~と想像するばかりである。

アダムとイブが罪を犯してエデンの園を追い出されたとき、初めて神の悲しみがそこにあった。そして、逃げ回る二人にご自分の存在を知らせようとされ草花の上を歩かれてわざわざザクザクと“足音”を立てて歩かれたのである。父信雄さんの心境とエデンの園の神の取られた態度が何十年後の今も合い重なり、思い返されて美しいエピソードとなっている。
 

“夕まで手を休めてはならない"

この言葉は冒頭の伝道の書の続きである。ソロモン王は多くの事業に成功したビジネスマン、また知恵の人でもあった。種をかまずに成功はない。み言葉の種をまかずに芽が出ることはない。ソロモンは更にこう続ける。

“実るのは、これであるか、あれであるか、
あるいは二つともに良いのであるか、
あなたは知らないからである”。

 
そうです、神の言葉をまくのは私たちの務め、実を成らせるのは神の業です。 福音の種まきは夕まで手を休めてはならないのです。              

前原利夫


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