救いの道
私がGVICと巡り合ったのは2003年が終わる頃だったと記憶しています。これも神様の計画通りだったと今でも思います。
当初はバリバリのビジネスマンとお見受けしていた前原先生が実は牧師先生であられた事に驚き初めて教会の礼拝に ...
種をまく
色々あった私のクリスチャンライフの中で忘れられない喜びの思い出があります。教会にと出かける私と母をいつも見送って留守番していた父がある日曜日の事、聖書を抱えて一緒に行く言うのです。
私達はしばらくお互い顔を見合わせていまし ...
目覚め
社会に出て月日が過ぎ去ったころ私にやっと教会に通う機会が訪れました。しかしそれは自分からの意思ではなく運転のできない母の送迎係として付いて行っていました。
牧師先生のお話もあまり耳にそして心に飛び込んでこないような状態でし ...
教会への導き
~救いの証 3~
アメリカでの新しい生活が始まり私は環境の違いに戸惑いながらも学生生活を過ごしていた。日系2世の父はいつもにこやかで優しいとしかたとえようのない人で生涯家族を大切にし、私の事も深い愛情をもって育ててくれま ...
別れ
~救いの証 2~
成長すると共に私は信仰の深い母とは別の道に進んでいた。そのうち母が祈ってくれているので我が家は安泰とさえ思うようになりました。
一家に一人祈る者がいればすべて良しとはいったいどこから出てきた理論か ...
記憶〜ひとは幼少期の記憶を鮮明に覚えているものだろうか?
ひとは幼少期の記憶を鮮明に覚えているものだろうか? 私は3歳くらいの事が不思議とはっきり脳裡に残っている。
私は東京大田区の洗足池と言う都内でもかなり人気の高い池と春には桜が満開の公園が目の前に見渡せるそんな場所で生まれま ...