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正月元日は聖日か? 神がモーセに命じられた「正月元日のなすべき使命とは」
    
2015年、明けましておめでとう御座います!

最近、学んだことですが仏教が日本に伝わったのが6世紀頃、その以前から日本は「正月」を特別な祭日としていたようです。

正月の1日から3日を「3が日」といい、今日でも日本全国休日です。因みに、今年は4、5日が週末で休みとなり、6日から仕事初めで長い正月休みです。

正月7日までを「松の内」と言い、いわゆる「正月」は松の内までだそうです。勉強不足の私は正月は1月のことであり、31日まであると思い込んでいました。元来、正月は「歳神様」(トシガミサマ)という神を迎え、家族の健康、その年の豊作の約束を祈願したそうであります。

日本の古い歴史の中に新しい年を迎え、元日に神事からスタートする習慣があったことに興味があります。それに、日本がこの習慣を始めた大昔、二千年前に出エジプト記40章で以下の記録に触れ、もう一度、その興味が深まり、「正月に対する心構え」を再考する元日となりました。

「主はモーセに言われた。“正月の元日にあなたは会見の天幕なる幕屋を建てなければならない”。」

「会見の天幕」とは人が神様に謁見する聖所、現代流では「キリストの体、教会」でありましょう。そこで、正月の元日にその天幕を建てなさいと命じられのですから、新しい年の初めに、先ず、第一に神様にお会いし、神の前にひざまずき礼拝する場を建て上げるという仕事初めです。元旦に,その年に神様とお会いする“場”を確保するようにとの教えでありましょう。その視点から信仰の父、アブラハムを考えてみましょう。

1.アブラハムから学ぶ(創世記12,13章参照):アブラハムがハランから力ナン入りを果したとき、先ず、シケムという村で祭壇を築いて神様を礼拝する場を確保しています(多分、アブラハムの時代には“正月”という時の概念は存在しなかったでしょう)。シケムからベテルの東に移動したときもまず祭壇を築いています。それから飢饉に見舞われてエジプトに下り、再び、ベテルに戻ったときも、矢張り、祭壇を築くことを忘れていません。

因みに、アブラハムのころの礼拝場は青空天上、モーセの時代からは“会見の場”、ソロモンの時代には“聖所”、現代は”教会“という礼拝の場が形を変えていることに気が付きます。勿論、神様は不変・遍在ですから、”場“に拘束されることはありません。

2.イエス様に聞く:イエス様は“先ず、神の国と神の義を求めなさい‘ と”先ず“、”第一にすべこと“、”優先順位“を教えておられます。この”先ず“は時、場を越えて神の国と義を求めよと命じられます。神の国と神の義を求めるとは”神の教え“を実行することを最優先することだと解釈します。モーセが年の第一日目に神様を礼拝するように命じられれば、アブラハムは移転先々でどこでも祭壇を築いておられる。

2014年を迎えました。私たちは元日をどのように過ごしたか、この機会に振り返ってみませんか。そして、これまでの正月の習慣・伝統的な過ごし方でいいものか、み言葉に照らし合わせて心を探る機会としませんか。伝統の中にみ言葉を見つける工夫が必要ではないでしょうか。「一年の計は元旦にあり」、「心機一転」等という素晴らしい教えもあります。モーセの正月の元日理解はその日は“聖日”です。伝統・習慣上の優先的発想からみ言葉を伝統・習慣の中に取り入れていきたいものです。皆様の上に新年、更なる大きい祝福がありますよう、お祈り致します!

Happy New Year!

前原利夫



働きの成果を無駄にするな、沢山、報いを受けよ!

“よく注意して、わたしたちの働いて得た成果を失うことがなく、豊かな報いを受けられるようにしなさい。”(第二ヨハネ8節)

上記の長老ヨハネの言葉を短く纏めます。初代教会の時代はキリスト教は新しい宗教として異端視され、社会的、宗教的、伝統的に外からの迫害の重圧の中を歩まざるを得ませんでした。イエス様を受け入れた者の大きなリスクでした。

内側からは、様々な反キリスト的な教えが蔓延、キリストが人間の姿になってこの地上に来られたことを否定、疑いを生じさせ、信仰を根こそぎしようとする異端者が教会の中にいたのです。このような憂いの中から、聖ヨハネはイエス・キリストを信じたものの、自らの救いを無駄にし、投げ捨てることがないように、その報から外れることがないように勧めます。

上記の言葉は、特に福音の働きをした伝道師、宣教師、兄弟姉妹に対して語られていることに注目しましょう。今日、福音の働きに参加している貴方も、私も、また教会もこのみ言葉の意味をしっかりと理解したいものです。私たちの働き、即ち、背後の祈り、訪問、時間をかけた交わり、教え、リソース等が無駄になり、魂が救われないまま放置され報われぬことがないためです。

1.種を蒔く働き人の務め:

種を蒔く人は、種を選び、土地を耕して、時を見計らって蒔きます。品種のいい種でも土地が耕されていなければ芽を出すのは困難、また時、季節を間違えてしまうと土の中で死んでしまいます。種は受け皿とタイミングが大事です。福音の種まきもこの原則ではなかろうか。誰に種を蒔くか、人選が大事で、いつ、その人に福音を伝えるか、よく魂が整えられているか祈りを重ねることです。パウロは第一コリント3章で、「わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。」と教えます。貴方や私の責任は種を蒔くだけではなく、水をそそぐまで私たちの務めです。「水をそそぐ」とは、種を蒔かれた人への愛のケヤーです。その人が成長するのは神のみ手にある、とパウロは断言します。神の領域と種を蒔く人の領域がありますから、心配せず自分の務めに集中できます。

2.GVICの働き:

私たちの教会は色々なコンサート、講演会を取り入れて、福音の種まき、イエス様を知らない人との接点作りを試みています。多くの方々が皆様に誘われて礼拝、集会に出席します。しかし1、2度限りの方が大勢です。私たちは可能な限り蒔かれた種のファーロをします。しかし、現段階の働きは“種をまく”の領域で、“水をそそぐ”、“愛のケヤー”が十分整っていません。この点が私たちの教会の大きな務めであり、種まきの成果を失っている大きな損失です。教会はイベント、コンサートで終わってはならず、それは寧ろスタートとして取らえていかなければなりません。“水をそそぐ”ことは私たちの領域です。世話人会は今年、この“水そそぎ”を具体的に進めて参ります。そのために、イベント、コンサートを拡げないで、“水そそぎ”に集中することを最優先します。

3.From event mode to movement mentality:

この表現は以前もご紹介しましたが、”Movement mentality” 即ち、種まきの次のレベル“水をそそぐ”、具体的なケヤー、交わり、教え、訓練がなされていかなければなりません。一年後、このことがなされたか、種まきの成果が無駄にならず、豊かな報いを期待して、共にEvent からMovementに発想の転換をしましょう。皆様の心からのお祈り、アクションをお願い致します。貴方の働きには“報い”が約束されているのですから!

前原利夫


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ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A.
www.gospelventure.com/


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