救いの証(4) | クラーク・マリエ
結婚してからしばらくの後、彼が怒りのままに私のiPhoneを破壊したのを皮切りに,彼の暴力が始まりました。その後、私は妊娠するのですが、つわりがひどく、一日中吐き続け、それは妊娠後期まで続きました。
そういう中で、小柄な私にはそぐわない大きなお腹で、ウエイトレスとして働かなくてはなりませんでした。夫(元)には「妊娠なんて、ただお腹が大きいだけだ、辛いだなんだと騒ぐな,むかつく」と突き放されてからは、「辛い•キツイ•痛い•具合が悪い」等の言葉は一切封印、気づかれない様に音を立てずに吐いていました。
誰にも夫の暴力を相談できず、母には妊娠中のつわりの酷さを理解されず、突き放された私は孤独で「自分のことは諦める」と覚悟をしたように思います。
長女は難産で,破水しても医者が来れず、長時間待ってやっと医者が来た頃には羊水がなくなってしまい、赤ちゃんの心電図がほぼフラット、「彼女の命が危険なので緊急帝王切開にします」と言われ即手術になりました。
その後、2回目の妊娠をするも私の誕生日に流産,そして3回目の妊娠も仕事中に出血し流産となり,心に大きな傷を受けました。それでも夫は病院から帰ってきた私に目もくれずゲームをして遊び、全く関心がないようでした。
夫の暴力は次女の妊娠中にも続き、ほぼ毎日罵声と怒号、殴る蹴る。臨月になったある日には、アパートから追い出され2時間車内で過ごした事もありました。三女は最初双子でしたが、その内の一人は間も無く流産しました。臨月の私に750mlのペットボトルをお腹へ投げつけ、「子供が死のうが関係ない。」と怒鳴られました。
私だけでなく、3人の娘たちも3歳を迎える頃から徐々に徐々に暴力を受け始めました。私が必死で「警察を呼ぶ」と泣き叫ぶと,さらに夫は怒り狂って私をボコボコにしました。それからは、警察を呼ぶことも恐怖でできません。とにかく暴力の間は我慢して彼の怒りを収め、殴るのに飽きてくれるのを待ちました。
この結婚は暴力だけでなく金銭的にも苦しみました。私は少ない自分の給料から娘達を食べさせ、自分はバナナ一本で1日やり過ごし、なんとかお金を作り子供達を日本語学校やお稽古に行かせました。苦しい日々でしたが、笑顔で乗り越えました。娘3人と寄り添って,彼女達を立派に育てる事を心の糧に頑張ろう生きました。
クラーク・マリエ






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