8月号は戸羽正一兄のお証しを紹介致します。大きな深い困難の中からついに神様と出会う体験は感動的です。もし、このような困難や悲しみが貴方や私が経験したら、果たして神様を信じていたであろうか、いや神様を呪い、教会を呪い、信仰を嘲笑っていたのではなかろうかと思わされます。

私達前原家は戸羽兄が教会に来られる前から存じ上げていたご夫妻でした。それは、娘の愛子が、天にお帰りになられた尚子奥様からピアノのレッスンを受けていたからです。当時はまだGVIC は初めていませんでしたが、やがてご夫妻をお誘いするようになりました。暫くして奥様が亡くなられ、戸羽さんも手術を受けられたと聞き、お見舞いに参じました。二度目の病院訪問のときは同兄が全身動けずベットに横たわっていたあの光景はショックで私の脳裏から消える事はありまません。どうぞ、祈りつつお読み下さい。前原利夫

証:「主に委ね、勝利への道」 戸羽正一

COVID-19の 蔓延の為 他人との接触を避けて過ごす毎日、余裕の時間を利用して、聖書を読みました. 特にインスピレーションの湧く詩篇を朗読しています。私がこのGVIC教会を訪ねたのはピアニストだった亡妻が未だ元気でいた頃の14年前のことです。其れ以前の数年の間、すでに、彼女の腎臓は悪くなっており、透析を続けていましたが、体力がなくなり、移植が唯一の救う方法でした。然し、U.S.国内では、マッチする腎臓を得ることがほぼ不可能なため、移植を他国に求め、やっと、フイリピンで、マッチする腎臓をお金で買える事になったのです。

2007年の12月初旬に、入院しましたが、数時間後、昏睡状態で手術室から出て来ました。正常な意識に戻らないまま、急に、死を知らされたのです。驚き、呆然として、病院の地下部屋のモルグの一角に、ミクロの個体となった亡骸を抱きかかえて、唯々、号泣する自分でした。

彼女の沖縄の親戚と共に火葬と葬儀を現地で済ませ、LOS ANGELESに、単身で戻ったのは、翌年の2008年の1月末でした。暫くは何も手につかず、無気力なままの毎日でしたが、これを機会に長年勤めたTOYOTA(TMS)から退職を計画する内、今度は、自分の健康管理に注意するべく決心しましたが、自分の右腕に“痺れ”を感じ、主治医に神経外科医を紹介してもらい、首の MRIの断層写真で診断の結果、2008年の8月末に、ついに、外科手術をすることに決心します。

2時間の手術を終えて病室へ移動しましたが、その日の午前0時を回った頃、目が覚め、自分の両手の指先が曲がり、両脚が動かなくなっていたのに、仰天し、看護婦に叫び続けました。担当医者が事後のオープン手術を行ったところ、不適切な手術処理の為、両脚が動かなくなっていたのです。2度までも悲劇的運命に落されるとは想像をするさえできませんでした。自分の余命もその後、最長5年までなのではと、絶望感に苛まれる日々でした。

「わたしは山に向かって目を上げる。我が助けはどこから、来るだろうか、我が助けは 天と地を造られた主からくる」詩篇121篇1&2(口語訳)

その後、前原牧師に導かれ、2009年に2人の友人達と共に、GVICで洗礼を受けました。

「主によって喜びをなせ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる」詩篇37−4節

「貴方の道を主に、委ねよ、主を信頼せよ。主が成し遂げてくださる」 同−5

その後、IP細胞(STEM CELL)を使った手術・治療などを ドイツ・DUSELDORFFやPANAMA-CITY(USでは未許可)に求めました。現在は毎日自宅で介護人のヘルプで1時間、全身ストレッチ体操とウェイトリフチングを励行しています。主は、12年前の絶望の崖淵から救いの手を差し伸べて下さっています。現在も生きる勇気と、そのた為の糧を下さっています。

更に、財政的な自由の恵みも下さいました。信頼できる人柄の フィリピン人の兄弟組の介護人と巡り会わせ、長期直接契約で、自宅に共に起居してくれていますので、家族のように大切にしています。趣味は、読書、CLASSIC MUSICや Los Angeles Opera定期公演購読者。こうして、聖書に親しみ、自らの道を主に求め、「主イエスに身を委ね」続けています。そうすれば「主が成し遂げてくださる」のだと思います。 



ゴスペルベンチャーインターナショナル教会
Gospel Venture International Church (GVIC)
17811 South Western Avenue, Gardena, CA 90248 U.S.A.
www.gospelventure.com/


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私が74歳に至って洗礼を受けイエスの恵みを乞いたいと思った背景には急激な人生の変転がありました。この4年間に40年間共にした妻を無くしその後わずか9ヶ月で今度は自分自信が半身不随になったのです。

ごく軽い首の手術だと誘われて行なった頚軟骨の手術の直後突然骨髄神経の損傷をこうむるこになってしまったのです。病院やリハビリ施設で前原牧師夫妻の訪問をうけ聖書の朗読と恵み溢れる祈り受けたのが洗礼への最初のステップと成りました。

4年前までの自分は自らの力と努力で切り開けば全ての事が成就され人生での幸せが勝ち得られると信じていました。確かに成功は得たと思っています。それらの成功で足りうると過信していたのです。

以前から神の存在は信じていましたがイエスキリストへの信仰の道に入るところまでは到ってなかったのです。また渡米45年以上になっていましたが夫婦共に来たことのある教会はGVICのみで今思えばやはり神の導きがあってこの教会に誘ざなわれたのだと感じています。

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4年前までの自分の人生は一見恵まれ過ぎるほど幸運の恵みを受けていました。長崎市の貧乏な家庭に生をうけました。

両親の愛に強く支えられ進学トップ高校であった長崎東高校を卒業し早稲田大学に進学しました。卒業後高度成長に入ろうとする日本のサラリーマン社会を飛び出そうと思いました。

サポートを受ける縁も持っていないアメリカ・ロスアンジェルスへと留学を決したのです。念願だったUSCに進学して修士課程を卒業しBSを取得し、その後更にパート・タイムの輸入業の職を得て働きながらMBAを得ることが出来ました。その後は順調で幸運なキャリアーが待っていました。

又USCで会ったピアニストの安村尚子(沖縄首里出身、武蔵野音大・USCピアノ科卒)と当時はあまり知られていなかったパロス・ヴェルデスのガラスの教会で結婚しました。互いに助け合うパートナーであるだけでなく芸術・音楽を共に分ち楽しむ幸せな結婚生活でした。

一方僕の方はUSC卒業後はフォード自動車 (ミシガン州・デトロイト在)の国際部門の極東担当スタッフに就職、当時の日本のマツダ自動車の買収交渉や日本フォード設立をデトロイト本社で勤めることが出来ました。その功でヘンリーフォードII世の1977年の来日に随行し住友銀行との最終交渉や日本経団連との記者会見などを補佐しました。

日本フォード役職(営業本部長)に在職した事で渡米直後に取得したアメリカ永住権(グリーンカード保持者)を継続することもできました。その後チャンス到来で成長期のトヨタ自動車(現在の“TMS”、Toyota Motor Sales,USA)に1986年に転職することが出来たのです。

米国Private Distributors(中東海岸地区・南部5州・テキサスを含むガルフ5州)担当Sales Administration Managerまた後年はトヨタ・レキサス車のグローバルな輸出輸入(Global Distribution/Marine Logistics)拡大の担当役員として 勤め安楽な退職の準備をしていたのです。ところが全く予期しないことが起りました。

尚子は2004年頃までは友人のVOCALISTと共演でリサイタルを繰り返していましたが その後は長年患っていた腎臓病が悪化し透析する日々になりました。その為その頃から急激に体力を無くしピアノも殆ど弾かなくなったのです。丁度唄うことが出来なくなったカナリヤの様でした。あれやこれやと腎臓移植の方策を調べました。日本では血縁親族以外の移植は不可能でした。

そのため親族に頼みましたが申し出がなっかたのでUSでの望みを祈っていました。然しUSでは移植は出来ても他人のマッチングする腎臓提供者が何時現れるか待っておられなくなりました。

最後の手段としてお金で移植腎臓を買わざるを得ないこととなりフィリピンでの移植をするべく最終的に2007年12月初めにLAを2人で発ちマニラに向かいました。12月9日に入院、12月13日の朝に満面の笑顔で移植手術室に入って行きました。

手術が予定より長くかかり、しかも昏睡状態のままで手術室からICU室に移菅されそのまま眠り続けていました。12月14日の早朝に状況急変しついに息をひきとりました。一瞬が程遠く又長い苦渋に満ちた空白のように
思われました。

現地フィリピンで火葬し沖縄で葬儀を済ませ、翌年の2008明けてから帰米しその後働く気力も失くしてしまいました。長年勤めた米国トヨタから退職するように準備をしました。その準備の1つとして右手の軽い痺れを治すべく神経外科医と相談しMRIを撮ったところ首の軟骨除去のための手術が必要とのことでした。手術は1日か2日で退院出来るものでその後は通院しフォローアプをすればいいと言われその年の8月末に行なうべく準備をしました。手術の日は自分で車を運転し病室に歩いて入っていきました。

2008年8月28日のこの日を境として自分で立ち、歩き、自由な生活が出来る最後の日となることとは夢にすら思いませんでした。 その日手術後5時間ぐらい経過した頃両足が硬直し動かなくなったので担当看護士に緊急処置のテストを頼みましたが右往左往するばかりで何もしてくれません。担当外科医が到着したのは翌朝になってからでした。 直ぐに2回目の手術になりその結果知らされた事はまったく想像に絶するものでした。

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骨髄神経が破壊され3箇所で死滅していることまた骨髄神経は自らの活生能力をもっていないとゆう驚き仰天する診断でした。その5日後SAN PEDROのリハビリ病院に移され療養を続けました。

病院やリハビリ施設で前原牧師夫妻の訪問を何度か受けました。その度ごとに聖書朗読とイエスへの祈りをいただいたのです。そのなかで 詩篇121篇“私は高い山に向かって目をあげる。わが助けはどこから来るであろうか。 わが助けは天と地を造られた主からくる。何か祈ることがあれば山に向かって祈りなさいと“を朗読してもらいました。

病室で何度も復唱しました。心揺さぶるおもいでした。退院した時は体力が激減し体重も30ポンド減ってしまいました。前原牧師夫妻に紹介をうけた真船圭子さんの毎日の心こめた食事に支えられて健康を取り戻すことができたのです。真船さんの到来はイエスの導きのように感じています。

photo3神の導きに従い、洗礼を受け、自分が受身的に祈るだけでは恵みは与えられ無いはずです。自分の頭の中に蠢いていた大切な問いでした。もう過去は戻らない、この与えられた肉体的条件で絶望から如何に這い上がる力を得るかとゆう問いでしいた。過去に振り替えるのでなく現在から将来に向かって如何に生きるかとゆう問いでした。

謙虚な自分に立ち返りそこから出発することだと思ったのです。健康の許すかぎりGVICの礼拝に行くように勤めました。教会の兄弟姉妹たちとの心温まる友情が励みになりました。洗礼に決意したことを真舟さんに話したところ森田のりえさんが同様に洗礼を受けるとことをすると知り歓喜しました。

更に洗礼を受けることを沖縄の義妹(安村文代)に伝えたところ敬虔なクリスチヤンである彼女は心から喜んでくれました。渡米し参加出席してくれると言うのです。妻尚子の昇天記念と洗礼の日を合わせたスケジュールが決り、義妹の励ましと愛に支えられて洗礼を受ける心の準備ができました。 文豪トルストイ(アンナ・カレリーナ、戦争と平和)やドストエフスキー(罪と罰)は数々の名著のなかで人間の愛・憎しみ・嫉妬・欲を隈なく描いていますが最終的なメセージはイエス・キリストの愛を求め祈ることだと断言しています。

絶望から希望へ、不可能から可能への祈りを続け、愛を求めるようにと提言しています。 聖書はイエスが我々一人一人を慈しみ愛を与えてくれるといってくれています。

“わたしの目にあなたは高価で尊い、―――”。(イザヤ43章4節)。

このことばを之から導きの星としようと思っています。どれ程信仰に献身できるかは未だ自信はありません。自分の身の回りに居る人たちを慈しみ、幸せを分ちあえる努力をしようと思っています。

食事の前には祈りをするようになりました。現在は真船さんとはLos Angles SymphonyやLos Angeles Operaの定期公演に欠かさず出かけ楽しんでいますし、才媛の森田さんとは僕の好きな旅行記の話題、絵画、西洋文明史や日本史上等のトピックスを歓談する友人です。

鳥羽正一


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