私の口には、いつも主への賛美がある
「私はあらゆるときに、主をほめたたえる。
私の口には、いつも主への賛美がある」詩篇34:1
私たちの教会では、毎日曜日の礼拝前にスタッフでお祈りの時を持ちます。そこでは合言葉のように、「霊とまことをもって私たちは礼拝します!」と告白するのです。なぜなら、私たちは主を礼拝する者で、またその礼拝は、最も麗しい、最上の捧げ物がなされる時間だからです。
私たちの捧げる礼拝を、主は喜んでくださっているのだろうか。
常に主の前に謙り、自身を吟味することが大切です。なぜなら、もし私たちが主の御心よりも自分の思い(肉)を優先してしまうなら、それはまことの礼拝とはならないからです。
父なる神様は、すべての人を愛され、すべての人の命を救いたいと思われました。実際に御子イエス・キリストの十字架の贖いによって、「完全な罪からの救い」を私たち人類にくださったのです。
しかも、神様の命の書には私たちの過去の悪い行い、悪い思いなど一切は記録されていない!それどころか、すべて十字架の死によって贖われたので、悪い事は一つも覚えていない。私達にそう言われる神様とは、なんと気前の良いお方でしょうか。
私たちはこの気前の良いお方によって罪許され、生きる者となりました。それだけでなく、私達は神の子とされ、神の相続人だと言われるのですから、ものすごいことが起きたのです。
私たちは、礼拝で神様の栄光と誉れを賛美し、感謝を捧げます。主は私たちを気前良く救ってくださったのですから、当然!私たちは喜んで礼拝捧げるのです。主が私たちと共におられます。それで、神の愛と赦し、恵みが私達にわかるのです。
神様がご一緒なので、主への感謝に溢れ、真理のみ言葉を慕い求め、お互いのために祈る者となったのです。私たちができる精一杯の献金を捧げるのも、ヘルプが必要な人を全力で助けるのも、時間を人のために捧げるのも、共におられる神様がそのようなお方だからです。
高価な香油をイエス様にふんだんにかけた女性に対して、弟子たちが「無駄遣いして!」と怒ったのは、まことの礼拝をしている彼女に対するイライラです。それは自分の思い(肉)でした。私たちの人生は、神様がいるならどうして?と思う出来事も多々あります。
しかし、思い出してください。ペンテコステの日、ペテロのが声を張り上げて説教をした時、3000人の人々が神を信じ救われたのです。私たちが主が共におられることを知る時、主の御業、奇跡を見るのです。
実に私たちは、この気前の良い主なる神様に救われ、気前の良い大きな愛で育てられています。このお方をもっと喜び、感謝を捧げる礼拝者となろうではありませんか。
そればかりでなく、私たちの喜びの理由を証する、感謝の理由を主の救いが必要なすべての人に証していきましょう。主がその方の人生の救いのためにあなたをお用いられます。そこに聖霊様が臨まれます様に祈ります。アーメン。
キム明子

ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A.
www.gospelventure.com/





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