たとえ友の死を悼むとも・・
「すべての事について、感謝しなさい・・」
第一テサロニケ5章18節
“感謝、感謝、感謝”、この言葉は友が残した最期の言葉です。この言葉を聞いたとき、これが彼との最後の会話であろうと、悲しかった。この言葉が、今なお旧友の叫びとなって胸中に鳴り響いてやみません。
友、上原隆牧師は昨年11月20日午前3時過ぎに主の下に帰られました。人はいつか、必ず死ぬことが定められていると知りつつも、身内、友、教友との死別は痛いものです。
その痛みは在りし日の思い出で慰めて行くしかありません。良き友は深い思い出と模範的な生き様を残すものです。彼は最後の最後まで、忠実に主に仕え、喜びと希望の中に天に旅立って行きました。
友の癌との闘い:
上原牧師はリンフォーマ癌(リンパ性の癌)と2年半闘い続けた。リンフォーマ癌はCIDP(慢性炎症性脱髄多発神経炎)と言う病気を併発し、10万人に一人というまれな病気と闘いました。
CIDPは段々と右足の機能をとめ、痛みが治療できないほどになりました。電話で話す度に、この右足の痛みが話題となり、また私たちの祈りともなりました。
私も右足の回復が遅く、同病相憐れむと冗談を言ったものでした。天に帰る4週間前、彼の最後から二番目のメイルが届きました・・・
「前略、、いよいよリンフォーマの再発の可能性大です。来週の火曜日にその結果が分かり、その後の対処策が検討されると思いますが、厳しい事態が待っていることは確実のようです。後継者が来米するまで、健康を支えて下さるように祈っていますが、神の御心はどこにあるのでしょうか。体の隅々まで知っておられる神様の御手のなかに委ねて心は平安です。しかし、しなければならない多くの大切な仕事が待っている状況で、なんとか神様が耐えるだけの力を与えて下さるようにと祈っています。私と共に祈って下さい。中略、人生なにが起こるかわからないもの。そのことを強く教えられ、神様の前に畏れとおののきをひたすら教えられています。貴兄の上に主の守りと祝福がありますように!」
神様の御心は私たちの手の届くところにはありません、彼は最後の最後まで時間を惜しみ、体に鞭打ち、残された奉仕に精進しました。礼拝メッセージも痛む右足を労わりながら腰掛けて、召される前の週まで奉仕されました。
友の思い出、北米邦人への宣教情熱:
上原牧師は百合子夫人と共に、北米の邦人伝道の情熱に燃えていました。沖縄での伝道の機会がありましたが、彼らは未知の北米宣教の導きに全てを委ねました。1975年であったか、彼は単身北米宣教の下調べに乗り込んできました。私はハワイでの学びを終え、家族でロスに移動して未だ数年でした。彼をモンテベロの小さなアパートに迎え、共に数週間過ごしました。その間、三人の娘たちも連れて、グランド・キャニオンを案内することになりました。11月も感謝祭の頃、ラスベガスを経て、グランド・キャニオンの入口、フラグスタッフという町に投宿することになりました。その夜、私は彼の部屋を訪ねて、母教会のこと、恩師のこと、神様の不思議な導き、なぜ二人がこの知らない町で祈っているか等、神様の深い摂理を考え、感謝しました。彼は熱心に邦人伝道のために祈りました。翌朝、モーテルを出ると車は雪に深く埋もっていました。彼の雪の中の祈りは今も燃えるように伝わってきます。
友の記念会、2月25日:
友の記念会は彼が奉仕したワシントンDCの教会で執り行われます。私の体調は十分ではありませんので参列することができず、悔しいやら、悲しいやら残念です。沖縄から恩師の運天康正先生と奥様の君子先生が参列します。
先生ご夫妻は昨年も沖縄からDCへお見舞いに行かれ、私の見舞いにも来て下さいました。先生は高齢で決して丈夫な体ではありませが、弟子を愛する恩師の姿に私たちは只々感動し、感謝しました。この恩師ご夫妻を迎えての記念会は百合子夫人に大きな慰めとなり、力となることでしょう。
”感謝、感謝、感謝”、たとえ友の死を悼むとも、最期の言葉は主と共に生きていることの証であり、時きなば、この痛みも喜びの再会となるでしょう。
「死は勝利にのまれてしまった。
死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。
死よ、おまえのとげは、どこにあるのか。」
第一コリント15章55節
前原利夫

ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
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